■ブランドが保証するのが「身分」だった時代のフェアリーテイル


■オススメ度

 

クリスチャン・ディオールが好きな人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2022.11.29(TOHOシネマズ二条)


■映画情報

 

原題Mrs. Harris Goes to Paris

情報:2022年、イギリス、116分、G

ジャンル:イギリスの家政婦がオート・クチュールのドレスを買いにパリを訪れるヒューマンドラマ

 

監督:アンソニー・ファビアン

脚本:キャロル・カートライト&アンソニー・ファビアン&キース・トンプソン&オリビア・ヘトリード

原作:ポール・ギャリコ/Paul Gallico(『Mrs. Harris Goes to Paris(1958年)』

 

キャスト:

レスリー・マンビル/Lesley Manville(エイダ・ハリス:夫と死別した家政婦)

 

イザベル・ユペール/Isabelle Huppert(コルベール:ディオールの支配人)

アルバ・バチスタ/Alba Baptista(ナターシャ:ディオールの星、トップモデル)

リュカ・ブラボー/Lucas Bravo(アンドレ・フォーベル:ディオールの会計士)

ロクサーヌ・デュラン/Roxane Duran(マルグリート:ディオールの受付)

Bertrand Poncet(カレ:ディオールのデザイナー)

Philippe Bertin(クリスチャン・ディオール/Christian Dior:ディオールのオーナー)

 

Saruul Delgerbayar(アッラ:ディオールのモデル)

Jade de Brito Lopes(ヘレン:ディオールのモデル)

Anett Földi(オディール:ディオールのモデル)

Germaine Queen Ottley(レニー:ディオールのモデル)

Sába Kapás(フランス:ディオールのモデル)

Isabella Brett(キャロライン:ディオールのモデル)

Örvendi Cintia(ヴィクトーレ:ディオールのモデル)

 

ランベール・ウィルソン/Lambert Wilson(シャサーニュ:エイダを気にいるフランスの侯爵)

 

エレン・トーマス/Ellen Thomas(ヴァイ/ヴァイオレット・バターフィールド:エイダの仕事仲間、親友)

Delroy Atkinson(チャンドレー:イギリスの運転手)

 

ジェイソン・アイザック/Jason Isaacs(アーチー:賭け屋、エイダの知人)

Stephen Saracco(アーチーのボス)

Sarah Rickman(シンシア:アーチーの娘か愛人)

 

ローズ・ウィリアムズ/Rose Williams(パメラ・ペンローズ:エイダの顧客、女優志望の若者)

Anna Chancellor(ダント夫人:エイダの顧客、未払いをごまかす、ディオールのドレスを所持している)

Christian McKay(ジャイルズ・ニューカム:姪がたくさんいるエイダの隣人)

Murányi Panka(ポーシャ:ニューカムの姪)

Emese Sarkadi-Szabó(サマンサ:ニューカムの姪)

 

Freddie Fox(イギリス空軍の伝令人)

Jeremy Wheeler(チャーリー:イギリスの警察官)

Wayne Brett(エイダに小包を届ける配達人)

Guizani Dourraied(エイダを乗せる運転の荒いタクシードライバー)

 

Guilaine Londez(アバロン夫人:エイダに嫌がらせをする貴婦人)

Dorottya Ilosvai(マチルダ・アバロン:アバロン夫人の娘)

 

Vincent Martin(ミシェル・シモン:ナターシャが同伴する映画スター)

 

Péter Végh(フェルナンデル:パリのホームレス)

 


■映画の舞台

 

1957年

イギリス:ロンドン

フランス:パリ

 

ロケ地:

ハンガリー:ブダペスト

https://maps.app.goo.gl/satm45eSjiZBrHwL9?g_st=ic

 

キンチェムパーク(ドッグレース)

https://maps.app.goo.gl/yvoov4p3YEa54Lzu7?g_st=ic

 

イギリス:ロンドン

ロイヤルアルバート橋/The Albert Bridge

https://maps.app.goo.gl/oAr7qDziui9aeqfz6?g_st=ic

 

The Kings Arms(イギリスのパブ)

https://maps.app.goo.gl/aw4kVpsX17tdYBRD6?g_st=ic

 


■簡単なあらすじ

 

ロンドンで掃除婦をして生計を立てているエイダは、戦地に行った夫を健気に待っていた

だが、イギリス空軍から遺品としての指輪が送られてきて、未亡人になってしまう

 

親友のヴァイと共に少ない稼ぎで質素な生活をしていたが、ある日、派遣先のダンテ夫人の家でディオールのドレスを見てしまう

心を奪われたエイダはお金を貯め、時にはドッグレースに有金を賭けるなどして、目標の500ポンドを集めていく

 

ようやく念願が叶ったエイダがパリに向かうものの、ディオールは富裕層相手の商売をしていて、そこの支配人コルベールは彼女が店に来るのはふさわしくないと考えていた

その日、ディオールはコレクションの発表の日で、そこに招かれていたシャサーニュ侯爵はエイダを同伴人としてコレクションに招き入れた

 

エイダはそこで繰り広げられるディオールのドレスに心を奪われながら、ディオールの星ナターシャの纏うドレスに恋焦がれて行くのであった

 

テーマ:親切の先にある奇跡

裏テーマ:階級社会の崩壊と商圏の拡大

 


■ひとこと感想

 

コミカルでチャーミングでハートフルなのかなと思いながら、地味に公開館数の多さから参戦を決定

かなり古い原作ということは知っていましたが、なつかしのパリみたいな感じのつくりになっていましたね

 

時は1957年、戦後間もない頃で、この映画の後に起こるのは「フランス第四共和政の崩壊」と「パリの5月革命(5月危機)」となっています

時代背景を知らなくても楽しめますが、ストライキで荒んだパリの中で、富裕層相手の商売をしているディオールに、一般市民がドレスを買うというのは、ある意味歴史の転換点を描いていると言えます

 

無論、高級志向の店に一般人が行くと変な目で見られるのは現代でも変わらず、そこに立ちはだかる品格というものがエイダを苦しめていきました

とは言え、パリの人々はなぜかエイダに好意的で、その分様々な不条理は起こりますが、ほっこりとした感じに描かれていましたね

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

貧乏人がお金を貯めて高級品を買うという流れで、多くの人が彼女を支えていきます

それは、ディオールもこのままでは危ないと感じていたからで、気品や品格だけでは店を維持できない時代に突入しているからと言えます

 

ちなみに映画の舞台は1957年で、この年にクリスチャン・ディオールは急死しているのですね

なので、アンドレが舵を切らなくても、方向転換は余儀なくされていたと思います

この後、史実としては、イヴ・サン=ローランがデザイナーとなって一時代を築くことになっています

 

映画では登場しないのですが、イヴ・サン=ローランをググると、見たような顔が出てきますよねえ

てっきりそうなのかなと思っていましたが、単なる匂わせのお遊びだったようですね

 


歴史背景と5月危機に至る流れ

 

1950年代の世界情勢は、

1950年〜1953年まで朝鮮戦争(朝鮮半島の主権争い)

1950年〜チベット侵攻(中国によるチベットの併合)

1951年、サンフランシスコ講和条約(日本と連合国による平和条約)

1955年、ワルシャワ条約締結(対ソ連に対する東欧州の軍事同盟)

1956年、ハンガリー動乱(ソ連及びハンガリー政府に対する民事デモ)

1956年〜スエズ危機(スエズ運河を巡るエジプトVS英仏イスラエルの戦争)

などがあり、他にも「EMC=ヨーロッパ市場」の設立、「欧州石炭鉄鋼共同体の発足」などがあった時期です

ハリスの夫が戦争に行っていますが、パンフによると「第二次世界大戦後に戦争に行ったり戻ってこなかった」という記述があり、劇中で「1944年3月11日に戦死したと空軍が記録した」ということになっていました

なので、第二次世界大戦に行ったきり戻ってこず、イギリスはそのままスエズ危機に突入、エディの死亡を確認できたのが1957年頃、という理解でOKだと思います

戦後、15年くらいは消息が不明ということなのですが、その間エイダは「戦争が終わったはずなのに帰ってこない」と待ち続けたことになっています

 

映画ではフランスのパリに渡ったエイダが「フランス第四共和政の崩壊」から「5月危機」に至る前兆に巻き込まれるかたちになっていました

「5月危機(May 68)」は1968年にフランスのパリで起きた内乱で、フランスの共産主義&フランスの社会主義VSシャルル・ド・ゴール政権という図式になっています

この騒動の前身になっているフランスの情勢は「フランス第四共和政」の時代で、前述のシャルル・ド・ゴールが首相、ルネ・コティが大統領を務めていた時代でした

主に「第二次世界大戦後の植民地問題」があって、フランス領インドシナでホー・チミン率いるベトナムが独立を要求、朝鮮戦争の余波でアジアの冷戦が激化し、ソ連や中国の支持が相手側に流れます

それによって、ディエンビエンフーの戦いでフランス軍は敗北し、当時のピエール・マンデス=フランス首相はジュネーヴ協定を締結して、ベトナムからの撤退を行いました

当時、アルジェリア問題も加熱していて、のちのEUとなるEECを結成するものの、アルジェリアでクーデターも起きてしまいます

これによって、パリ決戦も視野に入れたアルジェリアの軍事作戦も展開、コティ大統領はド・ゴールを首相に任命することによって、アルジェリアの「復活作戦」は中止されることになりました

 

そして、1958年(映画の翌年)にはド・ゴールが新憲法を国民投票で承認させ、10月5日に「フランス第五共和政」が設立し、「フランスの第四共和政」が終了する事態になっています

映画のラストはこの国民投票に至ったストライキのことでしょう

その後、ド・ゴール時代に起きたのが5月革命で、ようやく第四共和政が終わったと思ったところに、ド・ゴールへの不満が噴出し、それがフランス全土へ飛び火したのですね

この背景には、フランスが撤退したベトナム戦争の泥沼化、中国文化大革命、日本では東大紛争が行われていて、大衆の異議申し立て運動が世界中で広がっていた時代でした

戦後から解放されたと思ったところに経済困窮が続き、各地で富裕層への反発が激化したという感じになっていますね

 


ジャン=ポール・サルトル「存在と無」について

 

劇中でアンドレとナターシャの会話に登場するジャン=ポール・サルトルは、1905年〜1980年、ちょうど映画の時代に活躍していたフランスの哲学者でした

彼の思想は「実存主義(人民の存在を哲学の中心に置く思想のこと)」によるもので、「今、まさに生きている自分自身の存在である実存」を中心としています

「実存は本質に先立つ」というスタンスを取っていて、劇中で登場する『存在と無』の中で、「人間は自由という刑に処されている」と論じています

 

『存在と無(原題: L’Être et le néant: Essai d’ontologie phénoménologique、英題:Being and Nothingness: An Essay on Phenomenological Ontology)』は、1943年に書かれた哲学書で、20世紀を牽引した「実存主義ブーム」を引き起こしています

副題は「現象学的存在論の試み」となっていて、現象的な立場と存在論を交えながら、存在の問題に向き合うという内容になっています

ざっくり説明すると、自意識が認知する存在、自意識が認知しない存在、他意識が認知する存在という多方面から「存在とは何か」という論説があって、そこから「存在が発する行動」を「持つ」「為す」「ある」に集約するという結論に至ります

自分が認識している自分と、自分が認識していない自分は内面の存在に対する定義づけで、そう言った自意識を他者はどう捉えているのかという自己観察があります

その前提を踏まえた上で、「存在」を規定するものが「持つ=所有」「為す=行動」「ある=存在」という方面によって、「存在が確認できる」みたいなイメージだと捉えています(間違ってたらすまん)

 

映画の中でナターシャとアンドレが二人で勝手に盛り上がっているのですが、映画的に意味はそこまで深いものではなく、それぞれが「今の自分は本当の自分なんだろうか」と悩んでいるというスタンスになっています

そこから、当時流行した「存在と無」に自分を照らし合わせることによって内省を深め、二人は「自分の存在を示すために未来に向かう」というひらめきを得ているのですね

アンドレはディオールを崇拝しつつも内包された問題に気づいていて、それを何とかしたいと思っていた

それがエイダの行動とお膳立てによって、ディオールの方針転換へと突き進む流れになっています

 

そして、ナターシャはディオールの星として君臨してきましたが、それはナターシャ個人への賞賛だけではなく、ディオールのブランド価値と混同している状態でした

彼女がディオールを去ったのは、個人として見られたいという願望があって、いわゆる「ディオールのモデルだから価値がある」というポジションに悩んでいました

ディオールの看板を背負っている以上、彼女の行動はブランドの維持に固執せざるを得なくて、付き合う人、普段の所作など、プライベートの何かがディオールのブランド力を阻害してはならないという苦悩がありました

彼女もアンドレを想っていましたが、ディオールの星がいち会計士と恋仲になるという世間の興味を恐れていましたし、アンドレ自身もディオールのパーツとして、ディオールのブランドを損ねることを懸念していました

でも、それぞれが行動することで、本当の自分と向き合えるようになって、お互いに自信を持てるようになって、尊敬しあえる関係になっていくのですね

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

この映画の面白さは、労働者階級がデモを行なっているフランスに、イギリスの底辺労働者がやってきて、そこにある富裕層御用達のディオールに乗り込んでいる「構図」であると思います

オート・クチュールでよく描かれる問題として、ドレスを作る人たちはドレスを買えるほどの賃金を得ていないというものがあって、ディオールで働いていても、富裕層にはなれないという構造がありました

ディオールは富裕層を相手にしていますが、いわゆるキャッシュではなく信用で取引をしていて、当時の情勢下では「現金決済」は店としても渇望すべき案件だったとされています

最終的にゴミ王の妻アバロン夫人は不渡によって支払いができず、そのドレスが巡り巡ってエイダの元に届くことになりました

 

原作では焦げたドレスの代わりになるものは贈られてこないのですが、映画では劇的な改変をしていて、それが好意的に受け止められています

一方で、焦げたドレスを川に捨てるという行為はあまり誉められたものではなく、環境問題も付随する今では許容できない人も多いようでした

個人的には「お針子レベルの裁縫技術」があるので、あのドレスをアレンジして新しいドレスに仕上げるのかなと思っていましたが、決別を描いたのは意外でしたね

でも、決別があるからこそ、サプライズが活きてくるとも言えるので、逆算すればあの演出はアリなのかなとも思えてきます

 

映画はディオールが舞台になっていて、協賛もしているので否定的には描かれていません

一見、ディオールの宣伝映画にも見えますが、地位でしか買えなかったドレスがお金さえ集めれば庶民でも買えるようになったという転換期を描いているので、ある意味批判的な立場にも思えます

底辺層を見下すようなコルベールも、自身は親の介護が逼迫していて、それほど裕福な生活をしていませんし、彼女がそのようにエイダに接してきたのは、ディオールのブランド価値というものを読み違えていたからとも言えます

これらの流れは、前時代的なディオールを含めた高級ブランドへの皮肉にもなっていて、それはそのまま当時の政権への批判とその没落につながっているのはうまくできた話だと思いました

 


■関連リンク

Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://movies.yahoo.co.jp/movie/384071/review/279c9f6e-ba0d-45c9-8d54-e775eb7eaf56/

 

公式HP:

https://www.universalpictures.jp/micro/mrsharris

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投稿者 Hiroshi_Takata

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