神回の質を作るのは、自分自身の行動だけ


■オススメ度

 

ループ系映画が好きな人(★★)

 


■公式予告編

鑑賞日2023.8.10(アップリンク京都)


■映画情報

 

情報2023年、日本、88分、G

ジャンル:5分間のループに陥る高校生を描いたミステリー風ヒューマンドラマ

 

監督脚本中村貴一朗

 

キャスト:

青木柚(沖芝樹:文化実行委員に渋々立候補した高校生)

坂ノ上茜(加藤恵那:文化実行委員に指名された高校生)

 

新納慎也(ヒロキ:老人を看取る青年)

桜まゆみ(みれい:ヒロキの妻)

 

岩永洋昭(ラグビーの練習する体育の先生)

平山繁史(グランド整備している校長先生)

渡辺綾子(梅沢:樹たちの担任)

 

日下玉巳(榎本みゆき:廊下を走る女子高生)

三浦健人(宮代:生徒会長)

平山由梨(サキ:生徒会の副会長)

藤堂日向(生徒会のメンバー)

岡部ひろき(生徒会のメンバー)

 

横江泰宣(医師?)

仁科かりん(看護師?)

 

井上想良(文化委員に立候補する樹のクラスメイト)

三好紗椰(亜里沙:クラスメイト)

中村莉久(クラスメイト)

彩香(春希:クラスメイト)

上野陽立(クラスメイト)

 

中條サエ子(樹の母?)

 

森谷和代(音楽室の女性)

渡辺かづ江(音楽室の女性)

 

森一(病床の老人)

南一恵(病床の老人を見舞う老女)

 


■映画の舞台

 

日本のどこか

水野原如月高校(架空)

 

ロケ地:

山梨県:上野原市

 

埼玉県:三郷市

 


■簡単なあらすじ

 

高校の文化祭の実行委員になった沖芝樹は、同じく実行委員になった加藤恵那の声で眠りから覚めた

「ありがとう。ねえ、聞いてる?」と語りかける恵那は、そのまま文化祭の出し物についての話を始め、やることリストを板書し始めた

適当な相槌を打っていた樹だったが、数分後突然倒れ込み、そして、同じ声で目覚めることになった

 

その後も、何度も倒れて起きるの繰り返しが起こり、13時から13時5分をループしていることに気づく

恵那にはその記憶がなく、樹だけがその記憶を有していて、彼は学校から抜け出せば終わるのではないかと何度もチャレンジする

だが、3階からのダイブで何度も瀕死になっては戻り、無事に地上に降りても体育の先生に何度も阻まれてしまう

 

そんな折、樹は自分の顔に異変を感じ、恵那ともども「成長」していることを実感していくのである

 

テーマ:執着と後悔

裏テーマ:後悔の先にある慰め

 


■ひとこと感想

 

ループ系という情報だけを入手して、タイトルの意味を想像しながら鑑賞

結果として、予想は裏切られるのですが、どちらかと言うと悪い方向に裏切られている感じになっています

 

5分間を繰り返す中で、樹には連続記憶があり、恵那にはない

その中で進まないやり取りがあって、どうしても抜け出せないところから暴走していく様が描かれていきます

 

とは言え、後半(冒頭のシーンでわかるけど)の展開との整合性がなく、このオチになるのならば、冒頭も含めて、前半を大幅に変えないとダメだと思います

 

設定とは展開は面白いのですが、やはり「それは無理がありすぎる」と言う感じがして、樹の状態と感情の流れだと、もっと違う展開の方が物語に説得性と感動を与えられたと思いました

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

5分間のループが実は「◯◯だった」というもので、それ自体が「冒頭数秒でわかる」と言う意味のわからない構成になっています

冒頭を観ただけで察しの良い人は「走馬灯もしくは妄想、夢の類」と言うことがわかってしまいます

ここにどうやって至るのかと言うのが前半の流れになっていて、冒頭でこのネタバレはなかった方が良いのでは?と思ってしまいました

 

結局のところ、樹には恵那との思い出が5分もなく、それも傍観していたものであるとわかるのですが、このやるせなさを強調する為にも、前半の行動を変えていく必要があります

ざっくり言えば「脱出しようとしない」と言うもので、ループものにありがちな脱出ループをあえて捨てると言うことで新しいものが生まれると思います

 

映画のネタとしては良かったのですが、詰めが甘い感じになっていて、脚本の練りようによっては「神映画」になれたように思えました

いつもの「素人のさいつよ」を後程展開させたいと思います

 


ループものの新基軸

 

映画は、5分間をループするというもので、当初は状況把握に時間を割いていました

なので、このループに巻き込まれているという観点から脱出することを考えます

でも、実際には死の間際の走馬灯のような感じになっていて、自分自身が望んでいたものと、それでもうまく行かずに拒まれるという現実感が入り混じっていました

 

ループものの多くは、巻き込まれ系で、ジャンルとしては「閉鎖空間パニック」に属します

このタイプの物語は、「ループに巻き込まれている原因(閉鎖空間に入った理由)」を知ることで出口が見えるというもので、それが見つかるまでは進展しない、という特性があります

前半の多くの部分で「状況認識」「脱出へのトライ」というものがあって、物語の中盤から「焦り&冷静」の感情が露見してパラダイムシフトというものが起こります

 

本作の場合は、その基軸に則っていたものの、その起因に気づくということはありません

元々、樹による妄想みたいなもので、その中で描かれていたのは「樹の終末期における思い出との葛藤」というものになっていました

妄想だと自分の好き放題にできるわけで、初恋の相手である恵那との関係はもっと自分本位に描くことができたでしょう

でも、恵那は完全に樹を拒否していて、最終的には暴力も辞さずに抵抗していました

 

この抵抗がどうして起こったかと言うと、樹の中では「妄想ですら自分を拒絶するであろう」と言う確信があったのですね

そして、それは「恵那からの語りかけですら自分に対するものではなかった」という事実によって補完されることになっていました

妄想を歪めてしまうほどの絶望というものが本作の特異点であり、それがどのように描かれたか?と言うところが映画の評価へと繋がります

残念ながら、構成の不味さと言うものが後半のサプライズを阻害していて、それがこの作品の良さを消すほどに強烈だったと言う悲しい現実が訪れることになっています

 


勝手にスクリプトドクター

 

映画の評価を下げているのは、妄想であるにも関わらず、その抵抗が描かれていることと、冒頭でほとんどネタバレしている点であると思います

冒頭では、誰かわからないけど老人が集中治療を受けているのですが、これが樹であるとは説明しなくても、ほとんどの人はわかるでしょう

その後、その老人に見舞いに来る夫婦がいて、それが老人が育てた息子であることがわかります

これらのシークエンスは、老人の背景を描く意味がありますが、彼自身のループとはほとんど関係がありません

なので、老人パートは必要だとしても、それは「寝たきりのシーン」がラストに一瞬映っただけでも問題はありません

 

老人が眠っているのは老衰か何かの病気であると思いますが、彼が誰かを育てたかどうかはほとんど意味がないのですね

彼が結婚せずに養子を取って子どもを育てたとしても、そこに至った経緯は示されないので、状況説明にすらなっていません

老人になるまで恋人はいなかった=ずっと片思いのまま生きてきたとなるには無理がありすぎて、女性と関係を持たないのに独身の状況で養子を持つと言う選択肢も意味がわかりません

むしろ、老人の元を訪ねるのが、恵那を奪うことになったクラスメイトである方が良くて、クラスメイト自身は最後まで「樹が恵那のことが好きだったことを知らない」と言う方がよりキツい内容になったと思います

 

この一連の背景よりも改変すべきは、前半部分における抵抗の部分で、これが妄想と整合性があるように思えないのですね

妄想であるならば、自分の好き放題にできるので、恵那自身の感情などもカスタマイズできると思います

でも、実際には恵那は樹を拒絶していくので、深層心理の抵抗を描くのであれば、最初は「言いなり恵那」なんだけど、ループを重ねるごとに「抵抗する恵那」へと変化していく方が面白かったと思います

なぜ、従順な恵那が抵抗していくのかに困惑する樹は、自身の内面が自分の理想を壊していく場面に遭遇していくことになります

そのプロセスをしっかりと描いていくことで、「進んでいくループ」が「後退していくループ」に変わっていき、その理由探しが後半に繋がっていくことになるでしょう

 

自分自身の脳内で起こっていることで、それがアウト・オブ・コントロールに向かうと言うのはエッジの効いた内容であると思います

そして、彼自身の回想録によって、恵那との本当の関係というものが暴露され、実は何の接点もなかった恵那への執着というものが描かれていきます

無論、彼を看取る家族というものは必要なく、彼の臨終に立ち会うのが「クラスメイトと彼と人生を添い遂げた恵那」であったでも良かったでしょう

 

この場合は、クラスメイトの方が樹と長い付き合いがあっても、恵那への想いを知らないまま生きてきたことになります

彼が樹の想いを最後まで知らないことの方が残酷さが増して、そして恵那とクラスメイトとの会話の中で、「ありがとう。ねえ、聞いてる?」の真相が暴露されることになります

その会話は樹の耳にも届いていて、そして彼の臨終の走馬灯を呼び起こすことになり、そして「無関係である」ということを提示することになります

そして、最後は樹の表情なども映すこともなく、医療機器が彼の死を告げて終わる、というシナリオの方が心を抉ることができたのでは無いでしょうか

以上、素人の考えたさいつよシナリオでした

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

この映画で不思議だったのは、タイトル『神回』の意味でした

「回」はそれぞれの5分のことだと思うのですが、「神回」というからには「神がかり的にうまくいった回」というものがあるのかなと思っていました

映画は、恵那との関係の深まりが妄想であるというもので、その繰り返しの中で「神回」となる5分間が描かれる

その後、残酷な事実を突きつけられたとしても、その「神回」のおかげで安らかになれるのかなと考えていました

 

映画を観終わっても、なぜ神回なのかはよくわからず、全ては妄想の世界なので、神様がもたらしたものでもありません

パンフレットの監督の言葉を引用すると、「無意識に過ごしている日常にこそ『神回』が潜んでいるということを、未来ある若者に知ってもらいたい」というものでした

この言葉を解釈するならば、「神回」とは初恋で一歩踏み出せなかった後悔というものが、人生の最後に繰り返され、妄想であったとしても成就しないということに繋がります

なので、「神回」とは「繰り返される走馬灯」であり、それが5分になるか何時間になるかは、強烈に残った体験に依るという意味になります

 

樹にとっての「神回」は決して進展しない5分間であり、全てを拒まれる5分間なのですね

でも、その結末を作っているのは、告白をしなかった樹自身であるということになります

「神回」というのは、連続する作品群の中で突出したものという意味合いが強く、「今回は神回だったわ」という使われ方をするものですね

でも、映画における「神回」は、そう言った意味合いではなく、ある種の固定概念を払拭しないと到達できないものになっていました

 

樹は5分ごとに別の物語を過ごしていますが、それは樹にとっての神回にはなり得ないものばかりでした

唯一、神回と呼べるものがあるとしたら、老人になった恵那がいた数分のことで、それがもしかしたら現実世界の30分だとしても、昏睡にいる樹にとっては5分間に過ぎないということかもしれません

このあたりは個人的な解釈になりますが、彼自身が行動を起こしていれば「神回」の中身も変わっていくものだと思います

「神回=走馬灯」という概念であるならば、死の間際に想起する走馬灯が5分間の虚構というのは、かなり残酷なことでしょう

なので、この映画が伝えるメッセージとしては、行動の多さこそが走馬灯の質を変え、死の間際において「1回だけ振り返ることができる神回になる」へと変化するということになります

あなたの「神回」はどんなものになりそうですか?

その問いに答える人生を作り出すことが、この映画に出会った意味になるのかもしれません

 


■関連リンク

映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

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公式HP:

https://www.toei-video.co.jp/kamikai/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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