■正体とは、過去と教訓、揺るぎなき信念によって構成されている
Contents
■オススメ度
ミステリー映画が好きな人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2024.11.29(イオンシネマ久御山)
■映画情報
情報:2024年、日本、120分、PG12
ジャンル:逃亡犯と関わる人々、追う刑事を描くミステリー映画
監督:藤井道人
脚本:小寺和久&藤井道人
原作:染井為人『正体(2020年、光文社文庫)』
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キャスト:
横浜流星(鏑木慶一:現行犯逮捕され逃亡する青年)
【大阪編】
横浜流星(ベンジー:物静かな作業員)
森本慎太郎(野々村和也/ジャンプ:工事現場の同僚)
駿河太郎(金子健介:建設現場のパワハラ上司)
五頭岳男(建設会社の同僚)
奥田啓介(取り立て屋)
松田征也(工事現場の同僚)
藤澤アニキ(工事現場の同僚)
【東京編】
横浜流星(那須:フリーライター)
吉岡里帆(安藤沙耶香:メディア会社の社員)
田中哲司(安藤淳二:痴漢嫌疑をかけられる弁護士、沙耶香の父)
田島亮(黒島:安藤に密着する記者)
宇野祥平(後藤鉄平:沙耶香の先輩社員)
宮﨑優(小田花梨:沙耶香の同僚)
信田昌之(安藤の痴漢裁判の検察官)
【長野:グループホーム編】
横浜流星(桜井:グループホームの職員)
山田杏奈(酒井舞:グループホームの後輩)
森田甘路(四方田雄一:グループホームの先輩職員)
矢柴俊博(舞の父)
田村たがめ(舞の母)
永瀬未留(舞の友人)
【長野:水産工場編】
横浜流星(久間:工場の作業員)
遠藤雄弥(宮村勇太:長野の水産工場の社長)
【警察関連】
山田孝之(又貫征吾:慶一を追う刑事)
前田公輝(井澄正平:又貫の部下の刑事)
松重豊(川田誠一:警視庁の刑事部長)
山中崇(足利清人:模倣犯)
【被害者関連】
原日出子(井尾由子:アルツハイマーを発症する元高校教師、一家殺人事件の被害者遺族)
西田尚美(笹原浩子:工場のパート、遺族の妹)
世良佑樹(井尾:被害者)
永井ちひろ(井尾の妻:被害者)
小柴みら(井尾の娘:被害者)
【その他】
木野花(野口正恵:養護施設の園長)
福田弘(?)
伊藤雅人(?)
坪井奈子(キャンプ場の人)
藤井アキト(刑務官)
中野剛(刑事?)
宇賀神亮介(刑事)
中村祐志(刑事)
泉礼文(刑事)
太田正一(警視庁広報)
小原千里(?)
鈴木敏之(?)
堀内充治(?)
若林秀敏(?)
福田伸之(記者)
西川綾乃(?)
仙波恵理(?)
新津正人(?)
池田和子(施設の利用者?)
原岡見伍(?)
チャンへ(チャン・ソジン:?)
カン・ハナ(?)
竹田哲朗(?)
一ノ瀬竜(黒島:?)
中村楓(?)
山本五郎(ニュースの音声?)
夏目みな美(TVのアナウンサー)
光山雄一朗(TVのアナウンサー)
山内彩加(現場のレポーター)
石井亮次(テレビのリポーター)
石塚元章(ニュースのコメンテーター)
■映画の舞台
東京都内
大阪府:住之江区
長野県:諏訪湖近辺
ロケ地:
富山県:南砺市
つつじ荘(ケアハウス)
https://maps.app.goo.gl/XT6XvUoWPuH7RCuv5?g_st=ic
富山県:富山市
富山刑務所
https://maps.app.goo.gl/z1LUhyCDmAZXZwhb6?g_st=ic
茨城県:水戸市
そば処一色
https://maps.app.goo.gl/U9HBNgoFU2EUdTNr6?g_st=ic
埼玉県:比企郡(児童施設)
分校カフェ MOZART
https://maps.app.goo.gl/Njura8kpea1XLi7k8?g_st=ic
神奈川県:相模原市
青野原野呂ロッジキャンプ場
https://maps.app.goo.gl/mM6sr1mdXHhzuMBv8?g_st=ic
■簡単なあらすじ
都内の拘置所に収監されていた死刑囚の鏑木は、吐血を偽装して病院に運ばれ、その救急車内で暴れて闘争を果たした刑事部長の川田の指揮の下、又貫と井澄が担当となり、鏑木を追うことになった
鏑木はある目的を持って行動し、キャンプ場で衣服や食料を奪った後は、大阪の建設現場へと紛れ込む
だが、そこで知り合った野々村はニュース映像から逃走犯であると気づき、それによって鏑木は再び逃走することになった
鏑木は見た目を変えて都内に潜伏し、那須と言う名前でフリーライターとして働き始める
彼は都内のネットニュースの事務局に出入りし、担当の安藤から信頼を経ていく
安藤は弁護士の父の痴漢冤罪事件で疲弊していたが、鏑木を気に留めていた
野々村が警察に提供した映像を見た安藤は、那須が鏑木に似ていると感じながらも、彼の人柄から凄惨な殺人を犯すとは思えなかった
だが、父に張り付いていた記者の通報を受けて警察が彼女の元を訪れた
安西は鏑木を隠してやり過ごそうとするが、又貫は彼女の異変に気づいていた
テーマ:真実の証明
裏テーマ:正義と欺瞞
■ひとこと感想
逃走犯・横浜流星と言うことで、予告編でストーリーの半分ぐらいまでは紹介されている感じになっていましたね
彼が逃げ切るのか、それとも別の犯人がいるのかみたいなミステリーになっていて、開始早々から警察の失態というものが描かれていきます
中間管理職的な又貫の苦悩もさる事ながら、バディを組む若手は迷うことなく鏑木を追っていきます
この温度差は「真実」をどこまで知っているかというところになりますが、長年の刑事の勘というものが、隠蔽されていたものに気づいている、という感じになっていました
映画は、わかりやすいエンタメ作品で、時事ネタっぽい感じの社会問題も描かれていきます
そんな中で、鏑木に出会った人の信じているものが又貫を揺るがしているようにも見えてきます
突っ込んだらキリがないとは思いますが、最後まで飽きることなく完走できて、自然に涙が出てくる映画だったと思いました
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
冤罪で死刑判決を受けたというものですが、裁判の過程はほぼ描かれません
なので、捜査がどのようなものかはわからないのですが、それも徐々に判明する流れになっていました
時間を掛ければ彼が犯人ではないことはわかりそうなものですが、年末だからという訳のわからない理由と、未成年犯罪の抑止目的のスケープゴートをして一人の人間を死に追いやるのは無茶だなあと思いました
差し違える覚悟があれば警察上層部も巻き添えになる案件でしたが、再捜査に職責を賭けて向かうことになったのは、彼の良心と鏑木の純粋さに心が打たれたからだと思います
人には二面性がありますが、だとしても細かな行いから滲み出るものというものがあって、そう言ったものまで隠すのは難しいのですね
それゆえに、社会は彼を犯人だと言うけれど、何かしら違和感を感じてきたのが接した3人だったのかなと感じました
映画はそこまで難解な物語ではなく、実話ベースではないので感動させる方向に振り切っていました
実話ベースだと本当の被害者がいるので大団円には描けないのですが、メタファーとしてのドラマということであれば何とか描けるのかな、と感じました
■無罪の証明
映画では、犯罪を犯していない鏑木が「自分の無罪を証明しよう」と躍起になっています
混同されがちですが、無実と無罪は意味が違っていて、鏑木が得ようと思っていたのは「無罪」となっています
これは法律用語としての「有罪が証明されないこと」であり、彼が受けた有罪判決を覆す理由がありました
裁判を無視して、自分と関わった人が「無実の罪である」と理解してくれれば良いという着地点もあると思いますが、彼がそうしなかったのは、法治国家に対する対抗措置を取ったまでとも言えるのかもしれません
日本の法律では、罪が確定しても「やり直し裁判」をすることが可能で、これを「再審制度」と呼びます
再審とは、「判決が確定した後に重大な事実や証拠が新たに発見された場合」に「その裁判をやり直す制度」のことを言います
主な再審理由として(刑事訴訟法 第435条)
「虚偽の証言や証拠に基づいて有罪になった」
「重要な証拠が後から発見され、無罪の可能性が出た」
「証拠がねつ造、改ざんされていたことが判明した」
というものがあります
映画では、鏑木が現場にいて凶器を握っていた、という理由だけで逮捕に至り、容疑を否認しても無理やり起訴へと持っていった、という流れがありました
鏑木がそれを覆すためには、「自分が犯人ではない証拠(証言)」を得るしかなく、それが被害者家族の生き残りである井尾由子の言葉となっていました
今回の事件は、警察と検察の捜査方法及び起訴、裁判全てが「結論ありきで動いていた」ので、由子の証言を得ても何も動かなかったでしょう
なので、フォロワー数の多い舞のアカウントにて配信し、世論を動かすという方法に出ています
施設への不法侵入などの色んな罪に問われる可能性はありますが、一家惨殺を行っていないし、一連の事件が警察によってでっち上げられたから行動に出たという部分もあるので、有罪になっても執行猶予がつくのかな、と感じました
日本に限らず、無実の罪で有罪になるというケースはあり、それを覆すのは相当な時間と労力が要ります
一度認めてしまえばそれを覆すことは容易ではなく、裁判所は真実を追求する場所ではないことも歪んだ結末が出る要因となっています
あくまでも、起訴された罪において、被告人が有罪か否かを確定させる場なので、真実の追求を求めて裁判に臨むというのはリスクが高いように思えます
個人的には訴えられたり、無実の罪を着せられたことはありませんが、人が一度信じたもの(嘘だとわかっていても)を覆すことほど難しいものはないと感じています
■信じることで何が変わるのか
鏑木の一連の事件を見ていて思ったのは、何を信じるかということで未来が大きく変わる、というものでした
高校生だった鏑木は、警察と司法を信じていた部分があり、さすがに自分が犯人にされるとは思いもよらなかったと思います
その背景で、未成年への犯罪抑止のキャンペーンに利用されるなどと考えることもなく、彼の年齢であの状況なら、「警察に行って真実を話せば大丈夫」と思うのは無理もないでしょう
でも、鏑木が過去に警察に酷い目に遭わされたとか、遭わされた人を知っているとか、日本における司法制度の危険な部分に勘づいているとなると対応が変わったかもしれません
捜査する側の又貫も警察を信じている部分があり、いくら何でも真犯人を無視してでっち上げで解決するなんて思っても見なかったでしょう
そんな中、鏑木は「自分なら自分の状況を逆転できると信じていた」部分があり、かなり緻密な計画を立てています
この信念の強さは、警察の不祥事が生み出した魔物であり、強い目的意識を生み出しています
とは言え、ここに大人が絡むと純粋なものが削がれるので、鏑木自身が一人で行動することによって、より精度の高い計画へと昇華した部分がありました
自分自身を信じるというのはとても難しいもので、自分の閃きが墓穴を掘るということもあります
このようなマイナスのバイアスがかかることを「過信」と言いますが、それは自分の能力や判断、知識を実際よりも高く評価してしまうからでしょう
認知バイアスがあり、成功体験が積み重なることが要因でありますが、自己防衛本能としての過信というものもあります
そう言ったものが以前の鏑木にはあったのかもしれませんが、一連の事件による不可思議な失敗というものは、より純度の濃い「信じる」を生み出し、そのバイアスを正常に保つための精神的均衡が生まれたようにも見えました
これらのバランスが保たれるのは、失敗したらさらに地獄に行くことが確定しているからなのですね
自分を無罪にできる証拠を「警察権力の力の及ばないところで周知させる」というのが最低限の条件で、そこに「他人を信用するな」という戒めがありました
どちらかと言えば、鏑木は人を信用してしまうタイプの人間なので、逃走中はかなりの負荷がかかっていたと思います
本来の自分を殺してでも成し得ないといけないものがそこにあって、最終的にはその信念が又貫を動かすことに繋がっていました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は、逃亡犯・鏑木がさまざまな場所で身分を偽って計画を遂行する様子が描かれ、相対した人々は「どこかしら素の鏑木を感じていた」と思います
ジャンプ(野々村)との関わりにおいて、彼は勉強した知識を彼のために使おうと考えますが、劣悪な法律無視の現場では通用しません
これは、鏑木自身にも起こったことなのですが、法律を遵守すべき側の会社は「出るところに出たら負ける」ので、最終的には折れざるを得ません
ある意味、法律の上にある組織がどの程度の抵抗を見せるのかを知ることができたとも言え、自分の目的のために「何を動かすべきかを知った」とも言えます
沙耶香との関係では、自分自身のライティング能力を活かして情報収集を行うことになり、彼女が思っても見ないことを考えていたことがわかります
彼女の父は弁護士で、セクハラ騒動に巻き込まれている立場であり、法曹関係者が窮地に陥るには何が必要かを学んでいきます
事実かどうかに関わらず、一人歩きする情報の怖さというものがあり、これは「鏑木が外界から遮断されていた時に起こっていたこと」となります
同じような立場である鏑木は感情移入をすることになりますが、そこで留まるわけにはいきません
記者の暗躍によって鏑木は逃げることになりますが、それは信念を完遂させるための神様の計らいのようにも思えてきます
最終地点である養護施設にて鏑木は舞に出会いますが、彼女がフォロワーが多いSNS発信者であることは偶然でしょう
鏑木が由子から証言を得てどのようにしようと考えていたかはわかりませんが、その証言をもっと有効的に拡散させる方法が目の前にあったのは偶然の産物だと言えます
鏑木自身がSNSを使用していたかはわかりませんが、由子の証言の動画を撮るというところまでは考えていたでしょう
追い詰められなければ、その情報は沙耶香に託されたと思われ、そこから社会を動かす基盤が生まれたと思います
それでも、彼を取り巻く状況は、「大人社会の歪な構造の外側で完遂されるべき」という「神の声」のようなものが轟いたようにも思えるのですね
沙耶香にその情報を渡せたとして、それが紙面を踊るかどうかはわかりません
週刊誌にリークをしたとしても、フリーの記者に餌を撒いて、それが実るかどうかという賭けに出ることになります
既存の方法では障害が多すぎるのですが、今は時代が変わっていると言えます
個人が発信する時代において、リアルタイムというものが既存の情報メディアを食い散らかしている時代に入っています
生放送などがあったとしても、放送法によって放送できないものもあり、個人はそれを容易に突破していきます
それらのリスクはたくさんあるものの、リスクと引き換えに何を得るかというところにおいて、鏑木は究極のものを兼ね備えていました
このまま殺人犯として生きていくのか、それとも自分の無罪を勝ち取って人生を取り戻すのか
おそらくは機動隊などが突入して、その場で射殺されたとしても、無実の罪を背負うよりは余程マシな幕切れのように思います
彼がここまで動いた「理由は何か」というのは誰かしらによって深掘りされ、良心の呵責に耐えられない人形は路線を外すこととなります
鏑木の行動にはその熱量があって、それは方向性は違えども又貫にもあったものでしょう
彼を目の前にして撃てなかったことは、真実を知る又貫だから起こったことであり、良心のカケラが残っていた人物だったから、だと言えます
彼があの場で発砲して射殺をしてしまったら、それは警察権力というものの暴走を加速させることにつながります
あの引き金には、又貫が考える以上のものが覆い被さっていて、それが引かせなかったようにも思えます
そう言った意味において、この事件の担当に又貫が充てられたことにも、何かしらの配慮があったのかな、と感じました
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/101366/review/04515443/
公式HP:
https://movies.shochiku.co.jp/shotai-movie/