■気づいたら終わっているのが人生だと思うので、もっと気楽に生きることで、意味は付随するのかもしれません


■オススメ度

 

光石研さんのファンの人(★★★)

人生の折り返し地点を過ぎたと感じている男性(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2023.6.14(アップリンク京都)


■映画情報

 

情報:2023年、日本、96分、G

ジャンル:認知症の症状が出始めた教師が人生を見つめ直す様子を描いたヒューマンドラマ

 

監督&脚本:二ノ宮隆太郎

 

キャスト:(一部自信なし)

光石研(末永周平:定時制高校の教頭)

吉本美憂(平賀南:周平の元教え子)

 

坂井真紀(末永彰子:周平の妻)

工藤遥(末永由真:周平の娘)

 

松重豊(石田啓司:周平の旧友、バイク屋)

 

岡本麗(小料理店の女主人)

葉媚(ソン:小料理店の店員)

 

光石禎弘(周平の父)

 

杏花(佐藤悦子:男次第と言われる生徒)

林裕太(高橋:ベランダの金髪生徒)

飛香まい(三上:高橋の彼女、生徒)

浦山佳樹(食堂にいる生徒)

 

内堀太郎(佐藤先生?)

武藤艶子(保健の先生)

橋野純平(ヒロタ先生?)

白石徹(校長先生)

八隅六(?)

 

松嶋亮太(主治医?)

 


■映画の舞台

 

日本:

福岡県:北九州市

 

ロケ地:

福岡県:北九州市

西南女学院高等学校

https://maps.app.goo.gl/1syu8wfdwaw2wDG3A?g_st=ic

 

松島ホンダ(石田の店)

https://maps.app.goo.gl/imqGp5aABY9jT2Ei9?g_st=ic

 

権頭クリニック

https://maps.app.goo.gl/whHuYgNSFZsYZyfT8?g_st=ic

 

ワールドコーヒーショップ 戸畑店(南と話す喫茶店)

https://maps.app.goo.gl/LypVS43STPXDPNwF7?g_st=ic

 

高塔霊園事務所

https://maps.app.goo.gl/qbwA1vvL9k3mbTZT9?g_st=ic

 

お食事処 ときわ(南の働いている食堂)

https://maps.app.goo.gl/CFa3PkZ2CpY4vLPY6?g_st=ic

 

とよ志の亭(行きつけの小料理店)

https://maps.app.goo.gl/CPcP9zcgHgZ9TWgQ9?g_st=ic

 

銀杏庵 穴生倶楽部(介護施設)

https://maps.app.goo.gl/QAmtptchrp8Xauom6?g_st=ic

 


■簡単なあらすじ

 

定時制高校の教頭をしている末永周平は、定年を前にして、軽い認知症のような症状が出始めていた

家族に告げることもなく、日常生活にやや支障が出るかどうかという感じだった

 

ある日、教え子の平賀南が働いている定食屋に行った周平は、そこで支払いをするのを忘れてしまう

南に指摘された周平は「忘れる病気なんだ」とだけ言い残して帰ってしまった

 

その後、友人の石田と何気ない時間を過ごした周平は、家族に「仕事を辞める」と告げる

家族の反応は薄めで、周平は物足りなさを感じてしまう

 

テーマ:過去を忘れる意味

裏テーマ:人生を逃げ切るとは何か

 


■ひとこと感想

 

光石研さんの当て書きシナリオということで、しがない教員に日常を切り取っていましたね

認知症の初期症状のようで、それによって人生の方向転換を考えるという物語ですが、とにかくゆったりと時間が流れる映画でした

 

光石研さんのファンムービーのようなところはありますが、人生の終盤が見えてきた人にとっては、家族との関係とか、過去の人物相関などに共感する部分はあるかもしれません

 

私はそこまでの年齢ではないし、認知症の初期でもないのであまり響きませんでしたが、言葉が出にくくなる怖さというものはなんとなくわかります

反応が薄くなるというのは、忘却の第一歩のように思われがちですが、あまりにも多くのことを同時に考えるのに追いついていないとも取れます

 

映画は、北九州の土地をぶらり旅みたいなことになっていて、思い出の土地を再度噛み締めていく様子が描かれます

ひょっとしたら、同じような状況になったら、自分も同じことをしてしまうのかな、と思ってしまいますね

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

ネタバレというような感じの作品ではないのですが、基本的に「何も起こらない」ように「見える」映画ですね

実際には多くのことが起こっているのですが、それが見えにくくもあります

 

年齢を重ねていくと、起こった出来事への反応が薄く見えるのですが、実際には過去の事例を引用する時間が掛かっているだけだったりします

教え子・南との会話などでも、返事をしない周平が描かれるのですが、あの場面は「答えが出ない」のと、「言葉を引き出せない」のとどっちにも見える感じになっていましたね

 

映画は、本当に淡々とした日常が描かれているのですが、認知症の症状が出てしまったために「思い出せるうちに会いたい人、行きたいところへ行った」という感じになっています

忘れる世界が新天地とは思えませんが、ふとそう言った場所に行きたくなる気持ちはわからないでもないですね

そこには、自分が過ごした過去があったはずで、変わらないものと変わってしまったものを再確認する旅であると思います

 


忘れていく世界と変わってしまった世界

 

主人公の周平は初期の認知症が出た段階で、医師による診断も受けていました

彼は定時制の高校の教頭として定年間近という設定になっていて、業務上で思うところがあったのだと思います

家族は周平に無関心ではありませんが、その症状の進行などに気づいていない様子が窺えます

いわゆる、自分の中で「これまでと違うこと」が起こっているような感じがして受診したところ「診断を受けた」という流れになると思います

 

個人的なことを言えば、もうすぐ50歳になるので、体のいろんなところが悪いのですが、認知症とまでいかなくても、思い出すのに時間がかかるとか、何かに集中すると何かを忘れるというものがあったりします

何かを見て思い出せないということもありますが、ここでググるとあまり良くないことは知っているので、なんとか思い出そうと頑張るのですね

そうして、安易に調べるのではなく、思い出す能力を失わないことで、記憶を鍛えるということをしています

 

周平の場合は、それでも思い出せないという感じになっていて、南からの指摘で「無銭飲食」を言われたのに支払わずに帰っているのですね

南があの場面で深追いしなかった理由まではわかりませんが、どことなく周平に起こっていることを大きく受け止めたのではないかと感じました

 

周平はその後、娘の由真をいろんなところに連れて行ったり、友人の石田のところで行ったりするのですが、それは「自分がまだ覚えているものを確認する」というニュアンスなのかなと思いました

自分が覚えていなくても、相手が覚えていることで、思い出を引き出せるようにする、ということで、この目的に相手を巻き込んでいることがきちんと伝わっていましたね

石田ははっきりと「自分勝手なやつだ」と言いますが、由真や南はそう言ったことは言いません

これが配慮かどうかはわかりませんが、石田は年齢も近いので、周平のやろうとしていることが感覚的に掴めたのだと感じています

 

周平が辿った思い出は、変わっていないものと変わってしまったものがありましたが、時代の流れと積み重ねた歳月を思えば当然のことでしょう

40年前ぐらい前の過去だと、変わっていないことの方が稀で、変わっていることで歳を重ねた実感を有するという感じになっています

それを寂しいと捉えるかは人それぞれですが、変わってしまったものの中に「変わっていないものを見つけた時の嬉しさ」というのは特段のものがあるように思えますね

 


タイトルの意味について

 

本作は、光石研さんを当て書きしたような作品になっていて、状況の作り込みの段階で本人から話を聞いたとされています

どのような取材で、どのような要素を抽出したのかは監督と主演のみぞ知るという感じになっていますが、そういったものを含めて楽しむ映画だと思います

物語の骨子は、変わっていくものと変わっていないものであるとか、自分自身の認知の変化(本人と周囲を含めて)を描いていると感じます

そんな中で、新しい記憶(思い出や存在感)を植え付けるという意味があって、本作によって「俳優・光石研さん」の「新たなる覚えてほしいもの」が映像化されたのだと感じています

 

映画のタイトルはかなり意味深で、映画内で想像つくことはありませんでした

なので、以下は筆者による「妄想込みの解釈」になりますので、間違ってたらすみませんレベルであると前置きしておきます

「逃げ切れた夢」というのは、二つの解釈があって、一つ目は「夢から逃げ切った主人公」で、もう一つは「夢に逃げ切られた(追いつけなかった)」ということになると思います

映画内の周平の夢は明言されていませんが、定時制の教師になることが夢で叶えられたのか、その道しか進めなかったからなのかは微妙なところだと思います

彼自身は「40年勤めてきた自負」というものを持っているので、教師生活が夢を諦めた結果とは言い切れない部分があります

でも、理想の教師生活を全うできたか?というところは、疑問が残るのかなと思いました

 

周平の人生は「自分が思っていたほど生徒に評価されていない」というものがあって、生徒との再会などで「口先だけだった」という印象を持たれていました

この観点から考えると、「夢が逃げ切った」のかなと感じてしまいます

夢とは、ある種の強迫観念のようなもので、理想の先生像というものが若かりし頃の周平にあったのだと思います

定時制に勤めることになった経緯はわかりませんが、生徒に対する思いやりは強くあったのでしょう

でも、ラストシーンの南の問いに即答できなかったように、周平の教師観というものは自己完結で終わってしまっていたのですね

なので、いつしか「自分が追いかけていた夢がわからなくなった」という感じで、定年になっても「理想に到達できなかった」という感覚を有しているのだと想像できます

それが定年を目前にして辞める理由へとつながっているのではないでしょうか

 

ラストシーンの南との会話は、それを覆すものになっていて、退職間近に過去と向き合うことで自分の足りないものを見つけ、ようやく言葉を紡ぐことができたのでしょう

それが現役の生徒にできないところが周平の弱さでもあると思いますが、南との会話をきっかけに「辞めるまでのわずかな時間」で「記憶に残る教師=自分の理想」に追いつくことができたのかもしれません

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

映画は、光石研さんの俳優力を堪能するもので、随所に極みの技が出ていましたね

最近はバイプレイヤーとされていた俳優さんたちにフォーカスが当たることが増え、それによって従来生み出されなかったような映画が増えてきたことを嬉しく思います

本作は地味に映りますが、随所に技が光っている作品で、人間の深いところが描かれていたように感じました

このあたりを堪能できるのは、ある程度の年齢層になっているように思えます

何よりも、響かないと思われがちな年代の監督がこの映画を作ったということが、彼の人間力の深さというものを示していると言えます

 

映画は、少し単調に思える部分があって、そのあたりは好みの差かと思います

もっと激しく何かが起こる映画を期待すると厳しめになりますが、内面で起こっている激しさを捉えられる人だと、結構えげつないなあと思えるかもしれません

私個人も最初は「大丈夫か、これ」と思っていましたが、娘との気持ち悪い会話、妻への突然のスキンシップあたりから「エグイ系か」と認識を変えたので、なんとか完走することができました

 

歳を重ねると、発せられる言葉に重みが生じてくるものですが、それは人生の濃さを示すリトマス試験紙のようなものだったりします

人は、何気ないことで覚えられ、自分が願っていることで忘れ去られているという悲しい生き物なのですが、そのジレンマを埋めることは難しいと思います

でも、それでもいいやと「解釈を相手に委ねる」ことができるようになれば、人間力が一段アップするものでしょう

それを意図的に思っている段階では無理なのが面白いところなのですが、それが人生だと割り切れることで、心が軽くなるのではないかと思います

 


■関連リンク

Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://movies.yahoo.co.jp/movie/388450/review/e13be66d-0328-47c6-a5dd-11af0a17cbf9/

 

公式HP:

https://nigekiretayume.jp/

アバター

投稿者 Hiroshi_Takata

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA