■ネコが繋いだ絆を維持するのは、癒しの効能を理解している他人だと思います
Contents
■オススメ度
ネコを愛してやまない人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2024.5.28(TOHOシネマズ二条)
■映画情報
情報:2024年、日本、112分、G
ジャンル:震災をきっかけに集まった3人のネコ好きを描いた日常系ヒューマンドラマ
監督&脚本:上村奈帆
原作:ウオズミアミ『三日月とネコ(集英社)』
Amazon Link(原作コミック:Kindle版)→ https://amzn.to/4bX2B6h
キャスト:
安達祐実(戸馳灯:書店で働く40代のおひとり様)
倉科カナ(三角鹿乃子:灯と同じマンションに住む精神科医)
渡邊圭祐(波田浦仁:灯と同じマンションに住むアパレルショップの店員)
にぼし(まゆげ:灯の愛猫)
Elphie(ミカヅキ:鹿乃子の愛猫)
むた(フー:仁が引き取った猫)
幸一(ギー:仁が引き取った猫)
山中崇(長浜一生:網田の担当編集者)
小林聡美(網田すみ江:灯の大好きな作家)
石川瑠華(牛丸つぐみ:仁の店に来る買い物客、ペット譲渡ボランティア)
川上麻衣子(大野:ペット譲渡ボランティアの主催者)
柾木玲弥(友希:仁の元恋人)
日高七海(松野優香:灯の同僚)
小島藤子(宇土渚:灯の妹)
平賀紗奈(宇土立夏:灯の妹の娘)
宮寺智子(灯の母の声?)
生沼勇(サイン会の主催者)
三山寛宰(サイン会のスタッフ?)
ほりゆり(塚原:ラジオのパーソナリティ)
清田みくり(音葉:書店の客、女子高生)
めいか(ラジオ局のスタッフ、音響)
大山真絵子(ニュースのアナウンサーの声)
■映画の舞台
熊本県:熊本市
ロケ地:
東京都:渋谷区
オステリアルッカ東四丁目
https://maps.app.goo.gl/KC4Q4ojwnDUuNwQT6?g_st=ic
東京都:目黒区
こまばサロン暖炉
https://maps.app.goo.gl/W32bFVhRDLwEu46r5?g_st=ic
熊本県:阿蘇郡
道の駅 あそ望の郷くぎの
https://maps.app.goo.gl/PUP1ZuUcnTzNZ1q3A?g_st=ic
葉祥明阿蘇高原絵本美術館
https://maps.app.goo.gl/dJWsjkKjBHvj14Xk6?g_st=ic
数鹿流崩之碑展望所
https://maps.app.goo.gl/xrCoxwb6ucJTPK8X6?g_st=ic
■簡単なあらすじ
熊本に住む書店員の灯は、親元を離れて一人暮らしをしていた
これと言った出会いがないまま40歳を過ぎ、母からは小言を言われる日々
妹の渚が娘・立夏を授かっていることもあって、小言は日に日に増していった
ある日、仕事から帰って家でまったりしていると、突然の地震に襲われてしまう
灯は飼っているネコのにぼしを連れて避難場所に行くと、そこには同じように飼いネコと一緒に避難してきた鹿乃子がいた
そして、そこにネコ好きの青年・仁も加わって、余震に備えることになった
鹿乃子の提案で、少しの間彼女の部屋に行くことになった灯と仁だったが、その関係はずっと続き、鹿乃子の部屋をルームシェアするかたちで、3人で住むことになった
料理は灯が担当し、2人の帰りを待ちながら、好きな料理ブログのレシピを再現していたりする
そんな折、灯の書店で作家の網田すみ江のサイン会を行うことになった
そこで灯は、料理が趣味の編集者・長浜と出会うことになったのである
テーマ:食がつなぐ絆
裏テーマ:癒しと活力を与える空間
■ひとこと感想
熊本地震の時に交流を持ったマンションの住人が共同生活をするという内容で、そこにはネコがいるという空間になっていました
ネコが繋いだ関係というもので、食の趣味も合っていたので、自然と仲間意識が芽生えるものになっていました
映画は、ネコ好き向けの内容で、地震は出会いのきっかけとなっていました
そこから男女の共同生活が始まっていくのですが、イマドキという感じになっていましたね
恋愛に興味のない女の子が登場したり、おそらくは同性愛ではないかという女性が出てきたりしますが、その先に進むよりは、一緒にいられれば良いというピュアなものになっていたと思います
