■新しい生活が始まっても、愛する人と積み上げたものは消えることはなく、一挙手一投足の中に生きているものだと思います
Contents
■オススメ度
愛する人の喪失に悩んだことがある人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2025.1.20(イオンシネマ京都桂川)
■映画情報
情報:2025年、日本、107分、G
ジャンル:婚約者の突然死に見舞われる若者を描いたヒューマンドラマ
監督:作道雄
脚本:作道雄&伊藤元晴
原作:一条真也『愛する人を亡くした人へ(現代書林:PHP文庫)』
Amazon Link(原案本)→ https://amzn.to/4ao6Yrm
キャスト:
坂東龍汰(森下昴:婚約者を亡くした青年、ラジオの構成作家)
西野七瀬(柏原美紀:事故死した昴の婚約者、フードコーディネーター)
円井わん(吉田翠:便利屋のスタッフ)
小久保寿人(牧田兼:翠の恋人)
森優作(木下隆司:ラジオ局のプロデューサー、昴の仕事仲間)
ジャン裕一(ジャン西片:ラジオDJの声)
風間杜夫(澤田義男:カウンセラー)
南果歩(森下洋子:昴の母、夫を殺害された妻)
秋本奈緒美(柏原さおり:美紀の母)
津田寛治(牛丸清太郎:グリーフケアの専門士)
岡田義徳(池内武彦:妻を亡くした男)
山﨑翠佳(山崎絵梨花:「つきあかり会」参加者、フード大学生)
華耀きらり(市川愛海:「つきあかり会」参加者、夫を亡くした女性)
上小家秀樹(「つきあかり会」参加者)
霜山貴代(「つきあかり会」参加者)
都竹真美(「つきあかり会」参加者)
一条真也(佐藤:フィーラルディレクター、葬儀屋)
井上奈々(井田奈央子:葬儀屋?)
みつき愛(青木柚:居酒屋の店長?)
早咲(早坂咲良:居酒屋の店員?)
深川澄雄(島川洋次:救急医?)
益田大輔(司法書士)
久ヶ沢徹(?)
彩凪翔(バーベキュー参加者?)
園山敬介(バーベキュー参加者?)
里内伽奈(美紀の友人)
重松りさ(美紀の友人)
伊藤修子(路上警備員)
山本修夢(長谷川:刑事)
■映画の舞台
岐阜県:飛騨市
ロケ地:
岐阜県:飛騨市
NOASOBIキャンプ場
https://maps.app.goo.gl/n1uaan5Sr3Pnz4uf9?g_st=ic
飛騨古川駅
https://maps.app.goo.gl/3NFQaKSbhRGzMJhk6?g_st=ic
香梅
https://maps.app.goo.gl/i7DipoKZae3iQEfZ7?g_st=ic
バロン(営業終了)
https://maps.app.goo.gl/4qEsL99ZBH9cTDpN6?g_st=ic
岐阜県:高山市
安峰山
https://maps.app.goo.gl/XZ1on42NXmKFv3oNA?g_st=ic
■簡単なあらすじ
ラジオの構成作家として活躍している森下昴には、フードコーディネーターとして売り出し中の婚約者・柏原美紀がいた
彼の担当する番組のゲストで登場することになり、無事に収録を終えた二人は、それぞれのタイミングで家路に着いた
部屋に戻った昴は、結婚式用の写真などを眺めながら、美紀の帰りを待っていたが、彼の元に届いたのは思わぬ「訃報」だった
美紀は帰宅途上のバスと車の衝突事故に巻き込まれてしまい、あっけなくこの世を去ってしまう
ラジオのディレクター・木下は「休め」と気遣いをするものの、昴は何かしていないと落ち着かなかった
ある日のこと、ラジオ番組のゲストとして著名なカウンセラー・澤田を呼ぶことになった
打ち合わせを行うものの、どこか様子がおかしい昴は、澤田に喧嘩越しになってしまう
澤田は「グリーフケア」という会合などを行なっていたが、昴にはその価値がわからなかった
泥酔した夜、母・洋子から電話を受けた昴は、「たまには母親の言うことを聞きなさい」と言う言葉を受け入れて、リモートで仕事をしながら、実家の飛騨に帰ることになった
母はかつて夫を通り魔に殺されていて、昴は幼すぎて記憶に残っていなかった
その後、生活が乱れた母だったが、今では便利屋の翠に部屋を貸しながら、地元の往診医としての生活を取り戻していたのである
テーマ:何と向き合えば良いのか
裏テーマ:記憶と想起の関係性
■ひとこと感想
記事のベースを作っている際に原案本の存在を知ったので、どんな話かは何となく察した状態で映画を観ることになりました
愛する人を突然亡くした悲しみをどのように癒すのかと言うもので、主人公・昴は自分に起きていることを、周囲の変な行動をする人から学んでいくと言う内容になっていました
原案の著者・一条真也さんが葬儀屋のアドバイザーとして登場していて、作品にかなり影響を与えているように思えました
映画は、突然死の受容というものがテーマになりますが、それ以上に「現実と自分のどちらに向き合うのか」というものが描かれていたように思います
グリーフケアのメンバーでもある池内の立ち振る舞いは印象的で、それをおかしいと思う人がいるのもわかりますが、理解を示す人もいるのですね
さすがに公衆の面前ではどうかと思いますが、写真や仏壇に話しかけたりする行動の延長線上にあるようにも見えてきます
実際には、死んだ人をあたかもいるかのように振る舞うのは、見えていない人から言えば気味が悪いのは当たり前だと思います
でも、彼がその行動を起こす根幹となる感情というものがとても大切で、その理由を知ると、彼の行動がおかしいとは思えないのですね
彼は初対面の昴にいきなり「病死? 突然死?」と聞きますが、突然死仲間だと理解されると思っているのかな、と感じました
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
近しい人の突然死に遭遇したことはないのですが、病死というのは年齢的にも遭遇する機会が増えている年代になります
もっとも、私の場合は妻が若くして亡くなったので、周囲から見れば突然死に見えるのですが、一緒に生きていると、覚悟を強いられる瞬間というものがあって、その後、予後が一気に悪くなっても、受容に向かう道筋はできています
それでも、対象がもっと若ければ、理不尽を感じて、同じような思いにはなれないと感じています
映画では、グリーフケアを通じて色んな人と関わる昴を描いていて、主催者の牛丸を含めて、集った人には様々な思いがありました
死に直面して、そのやるせなさを解放する行動になっていて、牛丸が何も言わないというのは、経験則から来るものだとわかります
それぞれのタイミングで話せるようになってから話せば良いので、それまでは傾聴し、同じ処遇の人がどのように近しい人の死を捉えたかという価値観の多様性を学んでいくことで、自分にしっくりくるものが見つかるかもしれません
後半の昴のセリフにて、「覚えているから辛いのか、忘れていくから辛いのか」というものがあるのですが、実際には「愛する人と感情を共有できない」という喪失感の方が先立っていくと思います
また、相手のことを知ったつもりでいても、ふと「自分の知らないこと」に遭遇することがあります
自分が守ろうとしている相手のイメージが突然消えてしまうような恐怖感があり、映画では「美紀が吹き込んだメッセージ」に集約されていたと思います
彼の生活だとあのような遭遇になりますが、私の場合だと、ふと開けた机の中に残された手書きのメモによって、知らない彼女と遭遇することになりました
常日頃言っていることと、実際に考えていることには乖離があって、それは伝えたいことと「伝えたくないけど伝えたいこと」という微妙なニュアンスの間にあるものだと思います
美紀もいつか本音を話せたらと思いながら、もしかしたら昴が死ぬまで気づかないかもしれないと思って吹き込んでいる
それは、タイミングによって彼の前に訪れるもので、それはある意味で神様の計らいのように思えるのではないでしょうか
■グリーフケアについて
映画に登場する「グリーフケア」は、喪失や悲嘆に直面した人の健康を保ち、回復に向かうための支援やケアを行うことを言います
グリーフとは、愛する人や大切なものを失った滝に感じる心の反応全般のことを意味し、感情面だけではなく、身体・行動・思考・社会的側面にまで影響を及ぼしていきます
症状としては、強い悲しみ、孤独感、喪失感、不安、罪悪感、怒りなどがあり、すみん障害や食欲低下を招いていきます
これらの状況に対して、「悲しみの自然なプロセスを支える」「適応への促進を促す」「精神的健康の保持」などを行うことを目的としています
方法としては、個人面接やカウンセリングなどを心理士や精神保健専門職によって実施し、グリーフサポートグループを通じて喪失体験の共有を行ったりします
また、感情を外に出すために、アート、音楽、文章などで「整理の手助け」をしていくこともあります
さらに、家族全体で悲嘆を理解し、家族も一緒にサポート方法を学ぶこともあります
グリーフケアは、「無理に立ち直らせない」「個人差を尊重する」「プロセスを重視する」という特徴があります
悲嘆の心理学には、キューブラー=ロスの提唱する「死の受容の5段階モデル」というものがあります
この手順は「否認」「怒り」「取引・交渉」「抑うつ」「受容」というもので、悲しみを経験することで、人間存在の有限性であるとか、生の意味を理解するプロセスが生まれるとされています
イメージとしては、乗り越えるのではなく共存であり、それが個々によって方法が違うというふうに考えられています
■忘れた先にあるもの
人は、強すぎる痛みやトラウマレベルの体験があると、無意識に記憶を忘却させたり、感情を抑制することがあります
これらは防衛機能として備わっていますが、完全な忘却というのは難しく、無意識下で残っているので、何かしらのトリガーによって再燃することがあります
無意識下にそういったものが残っていると、対人関係に微妙なぎこちなさがでたり、自己認識や価値観に微妙な変化をもたらすとされています
さらに「悲しみを無意識に封印する」という状態になり、根幹となる喪失以外の喪失に対する鈍化や、それがトリガーとなって想像以上の反応になることがあります
もしうまく忘れることができたとすると、その先にあるのは「空虚感」であると考えられています
悲しみを経験して人生の意味を問い直す機会の損失があり、不条理感というものは消えません
また、喪失の忘却は、死や有限性を真正面から受け入れる機会を逃すことになります
それによって、自己の深まりが薄くなるという指摘もあります
さらに仏教的な視点だと、我執(がしゅう:自分に実体のある「我」があると思い込み、それに執着すること)を強化する可能性があり、他者や世界との縁を深く理解する機会を逃すとも言われています
映画における昴は、妻を交通事故で突然亡くしてしまい、初期的には強い喪失感から日常生活に支障が出ていました
その後、グリーフケアとの関わりの中で、悲しみというものを「整理」する方向に向かいます
そして、「忘れる」のではなく、「抱える」ことで前に進むことになりました
これによって、「悲しみを自分に統合」し、「日常生活への回帰」をすることになり、他者との関係性の回復へと向かっていきます
映画のタイトルが「忘れ方」になっているのですが、忘れようとした先にある答えはその方法論ではないところに意味があると言えるのではないでしょうか
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
近しい人が亡くなると、今まで居た空間というものは変わってしまうと思います
昴のようなケースだと、突然そこから居なくなるのですが、居るような錯覚を感じても不思議ではないでしょう
死を受け入れるにも時間がかかるし、それでも日常は進んでいってしまいます
特に若い頃は「死」というものがまだ身近ではないし、自分とは無縁のように思えます
それゆえに、本当の出来事なのかと思ってしまうし、自分の心を落ち着かせるために劇中の池内のような行動に出る人もいると思います
池内はキューブラー=ロスの5段階で言えば「否認」のままの状態であると言えます
この心理的な作用には、彼自身の社会的アイデンティティの維持というものが大きく関わっていると言えます
池内は「結婚している男のままでいたい」という思いがあり、妻の喪失には「未婚に戻る」という意味に通じてしまいます
また、家庭内的な考えだと、妻のために生きてきたという過去があり、それが崩壊してしまう可能性もあります
これによって、池内は「自分の心の中でだけ妻を生かし続ける」という選択をすることになっていて、歪んだ記憶の保持をしていることになります
忘れるというのは「記憶の保持がなくなる」ということなのですが、ふりをしていてもそれは過去の妻の反応の再現に過ぎません
それは自己完結的な行為となっていて、他者から見れば人形と話しているように見えてしまうのですね
でも、妻との記憶の形を変えるという意味合いもあり、それは自身の行為が自身の記憶として残るからだと言えるのでしょう
池内は、彼自身の日常の中に妻を登場させ、それによって自分の新しい日常(=思い出)に存在させていきます
彼のその後の人生において、妻と過ごした日々、妻を失った日、亡くなったけど妻と過ごした日々というものがあって、それは連続したものとなっています
人生を振り返った時に、喪失を抱えて生きたということは変わらず、そこには池内なりの愛の継続というものが生まれていると言えます
誰しもが亡くなった後にも故人を愛するのですが、その形が少し違っているだけのように思えます
そういった意味において、グリーフケアが個人差を優先することを掲げているのでしょう
心の安定の方法にはいろんな方法がありますが、結局のところ、個々の精神状態と望むものに寄り添ってカスタマイズされて、唯一無二のものが生まれるのかな、と感じました
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/100221/review/04688013/
公式HP:
