■描くべきものへの覚悟がない作品は、誰からも支持されない黒歴史になるだけだと思う
Contents
■オススメ度
松坂桃李さんのファンの人(★★★)
原作漫画ファンの人(やめた方が無難)
ジブリ映画のファンの人(やめた方が無難)
■公式予告編
鑑賞日:2022.10.20(MOVIX京都)
■映画情報
情報:2022年、日本、115分、G
ジャンル:遠く離れても、約束しあった夢を追いかける男女を描いた青春映画
監督&脚本:平川雄一郎
原作:柊あおい『耳をすませば(1990年、集英社)』
キャスト:
清野菜名(月島雫:出版社の児童文学部門の編集者)
(中学時代:安原琉那)
松坂桃李(天沢聖司:ローマでチェリストとして活躍する青年、雫の想い人)
(中学時代:中川翼)
内田理央(原田夕子:雫のルームメイト)
(中学時代:住友沙来)
山田裕貴(杉村竜也:夕子の彼氏)
(中学時代:荒木飛羽)
音尾琢真(堀内部長:星見出版の児童文学部門の部長)
松本まりか(津田みどり:雫の勤務先の先輩)
中田圭祐(高木洋輔:雫の勤務先の後輩)
田中圭(園村真琴:雫が担当している児童文学作家)
小林隆(月島靖也:雫の父)
森口瑤子(月島朝子:雫の母)
近藤正臣(西司:聖司の祖父、「地球堂」の店主
Kanoa(サラ:聖司のイタリアのカルテットメンバー)
Adriel Williams(バッハ:聖司のイタリアのカルテットメンバー)
Wes Wings(シェーマン:聖司のイタリアのカルテットメンバー)
宮下かな子(高坂先生:中学時代の保健の先生)
■映画の舞台
東京&イタリア:ローマ
ロケ地:
東京都:福生市
福生市立中央図書館(杉宮中央図書館)
https://maps.app.goo.gl/UDxJTS2Be3Rkbg8C6?g_st=ic
千葉県:我孫子市
我孫子中学校校庭遺跡(向い原中学校)
https://maps.app.goo.gl/ct4kRYssyAXwW3FVA?g_st=ic
千葉県:佐倉市
佐倉マナーハウス(地球屋の外観)
https://maps.app.goo.gl/krszydhwLkKFjUWX7?g_st=ic
神奈川県:横浜市
金沢自然公園(高台)
https://maps.app.goo.gl/y6Vs6rp14nMXeHps9?g_st=ic
神奈川県:川崎市
子ノ神社
https://maps.app.goo.gl/VPyUpCU6PQHkNMiC9?g_st=ic
神奈川県:藤沢市
藤沢市立南市民図書館(星見出版)
https://maps.app.goo.gl/M85AHcFubApg79eCA?g_st=ic
兵庫県:神戸市
道の駅神戸フルーツ・フラワーパーク大沢 果樹園(演奏会)
https://maps.app.goo.gl/qeRsWUwyUXHcaRDb7?g_st=ic
東京都:多摩市
カナディアンコーヒーショップ(喫茶店)
https://maps.app.goo.gl/UNWdwE8kexSsdEDXA?g_st=ic
(以下、現地ロケができずリモート撮影だったそうです)
イタリア:ローマ
シスト橋
https://maps.app.goo.gl/qSWCr9NRUUwW8air5?g_st=ic
ジャニコロ(ガリバルディ広場)
https://maps.app.goo.gl/VB9WvXzNhUoTdzXg8?g_st=ic
ボルゲーゼ公園(ビンチェの丘)
https://maps.app.goo.gl/9uvPu9BGt48L4Kcn9?g_st=ic
■簡単なあらすじ
25歳になる雫は、作家を目指しながら編集者として働いていたが、作品コンクールは落選続きで、才能に疑いを持ち始めていた
雫は中学時代からの親友の夕子とルームシェアをしていたが、夕子は同窓生の杉村と結婚することになっていて、雫も新しい住処を探さなければならなくなっていた
その頃、中学時代に約束を交わした聖司はイタリアに渡り、夢であるチェリストとして活躍の場を広げていた
現地の友人たちとカルテットを組み、ようやくCDを出すまでになっていたが、聖司の心にもどこか穴が空いているように思えた
二人は約束の日を思い起こしながら、お互いの写真を眺めて夢への日々を重ねていく
そんな折、雫は担当作家の園村から作品の手直しに対して意見を求められ、そこで不本意ながらも社の意向を重視してしまう
その対応に不満を持った園村は「僕の担当から降りてください」と雫に伝えることになった
部長からもなじられ、行き場のなくなった雫はある決断をする
それが有給を取って、イタリアの聖司に逢いに行くことだったのである
テーマ:愛と夢
裏テーマ:現実と夢
■ひとこと感想
原作の漫画もアニメも読んだと思うのだが記憶にないと言う感じで、サラッとウィキでどんな話だったかだけをおさらいして鑑賞
基本的には「原作とアニメを知らなくても問題のない」別の作品になっていました
それは良い意味ではなく、多くの人を落胆させるに至ったものを無感動にするにはそう言わざるを得ないと言う感じでしょうか
映画は10年間遠距離恋愛を続けていく二人が光と影となって乖離していくように見え、でも実際には平行線だったことがわかる、と言う内容になっています
物語は「これでもか」とばかりに雫に人生の難題と理不尽が降りかかってくる内容になっていて、彼女だけが悪いとはとても思えません
テーマは「愛」とか「夢」とかそういったものになりますが、オリジナルストーリーを構成する上で致命的な綻びがあると感じてしまいます
それを一言でまとめると「なんで、杏さん? なんで『翼をください』なの?」と言うことになるのだと思います
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
全国の原作ファン&ジブリファンを敵に回してまで作りたかったものが何なのか興味があったのですが、何一つ爪痕を残せない内容に成り下がっていましたね
もう、擁護しようのないレベルなので、酷評の嵐であっという間に終演しそうな予感がします
中学生だった二人が大人になって、10年の時が過ぎている設定で、ともに社会人としての自覚も出てきている時期が描かれています
でも、雫と聖司の背景が違うために、雫が感じるような底辺の苦悩と言うものが聖司にはわかりません
社会人になったことで広がっていくものがほとんど描かれず、雫の物語だけが妙にリアルになっていてバランスが悪く感じました
イタリアの聖司の苦悩は「日本人だから譜面通り」と言うどちらかというと偏見の投げっぱなしで、最後の街角の演奏をカルテットのメンバーが見て、聖司の本当にやりたい音楽を知ると言うシークエンスすらありません
映画としては退屈はしませんが、「なんでこうなった感」だけはすごくて、よくここまで改悪させられるなあと感心してしまいます
■そもそも「耳をすませば」とはどんな物語だったのか
『耳をすませば』は柊あおいさんが描いた漫画が原作で、その後スタジオジブリによってアニメ映画化されています
ちなみに続編として、『耳をすませば〜幸せな時間』という作品もあります
『耳をすませば』は原作、ジブリ版、実写版の3つがあって、共通するのは「雫が図書カードに聖司の名前を見つける」というものでした
ジブリ版では年齢が「中学3年生」になっていて、漫画版は「中学1年生」という設定でした
『幸せな時間』は中学3年生の話なので、ジブリ版の設定はオリジナルのものと言えます
実写版はその中学3年生の10年後という設定になっていて、回想シーンは中学3年生の時のことということになっています
ジブリ版にも実写版に登場しませんが、聖司には兄・航司がいます
しかも、雫の姉と付き合っているという設定になっていて、この姉もジブリ版、実写版には登場しません
聖司の夢は「原作は画家」「ジブリ版はヴァイオリン職人」「実写版はチェロ奏者」となっていて、まったくの別人みたいになっています
創作者、職人、アーティストという、異なる職域にもなっていて、一応は「聖司の夢のために雫が待つ」という構図は同じになっています
巷で物議を醸している「翼をください」ですが、ジブリ版は「カントリーロード(コンクリートロード)」になっていて、雫が「カントリーロード」を訳するという場面が描かれています
構図としては、職人とアーティスト(クリエイター)というものになっていて、これによって「音楽的な名シーン」が生まれることになりました
実写版では、「翼をください」になっていて、聖司がアレンジを加えたものに雫が歌唱するというものになっています
雫のクリエイティブ能力というものは完全に除外されていて、最終的には小説家としての才能がないという描写に行き着いてしまっています
これらが3つの作品の大きな違いで、それぞれが独立した物語に思えてきます
実際には漫画版、ジブリ版の焼き直しをする意味はなかったのですが、過去作で観客が感動したシーンをまるごと排除しているのが本作になるのかなと思います
■勝手にスクリプトドクター
映画は酷評の嵐で、前述の改変点だけの問題ではなかったりします
聖司は見栄えの良いチェロ奏者でイタリアでプロとして活躍する青年になっていて、一方の雫はブラック出版社でしがない毎日を過ごしているアラサーみたいなことになっていました
雫に対する仕打ちが結構ひどくて、担当者からダメ出しされたり、人格否定のような罵倒を浴びたり、イタリアに行ったらいきなり恋敵から宣戦布告をされたりと踏んだり蹴ったりでした
しかも親友の夕子は幸せな結婚に向かう真っ最中で、唯一の心の拠り所すら消えてなくなってしまいます
雫に恨みがあるのかという構成になっていますが、そもそもの10年後設定で遠距離恋愛継続中というところにリアリティを感じません
映画の中だと、「中学」卒業間近に夢を語り合って、「成功したらプロポーズする」みたいな流れになっていました
無論、その約束をお互いが守っていたわけで、その間に「恋愛のどのステップまで行ったのかわからない」という感じになっています
二人の反応を考えると、「キスすらまだかも」と匂わせますし、多感な20代前半でセックスにすら至らずに「10年間遠距離恋愛を続けている」というのは理解されづらいでしょう
また、成功したらプロポーズという感じになっていましたが、聖司の現在はどう見ても成功しているわけで、成功してもなお「自分では納得できないので雫を放置している」という感じになっています
聖司の夢というものが具体的になっていないので、そもそも「この二人はお互いがどうなったら結ばれるのか」というスタート地点が不明瞭になっています
「プロのチェロ奏者になる」という夢は、普通に考えれば「チェロ奏者として対価を得る」ということになり、聖司がカルテットを組んでCDを出せる段階というのは、どこかの楽団からオファーが来て有償の演奏ができるレベルであると思います
それがなく、単に「仲間同士でバンド組んで、これからやー」みたいなことだとすると、聖司はどうやって生計を立てているんだということになりますね
一応、漫画の設定では聖司は裕福な家庭となっていますが、音楽学校を出た後に生活費まで親の援助だとしたら、彼は親の金で暮らしているだけのボンボンになってしまうのですね
そうなると、聖司の魅力はどこにあるのか問題に行き着きますので、そのあたりは実写版でざっくりと端折られていました
社会人として自立しているのかわからない中で、一方で雫は親の援助は一切断って自立していたりします
聖司の背景と行動が美化されていますが、雫の想いを弄んでいるだけにも見えて、手紙だけ送って済ましているクズ男設定にも思えてしまいます
映画は「10年後」を描いていて、その10年がお互いにもたらしてきたものが強調されています
それでも、その間の二人の関係の進展がまるで中学3年生のままストップしているように描かれているのはナンセンスでしょう
この映画の流れだと「プロのチェロ奏者として成功するまで雫には会わない」みたいな感じになっていて、「プロになるまでの10年間を他の男に行かないように縛っている」ようにしか思えません
冷静に見ると実に気持ち悪い設定になっていて、最後に日本に来てサプライズ演出で「これらの罪を帳消し」というのは、あまりにも頭がお花畑だと言わざるを得ないでしょう
この映画は根本から間違っている映画で、人間が描かれているとは言えません
成熟した大人の行動というものが描かれておらず、でも妙に雫の周辺だけはリアルに描かれています
そして、聖司の周辺はほとんどファンタジーなのですね
このバランスが無茶苦茶で、アニメでこの内容なら「ピュアですね」で済みますが、実写でこの物語を描くと、途端に陳腐で空虚な物語になってしまいます
実際の恋愛をまったくしたことのない中学生が書いたシナリオならまだわからないでもないですが、現実に生きる大人がこれを手がけているわけで、それが最大級の気持ち悪さに繋がっていると感じました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
映画としては、聖司が大きなチェロを華麗に弾いて、イタリアっぽい街で演奏するシーンは絵になりますが、これを描きたかったとしても、そのシーンに繋がるまでの全てがプロの仕事とは思えない出来になっています
おそらくは、原作大好き、ジブリ大好きのファンの二次創作の方がまだマシなレベルで、この10年後を描くファンはいないと思います
聖司をかっこよく描くのなら、サラとの修羅場で雫が帰らせるようなことはしないし、コンサートを中止させても雫を追わせたでしょう
最後の街角の演奏がピークになっていますが、本来ならば「コンサートのシーンがメインになる」はずで、そこで「成長した聖司を雫が知る」というシーンが必要になります
そこで、雫の10年間が肯定され、サラは二人の絆を感じて身を引くというのが考え得る最善のシナリオだったでしょう
サラは聖司の中にある10年間と向き合ってきた存在で、彼女との関係がどれくらいの期間であるかもわかりません
最近カルテットを組んだのか、音楽学校からずっと一緒だったのかで彼女の想いの強さというものもわかるはずで、それすらも映画では放棄されていました
本作は「10年後」を描くシナリオになっていても、それぞれの10年間がどんなものだったかはほとんどわかりません
ほぼ、いきなり10年後になっていて、この10年間で人は変化しないと思い込んでいるかのような稚拙さがあります
10年という歳月は人に多くの変化をもたらし、聖司も雫も同じ想いを10年間抱え続けているというのは無理があるでしょう
この間に何度も遠距離恋愛の障壁があって、その都度トラブルが起きるものですが、そんなことは一度もなく、それぞれの純粋さが失われないという不思議な物語になっていました
この10年をリアルに描くなら、職場で言い寄られた雫が苦悩するということもあるでしょうし、雰囲気に呑まれて聖司が他の女性と関係を持って罪悪感を感じるというのもあるでしょう
それらを排除したいのなら、純粋さがギリギリ保てるであろう「5年後ぐらい」を一旦描いておくのが理想的だったと思います
5年というのは節目の年で、約束が15歳ならば20歳の頃となります
聖司が音楽学校に在籍中でしょうし、雫も大学生になっている頃でしょう
この中間点までの間に聖司は何度か日本に戻って雫に会うというエピソードが生じるので、過去パートを再現するよりは、「10年の密度」を描く意味の方が大きいはずです
夕子と杉村の関係性を引っ張る必要もなく、図書カードの件はワンシーンでOKでしょう
映画は「漫画かジブリ版のどちらかの10年後」という微妙なスタンスで描かれていますが、過去作の前提条件である「図書カードの交流があったこと」さえ描けば、他のシーンはほとんど要りません
映画の構成を考えるならば、
現在軸=社会に揉まれて苦労する雫
回想=約束の日
現在軸=聖司の近況
回想=約束の5年後の誓いの再確認
現在軸=担当から下される
回想=自分の夢、聖司の夢
現在軸=聖司の活躍、葛藤、サラの想い
という順番で描かれていくことになると思います
その後に、
現在軸=雫の決意と並行してサラの行動
現在軸=イタリアに突撃、雫の誤解
現在軸=コンサートで誓いの継続、夢の実現、サラの傷心
へと至るのがスムーズだと思います
リアルなところを描くなら、ゴールは結婚なわけで、現在の感覚だと婚前交渉があっても不思議ではないでしょう
なので、幸せな時間で「二人が大人の関係になっている」ということは普通に描くべきだと思います
体のつながりがあってこそ、空白期間の焦燥というものにリアリティが増すと思うので、そこから逃げるのであればファンタジー色を全面に出して、雫の周辺のリアルは全て排除すべきだったと言えるかもしれません
でも、ファンタジーにするなら実写化する意味はないわけで、約束を交わした二人が「10年間をどうやって乗り越えたか」ということが本作の趣旨であるならば、「大人である雫と聖司」というものをもっと掘り下げる必要があったでしょう
それをしなかったのは「夢を壊すから」と思ったのかもしれませんが、中途半端なものを描いても「夢は壊れてしまう」ので、それならば最初から作らなければよかっただけではないでしょうか
本作は、このクオリティで世に出すなら企画の段階で止めるべき案件であると思います
なので、それでも強行したというところに商業主義的な思惑が露見しているのかなと感じました
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/371341/review/a37f2cff-2060-492b-b40b-99f44e313b87/
公式HP:
https://movies.shochiku.co.jp/mimisuma-movie/