一昔前だとファンタジーに思えるものも、今ではそういう関係もあるのかなと思えてしまうのですが、これも多様性が浸透してきた結果なのでしょうか
物語としては、特にサプライズがあるわけでもないのですが、男女関係よりも優先されるものがあって、それに従うというのは新鮮に映ります
でも、今の自由で幸せそうな灯だからこそ、彼女の魅力を感じることができたのかな、と感じました
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
幸福論は人の数だけありますが、本作の場合は、3人の人生観はよく似たものになっていたと思います
帰る場所がある幸せを手放したくなくて、その場所への執着が強くなっているように見えます
安住があることで、日々の生活にハリが出ているのですが、その状態のその人を好きになっているというところがあって、それを壊してしまうとどうなるかわからないところがありました
かつての人生観だと、灯は長浜と一緒になることが幸福への第一歩という感じになっていますが、本作では「過去の慣習に囚われる必要はない」と訴えているのだと思います
擬似家族的な場所があって、そして2人の時間も大切にできる自由さがあるので、独占欲に縛られないのなら、こういった関係もアリなのだと思います
今はこのような関係になっていますが、人の心と言うものは変わっていくので、永続的と言うものでもないでしょう
灯の年齢でも妊娠や出産の可能性もあるし、仁とつぐみの関係も変わっていくかもしれません
あくまでも、その瞬間に一番大切だと思うことを優先させているだけで、それに執着を持たなければ、うまく行くのかもしれません
■安堵の先にある自由
震災を機に集まった3人は、これまでの生活でも安住の場所がなかったように思います
それぞれの過去はそこまで細かくは描写されませんが、灯は恋愛とは距離を置いている存在で、どこか自分はそう言ったものに向いていないのでは、と思い込んでいる女性だったように思います
家事もこなすし、子ども嫌いでもないと思うのですが、彼女がそこまで結婚生活から距離を置こうとする理由は明確ではありません
ただ、今の自分の生活は気が楽で、それと同質のものが共同生活にもあった、ということになるのだと思います
心が落ち着いてこそ、生活というものを楽しめるようになるのですが、これまでは一人で完結して来たものが、最後には3人でないとダメだという感じになっていましたね
この心変わりは、思い込みが壊れたからだと思うのですが、それによって今度は「3人で住む」というこだわりを強めてしまう結果になってしまいました
長浜との生活はダメではないけど、今の居心地の良さを捨てられない
そう言った先に、その生活を優先しつつ、長浜との関係も続けるという流れになっていました
これが可能なのは長浜が良い人過ぎるからなのですが、それ以上に「生活よりも関係を重視した」というものがあります
一緒にいて幸せということもあれば、たまに会うからこそ、その希少性を大切に思える
人間の心は複雑なもので、好きな人と一緒にいれば幸せであるとは限らないものなんですね
これはある種の幻想というものがあって、長浜との暮らしはそれを壊してしまう可能性があったからかもしれません
それに対して、3人での暮らしというのは幻想がなくても問題のない理想郷のようなもので、それはどこかで「格好つけて生きている辛さ」というものを和らげる効果があるように思えました
いずれは長浜への幻想が消えて、もっと一緒にいる時間を取りたいと思うようになるかもしれません
そのような気持ちになったとしても、3人の生活は「帰る場所」としての安心感をもたらすのですね
それゆえに、現段階では手放すには至らない、という結論になったように思いました
■ネコの効能
個人的にネコを飼ったことがないのですが、動物を飼うというのはとても大変なことだと思います
ネコとイヌのどちらを飼いたいかと聞かれたら、断然ネコ派なのですが、それは「散歩」という日課が増えないことだからだと言えます
今の生活にイヌを連れて散歩する時間が持てないこともありますが、必要がなければ外出しない人なので、あえて生活に組み込むということは考えないのですね
