■「慾」と「三毒」の関係を知ってから見ると、彼の妄想の秘密がわかるのかもしれません
Contents
■オススメ度
つげ義春の世界観が好きな人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2024.11.29(イオンシネマ久御山)
■映画情報
英題:Lust in the Rain(雨の中の欲望)
情報:2024年、日本、132分、R15+
ジャンル:冴えない漫画家と小説家、未亡人の関係を描いた恋愛映画
監督&脚本:片山慎三
原作:つげ義春『雨の中の慾情(1981年)』『池袋百点会』『夏の思いで』『隣の女』
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キャスト:
成田凌(義男:売れない漫画家)
中村映里子(福子:喫茶店で働く未亡人)
森田剛(伊守:自称小説家)
竹中直人(尾弥次:怪しい商売をしている義男の大家)
ミコ(尾弥次の愛犬)
足立智充(須山:営業の男)
梁秩誠(X:出版社の男)
松浦祐也(広告に出資する靴屋)
中西柚貴(夢子:バス停の女)
伊島空(日本兵)
李杏(シュンメイ/春美:南町の富豪の娘)
李沐薫(町の女子高生)
Maxim Kolesnyk(ロシア人)
Garlsusha Evgenii(ロシア人)
千葉真唯子(シュンメイの娘?)
千葉京雅子(シュンメイの娘?)
江原海人(?)
松田強尼(尾弥次の部下?)
劉高至(?)
沢野公一(?)
張宗佑(商店街の店主)
謝浄霖(?)
關多喜子(?)
馬場克樹(突撃する日本兵?)
市川理矩(?)
中村祐太郎(?)
矢田政伸(?)
オハラカズヤ(?)
■映画の舞台
貧困の町・北町
ロケ地:
台湾:嘉義市
大雪山国家森林地区
https://maps.app.goo.gl/Xy8sM9NzmZpsvEzo7?g_st=ic
獄政博物館
https://maps.app.goo.gl/iNBSkaP9GUcPds8m8?g_st=ic
ジョンニス城
https://maps.app.goo.gl/1166uMAjVPJ8YS3JA?g_st=ic
秋田県:にかほ市
上の山放牧場
https://maps.app.goo.gl/jY2T1EBNVrxwrToo6?g_st=ic
茨城県:結城市
Cafe La Familie
https://maps.app.goo.gl/5F5LLPM6XcNnAvZ86?g_st=ic
茨城県:笠間市
筑波海軍空爆記念館
https://maps.app.goo.gl/e6KLZBqs1m4q88Jn6?g_st=ic
■簡単なあらすじ
売れない漫画家の義男は、寂れた北町の一角に住んでいて、大家の尾弥次の怪しい仕事を手伝って生計を立てていた
彼には小説家志望の親友・伊守がいて、いつも二人で尾弥次の仕事を手伝っていた
ある日のこと、尾弥次が世話になった人の孫が引っ越しするとのことで、義男と伊守は駆り出されることになった
郊外の一軒家に向かった3人だったが、呼びかけても誰も出てこない
そこで、家の捜索を始めることになったのだが、義男は二階にて、全裸で眠っている女・福子を見つけてしまう
その美しさから義男は手元にあった紙に彼女の裸体をスケッチする
目覚めた福子は、「さわらずに書くのね」と微笑んだ
その後、福子は家の近くのカフェ「ランボウ」で働くようになった
義男も足蹴く通うものの、いつの間にか福子は伊守と付き合うようになっていた
伊守は「良い顔をするね、君は」と言って揶揄う
そんな折、伊守はXと呼ばれる出版社の男と一緒にある事業を始めようとしていた
それは栄えている南町と同じような店舗紹介の冊子を作ろうというもので、広告掲載人から前払いで資金を集めようと考える
そして、営業の募集をかけると、須山という男が仕事を手伝うようになった
最初は全く相手にされなかったが、ようやく一軒目の契約が取れ、前途が明るく見えるのであった
テーマ:鬱血する欲望
裏テーマ:想像の世界で生きること
■ひとこと感想
映画はR15+指定ということで、いきなり「バス停の女を襲う」というシーンから始まります
この冒頭がタイトルになっている短編のもので、それ以降は「夏の思いで」「池袋百点会」「隣りの女」という短編のエッセンスを汲み取ったものになっています
ネタバレはしない方が良い作品で、ともかく売れない漫画家が、友人に憧れの女を取られるという情報だけで鑑賞するのが良いと思います
映画は、中盤から急展開するので、正直言ってついていくのが大変な映画となっています
モザイクがかかるようなセックス描写もあるので、完全に大人向けの作品になっていますね
残虐なシーンも多いのですが、それが何かを伝えるとネタバレになってしまうので、説明するのが難しいと思います
映画の舞台は、日本なのか朝鮮半島なのか分かりませんが、あの街並みを描くのにセットではなく台湾を選んだということになっていて、ところどころに「おかしな日本語」が登場していました
それも含めて、後半の展開につながっているので、それを楽しみながら観ていくのが正解なのかな、と感じました
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
本作のネタバレ部分は中盤でわかる「実は妄想」というもので、現実パートと呼ばれるものは、おそらくは太平洋戦争の時期の最前線ということになるのだと思います
義男の妄想に登場する人物は、現実世界にも存在するキャラクターで、尾弥次は軍医、福子は娼婦、伊守は戦友ということになっています
舞台はおそらく満州あたりで、そこにある娼館で出会った福子と約束を交わす仲になっていたことになります
中盤のネタバラシの後は、現実と妄想を行ったり来たりする内容になっていて、どっちが現実なのかわからない感じになっています
死にかけている時に書いた漫画=妄想世界だと思いますが、その切り替わりがわからなくなってくるので、妄想のさらに妄想に入っているのかなと感じてしまいます
それは「福子に出会ったことも妄想」というもので、現実には誰とも出会うこともなく、戦禍の中で致命的な怪我を負ったというものになると言えます
何かしらの希望を持たないと生きていけない世界で、福子と出会ったことは現実だと思いたくもなります
それでも、彼女との約束を果たすことができず、何とか生き延びて、漫画の世界に彼女を生かそうと考えたようにも思います
そこに100%自分本位の妄想が生まれるのではなく、福子は伊守に取られたりするし、伊守は実は結婚していて、それでも福子は彼のことが好きという状況が描かれたりします
どうして、このような悲観的な妄想になるのかは分かりませんが、それぐらい現実のやるせなさというものは辛いのでしょう
あまりにも現実離れしすぎると夢にもならないので、ギリギリ現実感を感じられる妄想を描くことで、精神を保っていたのかなと感じました
■4つの原作について
本作は、つげ義春の短編を組み合わせたもので、『雨の中の慾情』『池袋百貨店』『夏の思いで』『隣りの女』の4作が原作にあたります
『雨の中の慾情』は「雨の夜のバス停で居合わせた男女が関係を持つ」という話で、実はそれが夢だったという内容になっています
『池袋百貨店』は「百貨店の地下の売り場で働いている男のところに、地下で働くことに不安を感じている女が来る物語」で、男は女に興味を示すものの、関わりを持つことを避けていきます
そして、男の中で妄想が膨らんでそれに取り込まれ、現実と幻想の区別がつかなくなる、という内容になっています
『夏の思いで』は「元カノ・夏子と再会する男を描き、夏子との再会の中で過去を想起する」という内容になっています
そして、彼女を通じて自分が変化していることに気づき、それは夏子にとって受け入れ難いものだったというふうに展開し、男の内面的奈葛藤がピークに達していきます
『隣りの女』は「アパートで一人暮らしをしている中年男の隣の部屋に若い女性が引っ越してくる」という内容になっています
男は壁越しに女の生活を観察し、声をかけるようになっていきますが、ある夜に泣いていると感じて声をかけますが、返事がないままに翌日には姿を消してしまっているという流れになっていました
これらの作品に共通するのは、「社会から孤立した主人公」「欲望を抱えるもののの満たされない」「夢と現実の境界線のなさ」「明確な結末がない」「時代背景と場所が東京周辺」というものがあります
映画では、これらの作品に描かれている中の「欲望」というものを抽出しますが、満たされたと思われたものは全て妄想や幻覚だったというふうに描いていきます
バス停の二人は義男の作品であり、それを気になる女性・福子に見せますが邪険に扱われてしまいます
福子との関係は叶うこともなく、彼は友人の伊守に先を越されていました
でも、これらの物語が実は全て「死にゆく寸前に見た幻想もしくは生み出した妄想」となっていました
義男は戦地で負傷し、そこで出会った人々を自分の妄想の中に登場させています
そうした自分本位の妄想であるものの、うまくいかない様子が描かれていくのですね
これは、義男自身が現実世界での成就を渇望し、妄想でなされることを否定しているから、のように感じました
■悲観的な妄想を生み出す理由
本作は、戦地で死ぬ間際に抱いた妄想を描いているのですが、この妄想が悲観的なものとなっていました
せめて夢ぐらいは良いものをと思いがちですが、生命の危機に瀕しているときに良い夢を見る方が難しいと思います
義男が助かったとしても、戦後の日本でどのような生活が待っているかは想像できるし、そこに明るい未来があるとは思えません
唯一、彼が誇りに思えるのは、現地の民間人女性を助けたということぐらいで、それだけで幸福感を味わえるものではないでしょう
妄想は自分でコントロールするものですが、良い未来を描くことも悪い未来を描くことも根っこは同じなんだと思います
そこにあるのは漠然とした不安であり、その不安はどのような状況下にあっても襲ってくるものでしょう
起こるかどうかわからないものを起こると思い、それが悪い方向に向かうと感じるのは、その瞬間に満たされているかどうかは関係なかったりします
人間が漠然とした不安を感じる要因としては、「未来が見えないことへの本能的な警戒心」と「自我の不安定さと社会構造」が関係していると言えます
心配したり不安を覚えることは、ある種の防衛本能であり、未来に起こる危険に備えるための本能でもあります
自我の不安定さというのは、確たる自分を持てないことや、SNSなどで他人の人生がたくさん見えてくるからだと思います
これまでは一部の裕福な人の創られたプライベートなどが見えてきましたが、今ではリアルな底辺の叫びまでもが可視化されています
社会構造的には、これまで成功だと思われていた人生が一気に転落する場面を見過ぎていることもありますね
正解のない人生と言うのが浮き彫りになっていて、しかもそれを相談したり分かち合ったりする人も周りにいなかったりします
そして、自分だけにはいないのでは?と思えるほどに、充実した市井の人々のプライベートなどもネット上に溢れています
そう言ったものが積み重なって、漠然とした不安というものはなくならず、結果として、悲観的な妄想へと繋がるのではないでしょうか
特に義男の現在地は最悪なもので、戦地で身動きも取れず、死ぬのを待っているだけのように見えます
そして、その周りにいる人々も同じようでいて違うという感覚があったのだと思います
でも、義男の場合は、自分の妄想の中に他人を入れ込んで、今よりも幸せな世界に彼らを置いているようにも思えます
結果として、彼らが幸福かどうかはわかりませんが、戦地にいるよりはマシだと思うので、そう言った優しさが反映されているのかな、と感じました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作のタイトルは『雨の中の慾情』であり、「慾」という漢字は見慣れないものだと思います
仏教的な意味合いだと「慾」は「三毒(貧・瞋・痴)」のうちの「貧=むさぼりの心」として「慾」という表現がなされます
なので、煩悩的な欲を表現する際に「慾情」とが好まれる傾向にあると言われています
この「三毒」というのは、「貪欲(必要以上に欲しがる)」「瞋恚(思い通りにならない)」「愚痴(道理がわからず迷う)」というもので、際限なく欲したり、感情的であったり、盲信したり執着したりすることを言います
慾情もその中の一つであり、雨の中のエピソードなどはわかりやすい例えにように思います
映画では、実在する他人を自分の妄想に落とし込む様子が描かれていました
自分の中にあるもので想像するのと、他人を妄想に巻き込むところには一線があると思うので、それを踏まえると「必要以上」ということになるのかもしれません
特に、周囲の人間の人生を蔑ろにしている部分はあるので、驕りがあると捉えられても無理はないのでしょう
本作は、ともかく破天荒な内容なので、好みが分かれる内容になっていました
個人的には、このグラグラした感じと、一気に現実世界に引き戻す手法は面白かったと思います
つげ義春作品自体のテイストが暗めで、読者に委ねる系の作品だったのですが、映画では結末をきちんと描いていましたね
解釈の違いはあるかもしれませんが、戦争という困難な時期において、しかも死戦を彷徨う中でも、義男らしい妄想をしていたんだなあと思いました
それが誰かを救うかはわかりませんが、彼なりの最後の抵抗だったように思いました
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/101701/review/04515441/
公式HP:
https://www.culture-pub.jp/amenonakanoyokujo/