■ポリコレのパッチワークの果てに、彼らが忘れていたものとはなんだろうか?


■オススメ度

 

ポリコレ色の濃い映画が好きな人(★★★)

アニメ版が好きな人(やめておいたほうが無難)

 


■公式予告編

https://youtu.be/i_h63bs6hZ0

鑑賞日:2023.6.13(イオンシネマ京都桂川)


■映画情報

 

原題:The Little Mermaid

情報:2023年、アメリカ、135分、G

ジャンル人間界に恋い焦がれる人魚を描いたラブロマンス映画

 

監督:ロブ・マーシャル

脚本:デヴィッド・マギー

リメイク元:ジョン・マスカー『リトル・マーメイド(1989年)』→https://amzn.to/43U06O3

原作:ハンス・クリスチャン・アンデルセン『人魚姫(1837年)』

 

キャスト:

ハリー・ベイリー/Halle Bailey(アリエル:人間界に興味を持つトリトン王の娘)

ジョナ・ハウアー=キング/Jonah Hauer-King(エリック:人間の王子)

 

メリッサ・マーカシー/Melissa McCarthy(アースラ:トリトンを恨む魔女)

ジェシカ・アレクサンダー/Jessica Alexander(ヴァネッサ:アースラがアリエルから奪った声で変身した黒髪の美女)

 

ハビエル・バルデム/Javier Bardem(トリトン王:アトランティカを治める王)

ノーマ・ドゥメズウェニ/Noma Dumezweni(セリーナ女王:エリックの継母)

 

アート・マリック/Art Malik(グリムスビー卿:エリックの家令)

 

ダヴィート・ディグス/Daveed Diggs(セバスチャンの声:お目付役のカニ)

ジェイコブ・トレンブレイ/Jacob Tremblay(フランダーの声:アリエルのお友達の魚)

オークワフィナ/Awkwafina(スカットルの声:カモメ)

 

Martina Laird(ラシャナ:宮殿のメイドのまとめ役)

Emily Coates(ローサ:ラシャナの部下、メイド)

 

Christopher Fairbank(ホーキンス:エリックの船員)

ジョン・デグレッシュ/John Dagleish(マリガン:エリックの船員)

ジュード・アクウディケ/Jude Akuwudike(ジョシュア:アリエルを捕獲する漁師)

 

Russel Balogh(城の護衛)

Adrian Christopher(城の護衛)

 

ロレーナ・アンドレア/Lorena Andrea(ペルラ:アリエルの姉)

シモーヌ・アシュリー/Simone Ashely(インディラ:アリエルの姉)

カロリナ・コンチェルト/Karolina Conchet(マラ:アリエルの姉)

シエナ・キング/Sienna King(タミカ:アリエルの姉)

カイサ・モハマー/Kajsa Mohammar(カリーナ:アリエルの姉)

ナタリー・ソレル/Nathalie Sorrell(カスピア:アリエルの姉)

 

【日本語吹替】

豊原江理佳(アリエル)

浦嶋りんこ(アースラ)

沢城みゆき&豊原江理佳&浦嶋りんこ(ヴァネッサ)

海宝直人(エリック王子)

大塚明夫(トリトン王)

野地祐翔(フランダー)

高乃麗(スカットル)

木村昴(セバスチャン)

仲野裕(グリムスビー)

後藤光祐(ジョシュア)

岩崎ひろし(マリガン)

依田菜津(ローザ)

和優希(ペルラ)

藤田曜子(カリーナ)

王林(インディラ)

ますみ(タミカ)

鳥越まあや(マラ)

篠田有香(カスピア)

依田菜津(ローザ)

竹内知咲(村の女性)

すずきまゆみ(露天の店主)

 


■映画の舞台

 

カリブ海近辺

 

ロケ地:

イタリア:サルデーニャ島

https://maps.app.goo.gl/3gnxtFzyK5FcFuKy5?g_st=ic

 


■簡単なあらすじ

 

7つの海を支配するトリトン王の娘アリエルは、自由奔放で父を困らせていた

行ってはいけない海域に出向き、沈没戦から色んなものを拾い集め、それを隠れ家に隠している

 

ある日、姉妹たちが集まる集会に来なかったアリエルに激怒したトリトン王は、カニのセバスチャンに監視役を命じる

セバスチャンは嫌々ながらもアリエルを監視するものの、海上に派手な光をみつけたアリエルは、禁忌を破って海の外に出てしまう

 

そこでは、人間の冒険船が花火を上げてパーティーをしていて、アリエルはそこに乗船していた王子エリックを見つけた

彼とグリムスビーの会話を覗き見していたアリエルだったが、急に嵐がやってきて、船は海難事故に遭ってしまう

仲間を助けるために最後まで船に残っていたエリックは海に投げ出され、アリエルはそんな彼を助けて、近くに海岸に漂着した

なんとか一命を取り留めたエリックは、アリエルの歌声だけを覚えていて、それから躍起になって探し始める

 

一方、アリエルは復権を目指すアースラに目をつけられ、3日間だけ人間になれる魔法をかけられてしまう

だが、その魔法は「声」と引き換えにしたもので、アリエルはエリックと再会しても、自分だと告げられなかったのである

 

テーマ:過保護と自立

裏テーマ:呪縛からの解放

 


■ひとこと感想

 

アニメ版の記憶はほぼなく、原作も「泡になったらしい」ぐらいしか知らなかったのですが、制作過程の雑音が多い作品で、どんなことになったんだろうと思って参戦しました

最近のディズニーはポリコレの塊なので、過去作に多様性をぶち込んで爆死しているのは知っていましたが、本作もそれに倣う爆死を記録しそうな感じになっています

 

主人公が有色人種に改変というのはさほど気にならなかったのですが、エリックが魅力的ではなく、何もできないイケオジになっていたのはびっくりしましたね

勇敢な王子という感じですが、脇役の一人みたいな扱いになっていました

 

アリエルの姉妹も多人種になっていましたが、トリトン王は一夫多妻制で7つの海にそれぞれ妻がいる設定なのかなと思ってしまいます

海中ミュージカルシーンはどうやって撮ったんだろうという凄みはありましたが、地上に行ってからのドラマパートはコミカルに全振りしていましたね

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

アリエルが騙されるあたりは頭の弱い子みたいな感じに見えましたが、最後の方は勇敢な女性みたいな感じになっていましたね

アースラが難破船で死ぬのはどうかと思いますが、映像的な迫力は感じられて良かったと思います

字幕版(しかもドルビー)で観ましたが、音楽的にも映像的にも満足できるものでしたね

 

物語は、原作準拠なのかはわかりませんが、娘が父から自立する物語なので、可もなく不可もなくと言った印象

それよりも、ポリコレを詰め込んだ印象が画面から滲み出ていて、それが最優先されていて冷めてしまいます

 

ヴァネッサの妖艶で悪役っぽい雰囲気の方がキャラが立っていて、キャットファイトになった展開は笑うところでしょうか

それよりも「国のために外界を冒険したい」というエリックの国が多様性に満ちていて、冒険した方がガッカリするんじゃないかと思ってしまいます

ハネムーンを兼ねて旅行するのですが、せっかく憧れの陸に来たのに海に戻るところは、それで良かったのかなと思ってしまいました

 


ポリコレ玉突き事故

 

最近のディズニー映画は、過去作をポリコレまみれにして再構築するという動きが目立っていて、その方針自体は「好きにすれば」という感じに捉えています

でも、その要素を入れれば良いというものではなく、本作の場合だとアリエルを有色人種にすること自体は問題ないと思いますが、エリックの母親に有色人種を配したために、エリックを養子にするなどの改変を行なっていることは問題だと思います

むしろ、セリーナ女王を有色人種にするならば、エリックも有色人種にすればいいわけで、そうしないのはバランスよく人種を配置しなければならないという言い訳のように思えます

 

また、アリエルの姉妹が多人種になっていましたが、これによって、トリトン王は多人種の妻と関係を持って子どもを産ませたという風になってしまうので、いくら人魚の世界とは言え、説得力がありません

なので、ここも「姉妹は全員有色人種でも良かった」のではないかと思います(必然的にトリトン王の妻は有色人種になりますが)

7つの海を支配しているので、それぞれの地域に現地妻がいても不思議ではありませんが、そうなると「一夫多妻」ということになるのですね

それはそれで面白そうですが、一人の妻が多人種を産み分けるという生物学的にも無茶でしょという設定よりはアリだと思います

映画では「人間に殺された」以外の情報がバッサリカットされているので、アリエルの母がどんな人だったのかはわかりません

ていうか、あの感じだと「異母姉妹」ということになってしまうけど、そのあたりはスルーでOkなのでしょうか

 

ここまで来ると、いっそのこと「メインキャラを全員有色人種にする」ということをやった方が潔いのですね

別に「有色人種版・人魚姫」があっても驚かないし、何なら「アジア版・人魚姫」があっても良いと思います

ここまで来ると「原作というよりは原案みたいなもの」なので、「陸の王子に恋する人魚姫」というプロットだけを借りました、と堂々と言えば良いと思います

でも、「原作はあくまでもアンゼルセンの人魚姫なんです!」「ポリコレ配慮して原作レイプしましたけど、何か?」と開き直るからタチが悪いのですね

そのあたりが読めていないので、今後もすごいものを生み出してくるのではないでしょうか

 


既存の物語を改変する意味

 

本来ならば、有色人種の人魚姫で新しい物語を作れば良かったと思います

でも、それでは物足りないのか知りませんが、原作をわざわざ改変してまで、そのネームバリューを利用しようとしている節があります

これに反発が起こるのは必至で、アンデルセンの原案をモチーフにして、新しい「人魚姫」を作ることも可能だったと思います

それをしない理由は、そのような発想ができないか、アニメ版以上のシナリオを書ける人がいないのか、単に楽をしたいだけなのか、ということになってしまいます

 

アンデルセンの童話では、アリエルは泡になってしまうのですが、それを改変してきたのがアニメ版だったのですね

なので、本作はアニメ版のリメイク(実写化)ということになっていて、アンデルセンは原作ではなく原案ということになります

原作の童話をベースにして、新しい解釈の人魚姫を作り、そのキャラを有色人種にしていればここまで叩かれないと思うのですが、マーケティング力と想像力が欠如した結果、こんなことになっていたりします

また、ほぼアニメ版をそのまま再現した感じになっているのも最悪で、それによってアニメ版のファンの怒りを買っているのも微妙だなあと思いました

 

既存の物語を原作に使用するためには「価値観のアップデート」が必要になってきていて、本作の場合はそれをビジュアルだけでお茶を濁そうとしているのだと思います

見た目さえポリコレに配慮すれば、今風の価値観で受け入れられるだろうという浅はかさというものが見え透いているのですね

なので、既存の物語に対して、「価値観のアップデートを加えたシナリオを再構築する必要があった」と思います

その上で、必要であれば「ヴィジュアルを変える」という選択がなされるはずで、本作の場合は「とりあえず見た目だけ今風」ということだけを決めて、そこから先は「ウケた物語をそのまま流用」という流れになっているのですね

これで、真剣に向き合いましたと言われても、「ああ、そうですか」としか言えません

 

人魚姫というのは、人種(正確には生物学的種族)の垣根を超えた恋愛が起こるというもので、どちらかの種族になるために犠牲が伴うという物語になっています

アリエルは憧れの地上界に行くために「人間の姿になる代わりに声を失う」というものがあり、その声の消失によってエリックが自分を認知してくれないというジレンマを抱える物語です

この価値観を現代風にアップデートするならば、「欠如に対する周囲の配慮、受容に関する思考」であると思います

わかりやすいのが「漁師の網に捉えられたときに漁師やその周囲が取る行動」になると思います

 

映画では、漁師はいきなり城にアリエルを運びますが、漁師の街では温情があるのに、城に行くと迫害されるというような対比(逆でもOk)があるとか、声を失ったアリエルが自分を認知させるために声以外の方法を使うなどでしょう

声を出せないアリエルを優しさで包んで終わりになっているのが残念で、エリック王子も「とりあえず城に連れて来させたけど(見知らぬ人を見つけたら城に届けよという指令があったと思われる)放置」していたのにも関わらず、収集癖が認められたからあっさり懇意だったりします

このシーンでアリエルがエリックの趣向を肯定し、エリックの心がわりが起こるのですが、それならば「エリックの収集癖を周囲(特に母親)がよく思っておらず、それによってエリックは孤独感(養子という設定も込みで)を感じている」というシーンを「嫌になるほど積み上げる」ことが大事なのですね

そのために犠牲になるのは「グリムスビーの裏表」というところで、表向きは王子を信奉しているように見せかけて、裏では収集品をぞんざいに扱っているなどのエピソードになると思います

この映画におけるグリムズビーの役割は「とりあえずエリックに女を作らせる」というものなので、その行動を起こすのなら「グリムズビーだけはアリエルの正体を知っていた」という設定が必要になるように感じました

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

本作は、制作段階から色々言われていた案件で、観てみると「事前の色々よりも中身がひどい」という感じになっていました

むしろ、「意図的な集中」という感じになっていて、様々な改変の批判の矢面に立たされているという構図になっています

これらが意図的なものか、マスコミの偏向報道なのかはわかりませんが、事前情報の改変よりも深い闇がそこにはあったように思えてなりません

字幕版で鑑賞したので、主演が歌で抜擢された説得力を感じましたが、吹替版だとどう感じたのかはわかりません

 

映画の良し悪しは「事前の期待値」が関係し、それによって「観客側の感情の揺れ幅」というものも変わります

所謂「ハードルを下げた鑑賞」と「ハードルを上げた鑑賞」などのように、鑑賞前の姿勢が変わってしまうことがあります

本作における個人的な姿勢だと、「歌が上手い人が抜擢された」ということと、「これまでのディズニーポリコレ路線を踏襲」というものがありました

それゆえ、「ポリコレに配慮して有色人種をアリエルにして、歌唱力で採用を決めた」ということになります

上がるハードルは歌唱力で、下がるハードルはポリコレによる改変、という感じになると言えます

 

この観点で行けば、期待値の上がった歌唱力は説得力のあるものとしてクリアしたと感じますし、下げたハードル以上に「ポリコレ改変が酷かった」ということになります

この期待値の上下はそれぞれに真逆の評価になっているので、相対的に「本作の酷さは主演ではなく、その他に付随する様々な要素」という感覚を有しました

なお、これが一般的な見方かどうかはわかりません

 

映画は、制作の背景を考えるなら字幕一択で、それを考慮しないなら吹替もありだと思います

吹替版も歌唱力がメインで抜擢されているので、ニュアンスは違いますが、それが鑑賞のハードルとなるでしょう

実際に吹替版を鑑賞したわけではないので、その出来栄えはわかりませんが、公開されている宣伝やシーンなどからすれば問題ないのかなと思うます

 

このような事前情報による鑑賞期待値を操作して良い効果があった記憶がありません

広告宣伝は初動の要になりますが、場外乱闘で認知度を上げても意味はないでしょう

それよりは、作品に対して真摯に向き合ったことが「SNS発信」などで一気に拡散する時代です

それを狙うのは不可能に近いのですが、余計な情報を配信せずに、ただ作品に向き合えば良いだけなのですね

本作の場合は、炎上覚悟で情報を一本化して目を逸らすという手法になっていましたが、それが鑑賞によって逆効果になっているところが「映画も生き物」なのだなと思わされます

 


■関連リンク

Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://movies.yahoo.co.jp/movie/384697/review/ee14e151-2dd3-4ea1-8fa4-cc65379f2b50/

 

公式HP:

https://www.disney.co.jp/movie/littlemermaid

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投稿者 Hiroshi_Takata

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