その点、ネコは好きな時に遊びに行って、好きな時に帰ってくるイメージがあるので、自由度が高いような印象があります
実際に飼ってみないとわからないところは多いのですが、動物の動きというのは見ていて不思議な感覚になることが多いですね
それを癒しと呼ぶことが多いのですが、何をするかわからないところとか、容姿からくる愛くるしさというものが、日常を忘れさせる効果があるように思えます
頭の中を整理したくても、あれこれ考えているうちは難しく、そう言ったものを「考えないようにする」と余計に考えてしまいます
でも、視点を単純化して、目の前で起こっていることを傍観する視点になると、それが可能になってくるのですね
ネコに限らず、ペットを見ているときはその動きに集中し、他のことを忘れていられます
動物園や水族館に行ったことがある人ならわかりますが、動物の動きを追っているときはあまり余計なことを考えないのですね
動物が何を考えているのかとか、どうしてその動きをするのかなど、答えのないもので頭を満たしていると、それでキャパオーバーになってしまうというイメージでしょうか
同じような効果だと、深夜に放送されている「外国の街の様子を眺めながら、歌詞のない音楽が流れている番組」も同じような印象がありますね
これらの共通点は「言語が不要」というもので、特に対話というものが発生しません
動物に話しかけている人も、実際には動物とは会話できていないので、自分自身の内面との対話をしていることになります
映像をぼうっと眺めて、その中にあるものに想いを馳せたり考えたりすることも、同じように「自分の中にある情報で意味を見つけよう」としているのですが、これが頭の中を整理することにつながっていくと言えるのではないでしょうか
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は、震災きっかけで出会った男女を描き、これまでの価値観に縛られていない人たちの交流を描いていきます
結婚や子育てが絶対ではないと思っている灯、おそらくは人間関係に疲れてしまって人間不信に陥っている鹿乃子、パンセクシャル(全性愛)として生きづらさを感じていた仁がいました
それぞれは外部から情報によって断絶させられ、絶望感を植え付けられてきたのだと思います
彼らがネコ好きである理由とか、ネコを飼い出した理由までは描かれませんが、ある趣向の共通というものは、一気に距離感を縮めてくれます
理由が何であれ、趣向の共通は価値観が近い印象を持つことができ、自分の中で育った共通言語が共有されることに繋がります
特に対人関係で悩んできた彼らにとっては、肯定的な共通言語を探すのに苦労してきたと考えられるので、そのきっかけができたことは幸運なことでした
そして、それぞれは抱えている悩みを言い合わないまでも、何かしらを抱えていることを察して、ふれない努力というものができています
自分がされたら困ることをしないとか、相手が話したくなるまで聞かないということを本能的に行うことで、彼らの関係というものはとてもフラットなものになっていたのだと思います
映画のラストでは、ある戸建てに集まるみんなが描かれていて、そこには作家の網田先生も住んでいるし、定期的に長浜も訪れて、料理をふるまったりしていました
仁が帰ってきたことでつぐみもやってきていて、それぞれの多様性というものを受け入れた人たちによる共同生活が始まっていましたね
ここまで来るとネコの効用は果たされたようなもので、彼らも人間の悩みに付き合わされることがなくなります
映画は、冒頭ではネコのシーンがたくさんあって、新しく引き取るあたりがピークのように描かれていきます
そこからは、これからの人間関係がどうなるかという方向になって、そこではネコは脇に追いやられてしまいます
このあたりはちょっとリアルな感じがして、人間はマルチタスクの存在ではないことがわかります
なので、人間関係で悩んでいる人がネコに逃避したとしても、そちらに集中する必要があれば、そちらを優先してしまう
そう言った意味において、人間は身勝手な感じに描かれるのですが、それは仕方のないことなのかな、と感じました
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/100755/review/03866698/
公式HP: