目を澄ますことで視えてくる、これまでとは違う視覚情報の正体


■オススメ度

 

ボクシング映画が好きな人(★★★)

岸井ゆきのさんのファンの人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2022.12.22(アップリンク京都)


■映画情報

 

情報:2022年、日本、99分、G

ジャンル:実在する聴覚障害のボクサーから着想を得たヒューマンドラマ

 

監督:三宅唱

脚本:三宅唱&酒井雅秋

原案:小笠原恵子『負けないで(2022年、創出版)』

 

キャスト:(わかった分だけ)

岸井ゆきの(小河恵子:聴覚障害者のボクサー、モデルは小笠原恵子)

 

三浦友和(笹木克己:荒川ボクシングジムの会長)

仙道敦子(笹木千春:会長の妻)

 

三浦誠己(林誠:硬派なジムのトレーナー)

松浦慎一郎(松本進太郎:人情派のジムのトレーナー)

安光隆太郎(隆太郎:練習生)

柴田貴哉(貴哉:練習生)

 

中島ひろ子(小河喜代実:恵子の母)

佐藤緋美(小河聖司:恵子の弟)

中原ナナ(花:聖司の彼女)

 

丈太郎(ホテルの客室清掃員、恵子の後輩)

 

渡辺真起子(五島:新橋のボクシングジムの会長)

 

青木沙耶香(大塚沙耶香:無観客試合の対戦相手)

狩野ほのか(本人役:映画における初戦の対戦相手)

カトウシンスケ(対戦相手のセコンド)

 

山口由紀(ケイコの友人)

長井恵里(ケイコの友人)

南瑠霞(手話通訳者)

 

中村優子(女医?)

足立智充(警官?)

清水優(警官?)

椿弓里奈(ホテルの先輩?)

 


■映画の舞台

 

東京の下町

荒川&新橋

 

ロケ地:

東京都:港区

BOXING  CLUB 新橋

ボクシングクラブ新橋ステーション

https://maps.app.goo.gl/tkyBhHaVAWThXZM3A?g_st=ic

 

かざみどり南池袋

https://maps.app.goo.gl/YxWnaPznH7ZYFQVq8?g_st=ic

 


■簡単なあらすじ

 

聴覚障害を持つケイコは、ホテルの客室清掃員をしながら、ボクシングに入れ込んでいた

荒川にある小さなジムでは、笹木会長やトレーナーの松本、林が丁寧に教えてくれる

そして、彼女はプロのライセンスを取り、試合で勝利するなどの活躍を見せていた

 

ある日、試合に勝ったものの、恐怖心が増強したケイコは、少しばかりボクシングから距離を置こうと考え始める

だが、そんな折、ジムの閉鎖が決まり、笹木会長も病に倒れてしまう

 

ケイコはジムの最後に試合を前にして、行き場のない不安感に襲われる

トレーナーたちが支えるものの、未来の見えないケイコにとって、試練の試合は刻一刻と迫ってくるのである

 

テーマ:音のある世界

裏テーマ:生きづらさの正体

 


■ひとこと感想

 

岸井ゆきのさんが聾のボクサーをするということで、どんな映画になるのか期待して鑑賞して参りました

縁があって、バリアフリーの日本語字幕上映を観ることになりましたが、その意味をヒシヒシと感じてしまいます

 

映画は実話がベースになっていて、試合の結果などは反映されていましたね

また、対戦相手がガチのボクサーで、その動きと遜色ないレベルまで鍛錬した岸井ゆきのさんのプロ根性は凄いなあと思いました

 

物語は、ケイコがなぜボクシングをするのかということを掘り下げるというよりは、聾の世界の追体験のような感じになっています

それでも、生活音が強調されていて、日本語字幕版には「風の音」などの表記がなされていました

 

この字幕を見た時に、「ああ、これは聾でも頑張っている人に向けたエールなんだ」と思いました

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

映画では二つの試合が描かれていて、その内容は事実に即したものになっていますね

この映画の後に、負けた相手にリベンジしているのを知って、改めて強い人なんだなと思いました

 

各方面から絶賛されている岸井ゆきのさんの演技はもちろんのこと、この映画では「音へのこだわり」が徹底していましたね

冒頭の練習風景の器具の音、荒川の河川敷にいたら聞こえる音などが、ふんだんに取り込まれていました

これらの音はケイコには聞こえていない音なのですが、観客には「バリアフリー上映」も含めて、ちゃんと伝わるようになっています

 

この音の意味を考えた時、なぜ主人公に聞こえない音が強調される意味は分かりませんでした

でも、バリアフリー版を鑑賞したおかげなのかわかりませんが、「聞こえていない」ということを強調することで、ケイコとの距離が逆に近づいてくる感覚を覚えました

意識せずに流している音というものの重要性を改めて感じるとともに、ケイコが行っていることの崇高さというものが滲み出ているのだと思います

 


ハンデの先にあるもの

 

耳が聞こえない人がボクシングをするという、そりゃ無茶だろうという設定なのですが、これが実話というところに驚かされます

実際にプロテストに合格して、健常者相手に勝利もしているので、その精神力に驚かされてしまいます

映画では、ストイックに練習する場面も映し出され、冒頭のコンビネーションの練習風景から本物感というものが凄まじかったですね

Youtubeに上がっている練習風景などをみても、素人からあのコンビネーションの動きに至るまでに相当な努力があったことがわかります

 

そんな演者・岸井ゆきのさんの努力も凄いのですが、実際にプロボクサーになってしまう本人の努力も常人が理解できないレベルなんだと想像できます

好きな人は努力を努力とは思わないと言いますが、それでも「殴り合う」というのは、フィジカルを鍛えることよりも難しいと思うのですね

なので、スポーツだとしても、体同士をぶつけ合うという行為は個人的にはものすごいハードルを感じてしまいます

 

映画ではハンデキャッパーの挑戦が描かれていて、これがパラリンピックのようなハンデキャッパー同士の競技に向かないところに意味があると思います

というのも、「聴覚障害者」にはパラリンピックの種目がない(2022年5月時点)のですね

国際聴覚障害者スポーツ協会(現在のICSD)は1985年に国際オリンピック協会に加盟していました

でも、1995年に脱退し、その背景には財政問題とコミュニケーションサポートの費用増加というのがありました

 

それゆえ、聴覚障害者のスポーツは「デフリンピック(Deaflympic)」という別のオリンピックが創設されることになりました

これは聴覚障害者が運営するスポーツの大会で、その始まりは1924年に夏季、1949年に冬季の大会が始まっています

でも、現在でも「ボクシング」は公式競技には入っていないのですね

その理由についてまでは調べられませんでしたが、やはり危険だと判断されているのだと思います

 


閉塞感の打ち破り方

 

耳が聴こえないことで、感覚というものは一方向だけに限定されます

特に視覚に頼ることになりますが、人が横を向いたりするのは「音が聞こえるから」なのですね

なので、セコンドの声も聞こえなければ、相手が視界から消えた瞬間に無防備になってしまいます

目が良いと言っても、それは一方向だけの鋭敏な感覚に過ぎず、その感覚を失わないために、顔面への攻撃は防御しないといけないし、相手の横の動きに合わせるように必要以上に体力を使います

 

競技だけでも大変さがわかりますが、映画ではコロナ禍を描いていて、「マスクをしていると店員が話しているかすらわからない」のですね

また、聴覚障害者は見た目にはほとんどわからないので、初発のコミュニケーションでようやく「耳が聴こえない」ことがわかります

手話で話していたり、筆談をしたりと、相手が聴覚障害であることがわかれば対応できるのですが、初見ではその情報がほとんど入らないという特性があります

それ故に、「相手に勝手に思われる」みたいなことがしばしば起こり、先のコンビニの件でも店員には「話聞いてない人」に思われてしまいます

 

これに関しては、周囲の人の努力でなんとかなる問題ではなく、普通と思われているのに普通のことができないと思われてしまう誤解を生むので、聴覚障害者本人にはストレスになってしまうのですね

コミュニケーションが必要な場面だと、始める前に「耳が聴こえないアピール」はできても、街角の「あまり会話を重視しないシーン」などでは、その「前置き」はしません

これまでは「相手の口の動きが見える」ことで、何かを言っていることがわかったのですが、今ではそれすら見えないので、完全いコミュニケーション断絶の状況になっていると想像できます

 

これらの要因が重なると、周囲との距離が開いている感覚になってしまうし、コミュニケーションそのものが面倒に感じてきます

そうなると、ますます内の世界に籠るようになり、思考の共有もなされないので、不意な断絶なども起こります

普段からコミュニケーションを密に取っていれば、ケイコがボクシングをしている理由が林や松本に伝わるのですが、それが伝わっていないために林の憤りなどが生まれています

映画では、このコミュケーションの不在の状況でも、ケイコには転機が訪れる様子が描かれています

それが、自分の試合を見ている会長であり、ボクシングというものが彼女の中でコミュニケーションの一つである、と感じる瞬間にもつながっていました

その後にも、一緒にシャドーをするシーンなどもあって、体を同調させることで、言葉なき交流が生まれていくのは感動的だったと言えます

 

閉塞感は「ある場所(精神的なものも含めて)」にいることで起こるもので、そのために色んな場所に出向いたり、違った景色を見たり、同じ場所でも視点を変えたりすることで変わってきます

また、体を動かすということもとても大事で、ケイコが閉塞感に打ちひしがれる時は動きを止めています

体の動きが止まっている時は、心(頭)の動きが目まぐるしく動いてはいるものの、その動きの範囲が狭かったりします

なので、脳に血流を促したり、一度真っ白にするという意味も踏まえて、体を動かしていくことは大事なのだと言えるでしょう

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

本作は「音」の映画で、特に「ケイコが聞こえていない音」というものが強調されています

冒頭から荒川河川敷の自然音から始まり、ジムの練習風景の音などが刻まれていきます

これらは「日本語字幕版(バリアフリー)」にて「ミットをリズミカルに打つ音」などのように強調され、それは同時に「聴覚障害者にはわからない音」であることがわかるように作られています

これらの自然音は健常者には聞こえている音ですが、それを意識することはないのですね

でも、本作では「日本語字幕版」で観なくてもわかるように、強調される演出になっていました

 

これらの効果は「普通に聞こえている音」というものの欠如、というものがいかに危険な状況であるかを知らせてくれます

本来ならば、ケイコの状況は観客もキャラクターもわからず、彼女が抱えている内面というものは読めません

映画では、ケイコの日常を切り取っているので、その内面の葛藤はわかりますが、映画内の登場人物(受け手側)は相手の感情を受け取るまではわからないものです

これは、情報が入らないと理解できないということに通じていて、健常者だと「音の情報」も相手の感情を理解するために必要としていると言えるでしょう

 

「音」というものは、日常の些細な背景に過ぎないのですが、その重要さというものは軽視されがちです

今では外音を遮断するかのようにイヤホンなどで音楽を聴いている人が多くて、イヤホンの性能もすごくて、ノイズキャンセリング機能などが充実しています

音楽を聴くという点においては良いのですが、ちょっと危険じゃないかなと思うようなシーンも多く見かけます

特に、今では「スマホを操作しながら」で「視覚」も遮断した状況で日常を過ごしている人が多いので心配になってしまいますね

 

日常での危険もありますが、その習慣化された「遮断」というものは、コミュニケーション障害に結びつくとも言えます

一生、自分だけの快適な空間で過ごせる人はいないので、ONとOFFを切り替えながら、「聞きたくない音」というものの意味を考える時間も必要ではないでしょうか

ケイコ自身は聴こえないために、それに鈍感なように思えますが、彼女には「目」という武器があるので、「視覚情報」に頼ってきました

そして、彼女に起きた転機も、これまでと違う行動の末に辿り着いた視覚情報だったとも言えるので、人生はどこでどんなことに遭遇するかはわかりません

そう言った意味において、常に「情報を読み解くためのアンテナ」は必要であるとも思えるので、副題には「目を澄まして」という言葉が引用されたのかなと思いました

 


■関連リンク

Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://movies.yahoo.co.jp/movie/380920/review/35921827-f2ff-40a8-a621-612db9e38ecb/

 

公式HP:

https://happinet-phantom.com/keiko-movie/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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