■状況をどう利用するかという物語が、まさに始まろうとしているのですね
Contents
■オススメ度
映画制作の裏側を堪能したい人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2023.3.23(アップリンク京都)
■映画情報
原題:Official Competition
情報:2021年、スペイン&アルゼンチン、114分、G
ジャンル:富豪の気まぐれで映画制作をすることになった監督&俳優を描いたブラックコメディ
監督:ガストン・ドゥプラット&マリアノ・コーン
脚本:アンドレス・ドゥプラット&ガストン・ドゥプラット&マリアノ・コーン
キャスト:
ペレロペ・クルス/Penélope Cruz(ローラ・クエバス:パルム・ドールを受賞した映画監督)
アントニオ・バンデラス/Antonio Banderas(フェリックス・リベロ:マヌエル役の俳優、中堅の大人気俳優)
オスカル・マルティネス/Oscar Martínez(イバン・トレス:ペドロ役の俳優、ベテラン俳優)
ホセ・ルイス・ゴメス/José Luis Gómez(ウンベルト・スアレス:80歳になる億万長者)
イレーナ・エスコラル/Irene Escolar(ディアナ・スアレス:ウンベルトの娘、ルーシー役に抜擢)
マノロ・ソロ/Manolo Solo(マティアス:ウンベルトの部下)
ナゴレ・アランブル/Nagore Aranburu(フリア:ローラの部下)
Juan Grandinetti(アリエル:ローラの部下)
ピラール・カストロ/Pilar Castro (ビオレタ:イバンの妻、児童作家)
Koldo Olabarri(ダリオ:フェリックスの付き人)
Jean Dominikowski(フェリックスのフィジカルコーチ)
Amanda Goldsmith(フェリックスのガールフレンド)
Mary Ruiz(フェリックスのガールフレンド)
María Guinea(フェリックスのガールフレンド)
Isabel García Lorca(美術監督)
Xana del Mar(アートアシスタント)
Melina Matthews(撮影監督)
Sue Flack(撮影セットのディレクター)
Lucía López Arestegui(撮影セットのアシスタント)
Julie Nash(記者会見のモデレーター)
Enrique Asenjo(ジャーナリスト)
Stephanie Figueira(ジャーナリスト)
Martín Brassesco(ジャーナリスト)
■映画の舞台
スペイン:マドリード
ロケ地:
スペイン:マドリード
San Lorenzo deEl Escorial/サン・ロレンソ
https://maps.app.goo.gl/oWKQACDThCNvDyUA7?g_st=ic
Avila/アビラ
https://maps.app.goo.gl/Whj4bPz18HULHe5y6?g_st=ic
■簡単なあらすじ
80歳の誕生日を迎えたウンベルトは、自身のイメージを気にして、名前を残す事業をしようと考えていた
思いついたのが「自分の名前がつけられた橋」と「金に糸目をつけない映画」だった
そこでウンベルトは、部下のマティアスに指示を出して、最高の映画監督を選出させる
選ばれたのは、パルムドールを含め映画賞を総なめにしているローラ・クエバスで、彼女はノーベル文学賞受賞作品の『ライバル(Rivalry)』を映画化することに決めた
兄弟の物語で、演じる俳優も超一流とされるイバン・トレスとフェリックス・リベロが招聘された
ローラは台本を書き上げ、読み合わせとリハーサルを重ねていく
だが、イバンもフェリックスも自分流のメソッドがあり対立してしまう
それでも、ローラは自分のやり方を貫き、2人を黙らせてしまうのである
テーマ:映画が見せるもの
裏テーマ:映画は終わらない
■ひとこと感想
映画制作のメタ映画ということで、迷わずに参戦
ペネロペ・クルスさんが監督ということで、かなりぶっ飛んだものになる予感はありました
内容は、予告編から見られるブラック感が満載で、それぞれが織りなす「嘘」というものが「本物に見える」という凄技を見せつけられた思いになります
どのシーンも本物に見えるところもすごいですが、シナリオの着地点というのがこれまたうまいことできているなあと感心させられます
ネタバレなしで観るのが最高だと思うので、間違っても英語サイトなどをググってはいけませんよ
あと、このブログを読み進める手を止めてもらって、映画館にGOした方が良い案件だと思います
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
というわけで、鑑賞後という前提でブログを進めていきますので、覚悟の程をお願いいたします
映画は「金に糸目をつけない映画制作」となっていますが、原作の映画化権利以外はそこまで金がかかっているようには見えません
映画内では「読み合わせとリハーサル」までが詳細に描かれていて、映画完成はオチのような感じになっていました
リハに臨む際の様々なメソッドがおかしくもありますが、実践的にも見えてきます
全く無関係だと思われたあの練習がそこで回収されるかと驚きましたが、その他にも「嘘をつくシーン」の応酬が見事な出来栄えになっていましたね
映画はネタバレしない方が楽しめるので、これ以上は書きませんが、ここから下の記事はさらに深淵を覗くので、鑑賞していないと意味がわからないかもしれません
■映画が犠牲にするもの
映画というのは、得てして誇張表現であり、美化表現であると思います
現実的な物語を劇的なものに変える際に「映画的」という表現がありますが、それはドラマティックな見せ方になるという意味に近いと思います
また、映画とドラマ(TV)を分ける意味合いもあって、その場合は「TVではできないこと(表現上の制約の一部撤廃)」を期待されているともいえます
120分あれば映画というものではなく、その120分でどれだけ「最初と最後の落差があるのか」というものが求められているのですね
テレビの場合だと「過程が綿密に描かれる」ために、「終着点に向けて一緒に歩んでいく」という感覚になります
それに比べて、映画は120分の枠しかなく、その中で共感性を持たせて、かつ一緒に歩んでいる感というのは難しいものだと思います(最近は150分超えがザラにありますが)
なので、映画の場合だと「こいつらをもっと観ていたい」と思わせるかどうかというところに主眼が置かれます
この映画の場合だと、キャストは3人ですが、誰かに感情移入をさせるという効果は狙っていません
この3人が「一つの目標に向かってどう変化するのか」を追っていく流れになっていて、最初と最後の落差はとてつもなく大きなものになっていました
映画の出発点は「ある富豪の気まぐれに付き合わされる映画監督と俳優」だったものが、最後は「映画を完成させるための共犯者」になっています
そして、「この3人の関係が今後どうなるかわからない」というものを「映画としてちゃんと完結させて付加している」のですね
物語の核として、「映画を完成させる」というものがあり、その過程でぶつかりあった個性というものが、目的のために妥協点を見つけあい、そして、妥協どころではない状況に追い込まれる
この過程が見事に表現されていて、しかも「事が起こるのは一瞬」という演出が効果を際立たせていました
映画というのは、ある意味において「共感力を犠牲にしても、描くべき落差のために全力を注ぐ」という部分があります
本作では、稀有な才能のぶつかり合いの中で、特殊な環境を用意して共感性は低めになっていますが、メソッドがうまく練られているので没入感はあります
また、何気ない緩急がうまく効いていて、その「緩いところが肝要の伏線である」という芸の細かさがありました
この効果を存分に味わうには、「ネタバレしない方が良い」と言えるので、顛末を知ってから観てしまうと面白さは半減するのではないでしょうか
■虚構を真実に見せる方法
映画内で、フェリックスが「嘘の病気」を告白し、その仕返しに「イバンは作り話をし、ローラは無駄な時間を演出する」というものがありました
このフェリックスの演技が映画内キャラクターを信用させるだけではなく、観客側もうまく騙せています
彼が本題に入るまでの導入がうまくて、一見関係ないような話をして、相手の感情が自分に向いた瞬間に「匂わせ」て、次の瞬間には「単刀直入の事実を述べる」のですね
匂わせから本題までに「相手の会話を挟ませない」というテクニックがあり、その一呼吸で関係を支配するトーク力というのは参考になります
人は自分の話を相手に信じ込ませるために様々なテクニックを駆使したがります
いろんな啓発本、ハウツー本で語れるように、その土壌作りは時間を要するものだったりします
今回のフェリックスの仕込みは遅刻の段階から始まっていて、その目的は「自分のペースに引き摺り込むこと」と、「自分のの能力を誇示すること」にほかありません
