■何かを隠すための光と、見えない場所で命を支える水
Contents
■オススメ度
格差恋愛の物語に興味がある人(★★★)
寓話的な物語が好きな人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2023.1.27(イオンシネマ京都桂川)
■映画情報
情報:2023年、日本、117分、G
ジャンル:富める国と貧しき国に住む男女の小さな嘘によって国交問題に発展する様子を描いたファンタジーロマンス
監督:渡邉こと乃
脚本:坪田文
原作:岩本ナオ(『金の国 水の国(2014年、小学館、全8巻)』
キャスト:(声の出演)
浜辺美波(サーラ:アルハミト国の93王女)
賀来賢人(ナランバヤル:バイカリ国の建築士)
麦穂あんな(ルクマン:サーラのもとに送られた子犬)
麦穂あんな(オドンチメグ:ナランバヤルのもとに送られた子猫)
【金の国/アルミハト】
戸田恵子(レオポルディーネ:ラスタバン三世の第一王女)
神谷浩史(サラディーン:国王の左大臣、遊牧民出身のイケメン俳優、レオポルディーネの愛人)
ふじたまみ(マルジャーナ:レオポルディーネの妹)
岡純子(ファイルーズ:レオポルディーネの妹)
沢城みゆき(ライララ:レオポルディーネ王女派の護衛)
銀河万丈(ラスタバン三世:国王)
茶風林(ピリパッパ: ラスタパン三世に与する右大臣)
丸山壮吾史(パウラ:ピリパッパの部下)
仲野裕(アジーズ:アルミハトの建築士)
木村昴(ジャウハラ:投獄されていた知識階級の学者)
藤原夏海(ナージー:ピリパッパに歯向かう少年、ジャウハラの息子)
一柳みる(ばあや:サーラの面倒を見る侍女)
【水の国/バイカリ】
てらそままさき(オドゥン・オルドラ:族長)
柄本信明(サンチャル:ナランバヤルの父、族長の家臣)
水咲まりな(ウーリーン:ナランバヤルの姉)
渡辺優奈(サフラ:ナランバヤルとサーラの娘)
松浦愛子(マーノ:ナランバヤルとサーラの娘)
■映画の舞台
富める国アルハミトと貧する国バイカリ
■簡単なあらすじ
100年の戦を続けているとされるアルハミトとバイカリは、これまでに幾度となく衝突を繰り返し、今では壁で国境を塞いでいた
両国間には先代の遺言があって、「アルハミトは絶世の美女」「バイカリは優秀な頭脳を持つ男」をそれぞれ嫁がせるというものだった
アルミハトの王ラスタバン3世はバイカリに耳の色の違う猫を送り、バイカリの族長オドゥンは犬を送った
それぞれは、93王女サーラと建築士ナランバヤルのところに届くことになり、これが発覚すれば両国は再び戦争へと突入することが予見された
そこでナランバヤルとサーラはともに結婚したふりをして過ごすことに決めたが、両国の長はそれぞれの相手を一目見たいと申し出る
そんな中、サーラとナランバヤルは自分に課せられた試練に立ち向かうことになったのである
アルハミトは裕福だが、人口増加によって水不足に喘いでいて、資源の豊かなバイカリを統治下に置きたいと考えている
一方のバイかりは貧困に喘いで職を失うものが多く、国交を開いてアルハミトの富を得たいと考えている
そんな思惑が交錯する中、戦争に突き進もうとする両国に対して、ナランバヤルはある一計を投じることになったのである
テーマ:断裂の正体
裏テーマ:頭痛の種
■ひとこと感想
思いっきりフィクションでファンタジーなのですが、設定だけ聞くと「某壁で区切られたヨーロッパの国」とか、「南北線で区切られた某国家」というものを彷彿させます
違いとしては、社会主義国家ではないという点で、お互いにないものを奪うか与えるかという選択に行き着いて行きます
映画では、ナランバヤルの考えによって、アルハミトの水不足を解消する代わりに、国交を再開して富を享受したいと考えていて、それを戦争によって奪おうという勢力と戦うことになります
いわゆるWin-Winを考える内容になっていて、50年はかかるとされる一大事業をどうするかをそれぞれの国の建築士が考えるというところに行き着きます
そして、その背景にある「戦争派の暗躍」からどのようにして身を守るかという展開を迎え、それぞれに送られたものの意味を考える展開になっていましたね
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
ネタバレっぽいものはあまりない作品で、この偽装結婚がバレずに続けられるかを問う前半と、戦争派との攻防を描く後半によって、テイストが違う印象を受けました
原作だともっと細かな描写があると思うのですが、映画の印象では結構端折ってるんじゃないかと思いました
ある程度、脳内補完できないことはありませんが、モブキャラの説明が足りない印象を受けます
特に知識階級が投獄されている設定とか、ピリパッパが戦争を推し進める理由などがわからず、ラスタバン3世のトラウマを利用しているのか、単に暴走しているのかが微妙な感じになっていました
バイカリが貧困である理由もよくわからず、商業ルートが断たれたとしても、豊かな自然で暮らしていく分には問題ないように思えます
壁の向こうが憧れの街ということなのでしょうが、一般市民層まで両国の諍いの歴史が浸透しているという感じになっていないのですね
これだけ戦争を繰り返している国だと、ナランバヤルがアルハミトに行っただけで投獄されてしまいそうな印象を受けてしまいますね
■Win-Winに向かう道
映画の中でナランバヤルは「自分の仕事がない」というバイカリの現状を踏まえた上で、両国間に起こっていること(特に両方の国が犬猫を送った理由)を熟慮し、それぞれの顔を立てることを前提としてサラディーンに話を持ちかけました
ファンタジー一色でキャラの動きもファンタジー化するのかなと思っていたところ、思いっきり論理的で人間的な思考だったのが新鮮に思えました
バイカリ随一の頭脳ということで、その片鱗を見せていましたが、自分の人生を安定させるために、あえて「難しい道を選ぶ」というマインドは良かったと思います
一部のマーケット理論でもてはやされている「Win-Win」の考え方は、大体が「売り手と買い手」の関係に言及していることが多く、先日公開された『近江商人、走る』では「三方よしの精神」が謳われていました
顧客のニーズを考えることが商人の道で、それが世の中にも良い影響があるという考え方が「三方よし」で、「Win-Win」に関しても前に勤めていた企業で色々と言われた経験があります
「顧客、会社、従業員」という三方もあれば、「顧客と会社」という二方もありますね
そんな中でナヤンバヤルが考えたのが「アルハミトの維持のためにアイデアを出し、それが成功したらバイカリとの壁を取り崩し、それによってバイカリの商業の復興を目指す」というものでした
先に相手の利益に尽力し、その対価を得て、その対価の影響によって自分自身の利益とする、という考え方で、その際に「お飾りを演じているサラディーン」を巻き込むという形を取ります
実際にはあんなに単純に人は動かないのですが、2時間にまとめるために「1回飲んでOK」みたいになっていましたね
ナヤンバヤルの洞察力が神様レベルなのはアレですが、表面に露見している部分から推察を広げられるのは、普段からそう言った視点で物事を見ているからであると思います
人の外見は内面によって構成され、それが全てではないものの、観られたい自分というものが存在します
そう言ったセルフプロデュースというものが長けている人ほど、高い地位に行ける(いわゆる客観的に自分を観て、求められているものがわかる人)傾向にあります
そう言ったものをつぶさに観ることで、ナランバヤルはサラディーンのセルフプロデュース欲を刺激することに成功していました
また、ナランバヤルは人を観るのと同じように国全体も見ていて、街角のわずかな情報だけで、国の悩みどころを言い当てていました
映画でも観客にそれがわかるように描かれていて、アルハミトに入った瞬間に「人の多さ」というものが強調されていましたね
要は、ナランバヤルが得た情報と感情を同化させられるように作られていて、それゆえに「瞬間的に答えが出ても」無理がないように感じられるのだと言えます
「Win-Win」という考え方は素晴らしいのですが、その反面弊害もあります
それは「過度に相手側に立ってしまうこと」なのですね
それにより、「Win-Win」のバランスが「6:4」とかにズレてしまうケースをよく見かけます
迎合しすぎると、それが基準となって、そのあとは「6:4」のような状況のまま固定されてしまう場合があります
関係性をよりイーブンな形に持っていくことは重要で、そのバランスを崩してまで「Win-Win」であると思い込まないことは重要なのではないでしょうか
■突き詰めれば個人の感情
本作はアルハミトとバイカリの戦争直前の状況下において、その思惑を利用しながら解決策を見出すナランバヤルが描かれています
そして、戦争を起こそうとしているピリパッパやラスタバン3世は、国の繁栄とかよりも、自身の地位の維持もしくは向上のために、両国を巻き込もうと目論んでいました
一つの戦争が個人的な感情に誘発されて起こる寸前だったのですが、人類の歴史においても、火種は個人の感情であることが多いですね
実際に誰の感情がどのように動いて、という検証は難しいのですが、多発的に起きたものが相互作用によって、大きなうねりになるということは多々あります
映画は作られたものなので、その起因となるものがわかるように作られていて、本作では「ピリパッパの支配欲」というわかりやすいものに設定されていました
映画の後半で完全にスルーされていた「ラスタバン3世の頭痛」ですが、おそらくはピリパッパの用意した飲み物が原因で、それによってマッサージを理由にラスタバン3世の行動を把握することが狙いだったのでしょう
そうして、ピリパッパは自分の影響を強め、それによって戦争肯定派として暗躍を考えます
問題はピリパッパが戦争を肯定して何を得られるのかがわからないところでしょうか
「原作読めば」というのを無視すれば、映画内でピリパッパが戦争をして得をする理由というものが見当たりません
アルハミトの水源は50年しか持たないというものなのですが、そこそこ高齢のピリパッパにはさほど影響がなく、家族がいるという描写もありません
なので、水によって困る生活を危惧するというよりは、名誉欲である可能性の方が高いのかなと思います
戦争に打ち勝ち、自国の繁栄を継続させたという名誉は、想像の上では凄まじい説得力を持ちます
でも、実際には自国の人間にも犠牲が出ることは必須で、よほど世論が戦争に傾かないと難しいでしょう
なので、ピリパッパがラスタバン3世を追い込んで戦争の方向に向かっても、彼自身が思い描く栄華は現時点では得られないと思います
原作は分かりませんが、映画ではそこまで細かな設定を盛り込んでおらず、ナランバヤルがラスタバン3世のお悩みを解決するという方向に向かっています
なので、その要素として、暗躍している側近という意味合いでピリパッパという人物がいるのですね
そう言った意味においては、ギリギリ説明のつくラインの設定と展開になっているのかなと思いました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
映画では見た目にコンプレックスのある王女が主人公になっていますが、その設定はそこまで重要であるようには描かれていません
バイカリの族長と会った際に「絶世の美女」を演じるという苦悩があるのですが、「アルハミトの美的感覚ではアレが絶世の美女なんだろう」とか、ナランバヤルの父のセリフでもある「内面の美しさがわからぬか」みたいなノリで終わっていました
人の美醜というものは個人的な好みがあって、それも時代と共に変化するもので、あとは本人がどう思うかという一点に尽きると思います
本作の場合は、93王女(93番目という意味だと思うが)のサーラが第一王女のレオパルディーナと自分を比べるというシーンがありました
年齢差としては10歳差から15歳差くらいでしょうが、そもそもサーラがなぜ第一王女と比べたがるのかはわかりません
王女と国民の対話であるとか、国民の中で囁かれる噂みたいなものもほどんど描かれていなかったので、サーラがどうしてそこまで自分の容姿にコンプレックスがあるのかはわかりません
おそらくは幼少期から姉たちと比べられ、ほとんどの場合は母もしくは姉から容姿について何かを言われるという経験を積みます
幼少期の体験において、サーラの中にある「美醜の基準」というものが形成されたのだと思うのですが、映画ではそういったシーンは描かれないので、テンプレ的な推測になってしまいます
人は見た目ではわからないと言われがちですが、本作ではナランバヤルが見た目で人を判断しながら物事を解決していくという流れを汲んでいます
なので、映画のスタンスでは「観察眼によって、見た目で人は判断できる」というものになっていて、その世界観ゆえにサーラも美醜を気にするという流れを汲んでいます
この映画の面白いところは、ナランバヤルの観察眼がサーラの内面を見ずに、そのまんまの彼女に恋をしているところでしょう
映画の描写だと、サーラはナランバヤルのストライクゾーンの可愛さがあって、でも一切見た目の話をしないのですね
まさしく、恋は盲目という感じになっていて、ある種の使命感のようなものがナランバヤルを突き動かしていました
サーラはぽっちゃり系で、その原因は仄めかされていますが、ナランバヤル自身のフェチ性がわからないので何とも言えない部分がありますね
人が人を好きになる基準というものはわからないものですが、映画におけるサーラのビジュアルは決して自分で卑下するようなものではないと思います
美醜に対するこだわりを持つことは悪いとは思いませんが、結局のところ内面が映し出しているものだと思うので、そのわかりやすい例がレオポルディーネだったのではないでしょうか
ナランバヤルと会う時の醜さと、全てが解決した後の豹変っぷりはほとんどギャグのようなもので、そう言ったわかりやすさというものをあえて選んでいるように思えました
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/383501/review/186f55de-14e8-411b-b46c-071aee91bc0f/
公式HP:
https://wwws.warnerbros.co.jp/kinnokuni-mizunokuni-movie/
