■修復的司法の先にある究極は、私たちに何をもたらすのであろうか
Contents
■オススメ度
加害者遺族と被害者遺族の心情を想像したい人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2023.3.2(京都シネマ)
■映画情報
原題:Mass(「聖友会におけるミサ」にこと)
情報:2021年、アメリカ、111分、G
ジャンル:銃乱射事件の被害者遺族と加害者遺族が向き合い、それぞれの心情を吐露するヒューマンドラマ
監督&脚本:フラン・クランツ
キャスト:
リード・バーニー/Reed Birney(リチャード:ヘイデンの父)
アン・ダウド/Ann Dowd(リンダ:ヘイデンの母)
(ヘイデン:事件の加害者)
ジェイソン・アイザックス/Jason Isaacs(ジェイ・ペリー:エヴァンの父)
マーサ・プリンプトン/Martha Plimpton(ゲイル・ペリー:エヴァンの母)
(エヴァン:事件の犠牲者)
ブリーダ・ウール/Breeda Wool(ジュディ:教会の職員)
ケージェン・オブライト/Kagen Albright(アンソニー:教会の職員)
ミッシェル・N・カーター/Michelle N. Carter(ケンドラ:弁護士)
Michael White(教会のピアノの先生)
Campbell Spoor(生徒)
■映画の舞台
アメリカ:マサチューセッツ州
Emmanuel Episcopal Church
https://maps.app.goo.gl/UAWq5RpcZPJENMKB6?g_st=ic
ロケ地:
上に同じ
■簡単なあらすじ
高校で起きた銃乱射事件から6年ほど経ったある日、被害者遺族の要望により、加害者遺族と対面することになった
閑静な住宅街の教会に集った4人は、ぎこちない会話の中、それぞれの思惑に従って、言葉を発していく
加害者ヘイデンの父リチャードは、子育てに失敗したと言うものの、息子におかしな兆候はなかったと言う
ヘイデンの母リンダは、それでも子どもへの愛情はあると言う
そして、被害者エヴァンの父ジェイは犯人をサイコパス認定したがり、エヴァンの母ゲイルは二人の取り止めのない返答に憤りを募らせていた
弁護士は退席し、部屋には四人だけが取り残され、それぞれの言い分が噛み合わないまま、着地点の対話は続けて行かざるを得ないのである
テーマ:赦すと言うこと
裏テーマ:親は身を捧げるべきか
■ひとこと感想
どう考えても重さしか感じられず、相当ヘビーな時間になるのだろうなあと思っていました
本来ならば、公開初週ぐらいには観ているはずの案件ではありますが、あまりにもタイミングが合わずに延び延びになっていました
映画は想像の通りで、どう着地させるのかなと思っていましたが、想像の範囲に収まっていましたね
それよりも、どこまでがシナリオで、どこからがアドリブなんだろうか?などと余計なことを考えていました
会話劇なので眠くなりそうですが、一触即発の緊張感が漂っていましたので、息をする間もないくらいでしたね
むしろ、最初と最後にある謎の教会職員ほっこりパートの狙いがわからなさすぎてポカーンとなってしまいます
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
ネタバレというものがあるのかわかりませんが、舞台が教会ということで、「何を知ることができれば赦せるのか」という流れになっていました
被害者遺族の要望で弁護士を介して集まることになったような感じで、着地点の見えない対話が延々と続きます
話は普通に脱線するし、噛み合っていない分も散見されていて、題材だけ与えて俳優さんたちのアドリブで行ったんじゃないかと思えてしまいます
犯罪を犯した子どもを愛することは罪なのかとか、兆候を見逃した責任があるのか、など、起こってしまったことに対する親への攻撃は実際にこのような感じになるのかなと思ってしまいます
加害者遺族も息子を亡くしていますが、「殺人犯を育ててしまった」とまで言わされてしまうところに闇を感じてしまいます
とは言え、聞きたいことを聞けたとしても、そこに残ったわだかまりは消えることはなく、最後のゲイルの告白が全てだったのかなと思います
これに関してはネタバレサイトでも書くのはどうかと思うので、劇場で確かめていただければ良いと思います
■加害者家族という被害者
世間の風潮では、加害者の家族も加害者であるというものがあります
でも、どこまで関連があったかというのは不明瞭で、そのように断罪することに意味はありません
本作でも、被害者の父ジェイは「加害者家族が原因で事件が起きた」という論調を持っていて、それに対して「わからない」と答えると、事件の調書などを引き合いに出して、犯人像というものを固定していきました
サイコパスを産んだのは誰だ?と言っているようなもので、それを認めさせようと躍起になっていました
でも、リチャードは「わからない」とだけ答え、それが息子との関わりが薄かったからだ、というふうに反省していました
実際のところ、すべての犯罪の根幹に家庭がある可能性は否定できませんが、家族であっても個人を縛り付けることはできません
また、問題を起こす人がいても、その原因がシンプルである可能性はほぼゼロなのですね
複雑な事情が絡み合い、その末に「きっかけ」となる些細な出来事があるのですが、その出来事をコントロールすることはできません
同じきっかけがあっても同じ行動に移らないのは明白で、同じような家庭の抑圧や事情があっても、すべてが重なることはありません
このような事件は、重なっていく事例によって傾向が生まれますが、それは100%正しいとは言えないのですね
カテゴリーを分けていくことは危険で、その行為が犯罪を誘発することもあります
過去の事例を提示して、「だからお前もこうなる」というのは暴論に過ぎません
でも、本作では深く話し合っていく中で、「もしかしたら」というものが生まれていく過程を描いていたように思えました
■赦しと心の折り合いの難しさ
本作は、加害者家族と被害者家族が話していく中で、被害者家族は最終的には「赦す」という結論に至ります
この「赦す」とは、「過去の罪や過失を咎めない」という意味があって、それによって罪がなくなるわけでもありません
あくまでも、罪や過失に対して、これ以上咎めないという意味になり、それは当事者の心の向き合い方という意味合いになります
よく混同されがちな「赦す」と「許す」ですが、「許すは相手の願いを聞き入れる」という意味なので全く違います
これらは聖書に書かれている「罪人の赦し」の考え方で、キリストが人々の罪のために十字架で死んでしまい、その罪を赦してくださったから、というニュアンスになります
聖書による記述だと、「もし人の罪を赦すなら、あなた方の天の父もあなたがたを赦してくださいます」という一文が出自になると思います
この出自は「マタイによる福音書の6章14」であり、英語だと「but if you do not forgive others their trespasses, neither will your Father forgive your trespasses.」という記述になっています
ちなみに、マタイの福音書の原書はギリシャ語というのが有力で、「Ἐὰν γὰρ ἀφῆτε τοῖς ἀνθρώποις τὰ παραπτώματα αὐτῶν, ἀφήσει καὶ ὑμῖν ὁ πατὴρ ὑμῶν ὁ οὐράνιος·」というものになりますね
一応は、14と15はセットなので、「Ἐλιοὺδ δὲ ἐγέννησε τὸν Ἐλεάζαρ, Ἐλεάζαρ δὲ ἐγέννησε τὸν Ματθάν, Ματθὰν δὲ ἐγέννησε τὸν Ἰακώβ,(But if you do not forgive others their sins, your Father will not forgive your sins.)も覚えておいた方が良いかもしれません
日本語訳だと「しかしあなた方が他人を赦すことを拒むのなら、あなた方の父もあなた方の罪を赦さないでしょう」という感じになります
いずれにせよ、心の折り合いという側面が強く、その問題に対していつまで執着を持つのかということになります
でも、自分が赦せるために必要な情報というものがあって、それがこの会話の中で紡がれて行ったと言えるでしょう
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は日本ではあり得ないようなシチュエーションでミーティングが行われるのですが、実際にはこのような試みが2000年代に入ってから行われています
これらを「修復的司法(Restorative Justice)」と言い、犯罪に関わるすべての人が一堂に介し、犯罪の影響とその将来への関わりとどうするかということを「集団的に解決すること」を目的としています
「被害者−加害者和解プログラム(Victom Offender Reconciliation Program:VORP)」とか、「被害者−加害者カンファレンス(Victom Offender Conference:VOC」というものがあります
また、家族と支援者、警察などが加わる「家族集団カンファレンス」というものが行われたりしています
海外においては、2002年にニュージーランドにて初めて成人対象の刑法に、修復的司法のプロセス、措置、行動指針を取り入れることになりました
その後、アメリカ、カナダ、オーストラリア、イギリスにもその動きが広まっています
その一方で、日本では「被害者側に加害者と会うことを拒否する傾向が強い」「加害者が罪を軽くするために利用しているという疑念」などがあって、なかなか前に進まないのが現状であると思います
一応は2001年に千葉県にてNPOが設立され、2016年に2件、2017年に3件、2018年に3件の「修復的対話」というものの申し込みを受け付けたという記録があるそうです
これらについて詳しく知りたい人は、ハワード・ゼア(Haward Zehr)さんという犯罪学者が書いた書籍がありますので、紹介しておきますね
このような事態に陥らないことが良いのですが、犯罪というのはどのような形で襲ってくるかは分かりません
その犠牲の形も様々なので、どんなケースにでも適用できないとは思いますが、一つの可能性として、頭に入れておくことで、人生に寄与するかもしれません
赦す、赦さないは個人の価値観であると思いますし、その質にもよると思うので一概には言えませんが、「赦し」というものは自分を楽にするもののように思えます
また、逆に考えると、加害者は「被害者の赦し」によって、さらに罪の意識が強くなる場合もあると思うのですね
それを考えると、何が正解なのかはケースバイケースであるようなに思えてくるので、かなり難しい問題なのかなと思いました
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/385810/review/a59bc26f-9171-4511-8629-4aa22c9169d3/
公式HP: