■ラストショットに見られる、マイケルの視線の意味を考えてみよう
Contents
■オススメ度
親子の在り方について考えたい人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2023.3.16(アップリンク京都)
■映画情報
原題:Nowhere Special(どこにもない特別なもの)
情報:2020年、イタリア&ルーマニア&イギリス、95分、G
ジャンル:余命宣告を受けたシングルファーザーが息子のために親を探すヒューマンドラマ
監督&脚本:ウベルト・パゾリーニ
キャスト:(ほぼ登場順)
ジェームズ・ノートン/James Norton(ジョン:窓拭き清掃員、34歳のシングルファーザー)
ダニエル・ラモント/Daniel Lamont(マイケル:ジョンの息子、4歳)
Carol Moore(ディアドラ:マイケルの世話をする白髪の保育士)
アイリーン・オヒギンズ/Eileen O’Higgins(ショーナ:ソーシャルワーカー)
Laura Hughes(パークス、ソーシャルワーカー、ショーナの上司)
Valene Kane(セリア:養母候補の保育士、フィリップの妻)
Keith McErlean(フィリップ:妻の保育所に入れたいセリアの夫)
Siobhán McSweeney(パム:犬好きのジェリーの夫、郵便屋)
Chris Corrigan(ジェリー:養母候補、ケーキ好きのパムの妻、里親経験あり)
Eva Morris(アン:うさぎを愛でる少女、パムとジェリーの娘)
ステラ・マクカスター/Stella McCusker(ローズマリー・マクドナー:顧客のおばあちゃん、ジョンの相談相手)
Roisin Gallagher(ジュディ:マイケルを預かるシングルマザー)
Grace Hanna(グレイス:ジュディの幼い娘)
Sean Sloan(ゴルファー:スポーツカーを所有する気難しい顧客)
Nigel O‘Neill(デビッド:シャロンの夫、大家族の主人)
Rhoda Ofori-Attah(シャロン:デビッドの妻)
Shiloh de Silva(リリー:デビッドの娘)
Eva Akinsehinde(ジェニー:ドレッドヘアの娘)
Andrew Morrison(フレディ:デビッドの息子)
Asher De Silva(ビリー:シャロンの末っ子)
Libby Mcbride(テッサ:デビッドの幼い娘?)
Alice Parker(ポーラ:デビッドの幼い娘?)
Peter Ballance(車の修理屋)
Bernadette Brown(スーパーの妊婦)
ヴァレリー・オコナー/Valerie O’Connor(エラ:マイケルと同じ目線で話す母親になれなった経産婦、養母志願者)
Niamh McGrady(ロレイン:もっと幼い子が来ると思っていた養母候補)
Caolan Byrne(トレバー:ロレインの夫、鉄道模型マニア)
Hayley Russell(ジョンの後を継ぐ窓拭き)
■映画の舞台
北アイルランドのとある街
ロケ地:
北アイルランド
■簡単なあらすじ
窓拭き清掃員として働くジョンは、末期癌によって余命幾許もないシングルファーザーだった
彼はソーシャルワーカーのショーナの協力を得て、一人息子のマイケルの里親を探していた
裕福な夫婦、里親経験のある夫婦、大家族などと会っていく中で、ジョンはどの家族に預けることが正解なのか思い悩んでいた
日々、悪化していく体調と相談しながら、その時を待つジョンは、ピンと来ない養子縁組候補に苛立ち、ショーナに苦言を呈してしまう
だが、ルールを破って尽くしていると言われ、彼女も真剣に二人に向き合ってくれていた
ジョンは窓拭きの顧客ローズマリーに相談をしながら、マイケルの行く末に思慮を馳せる
そして、とうとう決断の時が近づいてきたのである
テーマ:子どもに必要な環境
裏テーマ:養母に必要な資質
■ひとこと感想
余命寸前のシングルファーザーが残される息子の里親を探すという物語で、監督の知人の実話がベースになっていると聞きました
ゆったりとした時間の中で、多くの里親候補と会っていくのですが、どれも決め手にかけるしっくり来ないものでしたね
金持ちだけど生活環境が激変するとか、大家族に埋もれるとか、子離れできない里親経験者とか、自分の主張が最優先の夫婦などが登場します
映画は意外な決着をするのですが、これは知らずに観た方が良いと思います
マイケルは4歳児なのですが、父の変化に気づいていて、自分が置かれるであろう状況を理解しようとしていましたね
ジョンもまた、マイケルの人生だけを考えていて、彼のために遺すものを選んでいるシーンなどは涙腺崩壊間違いなしの案件となっています
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
4歳児がどこまで理解しているのかはわかりませんが、大人が思っている以上に何かしらを感じていることはわかります
言語化できないだけで、大人の意図を行動から汲み取っているのですね
そういったシーンが多く、それをうまく演じた子役恐るべし!と思いました
マイケルが成長した時に渡す手紙とか、最後にはマイケルを抱く母親の写真も添えられていましたね
これから育ての母のところにいくマイケルなので、その写真だけは「封印」するような形になっていたのが印象的でした
自分が父であることの証を遺すことは難しいのですが、やれることを全部やったと胸を張って言えるのではないかと思います
ジョンが選んだ相手は観客が見ても納得がいくもので、彼女だけがマイケルと話す目線が違っていました
細かな描写によって、丁寧に描かれているので、見応えのある「里親探しの旅」になっていたのではないでしょうか
■ラストでマイケルが呼び鈴を押す意味
映画は「マイケルの里親を探すジョン」を描いていて、彼は末期癌で余命幾許もないという状況にあります
窓拭き掃除屋として生計を立てながら、マイケルに相応しい養育環境を模索していました
ソーシャルワーカーのショーナは上司のパークスに内緒で「例外的なマッチング」を行っていますが、どれが「非正規」なのかはわかりません
でも、物語は「わかりやすい環境を登場させている」ので、ジョンが接していく家庭そのものが問題提起になっていると言えます
最初は「経済的に裕福かつ母親は保育士」という環境で、一見環境は最高のように思えますが、「生活の質が激変する」とことを懸念していました
また、保育士である母がいて、彼女がいる保育園への入所が匂わされていましたね
あの場では取り繕いましたが、ジョン亡き後は彼女の保育園にいくことは確定的だと思います
この家庭は良さそうに見えるものの、「46時中母の監視下にいる」という状況になります
これは一見すると良いように思えるのですが、母が職場で「児童としてではなく息子として扱う」ということが予見されるので、そこでおこる「えこひいき」というものは少なからず影響を及ぼします
次の家族は「里親経験のある夫婦」で、こちらも「経験則があって良い」と思うのですが、「里親を業務としてみる」という側面があります
成人すると親元を離れるという印象があり、この時限的な関係性と夫婦と娘のやり取りがジョンの希望にそぐわないものとなっています
3つ目は大家族で、7人の子どもがいる家庭でした
同い年の子どももいるし良さそうに思えますが、粗暴な青春期の年長などから、「いじめられるのではないか」ということを危惧したように思えます
また、8人の中の1人となることは確定的なので、子育てに関する経験が豊富でも、その環境がマイケルには向かないと判断したように思えました
4つ目の家族は「もっと小さい子どもがくる」と難癖をつけた夫婦で、これは論外のように思えます
この家族が描かれるのは、色んな家族を見た上で迷いが生じているジョンの苛立ちを増幅され、さらに思慮の中に放り込むという機能がありました
最終的には「子育て経験のないエラ」が選ばれるのですが、これが本作のテーマを体現しています
エラは独身で、青春期に出産をして養子に出したという経験がありました
その時の出産状況によって、もう二度と子どもが産めないかも知れないということが医師より通告されています
エラは母親になりたい人ですが、その夢は叶う確率は低く、誰かと結婚を果たしても、里親になるしか方法はありません
ラストシーンでは、マイケル自身がエラのドアの呼び鈴を鳴らすのですが、これは明確なジョンからマイケルへの意思表示であると思います
物凄く理想的で陳腐なことを言えば、ジョンとエラが結婚して正式な親子になることですが、それを描くと映画としてのメッセージ性が弱まってしまいますね
でも、おそらくは「2人のマイケルへの意思」というのは明確なので、その方向に進んだかも知れません
マイケルはエラの呼び鈴を押し、そこから彼女が出てくることを知って、ジョンの意思を理解することになりました
これまでにジョンが自分のために「母親探しをしていること」がわかっていて、最終的に父が選んだのはこの人だということを伝えています
ジョンが呼び鈴を鳴らしてエラを迎え入れることよりも、マイケルが呼び鈴を押してエラが出てくる状況というのは、その時点から「母親としてのエラ」が生まれることになります
そう言った意味において、ジョンはマイケルに呼び鈴を押させて、これからの未来を体感させようと考えたのではないでしょうか
■「When Dinosaura Die」について
映画の中盤にて、『When Dinosaura Die(恐竜が死ぬとき)』という本が登場していました
これはローリー・クラスニー・ブラウン/Laurie Krasny Brownという人が書いた書籍(夫のMarc Brownとの共著も多数あります)で、「愛する人の死に関して人々が抱く感情と、亡くなった人の記憶を尊重する方法」が書かれた書籍でした
いわゆる子ども向けの児童書で、作者はコロンビア大学のティーチャーズカレッジにて修士号を所得している教育者でもあります
25年前の作品ですが、以降150万部を売り上げた「Dono Tales:Life Guide for Families」シリーズの一環になります
シリーズには「両親の離婚」を理解するための『Dinosaurs Divorce』などもあり、子どもの情操教育を支えている書籍として人気を博しています
日本語訳は『「死」って、なに? かんがえよう、命のたいせつさ』という絵本のようですので、アマゾンリンクを貼っておきますね
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
映画は、里親探しの旅の中で「親とは何か」というものを描いていきます
最終的にエラが選ばれたのは観客誰もが納得できる形になっていますが、裕福な家が良かったのでは?とか、大家族も悪くないとか、経験者に任せるべきだ、などの意見がたくさんあると思います
それぞれは一長一短で、どれかが正解で、どれかが不正解ということはわかりません
エラは子どもを欲する激情を抱えていますが、実際に生活を始めると「理想と現実のギャップに耐えられず投げ出す」ということも無いとは言えません
でも、親というのは「子どもと一緒に育っていくもの」だと思うので、根底に愛情と使命感があれば、後発的に備わってくるものだと思います
映画はエラを選ぶことによって、子どもへの愛情の濃度を強調しているのですが、同時にこれまでのジョンの子育てを肯定するかたちになっています
これがシングルファーザーへの救いとなっていて、環境だけが必要な要素ではないことを証明しているのですね
ここで、エラ以外の家庭にマイケルが行くと、それまでにジョンが抱えてきた不完全さというものが、より一層際立ってしまいます
マイケルの母の他界がどのタイミングだったのかはわからないのですが、赤ん坊を抱きている母の写真というのがあったので、出産時に亡くなったということではないと思います
でも、母親が不在だった時間が長く、ジョンも育児慣れをしているので、ある程度の時間を有していたことは想像に難くありません
そう言った意味において、ジョンがこれまでに行ってきた子育てというのは、理想からもっとも遠くにあるように見えて、理想にもっとも近いとも言えるのではないでしょうか
私個人も12歳からシングルマザーに育てられましたが、だからと言っておかしな道に行ったということもないし、その道程は感謝すべきものであると思います
世の中には色んな家族の形態があって、色んな子育て論があるとは思いますが、もっとも肝心なのは「子どもの目線に立って考えること」だと思います
映画では、わかりやすいくらいに「エラだけがマイケルと同じ高さの目線になる」のですが、ラストショットは「マイケルを俯瞰するジョンの視点」になっていました
この場面でジョンがマイケルの目線に立たないことで彼の決意(子離れ)を表していましたね
なので、本作におけるテーマの一貫性によって、マイケルの不安そうな眼差しで終わるという意味のある結末になっていたと感じました
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/385980/review/cc5d3a1d-5cf9-4132-9d96-774198bc6388/
公式HP:
https://kinofilms.jp/movies/nowhere-special/