フェリックスの遅刻癖はいわば関係性の支配で、相手の感情を苛立たせる目的がありました
そして、自分に対するマイナスの感情を相手に持たせて、それを一気に逆流させるのですね
これによって、相手の罪悪感というものが増幅され、普段以上の共感というものを引き出していました
これに対して、イバンは「フェリックスが欲しい答えを提示する」ことで、これまた相手の感情をプラスの方向に持っていきます
そして、最終的に「嘘」でしたと落胆をさせるのですが、その際にも「フェリックスが自分への尊敬を見せること」を理解していて、それが行われた後に落とすという仕返しを見せていました
この2人に対して、ローラは2人の感情を無駄にするという方策ととっていて、自分に向かう苛立ちが消失するぐらいの間隔(翌週)を空けて再開することをフリアに代弁させていました
これは「この先は、あなたたちのペースでは進ませない」というローラの宣言になっていて、これを2人の手の内が見えた後に行うのですね
遅刻の効果は2人が理解しているので、それを逆手に取る上手いやり方であると言えます
虚構に真実を持たせるには、相手の感情が自分の方に向いている、という前提が必要になります
なので、いきなり素の状態から信じ込ませることは難しく、相手が「懐疑」を取り払うタイミングまで待つことになります
それを少しでも早めるために、相手の感情を自分の行動で揺さぶるという段階があって、映画内では「遅刻をする」という行動でわかりやすく表現していました
この構図を映画と観客に当てはめるとするならば、「3人のキャラクター像に注目をさせる」ということになり、それらが「映画に緊張感を持たせる演出(を含めた裏側の暴露)」と相乗効果をもって描かれているところが上手いなあと思いました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
映画のタイトルは「コンペティション(Official Competition)』で、これは最後に行われる「記者会見」のことで、あの会場の後ろにガッツリと「Official Competiton」と書かれていました
あの記者会見は「23KZFF International Film Festival」で、おそらくは「23回目のKZFFの国際映画フェスティバル」という意味になると思います
KZFFがどこから来ているのかは流石にわかりませんね
想像するに「KZ」のFilm Festivalのことで「KZ」が何らかの名前なのだと思います
このタイトルが付けられているのは、あの記者会見の場面が「映画のスタート」に位置付けられるからなのですね
最後のローラによるモノローグにて「終わらない映画がある」と言及されていて、その後、昏睡から目覚めるイバンが描かれています
映画は120分で完結するものなのですが、それは映画の中の話であって、場外乱闘は必要に応じて続くのですね
本作は、メタ構造になっていて、映画内で制作された映画と、その映画を制作する過程を描いた映画(本作)と、それを観ている(チェックしている)映画監督がいます
言うなれば、ローラのナレーションは、本来のガストン・ドゥプラット監督&マリアノ・コーン監督の声ということになり、実際にはローラのナレーションではないという見方ができます
この「記者会見」の場において、映画制作のために事件を隠蔽した共犯者がいて、彼らの日常はイバンの復活によってあらぬ方向へ動き出すでしょう
その後のことは想像にお任せしますという感じになっていて、映画は公開されないままお蔵入りになる可能性が高いでしょう
実際には「突進してきたイバンを受け身で交わしたら落ちた」という正当防衛が成り立つと思いますが、映画公開のために隠蔽したというのは法的にセーフでも倫理的にはアウトになりそうに思います
あの後の流れは、イバンが復活し、映画がどうなったかを知る
すると、自分のアイデアとしての「一人二役で完成している」という事実に直面します
怪我をして、アイデアをパクられているので、表沙汰にしない代わりに何らかの見返りを求めるという方向に動きそうな予感がします
相手にされるかどうかはわかりませんが、イバンは一世一代の大芝居を打つ可能性があり、それを観てみたくなるというのが観客の余韻というものにつながっていると言えるのではないでしょうか
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/385564/review/5904b1e3-7426-454e-888d-6f2eeff949d6/
公式HP: