■誰しも心の中に怪物を飼えども、取り憑かれる弱きものにこそ、施しが必要なのかもしれません
Contents
■オススメ度
深層心理を抉る映画が好きな人(★★★)
変態性の強い映画が好きな人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2024.4.24(アップリンク京都)
■映画情報
原題:Manticora(人間の顔とライオンの体を持つ伝説の怪物)
情報:2022年、スペイン&エストニア、116分、PG12
ジャンル:モンスターデザイナーの深層に潜む本質が暴露される様子を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本:カルロス・ベルムト
キャスト:
ナチョ・サンチェス/Nacho Sánchez(フリアン:ビデオゲームデザイナー、クリーチャーモデラー)
ゾーイ・ステイン/Zoe Stein(ディアナ:オンラインで美術史を学んでいる女性)
アルバロ・サンス・ロドリゲス/Álvaro Sanz(クリスチャン:火事で閉じ込められる少年、フリアンの隣人)
Ángela Boix(クリスチャンの母)
アイツィベル・ガルメンディア/Aitziber Garmendia(サンドラ:フリアンの同僚、ディアナの友人)
Joan Amargós(オスカル:開発チームのリーダー)
Xabi Tolosa(開発チームのメンバー)
Violeta Gil(開発チームのメンバー)
Patrick Martino(エリウス:ディアナの友人)
Martina Gutiérrez(アデラ:ディアナの妹)
Stella Arranz(消防隊員)
Chema Moro(消防隊員)
Ignacio Ysasi(火事の影響を診る医師)
Lara Tejela López(救急病院の緊急受付の事務員)
Miquel Insua(睡眠薬を処方する救急医)
Catalina Sopelana(ディスコの行きずりの女)
Javier Lago(不動産屋)
Ariadna Paniagua(ディアナの父が住んでいた村の女)
Araceli Galán(会社の受付係)
Vicenta N’Dongo(ゲームのプロデューサー)
Albert Ausellé(ラウル:フリアンを呼び出す人事部)
Arantxa Zambrano(フリアンの主治医、外科)
■映画の舞台
スペイン:マドリード
プラド美術館
https://maps.app.goo.gl/s9xqzWk3S876bfjD9?g_st=ic
ロケ地:
スペイン:マドリード
アルコベンダス/Alcobendas
https://maps.app.goo.gl/pHpfAHbHwEigALBZA?g_st=ic
スペイン:カタリーナ
シッチェス/Sitges
https://maps.app.goo.gl/AoJQwKaTmoC4uFzD8?g_st=ic
サン・ペレ・デ・リベス/Sant Pere de Ribes
https://maps.app.goo.gl/ciBYH2eyRVbsG8Xf6?g_st=ic
■簡単なあらすじ
KOBO社でゲーム開発に携わっているクリーチャーモデラーのフリアンは、マドリードに一画にある古いアパートに住んでいた
ある日、助けを呼ぶ声を聞いたフリアンが窓の外を見ると、隣の部屋が火事になっているのに気づく
ドアを蹴破って侵入したフリアンは、そこに住む少年クリスチャンを助け出し、火事も鎮火させた
その後、煙を吸った後遺症からか息苦しくなったフリアンは、思わず救急病院に駆け込む
診察の結果、ストレスによる不安神経症と言われ、抗不安薬を処方されることになった
それからしばらくしたある日、同僚のサンドラが誕生日を迎えるとのことでパーティーが行われることになった
フリアンも参加するものの、徐々に居心地が悪くなってきて帰ろうとすると、そこにサンドラの友人ディアナがやってくる
フリアンは帰るのを止め、楽しそうに踊るディアナを眺めていた
フリアンは創作活動に熱中すると同時に、会社のVRソフトを使って個人的な妄想をデータにして、外付けのUSBメモリーにそれを書き留めていく
そしてある日、映画館のロビーでディアナを見つけたフリアンは、思わず彼女の後をつけてしまうのである
テーマ:深層心理に棲む魔物
裏テーマ:安心をもたらす状況
■ひとこと感想
ゲームのクリエイターが余計な妄想をするぐらいのイメージで思っていましたが、表現は控えめだけど、かなりぶっ飛んだ人たちの物語になっていました
主人公のフリアンはクリーチャーを作り出すデザイナーで、ある時に同僚の友人ディアナと出会うことになります
彼女は美術史を学んでいる学生のようで、ところどころ価値観が重なるところがあって惹かれていくようになりました
冒頭で隣人の少年クリスチャンを助けることになったフリアンですが、そこで彼の内なる何かが目覚めてしまい、それをVRソフトで再現してしまうシーンはかなり危険な香りがしました
肝心なシーンは見せないのですが、この見せなくても何をやっているのか何となくわかるところが恐ろしくもあります
映画では、虚構と現実の境界線を踏み越えた時の不安定さを描いていて、炎を遮るドアもそれに近い印象があります
フリアンとディアナの会話でも、遊園地の裏側を見て落胆したとか、ポルノの世界=ホラーだったという会話も興味深い価値観だと思いました
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
映画は、最新鋭なのかどうかわかりませんが、VRゴーグルを使って立体的にクリーチャーを作り出している様子が描かれて始まります
何かのダンスをしているようにも見えますが、フリアン自身はダンスをせずに見るのが好きとディアナに言っていましたね
対する彼女は体を動かすのが好きで、行動的な面もあったように思います
物語は、ディアナとの出会いによって、妄想上の悪戯が消えてしまうものの、その破綻によって再燃する様子が描かれていきます
クリスチャンを助けたことで内なる欲求が目を覚ますのですが、その方向性が誰がどう見てもアウトというものになっていました
外部のUSBに保存していたのに、実はデータがサーバー経由で保管されているというオチになっていて、異常性癖が社内にバレて立場を追われることになります
同僚たちも一切関わりを持とうとせず、ディアナにも「吐き気がする」と言われてしまうのですね
その後の彼の行動がかなり猟奇的で、フリアンがマンティコアの絵を見てしまった時の絶望感は強烈だったと思います
でも、一番の怪物はディアナだったのですね
それが示されるエンディングは、意味がわかると怖いというものになっていて、すぐに気づける人とそうでない人がいるように思えました
■マンティコアとは何か
映画のタイトルでもある『マンティコア(Manticore)』は、西ヨーロッパの中世美術に登場する想像上の生き物で、エジプトのスフィンクスに似たペルシアの伝説の生き物のことを言います
人間の頭、ライオンの胴体、蠍の尾、またはヤマアラシの羽のような有毒な棘の尾を持っています
マンティコアは古代ギリシャ語からラテン語を経由して古ペルシア語の「男を食べる」という意味の言葉になっています
マンティコアはアメケネス朝時代のペルシア宮廷にいたギリシャ人医師クテシアス(Ctesias)で、彼自身が書き残した書物『Indica』に由来すると言われています
クテシアスはアンティコアはペルシャ語で、ギリシャ語ではアンドロファゴン(ἀνθρωποφάγον=人喰い)と翻訳されたと書いています
その後、ヨーロッパ全体に広がり、今でもその伝説は根付いています
インドでの伝聞が元になっていて、マンティコアはインドに生息した青い目をした人面の野生の獣だった、とされています
クテシアスはインド人がペルシャ王にマンティコアを贈ったのを見たと書き記していますが、これは「虎」ではないかと考えられています
これらの逸話にプリニウス・アリストテレス主義の学問が組み合わさることになって、「Physiologus」が誕生し、のちに「動物寓話」として発展することになりました
映画では、クリスチャンがフリアンの絵を描いた際にマンティコアを描いていて、その絵が指し示すのは「理性の頭、野性の体」という意味になると思います
フリアンは絵によって自分を知り、クリスチャンが自分をどう思っているのかを知ることになります
クリスチャンほどの年齢だと、御伽噺としてのマンティコアを知っている可能性もありますが、それよりも感じたそのままを絵にしたのでしょう
フリアンが彼を訪れた際に「一人の時に人を上げてはいけない」と言われていると言い、フリアンは「私なら大丈夫」と言いますが、この時のフリアンはかなり怯えていたように思えました
クリスチャンはフリアンに何かをされた訳ではないのですが、彼の中にある「獣」を感じ取っていて、その犠牲に自分がなるのではないかと恐れていたのだと思います
■ディアナの性癖がもたらすもの
フリアンの小児性愛は「自社の開発ソフトでデータを作成した」ことによって、自動バックアップ機能によってバレることになりました
このことをフリアンは知らずに、外付けUSBメモリーだと大丈夫だと思っていたのですね
でも、今では「一時保存はクラウド」というのが一般的で、KOBO社はネット経由で自社のサーバーに保存するという方法を取っていました
もしかしたらこの構造を知っていたかもしれませんが、そんなことよりもフリアンの衝動の方が優っていたのだと考えられます
そして、この事実をサンドラ経由で知ることになったディアナは「吐き気がする」と言って、フリアンを突き放します
その後、フリアンはクリスチャンが描いたマンティコアの絵を見たことによって等身自殺を図るのですが、運悪く「全身不髄」状態で生き残ることになってしまいます
脊椎損傷のための手術が行われ、逆さまに吊るされた状態になっていて、そこにディアナがやってくるという流れになっていました
「吐き気がする」とまで言い放ったディアナですが、フリアンとの再会は「涙ではなく笑顔だった」というのがとても印象的だったと思います
その後、ディアナはフリアンの介護にあたっていくのですが、これが父親亡き後の彼女の人生を示していくことになるのですね
そこには「吐き気がする」という生理的嫌悪は消え去っていて、介護に対する自身の存在理由を見出しているようにも思えます
フリアンは以前にディアナの介護姿を見ていて、それを「丁寧」というふうに感じていました
そのシーンは「ディアナが何をしているのか見えない」のですが、フリアン目線ではそのように見えた、という印象を残しています
ディアナは身動きが取れなくなった父の看護を嫌がることもなくしているのですが、これを他人でもできるというのは相当なものがあります
しかも、一度は生理的に無理となった相手に対してそれを行えるのですが、このシチュエーションというものがディアナの本性だと言えるのでしょう
自分自身は危害を加えられないし、フリアンの意思では何も出来ません
言い換えれば、何をされても抵抗できない状態になっていて、命を握る完全なる主従関係になっていることになります
ディアナは相手を完全なる支配下に置くことで自己満足を感じ、相手の感情を無視して、自分の思うがままに相手の世話をすることができます
そこに喜びを感じるというのは、ある種の性向のようなものであり、わかりやすく言えば「サディズム」である可能性があります
これは「加虐性愛」と呼ばれるもので、精神的かつ肉体的に苦痛を与えることを意味します
ディアナにはエリウスという友人がいて、彼は恋人だと思っていましたが、ディアナはそれを否定しています
別れる理由がエリウスの嫉妬となっていましたが、このキャラクターの名前が「エリウス(エリヤからの派生人名)」というところが意味深になっていましたね
エリヤとは、ヘブライ語で「ヤハウェ(我が神なり)」であり、旧約聖書に登場する預言者のことを意味します
ディアナも「アルテミス」の別名になっていて、エリウスとディアナの関係は「預言者と神様」ということになるのですね
また、フリアン(Julian)の語源となる聖ユリアヌスは「看護する者」という意味があり、その真逆の行為を行うという配置転換も、ディアナの加虐性愛を強めているように思えました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
映画は、かなり特徴的な絵作りになっていて、それは「肝心なところを見せない演出」だったと思います
フリアンがVRで描くクリスチャンへの小児性愛、ディアナの父への介護シーンなど、映画の方向性を決める決定的なシーンを「見せない」ことで、想像にお任せしますという感じになっていました
ラストシーンも「フリアンを見る笑顔のディアナ」であり、それは「生きていてよかった」というものではない印象があります
あのシーンは「私を満たす父の代役が見つかった」というもので、それゆえにかなり不穏なラストになっています
本作では、ディアナの心情というものもはっきりと明示されておらず、普通に見れば「かつて愛した人が自殺未遂から助かった」ということになるのかもしれません
全身不髄になっても小児性愛が消えた訳ではなく、VRの世界で満たしていたように、フリアンの頭の中では何が行われているかわかりません
でも、そんな彼の元に満面の笑みで登場するというのは、不穏なものを感じざるを得ないのですね
それをはっきりと描かないことで、いくつもの解釈が生まれる素地になっているように思えました
ちなみに、ディアナはフリアンをプラド美術館に誘うのですが、「黒い絵」のフロアに初めて立ち入ったと言っていました
ここには14点の「黒い絵」のシリーズがあって、描いたのはフランシスコ・デ・ゴヤ(Francisco José de Goya y Lucientes)という画家でした
「聾者の家」と言われる彼が晩年に購入した家の壁に描かれたもので、1819年に購入し、1820年〜1823年にかけて描かれていて、その後、プラド美術館に移設されたものになっています
「レオカディア(家政婦兼恋人)」
「二人の老人(修道士の衣装を来た二人の老人)」
「食事をする二老人(寝ている老人に食事を与える老人)」
「魔女の夜宴(ヤギの姿の悪魔たちの集会)」
「サン・イシドロの巡礼」
「我が子を食らうサトゥルヌス」
「ユーディットとホロフェルネス(娼婦が将軍を誘惑し首を撥ねる)」
「砂に埋もれる犬」
「運命の女神達(クロト、アトロポス、ラケシス)」
「棍棒での決闘(棍棒を持って戦う二人の男)」
「アスモデア(空中を舞う男女)」
「サン・イシドロ泉への巡礼」
「読書<解読>(本を覗き込む6人の男)」
「自慰する男を嘲る二人の女」
この中でフリアンが釘付けになっていたのが「我が子を食らうサトゥルヌス」で、この絵は「自分の子どもに殺されるという予言を恐れたサトゥルヌスが、子どもが生まれるたびに食い殺していく」というシーンを描いていました
フリアンには小児性愛があり、子どもが無惨に殺されているシーンに心を痛めているように思えますが、同時に自分がしていることはこの絵に近いものだと感じているようにも思います
ディアナもこの絵のどこかに自分がいるように思えているのかはわかりませんが、「怖いのではなく悲しかった」というのは、自分がこの絵の中にいれば「助けられるのに」という感情があるからなのかもしれません
ディアナがフリアンをあの場所に連れて行ったのは、あの中の誰がフリアンに重なり、どんな感情を有するのかを知りたかったのだと思います
「我が子を食らうサトゥルヌス」の前で立ち尽くすフリアンを見てディアナがどのように感じたのかも描かれませんが、暴露される小児性愛と結びついてしまったと思うので、それが「嫌悪感」に繋がったのかな、と感じました
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/97967/review/03748273/
公式HP:
https://www.bitters.co.jp/manticore/