■どう生きるかを問うと同時に、どう去るかを考えなければならない人もいたりする


■オススメ度

 

これまでの宮﨑駿作品をこよなく愛してきた人(★★★)

 


■公式予告編

※公開日は未作成(後日制作されればリンクを貼ります)

鑑賞日:2023.7.14(イオンシネマ京都桂川)


■映画情報

 

情報:2023年、日本、124分、G

ジャンル:東京から疎開した少年が謎の洋館に導かれるファンタジー映画

 

原作&監督&脚本:宮﨑駿

 

キャスト:

山時聡真(牧眞人:東京から疎開することになる少年)

 

菅田将暉(サギ男:アオサギの格好をした謎の男)

柴咲コウ(キリコ:ショウイチの邸宅の女中、タバコ好き)

あいみょん(ヒミ:下の世界で眞人が出会う炎使いの少女)

 

木村佳乃(夏子:ショウイチの再婚相手、眞人の義母)

木村拓哉(牧ショウイチ:眞人の父、軍需産業の経営者)

 

竹下景子(夏子の実家の女中)

滝沢カレン(夏子の実家の女中)

大竹しのぶ(夏子の実家の女中)

風吹ジュン(夏子の実家の女中)

阿川佐和子(夏子の実家の女中)

 

國村隼(インコ大王)

小林薫(老いたペリカン)

火野正平(大叔父様)

 


■映画の舞台

 

1940年頃、

日本:東京

 

東京都:小平市

大沼町

 


■簡単なあらすじ

 

太平洋戦争末期の東京では、連合国軍の空爆は激しさを増し、それによって眞人の母は戦死してしまう

東京から逃げるように疎開することになった眞人は、父の再婚相手でもある母の妹・夏子の住む邸宅で過ごすことになった

 

学校に馴染めず、いじめられているのを偽装したりする中、執拗に彼に付きまとうアオサギを見つけてしまう

眞人はアオサギを追いかけている内に、邸宅の裏側に不思議な洋館らしきものを発見した

 

そこは土砂崩れで入り口が塞がれている廃墟だったが、とこにアオサギの羽が落ちていたことに気づき、興味本意でアオサギの跡を追っていく

だが、その先は狭すぎて行くことができず、眞人は断念し、邸宅に戻ることになった

 

だが、眞人はアオサギと女中・キリコとともに、「下の世界」へと迷い込んでしまう

そこは、海に囲まれた不思議な世界で、奇妙な動物たちが暮らしている世界だった

 

テーマ:環境の伝承

裏テーマ:先人の遺産の意味

 


■ひとこと感想

 

情報が皆無のまま突入することを強いられる作品で、当日になってもパンフレットは販売しておらず、個人の感想と憶測だけがネットに溢れているという作品でした

面白い試みだなあと思いつつも、SNS全盛期のこの時代に情報統制を敷くのは限度があるように思えます

 

映画は、始まるまで時代設定もわからないのですが、一般教養があればどの時代かはすぐにわかります

そして、その世界から「ある世界」へと向かうことになるのはテンプレのようになっていて、その先で主人公はどうするか、という感じになっています

 

一応、ネタバレなしで見た方が良いと思うのでこれ以上は書きませんが、個人的な感想は「つまらないけど大丈夫か」というものですね

SNSを中心としたプロモーションになっていて、初日からネタバレブログやツイッターなどでいろんな情報が上がってくると思いますが、「道連れ絶賛」が起こりそうな印象がありますね

 

ちなみに、物語はつまらないのですが、映画のメタ構造的な部分は面白かったですね

「君たち」と濁しているところが救いにも見えますが、これを作っている時にみんなどう思っていたのかなあと心配になってしまいます

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

えっと、ネタバレかましますが、大丈夫でしょうか

本来なら、ネタバレを喰らう前に観に行った方が体感できるのですが、それは「道連れ」と「今時、こんな体験はできない」という二つの意味があると思います

 

基本的に「わかりにくい物語」ではありますが、それはストーリーテリングが難しいのではなく、主題と方向性がわかりにくいというところにあります

吉野源三郎の書籍がキーアイテムとして登場しますが、本編との関連性は低めに思えます

それよりも、「君たちはどう生きるか?」という問いの本当の意味が、後半に登場する大叔父の言葉に集約されていると感じました

 

上の世界と下の世界の境界線も曖昧に作られていますが、そもそもどちらをも行き来しているのが人生のようにも思えてきますね

キャラクターはワラワラというアイテム爆売れ狙いの萌えキャラがいますが、それ以外はちょっと気持ち悪い系で固められています

 

メタ構造としては、大叔父=高畑勲、サギ男=鈴木敏夫さんという構図になっているので、言わずもがな、ショウイチ=宮﨑駿、眞人=宮﨑吾郎さん含む全スタッフ(タイトルが君たちなので)ということになりますね(個人的な見解です)

それを踏まえると、映画のメッセージ性はわかりやすくもあり、残酷なものだななと感じてしまいます

 


価値観と影響のパラダイムシフト

 

映画は、父の再婚によって生きる世界が変わった少年の葛藤を描いていきます

疎開先の学校に行きたくないためにいじめを誇張したり、父親の性格や影響を利用している狡猾さというものがありました

眞人はどう生きるかなんて高尚なことは考えておらず、疎開先で自分の居場所を模索している段階になります

そんな中、大叔父様やキリコとの出会いを経て、下の世界と呼ばれる場所に到達することになりました

 

その世界にいたのはヒミと呼ばれる炎使いの少女で、彼女は亡き母の若かりし頃の姿であることがわかります

火事で亡くなったヒミが炎を扱う能力を有していることから、この世界は現実世界の真逆の性質を持っていることになります

なので、産屋か何かの建物に「我を学ぶ者は死す」と書かれている言葉は、反対の意味になり「我を学ぶものだけは生き残る」ということになります

大叔父様は読書のし過ぎでおかしくなったという設定になっていて、これは「インプットの量の方が多すぎた」という意味合いと、「脳内で妄想を誇大化する」というものがあると思います

要は、学んだことはアウトプットして、多くの人とその見識について話し合って、価値観をグレードアップしろという意味になるのでしょう

 

最終的に眞人は大叔父様から「わしの跡を継げ」と言われ拒否し、下の世界は崩壊することになりました

この冒険が彼にもたらしたものは、既存の価値観を疑うこと、影響というものの効果を体感することだったのかもしれません

アオサギは敵になったり仲間になったりする存在ですが、彼は眞人が道を誤りそうになった時の案内人のような役割になっていて、疎開そのものが眞人の人生を変えるために必要なものだったように思えてきます

 


新しい世界を作るための心構え

 

眞人は自分の世界を作る必要があって、それは父の庇護、母の愛からの脱却であると言えます

最愛の母は死んで、再婚相手を母と呼べるかは微妙な感じになっている

一度、「お母さん」と呼んだシーンがあっても、母(夏子)は溶けてなくなってしまっていて、それは間違いであるというイメージを植え付けていきます

この一連のシーンでは、母ではない人を母と呼んで精神が納得するのかというところがあって、夏子も自分が産んだわけではない子どもを我が子として育てられるかという命題に晒されています

夏子は悪態をつきますが、根底にある感情は素直なもので、それを眞人が知ることによって、母親だけが持つ純粋な愛は受け取れないということを悟ることになりました

 

疎開して夏子の邸宅に来たということは、裏を返せば「新しい家族観で生きる」ということになり、父の中では「区切りがついている」ということになります

これに対する反発は当然起こるので、眞人は父が与えようとするものを拒否する傾向にあります

この反抗は当然の感情であり、そうして新しい世界への扉探しを始めることになりました

彼が異世界に行く事になったきっかけは夏子の挙動不審な行動で、アオサギの案内もあって、彼は洋館にたどり着きます

その先には立ち入ってはいけない空間があり、それは古代の風習が色濃く残る「妊婦を蔑む文化」でありました

 

眞人は禁忌を犯したことで下の世界に行くことになりますが、これは「タブーこそが新しい世界への扉である」という意味があるのだと考えています

既存のルール、世界観、価値観、経験値などを一度まっさらにする事でしか新しい世界は得られない

それは逆転のパラダイムシフトと相まって、極端な世界へ行くことでしか果たされないという感じに思えてきます

わかりやすく言えば、成功体験に基づいた成功の模倣には未来がないという事になり、新しいものを作るには過去を捨てる必要があるというメッセージになっているのでしょう

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

本作のタイトルは『君たちはどう生きるか』というもので、これは吉野源三郎の書籍に由来するとされています

映画の中にも登場している本で、その中にあったのは「過去」でした

過去は生きるための礎ではありますが、新しいものを与えてくれるものではありません

そこにあるのは原点と呼ばれる、根源欲求という自分なのだと思います

 

映画は、情報を完全にシャットダウンした状態で公開され、もうすぐ公開一週間になるのにパンフレットがどうなるかということも示されていません

この情報遮断は情報過多の時代において効果的ではありますが、その恩恵や効果は持って3日ぐらいが限度なのでしょう

なので、公開直後には「映画チケットの半券ある人にだけパンフレットを販売する」ということを行なっても良かったように思います

パンフレットが発売されれば、そこに載っている評論家たちの論説を自説のように語る人が生まれるので、その情報を元に映画を観るという層も増えてきます

この情報の歪みの連鎖を無くすのが目的だと思いますが、今回の手法が時代にあったプロモーションと言えるかは微妙なのですね

 

今はSNSが主流の時代で、情報皆無を逆手に取ってバズらせようなんてインフルエンサーも登場します

公開直後から雨後の筍のように「アクセス狙いの中身のない映画サイト」が立ち上がっていて、歪んだビジネスに拍車をかけている部分もあるのですね

これまでは、その手の情報サイトは「試写会」から引用される情報などが多かったので、フライングだけど正確というものがありました

でも、今回の場合は「真偽不明の情報」が飛び交う事態になっていて、まさに何が正しいのかわからない世界になっていたりします

 

これらもプロモートの一環だとしたら凄い事ですが、目にふれた情報を精査せずに拡散するという傾向も強い時代で、それも込みなのかは気になるところだったりします

パンフレットや関係者のインタビューなどはその答え合わせのようなものなのですが、それが遅れれば遅れるほど、真偽不明に情報に踊らされた人々は振り返る位置にはいなかったりするのですね

なので、ネットの海では、公式見解が流れた後も、それらによってアップグレードされない真偽不明の情報が残り続ける事になったりします

そう言った意味において、SNS拡散の影響がどのような爪痕を残すことになるのかの実験のような映画だったのかな、と感じました

 


■関連リンク

Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://movies.yahoo.co.jp/movie/386117/review/4946bf4a-30ac-477d-8654-c7dd344887e9/

 

公式HP:

https://www.ghibli.jp/info/013702/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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