■「まる」ビジネスが生まれたのは、確信的な物語を紡いだことによる計算であると思います
Contents
■オススメ度
現代アートに興味がある人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2024.10.18(イオンシネマ久御山)
■映画情報
情報:2024年、日本、117分、G
ジャンル:偶然描いた「まる」が独り歩きしてしまう様子を描いた社会派コメディ映画
監督&脚本:荻上直子
キャスト:
堂本剛(沢田:美大卒の現代美術家のアシスタント)
綾野剛(横山:沢田の隣人、売れない漫画家)
吉田鋼太郎(秋元洋治:人気の現代美術家)
吉岡里帆(矢島:沢田の同僚のアシスタント)
戸塚純貴(田中:沢田の後輩のアシスタント)
森崎ウィン(モー:ミャンマー出身のコンビニ店員、沢田の先輩)
おいでやす小田(吉村:沢田の高校時代の同級生)
濱田マリ(沢田のアパートの大家さん)
柄本明(公園で語りかけてくる「先生」と呼ばれる老人)
早乙女太一(土屋:怪しげなアートディーラー)
片桐はいり(古道具屋:小道具屋の店主)
小林聡美(若草萌子:ギャラリー「若草画廊」のオーナー)
後藤仁美(サチコ:土屋プロデュースのアーティスト)
橋本羽仁衣(チカコ:土屋プロデュースのアーティスト)
佐々木春香(?)
辻本耕志(取材記者)
工藤孝生(コンビニの客)
笈川健太(コンビニの客)
ジョーンズ栄理子(?)
原扶貴子(画廊のキューレター)
成海花音(コンビニの女子高生)
濱屋咲綺(コンビニの女子高生)
かまくらあや(突撃取材の記者)
境浩一朗(突撃取材の記者)
宇乃うめの(整形外科医)
日高ボブ美(?)
メクダシ・カリル(海外の美術館の客)
マリー・ソロンジェ(海外の美術館の客)
梶岸薫子(声)
井上久礼亜(声)
■映画の舞台
都内某所
ロケ地:
神奈川県:川崎市
川崎リウマチ・内科クリニック
https://maps.app.goo.gl/mFiteHoYwkc1UD7Y7?g_st=ic
神奈川県:藤沢市
フードショップ鈴野
https://maps.app.goo.gl/MLX9vZrAoh7oPQnu7?g_st=ic
神奈川県:横浜市
横浜赤レンガ
https://maps.app.goo.gl/mXktmrqN8aNWAjJA7?g_st=ic
東京都:渋谷区
CARATO71
https://maps.app.goo.gl/Xtb4ebZX4WJwUnzt9?g_st=ic
東京都:台東区
古書 鮫の歯
https://maps.app.goo.gl/gRWUP64weGtHqTqk9?g_st=ic
東京都:中央区
鈴木美術画廊
https://maps.app.goo.gl/bYiqJxSd4yAZrdy9A?g_st=ic
東京都:豊島区
GALLERY 013 NOBLESSE
https://maps.app.goo.gl/zyyHB9uksxouMres6?g_st=ic
■簡単なあらすじ
美大を出て、現代芸術家・秋元のアシスタントに甘んじている沢田は、彼の指示通りに作品を作ることで生計を立てていた
すでに4年が経つものの、独り立ちをできる可能性は低く、時折自分の作品に向き合うくらいだった
ある日、景色に見惚れて自転車事故を起こした沢田は、利き腕を怪我したことで仕事をクビになってしまった
隣人は相変わらず大声で騒ぎ立て、ついには壁を蹴り破ってしまった
その後も何をすることもなく途方に暮れていた沢田は、自宅のキャンバスを這っていた蟻を見つけて、それを囲うようにまるを描いてみた
沢田はそれを行きつけの小道具屋に持っていく
それから数日後、アートディーラーを名乗る土屋という男が訪れ、同じようにまるを描いてほしいと言われてしまう
そして、満足のいくまるが出来上がったら、1枚につき100万円を出す、と言い出すのである
テーマ:空白だから描けるもの
裏テーマ:人生の転機
■ひとこと感想
何気なく「まる」を描いたらいつの間にか大変なことになっていた、という物語で、予期せぬ渦中に放り込まれたらどうなるか、というものが描かれていました
「まる」に「円相」と呼ばれる名前があったことも驚きですが、誰が描いても同じ「まる」になるかは何とも言えない感じになっています
その良し悪しはそれぞれの感覚に委ねられると思いますが、自分にしっくりくる「まる」を描ける人というのは限られているのかもしれません
映画では、売れない漫画家と絡むシーンが多く、彼が「ニセ沢田」として便乗する様子が描かれていました
それで何かが変わるということもなく、誰が描いたかとか、ブランド化されたものにしか意味がなかったりします
「まる」がわかっている自分はすごいという感じで、いわゆるファッションアートというものになっていました
それを仕掛けたのが土屋という人物で、彼は世間が求めているものに敏感で、キャラを演じるということに意味があると考えていました
このあたりはアートを売ることに精通している人の感覚になっていて、それとなくわかるような感じに描かれていましたね
土屋自身もブランド化しているところがあり、それがうまく作用すれば波に乗れると言えるのかもしれません
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
本作にはネタバレというものがあまりなく、どうなっていくのかを俯瞰していく感じになっていました
沢田がアートの闇に取り込まれてしまうのか、それとも距離を置くのかという感じになっていて、その選択を見守るという流れになっていました
映画では、アートなるもののムーブメントの作り方のようなものが描かれていて、その波にさえ乗れば内容はどうでも良いというアンチテーゼが示されていました
実際のアートも価値を感じるかどうかは人それぞれで、同じ「まる」だとしても「沢田のサインがなければだめ」という人もいれば「沢田が描いたことを自分が知っていればOK」というモーのような人物もいます
アートはいわば自分の投影のようなものであり、そこに描かれているものから自分を感じ取るものでしょう
今回の「まる」に関しては、その空白に何を見るのかというところがあって、それは人それぞれだと思います
誰かの描いた「まる」という付加価値が自分を引き上げると勘違いしている人たちもいて、映画ではそれを揶揄しているように見えるところに底意地の悪さというものが感じられるような気がしました
■アートとは何か?
本作は、偶然描いた「まる」がバズるという内容ですが、その制作にはわかりやすい意図がありました
その意図は、アリを閉じ込めるというもので、「まる」になったのは偶然であると思います
アリは「まる」から逃げ続けますが、とうとうその中に収まるようになっていて、これは後半に沢田に集まる人でできた「まる」のイメージに似ています
散々抵抗するけれど、力が尽きてしまうという意味があって、「まる」単体ではなく、連続した「まる」というものが作品における真実を表しています
この「まる」に関わらず、アートというのは連続したものの一部であり、最初に描いた絵ですら、それまでに積み重ねたものの先にあるものなのですね
でも、そう言ったことには目を向けることなく、目の前に突然現れたものに意味を見つけようとする人が多いように思います
アーティストも人間として成長し、作品の中でそれが見えてくるもので、沢田も連続して追っていくと「まる」に違いがあることがわかります
ディーラーが沢田の「まる」を否定し続けるのは、再現性のないものに固執する愚かさを見抜いていて、アーティストとしての変化や進化があるかどうかを見極めようと思ったからでしょう
沢田は「まる」以降に大した作品を残せず、「まる」に色をつけたりと様々な工夫を施しますが全く評価されません
でも、ラストで「まる」から決別するためにキャンパスに穴を空けたという作品は評価の対象になっていました
当初の「まる」は何かを閉じ込める空間で、最後の「拳で空いたまる」はそこからの脱去を表しています
これがアーティスト沢田の変化であり、実直で迷いのない感情が記された唯一のものになっています
なので、最初の「まる」から最後の「まる」に至るまでに何が起こっているかを見ていくことで、アートに対する価値とそれが生まれる理由というものが見えてくるのではないでしょうか
■「まる」の中に見えるもの
映画で描かれる「まる」というのは、「円相」と呼ばれる古典からある芸術で、その起源は禅の世界から来ているとされています
基本的には、悟りや真理、仏性、宇宙全体などを円形で象徴的に表現したものではありますが、その解釈は見る人に委ねられるという特性があります
沢田が「まる」を描く過程を知っている観客は、彼がその空間に何を見ているのかが何となくわかると思います
でも、展示会で初めて見た人が同じような感覚になるのかはわかりません
円相には起点と終点がわかるものが多く、いわゆる輪廻を表現しているとされています
それは永遠に続くものとして、実体となる「まる」と、それが取り囲むに虚というものが同席しているように思えます
実線で描かれる「まる」は、描く道具によって様々な顔色を見せますが、その中心にある虚無はキャンバスそのものが絵となっているのですね
絵というものは、色が載っているところだけが絵ではなく、キャンパス全体が絵として機能していて、水墨画、書道などのように色を置かない空間というものが生まれます
通常の絵画における空間(無地)というのはキャンバスの外側にあって、実体そのものと干渉しないことが多いのですが、円相に関しては、実体でないはずのものが実体になっています
そこには、作者が囲みたかったものが表現されていて、それをどう読み取るのかというのが鑑賞眼として試されている気分になります
円相の実体の太さは、それ自体が空間の大きさを規定することに繋がっていて、太い実戦だと狭くなるし、細い実線だと外側と干渉しそうな脆さがあります
そう言った観点で見ていくと面白いもので、沢田自身が描いてきた「まる」というものの見方が変わってくるのではないでしょうか
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は、予期せぬバズりによって日常が変わる様子を描いていて、それが何者かに仕掛けられていたという内容になっています
アートに限らず、何らかの事象をビジネスと捉えられる人は一定数いて、時流を読んでうまく仕掛けられる人がいるのですね
何かしらの求心力を持つものを見極める力が強いのですが、それは単に強欲だからというものではありません
事象に対するファーストコンタクトがあり、そこで何らかの機敏を感じることができた人の特権のように思います
沢田の「まる」を最初に見たのは古道具屋ですが、彼女はその「まる」自体には何の価値もないと感じています
その「まる」が紆余曲折を経て周知の元に晒されるのですが、これをビジネスにまで持ってこれたのはディーラーだけなのですね
彼は「まる」の存在からビジネスを組み立てることを目論みますが、ここまでのムーブメントを予期していたのかは何とも言えません
でも、「まる」ではなく、沢田自身と接したことによって、それを確信に変えているように見えました
何らかのもの(映画ではアート)が世に出る時、それは同時の中の人が外に出る瞬間でもあると思います
今では顔を出さずに作品だけが世に出るということもありますが、そういった戦略も含めて、中の人がどのような人(設定)なのかというのは結構重要なことだと言えます
その中で、中の人をどのようにしてプロデュースするかというものも重要で、沢田自身も普段はしないような格好をさせられて、「まる」の物語の装飾をさせられていることがわかります
いわゆる「まる」にまつわるストーリーテリングを行なっていて、それが「まる」単体ではバズりに限界を知っていることの現れだと言えます
プロデューサーが対象物に何らかの感情を描き、それが波及するにはどのような物語を描けば良いのか
これがわかっている人ほど成功しやすく、ビジネスの世界でもうまく渡り歩いていきます
それは、自身の対象に関する感情、対象と世間の間に生まれる感情、対象を作り出した人物の感情の装飾、これらをうまく配分することによって、それまでになかったものを生み出すことになります
もし、沢田の「まる」に別の物語が加わっていたら同じようなムーブメントが生まれたでしょうか
本作は、ビジネスを行う上でも参考になる要素が多く、それが起こっていることを自然に描いていると言えます
世の中でバズっているものの多くは個人発生に見えますが、その仕掛けのほとんどはプロが入念なリサーチのもとで行なっています
その発信媒体が時代とともに変わってきているだけで、この方法の変化にいち早く対応できる人がチャンスを掴み取ることができます
そう言った意味において、沢田のムーブメントの仕掛けとタイミングを読める人ならば再現することもできるのかな、と感じました
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/101747/review/04381663/
公式HP: