■満月が照らし出すのは、人が抱える闇なのかもしれません
Contents
■オススメ度
スタイリッシュな映画が好きな人(★★★)
音楽が効果的な映画が好きな人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2023.11.21(アップリンク京都)
■映画情報
原題:Mona Lisa and the Blood Moon(モナ・リザと満月)
情報:2022年、アメリカ、106分、G
ジャンル:力を得た精神病患者が街に出てひと騒動起こす様子を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本:アナ・リリー・アミールポア
キャスト:
チョン・ジョンソ(モナ・リザ/モナ・リー:ニューオーリンズの精神病患者)
ケイト・ハドソン/Kate Hudson(ボニー・ベル/ボニー・ハント:モナ・リザに助けられる女性、シングルマザーのストリッパー)
エヴァン・ウィッテン/Evan Whitten(チャーリー/チャールズ・ハント:ボニーの息子、11歳)
クレイグ・ロビンソン/Craig Robinson(ハロルド:モナ・リザを追う巡査長)
Davina Reid(デュラント巡査)
Anthony Reynolds(マーティン巡査)
Jason Edwards(シェルドン巡査)
Billy Slaughter(マシューズ巡査)
Charlie Talbert(ロリンズ巡査)
エド・スクレイン/Ed Skrein(ファズ:モナ・リザを気にいるDJ)
Renell Gibbs(ホーミー:ファズの連れ)
Lauren Bowles(シャーリー:精神病院の看護婦)
Rosha Washington(精神病院の受付)
Serene Lee(ポン:?)
Colby Boothman(ブルーザー:靴あげる路上パーティーの男)
Cory Roberts(スナッキー:ストリップクラブの用心棒)
Armando Leduc(ストリップクラブのMC )
Jenanne Alexander(ストリップクラブの客)
Timothy Hinrichs(ストリップクラブの客)
Kyler Porche(リック:ストリップクラブでボニーに絡む客)
Michael Carollo(ランディ:ストリップクラブでボニーに絡む客)
Jennifer Vo(アイリーン:ボニーに喧嘩を売る女)
Altonio Jackson(レイ:アイリーンの彼氏)
Donna Duplantier(モーリス:怪しい雑貨店の店主)
Tiffany Black(ダイス:ボニーの友人?)
Odessa Feaster(タニシャ・ロビンズ:ボニーの友人)
Cynthia LeBlanc(ハンバーガーを食べる老女)
Elton LeBlanc(ハンバーガーを食べる老人 )
Mia Tillman(ターニャ:酔っ払いの友人?)
Sylvia Grace Crim(酔っ払い女)
James W. Evermore(酒屋の店員)
Joshua Shane Brooks(ポーリー:チャーリーをイジメる子ども)
Jibrail Nantambu(レイ:ポーリーの友人)
Pettitt-Wise(ポーリーの友人 )
Jim Gleason(ハロルドを治療する医師)
Katia Gomez(ボニーを手当てする医師)
Andrew Penrow(病院の用務員)
Mikki Val(空港の職員)
Phyllis Montana LeBlanc(空港の職員)
Samantha Beaulieu(客室乗務員)
Ritchie Montgomery(空港でスマホを貸してくれる男)
Miles Hendler(横柄な空港の客)
Rose Bianca Grue(空港の常連客、横柄男の妻 )
Brittney Tamberg(空港の常連客)
Amy Le(空港で捕まるアジア人女性)
Vahdatyar Amirpour(ATMの老人)
Kenneth Kynt Bryan(ドラァグクイーン)
■映画の舞台
アメリカ:ルイジアナ州
ニューオーリンズ
ロケ地:
アメリカ:ルイジアナ州
ニューオーリンズ
■簡単なあらすじ
精神病院で12年間拘束されていたモナ・リザは、ある日内なる能力の目覚めを知り、他人を操れるようになった
看護師、受付職員を操って外に出たモナ・リザは、路上パーティーの若者らの助けを借りて街へと辿り着き、DJのファズから施しを受けた
街ではすでに、精神病院脱走の指名手配がなされていて、巡査のハロルドは食後の巡回で彼女と遭遇することになった
モナ・リザはハロルドを操って逃げ出し、その後、レストランでストリッパーのボニーを助けることになった
ボニーには幼い息子チャーリーがいて、彼はモナ・リザを警戒する
だが、二人は次第に打ち解け合い、チャーリーをイジメから守ったことで仲を深めることになった
その後、ボビーはモナ・リザの力を悪用して金を稼ぐことを考え始める
多くの被害者が出て、ハロルドは傷ついた足を引き摺りながら、モナ・リザを王ことになったのである
テーマ:満月が与える力
裏テーマ:逃避行の先にある孤独
■ひとこと感想
映画の予告編のスタイリッシュな印象が強い本作は、色調や音楽に凝った作品となっていました
モナ・リザの能力については多くは語られませんが、事態を重くする機能以上には意味がなかったように思います
それでも、彼女はチャーリーとファズには力を使わないのですね
このあたりに彼女の能力発動への起点というものがあるように思えました
物語は、能力を得たモナ・リザの逃避行を、いろんな人々が救う感じになっていて、彼女を助ける理由を持っている人はいません
ボニーとの絡みによって、深みにハマって行くのですが、その意味がわからないまま、ただついていくという感じになっていました
とにかく音楽が印象的で、映像もネオンサインの彩り、満月が織りなす狂気性を醸し出していました
ファズが危険そうに見えて良い奴とか、人は見た目ではわからない感じになっていました
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
映画は、一応バディものになると思うのですが、ファズ、ボニー、チャーリーと相手が変わっていく感じになっています
相手を操ることができても、それは一過性のもので、相手の意識があるので報復も受けることになります
ボニーの大怪我を知ることもなく、モナ・リザはチャーリーと逃避行に出ることになります
一度は母との離別を考えるチャーリーでしたが、モナ・リザを助けるために囮になっていました
様々な心情が入り乱れたと思いますが、男気あふれる名シーンでしたね
どこまでが操作で、どこまでが自由意志なのかを曖昧にしていますが、それによって、予測がつかないストーリーになっていました
「最初の曲は爆音で」は粋な演出で、そのままEDに入っていく流れはとても良かったと思います
■親と離れたがる子どもたち
本作では、ボニーの息子チャーリーがモナ・リザと一緒にどこかに行く選択をしていて、その理由が「僕がいなければママは幸せになれる」と思い込んでいたからでした
子どもがこのように思うのは普段の親の接し方が原因で、一緒にいることで幸せに感じていることが伝わっていれば、このような考え方には至りません
親は子どもに自分の理想を重ねがちですが、それが子どもを苦しめていることに意外と気付かなかったりします
子どもの自立は第二次性徴あたりから始まり、アイデンティティの確立とともに自我が明確になってきます
親との距離を考え始める中で、親側がその距離感を感じていない時に齟齬が生まれ、それによって一方的な思考というものが形成されます
この齟齬を無くすには、常に距離感のアップデートが必要で、それは反応の観察と会話でしかなし得ません
自分の成長期がどうだったかを鑑みながら、今子どもはどのような距離感を欲しているのかを観ていくことで、リスクというものは軽減されると言えます
いずれ子どもは親の元を離れますが、チャーリーのような幼少期で離れたがるというのは、親の愛情を感じていないか、親の行動から自分が邪魔者になっていると感じているからだと思います
このような状況は「行動が起こるまでわからない」ように思われがちですが、実際には様々なサインを出しています
そのような兆候を察するには普段の会話も必要ですが、隠された内面は言葉以外から見つけるしかありません
それを見つけるには、子どもの部屋に入って、その置かれているものの配置を観察することで見えてくるのではないでしょうか
■モナ・リザの能力とは何だったのか
モナ・リザは相手を操ることができ、看護師、病院受付、ハロルド巡査長と様々な人を操ってきました
でも、チャーリーとファズ、ボニーを操ることはありません
ファズは操ることよりも食事にありつくことが優先で、ハロルドが来たことによって、能力を使う暇がありませんでした
そんなことをせずとも、ファズはモナ・リザのしてほしいことをしてくれていて、それゆえに操る必要がなかったように思えます
ボニーに関しては、アイリーンに難癖をつけられているところに遭遇し、他人に暴力を振るおうとするものへの敵意を利用していました
襲われているボニーを見ていると、自分が看護師に馬乗りにされていたことを思い出し、その時にできなかったことをしているようにも思えてきます
チャーリーに関しては、彼が警戒心を持っていたために能力でコントロールしようとしますが、それが通用せずにキョトンとしているシーンがありました
モナ・リザの能力は「相手の警戒心や敵意」を方向転換させるものだと考えられますが、それがあるはずのチャーリーに通用しなかったのは不思議な感じになっています
おそらくは、チャーリー自身がモナ・リザを異物とみなしているものの、それよりも自分自身が母の異物であるという認識が強いからだと思います
チャーリーは自分の存在を否定し、自分がいなければ母は幸せになれると感じていて、その感情をモナ・リザはなんとなく受け止めているようにも思えます
その負のオーラの正体がわからないまま、チャーリーはモナ・リザへの好意というものを感じていくことになります
チャーリーからすれば、モナ・リザは自分を解放してくれる存在であり、彼女と一緒にいることで母からの離別が容易になるので、その先に母の幸福があるように感じています
子どもは1人では生きていけないので、最終的には大人を頼ることになるのですが、その矛先をモナ・リザに向けたのでしょう
元々、ボニーとの生活でも半分自立しているので、お金を得る手段さえあれば生きていけます
モナ・リザにはその能力があるので、誰もが幸福になれる方法にように見えたと思います
でも、最終的には自分が犠牲になることで、モナ・リザを逃すという選択をするに至りました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
ラストシークエンスにおいて、モナ・リザよりも先に警察に気づいたチャーリーは、自分が囮になることを考えます
モナ・リザから離れて、近しい人種の女性を誘拐犯に仕立て上げるのですが、これによってモナ・リザは飛行機に乗ることができました
チャーリーがそんなことをしなくても、モナ・リザが身分を確認する職員を操れば問題なく、そのまま抜け出すことはできたでしょう
それでもチャーリーが残ることを選択したのは、ある意味、彼が精神的に大人になったからだと推測されます
モナ・リザを守ろうとすることで、チャーリーは「他者と自分との配置」というものを意識するようになります
これまでは、その配置を母との間で感じていて、それは「距離を置く」という選択肢になっていました
でも、モナ・リザを守るという「距離の置き方」を学ぶことによって、そのものの意味が理解できたのですね
それは、距離を置けば相手を守れるのではなく、場合によっては、自分自身を守ることの詭弁であると学習したのだと言えます
ボニーがチャーリーを突き放すのも、自分の生きている世界から遠ざけるためであり、それはチャーリー自身を守るための距離感であると言えます
それと同じことをチャーリーも母親にしていましたが、それは母のためではなく、自分が自由になりたいためだったと自覚するのですね
なので、距離を置く=逃避と感じた瞬間にチャーリーの旅は終わりを迎えることになりました
最終的に、チャーリーはモナ・リザと距離を置くことで彼女を守ることになりますが、裏を返せばセーフティーゾーンに戻ったことになります
モナ・リザとの逃避行をするには彼はまだ幼く、どこに行っても誰かの負担以上にはなり得ないのですね
それゆえに、他人ではなく、母親のそばにいることで、当面の安全を守ることになったのではないでしょうか