■「LOVE」と「LIFE」の間には、自分自身の罪を赦せるかという命題が宿っていた
Contents
■オススメ度
複雑な事情の家庭の映画を観たい人(★★★)
原曲を知っている人(★★)
■公式予告編
鑑賞日:2022.9.14(京都シネマ)
■映画情報
情報:2022年、日本、123分、G
ジャンル:複雑な事情を抱えた家族がある事件によって激動する様子を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本:深田晃司
原案:矢野顕子の楽曲「LOVE LIFE」
キャスト:(わかった分だけ)
木村文乃(大沢妙子:シングルマザー、ホームレス支援のNPO所属)
永山絢斗(大沢二郎:妙子の再婚相手、市役所の福祉課職員)
嶋田鉄太(敬太:妙子と元夫パクの息子)
砂田アトム(パク・シンジ:失踪した妙子の前夫、韓国籍の聾者)
チャンヘ(パク・サンス:パクの元妻との間にできた息子)
李千鶴(パクの元妻)
山崎紘菜(山崎理佐:二郎の元カノ、同僚)
福永朱梨(富山文子:二郎の同僚)
東景一郎(大槻治:二郎の同僚)
緒方敦(坪井義博:二郎の同僚)
長田真英(二郎の同僚?)
浦山佳樹(二郎の同僚?)
三戸なつめ(近藤洋子:妙子の同僚)
神野三鈴(大沢明恵:二郎の母)
田口トモロウ(大沢誠:二郎の父、市役所の部長)
世志男(トヨダ:酔っ払いのホームレス)
平塚真介(トヨダに絡むリーマン?)
望月志津子(街頭のシスター)
鈴木智香子(街頭のシスター)
白石糸(佐々木みのり:役柄不明)
斉藤マッチュ(遠山:廃品工場のおっちゃん?)
二ノ宮隆太郎(オークションのおっちゃん?)
キム・ジニ(韓国で妙子らを乗せるドライバー)
Siwoo(パクの元妻の結婚式で歌う人)
森崎ウィン(声の出演:どれのことかわからんかった)
チルチル(パクが拾う猫)
フェスタ(犬)
■映画の舞台
日本のどこかの地方都市
ロケ地:
東京都:八王子市
都営長房西団地(地図は1号棟)
https://maps.app.goo.gl/MnFMg2MWDQ1gUfWE6?g_st=ic
八王子市まちづくり公社(葬儀関連)
https://maps.app.goo.gl/v9sDDXukBg4zPvX77?g_st=ic
東京都:武蔵村山市
国立病院機構 村山医療センター
https://maps.app.goo.gl/5iefZR51woTxrevP9?g_st=ic
神奈川県:相模原市
鳥居原ふれあいの館
https://maps.app.goo.gl/GAZ5gPaXx8wSkGRe6?g_st=ic
神奈川県:横浜市
レアールつくの(商店街)
https://maps.app.goo.gl/Zz82GQWK417hNHuy7?g_st=ic
■簡単なあらすじ
団地に住む妙子と二郎の夫婦は、妙子の連れ子・敬太と仲睦まじく過ごしていた
彼らの部屋の向かいの棟には二郎の両親が住んでいて、父・誠だけは二人の結婚に反対していた
敬太はオセロが大好きな少年で、大会で賞を勝ち取るほど優秀だった
その日は敬太の大会優勝を祝うパーティーを行う予定で、サプライズで誠の誕生日も祝うことになった
みんなでカラオケで盛り上がっている中、敬太はプレゼントの飛行機の模型で家を走り回って遊んでいた
だが、敬太はそのまま風呂場まで行ってしまい、そこで転倒して水の張った浴槽に落ちてしまう
気づくのが遅れたために敬太は死んでしまい、それから彼らの関係は微妙な綻びを見せ始めてしまうのである
テーマ:LOVEとLIFEの関係
裏テーマ:本性は隠せない
■ひとこと感想
ポスタービジュアルで木村文乃さんが寂しそうな顔をしていたので、迷わずに鑑賞
某アクション映画の金髪がダサかったので、今回は黒髪ロングの美しさを堪能できると思ったのですが、まさかの斜め上の重さに完敗
人物相関を見ていた時になんとなく嫌な予感はしていたのですが、複雑な家庭環境が事件によって本性を表すと言うもので、最初から違和感バリバリの家族だったなあと思いました
基本的に目を合わせない映画で、合わせたらダメな人と合わせちゃうと言う対比が凄かったですね
家族問題に立ち向かう前に事故が起きて、そこからは崩壊の一途を辿るのですが、二郎の両親の仮面の下は悪魔と言う感じが見ていて居た堪れなくなります
ポロッと出る本音がホラーで、自分勝手なキャラばかりが登場するので、なんだかなあと言う感じになってしまいましたねえ
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
連れ子のいる女性と結婚し、それが両親には認められていないと言う家庭で、その明確な理由は濁されていたと思います
略奪婚ではなく、二郎が理佐との婚約を破棄して結婚したと言う流れだったので、義父が怒るのなら息子の方ではないのかと思ったりもしますね
義父の中では子連れの訳あり女が息子をたぶらかしたみたいな感じに思っていて、「中古」呼ばわりするのは流石に「人としてどうよ?」と耳を疑いました
義母の明恵も大概な人で、表面的には味方のふりをして「本当の孫が見たい」とか言いますので、こちらの方が悪質だったように思います
敬太が死んで内心は大喜びなのかもしれませんが、この一連の事件の後に二人が新しい子どもを作ろうと考えるかは微妙かもしれません
最終的には「LOVE」よりも「LIFE」を選択する二人ですが、壊れた関係が修復することはないでしょう
いずれどちらかに新しい人ができて、あの団地から逃げるように去っていくのだと思ってしまいました
■矢野顕子さんの「LOVE LIFE」の解釈
制作意図として、矢野顕子さんの楽曲「LOVE LIFE」にインスパイアされたことが公言されています
パンフレットに矢野顕子さんのコメントがあって、歌詞も掲載されていますね
この「LOVE LIFE」をどこで流すかというのが一番の命題で、映画では敬太が死んだあとに流れていて、それぞれが敬太を思いながら愛について向き合うという感じになっていました
ラジオから流れるという演出で、このタイミングは本当に神掛かっていると感服しました
それゆえ、エンディングで流れた時は何か違うなあというのがあったので、最後はインストルメンタルの方が良かったように思えました
「LOVE LIFE」は相手に与える愛について書かれていて、無償の愛の尊さを謳っているのだと思います
歌詞の中にある「離れていても」は劇中歌としては「天国に行った敬太」との物理的かつ精神的な距離を意味しますが、エンディングになると妙子と二郎の心理的な距離という意味に変わります
敬太のシーンではすんなりと心に入ってくるのですが、夫婦関係が破綻している心理状態でこの歌が流れると、それぞれが想う相手、特に妙子にとってのパクという意味合いが強くなってしまいます
それゆえに、エンディングで流れる意味にかなり残酷受け取り方をしてしまいました
それが制作意図なのか、個人的な解釈なのかはわかりませんが、「LOVE LIFE」という「愛のある生活」というものは、「愛」と「人生」に最終的に分断されてしまっているように思えます
この二つが離れてしまっても、「愛」は色褪せないということになりますが、映画の最後の感覚だと「愛のない妙子と二郎が生活のために共同生活を続ける」みたいな感覚になっていて、もう元には戻らないような印象がありました
敬太が死んだことで、二郎たちの家族としては「枷」が外れたのですが、その思惑というものは妙子を突き刺し続けてきたので、その想いに応えるような状況が起きるかは微妙なのですね
なので、いずれはこの二人は別れて、妙子はパクの元に戻るのではないかなと思ってしまいます
この残酷なラストもやはり愛の形の一つで、この二人が別れることは「それぞれの人生を愛で満たすための決断」のように思えます
世の中には一緒にいた方が良い関係性と、少しばかり距離をおいた方が良い関係性と、別れた方が良い関係性というものが存在します
それが如実に現れるのが「子育てを終えたあと」などに訪れる熟年離婚などを引き起こします
こう言った場合に関係性の維持を努力する人がいますが、その理由の多くは「生活>愛」だと思うのですね
このような図式になったとき、時間だけを浪費する未来しかないように思え、関係を解消した方が良いのではないかなと思うときがあります
それぞれの決断が最優先されますが、お互いが何のために関係を維持するのかを考えたとき、関係性を維持したことで失われる時間についてはしっかりと考えて話し合った方が健全であるように思っています
■愛情と同情の違い
妙子と二郎の関係は愛情ですが、妙子とパク、二郎と山崎の関係に純粋な愛情があるのかは何とも言えません
妙子のパクへと行動の動機は「この人は私がいないとダメ」というもので、それは奉仕活動の延長線上にしか見えません
事実、妙子とパクの間で微妙な空気になることはなくて、まるで親と子どもとか、姉と弟のような関係性に見えてしまいました
一方の二郎と山崎は、性欲的なものが透けて見えていました
二郎の下心というものを山崎は敏感に察していて、それはこれまでの関係性もそうだったというふうに上書きされてしまったように思えます
妙子と二郎の間にある愛というのは、これまでは純粋なものと敬太のためという二面性があって、この三人の関係性が消えた時に二郎の本音というものが漏れ出してしまいました
ある種の自分の親に対する義務感のようなもので、本当に妙子との間に子どもが欲しいのかを問い直す意味があったように思います
両親からの重圧が敬太の死によって防御壁がなくなってしまって、二郎には言い訳を用意することができません
そう言った意味において、二郎の方には純粋な愛があの時点で消えてしまったように思えます
最終的に二人がどういう決断をするかはわかりませんが、もし二人の間に子どもができたとしても、二郎の子どもが欲しいのか、二郎の重圧を解放するために妙子が我慢することになるのかは微妙かなと思いました
女性がそのような理由で子どもを産むとは思えないのですが、この他に子どもを作る理由があるとしても、二郎との間に育む意味は薄いように思います
なので、もし本当に妙子が子どもを欲しがったとしても、その相手はパクでも二郎でもないと感じました
妙子には二郎の本音がわからないと思うのですが、敬太は親への防御壁であったのと同時に、妙子との間にあった防御壁だったとも言えます
なので、それがなくなった今、妙子が二郎を愛する理由がまだ残っているのかとか、二郎が妙子に感じていた魅力というものが残っているのかはかなり不確かなもののように感じてしまいます
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は韓国手話を交えながら、三角関係の自分に接していない一辺のやりとりがわからない構造になっています
妙子とパクの会話は二郎にはわからないし、妙子と二郎の会話はパクにはわかりません
そして、二郎とパクは直接的なコミュニケーションを取れないために、二郎の独白シーンが活きるという流れになっていました
そこでは、二郎はパクが聞こえないことを知っていながら、自分の胸のうちを曝け出していきます
このシークエンスでパクは何も聞こえていないように日常の動作をしていて、それがコミカルでもあり切なくも感じます
性格的なところを考えると、もし二郎とパクが話せても、「二郎さんは正直だね。何とか、なるよ」というアドバイスをしそうな気もします
二郎と妙子の関係性が続くとしたら、二郎は妙子とパクの間にある「愛」というものを許容する必要があります
それを「社会奉仕」として見るのか、男女の関係として見るのかは二郎次第ですが、妙子もそのことをわかっていて、「夫としては?」という質問をしていました
二郎は社会福祉の世界にいて、パクのような困窮者に手を差し伸べたいと考えています
それが妻の元夫という関係性が動揺を引き起こしますが、その動揺は「二郎→妙子」に対する一方的なものに見えます
「妙子→パク」の関係性では、「愛情というよりも同情、もしくは姉と弟(親子かも)のような目線」に見えます
「パク→妙子」の関係性も、「愛情というよりは、社会奉仕の一環のような目線(頼る人)」になっています
パクが妙子の部屋に上がった時、「いけないよ」とパクが言ったのは、二郎に対する配慮と妙子が一線を越えてしまうかもしれない危うさを感じているからでしょう
パクは妙子に甘えることはできますが、妙子が過去を許しても、パクがそれに興じるかは微妙なところです
でも、パクというキャラクターは人を巻き込むことに対する罪悪感はさほど感じていなくて、妙子の方が同情心から過剰に反応しているようにも思えました
最終的には妙子と二郎が答えを出すことになりますが、それぞれが配偶者がいながら一度は裏切ったことを痛感しているので、相手がそれを赦すかどうかよりも、自分自身を赦せるかどうかに依るのかなと感じました
個人的な感覚でラストシークエンスの関係性を見ると、お互いに自分自身を赦せないまま、自然と距離が離れていくのかな、と思いました
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/381644/review/7461dd12-0a88-4fd3-bdf1-12433f0ee170/
公式HP: