■役割が終わったかどうかは、神様が教えてくれるものなのかもしれません
Contents
■オススメ度
昭和っぽいホームドラマが好きな人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2023.9.2(イオンシネマ久御山)
■映画情報
情報:2023年、日本、110分、G
ジャンル:全てがうまくいかない息子が、母親の恋愛に巻き込まれるホームコメディ映画
監督:山田洋次
脚本:山田洋次&浅原雄三
原作:永井愛『こんにちは、母さん(2001年、新国立劇場初演の戯曲)』
キャスト:
吉永小百合(神崎福江:密かな恋心を抱く高齢女性、夫の足袋屋を継いでいる)
大泉洋(神崎昭夫:何もかもがうまくいかない福江の息子、人事部長)
寺尾聰(荻生直人:福江が恋心を抱く牧師)
永野芽郁(神崎舞:昭夫の一人娘、大学生)
名塚佳織(神崎知美:別居中の昭夫の母)
YOU(琴子アンデジョン:ボランティア「ひなげしの会」のメンバー、夫はスウェーデン人ミュージシャン)
枝元萌(番場百惠:ボランティア「ひなげしの会」のメンバー、煎餅屋の妻)
宮藤官九郎(木部富季:昭夫の親友、営業部)
加藤ローサ(原由貴子:昭夫の部下、人事部)
田口浩正(久保田:常務、昭夫の上司)
北山雅康(ボランティアを支援する巡査)
松野太紀(ボランティアを支援する区役所の職員)
広岡由里子(近所の主婦、足袋屋の顧客)
シルクロード(デリバリーの青年)
明生(明生:相撲取り、足袋屋の顧客)
神戸浩(ホームレス)
田中泯(イノさん/井上:ホームレス)
■映画の舞台
東京の下町(浅草&向島)
ロケ地:
東京都:世田谷区
割烹 仙海
https://maps.app.goo.gl/db71AM1UHU5mZRJM9?g_st=ic
東京都:墨田区
墨田聖書教会
https://maps.app.goo.gl/mDEAdt9tnPFQBZ3m9?g_st=ic
■簡単なあらすじ
東京の大手企業に勤める神崎昭夫は、人事部長として難しい仕事に取り組んでいた
社では大規模なリストラが計画されていて、秘密裏に希望退職リストを作成したりしている
ある日、親友で営業部の木部から「同窓会を隅田川の屋台船でやりたい」という相談があり、昭夫は久しぶりに実家の母・福江に会うことになった
昭夫には妻・和美との間に大学生になる娘・舞がいたが、妻とは別居中で、娘もまともに大学にも行かない日々が続いていた
久しぶりに会った母は、どうやらボランティアで一緒に活動している牧師・荻生に恋をしているようで、昭夫は降りかかりすぎる難題に直面し、八方塞がりの日々を過ごしていた
テーマ:朗らかなる人生とは何か
裏テーマ:なるようにしかならない
■ひとこと感想
山田洋次監督と吉永小百合のタッグということで、ほんわかホームコメディになっていましたね
家庭・仕事に行き詰まっている息子と、母親の自由さを描いていく内容になっています
とは言え、昭和世代の価値観はそのままで、予告編から想像する内容に落ち着いていると言えます
老齢期の恋愛を取り上げ、戦争の話も出てくる内容で、朗らかに生きるにはどうしたら良いかというヒントのような作品になっていましたね
とは言え、そこまでおとぎ話のようにうまく行かないのが人生というもので、昭夫の苦悩を理解できる中間層としては微妙な感じになるかもしれません
映画では、やたら福江を持ち上げるセリフが多くて、これが忖度というやつなのかと思ってしまいます
美人のおばあさんというのは間違いないですが、それをほぼ全てのキャラが口に出すというのはファンタジーのように思えてきますね
これを配慮して組み込んでいるのか言わせているのかわかりませんが、あまりにも目立つので気になる人がいるように思えました
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
予告編でほとんどネタバレしている内容で、うまくいかない昭夫が「全てを投げ出して軽くなる」という展開を迎えます
そのきっかけになるのが牧師の言葉といえますが、最終的には自分で考えて決断したという感じになっていましたね
母親たちの仕事にふれ、人生を見つめ直すのですが、妻に別の人がいることで吹っ切れたように思えました
映画は、様々な社会問題を内包していますが、実にさらっとしたものになっていて、昭和的な価値観が存分に込められた内容になっています
なので、昭和世代には理解できる内容でも、若年層には意味不明な価値観が多いかもしれません
合理的というよりは感情的、よく言えば人情的ではありますが、それでその人が幸せに感じているのなら問題がないでしょう
個人的には昭夫と同世代になりますが、人事部経験者としては、人を相手にする仕事の辛さやストレスには適性があると思うので、昭夫の性格と性質ならば、この結論に至るのはやむを得ないと思います
ぶっちゃけ、会社の人事が失敗しているだけなので、有能な人材を切り捨てることになっているのは何とも言えない感じになっていましたね
■昭和世代の価値観
本作の舞台は現代ですが、登場人物は昭和っぽさがかなり強かったと思います
台詞回しも独特で、気持ちを言葉にして説明するタイプの作品になっていました
太平洋戦争の話題になった時でも、その時代を切り取った本が登場したり、観客の想像力に委ねずに、伝えたいことをきちんと伝える作風だったように思います
映画は福江と荻生の恋愛がベースになっていて、福江自身は「告られるまで待つの」という考えになっていました
それに対して、現代っ子の舞が「素敵」と返しているのですが、このやりとりが昭和っぽいなあと思いました
かつて、恋愛の始まりは男性側からの告白が全てみたいな風潮があって、両思いでも告るのは男性という時期がありました
今では告ることすらなく始まる関係性があったりしますが、男性側の告白を受けるという流れ(ごめんなさいの場合もある)がきちんと様式美になっていて、バレンタインだけが唯一「女性側が思いを伝えてもOK」という風潮がありました
その価値観がとても長く続いていて、告白のタイミングは「学校の行事などの特別なステージ」というものだったりします
また、昭夫自身の価値観も昭和っぽさがあって、老いた母親の恋愛話に拒否反応を示したり、男気を見せて進退を賭けるなんて行動に出たりもします
合理性よりも義理人情が強い時代の価値観が生き残っていて、舞台は令和だけど、どことなく昭和のドラマを観ているような気分になります
ほっこりする要素が多く、悪人が出てこないところが良いとは思いますが、その分ファンタジー感というものがありましたね
それなのに、唐突に空襲のリアルな絵とかが登場したので、テイストの落差が激しすぎて困惑してしまいました
■老齢期の恋愛に対する許容
昭夫は福江の恋愛に反対しますが、それは恋愛自体を否定しているというよりは、今この場面でそれはやめてというニュアンスの方が近かったように思いました
仕事はストレスだらけ、娘は大学に行かない、妻との関係は最悪(終わってたけど)という中で、さらに母親の問題まで抱えることはできません
とは言え、自分の年齢よりも上の世代の恋愛を生理的に受け付けないというのはあると思います
両親が仲良くしているシーンも一線を超えてくると気持ち悪く見えるのですが、それは「両親から性を感じる」からだと思います
家庭の役割として、父と母には性別がありますが、子どもが親に感じる性的役割は少し違うのですね
その性差は自分を育てるためにある両輪のようなもので、同性だからできること、異性だからできることというものがあります
そう言った子育ての機能として備わっている性差は、子どもたちに備わっている「これから家庭を作るための性差」とは異質のものになっています
また、家族構成が変わることに関する危機感というものも挙げられると思います
新しい他人が家族に混じる違和感があって、それまでの生活が壊れる懸念を感じてしまいますし、親から受ける愛情のバランスが変わることを危惧する場合もあります
これらの反応は子どもが自分の家庭を持つまでは続くもので、その段階を終えると、親としての責務というものが終わってしまうので、同時に嫌悪感というものも薄れてくるでしょう
でも、新しい関係は単純にストレスになりますので、それを増やしたくないと思うのは当然のことのように思えます
福江の世代にまで来ると、子どもは完全に成人しているし、孫が登場したりもします
それによって、彼らを取り巻く恋愛というものへの執着は無くなってくるのですが、それはシニア世代の恋愛が若年期の恋愛と種類が違うからだと思います
家族との距離ができ、プライベートを持て余す時期に来ると、一人でいるよりは誰かと関わっている方が良いと考えます
福江は店を続けながらボランティアまでこなすのですが、それはできるだけ「空白の時間を作りたくないから」なのかなと感じました
忙しく生きてきた世代にとって、息抜きよりも長い空白は、逆にストレスになってしまうのだと思います
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
映画は、誰にでも起こり得そうな出来事をふんだんに取り込んでいて、世代間の考え方の違いが出ていたり、環境の変化における人間関係の動きなども細やかに描かれていました
昭夫を取り巻く問題も、同世代あるある的なところがあり、サラリーマンの悲哀として、「好きではないことを仕事にしている辛さ」というものを主軸にしています
荻生は彼に「笑顔を持って朗らかに生きた方が良い」とアドバイスをしますが、これが本作のメインテーマであり、監督が言いたいことなんだと思います
人が笑顔になれるのは、好きなことに囲まれている時や、楽しいことを追いかけている時だと思います
荻生が福江を見て、彼女は幸せそうだと感じていますが、それが自分の存在だと認知していなかったところはコミカルでしたね
荻生自身も、この年になってというものがあり、彼自身の人生の目的と福江との恋愛は相容れないものになっていました
若い時だと恋愛を優先したかもしれませんが、荻生は自分自身の終焉に差し掛かっていて、このタイミングで招かれたことを神の啓示であると考えていました
人生は何かに導かれていくものだという考えと、自分自身で選んでいくものだという考えがあります
過去の蓄積が選択に関わり、その蓄積は意図したものではないことも多いでしょう
荻生の選択は過去によって導かれたものでありますが、福江との関係も彼の未来に影響を与えます
この出来事を後悔として語ることになるのかは神のみぞ知るところではありますが、福江自身にはまだ役割があるということなのでしょう
そう言った意味において、福江の人生は孤独を慰め合うにはまだ早すぎるということなのかもしれませんね
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
公式HP:
https://movies.shochiku.co.jp/konnichiha-kasan/