■もしかしたら、深澤の漫画は、1ミリも進化していないのかもしれません
Contents
■オススメ度
落ちぶれていく物語が好きな人(★★★)
原作ファンの人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2023.3.22(アップリンク京都)
■映画情報
情報:2023年、日本、128分、PG12
ジャンル:連載を打ち切られた元人気漫画家の堕落を描いていくヒューマンドラマ
監督:竹中直人
脚本:倉持裕
原作:浅野いにお『零落(小学館)』
キャスト:
斎藤工(深澤薫:連載が終了した元人気漫画家)
趣里(ちふゆ:深澤と関係を持つデリヘル嬢)
MEGUMI(町田のぞみ:深澤の妻、人気作家・牧浦かりんの編集者)
安達祐実(牧浦かりん:売れっ子作家)
山下リオ(冨田奈央:深澤のアシスタント)
土佐和成(近藤:深澤のアシスタント)
永積崇(徳丸:深澤の担当編集者)
吉沢悠(山石:深澤の同窓生)
菅原永二(加賀:深澤の同窓生)
黒田大輔(平野:深澤の同窓生)
信江勇(ゆんぼ:深澤が利用するデリヘル嬢、豊満)
佐々木志帆(まりめっこ:深澤が利用するデリヘル嬢、痩せ型)
しりあがり寿(怒鳴り散らす編集者)
大橋裕之(アドバイスを乞う新人漫画家)
安井順平(塚田:雑誌編集者)
志磨遼平(くぅ〜太:キャラの名前を間違えるフリーライター)
宮崎香蓮(アカリ:深澤の熱烈なファン)
水橋研二(本屋の店員)
秋草瑠衣子(本屋の店員)
玉城ティナ(猫顔の少女:深澤の後輩)
■映画の舞台
都内某所&千葉県
ロケ地:
東京都:渋谷区
ドトールコーヒーショップ 恵比寿一丁目店
https://maps.app.goo.gl/fYNZFYkDyJ73x9RP7?g_st=ic
東京都:中央区
八重洲ブックセンター 本店
https://maps.app.goo.gl/zAEf3yoYDhAstQ7X7?g_st=ic
東京都:小平市
鷹の台 新月
https://maps.app.goo.gl/62VeLMLLRqFkzaZa9?g_st=ic
東京都:国分市
ほんやら洞
https://maps.app.goo.gl/kkmhxqCJ64vAYDSp8?g_st=ic
名曲喫茶 でんえん
042-321-2431
https://maps.app.goo.gl/uQQJo3GfcxXeFgDcA?g_st=ic
千葉県:九十九里町
不動堂海水浴場(豊海海岸)
https://maps.app.goo.gl/H6QKgtWTsVjkaFWD8?g_st=ic
■簡単なあらすじ
8年にも及ぶ連載を続けてきた漫画家の深澤は、人気も低迷しとうとう打ち切られることになった
完結記念パーティーが開かれるものの、深澤は終わった漫画家として扱われ、担当編集者を含む誰もが興味を失っていた
深澤の妻・のぞみは売れっ子漫画家・牧浦かりんの担当で多忙
家にいる時間が増えても、一向に夫婦らしい会話ひとつなかった
そんな折、深澤はホテルに出向いてデリヘル嬢を呼び寄せる
1人目は豊満とゆんぼと名乗る女性、そして2人目は「猫のような目」をした小柄なちふゆと名乗る女性だった
深澤は、彼女のその目つきから、新人漫画家時代に交際していた「猫顔の少女」のことを思い出す
そして2人は、デリヘル嬢と客の関係を越えて、深く結びついていくのである
テーマ:堕ちた先にある安堵
裏テーマ:零落に潜む本質
■ひとこと感想
ドレスコーズの志磨遼平さんが演技をしている予告編に釣られて鑑賞
原作は未読でしたが、タイトルの「零落」という言葉も妙な引っかかりを持っていました
映画は、落ちぶれた漫画家の転落を描いていますが、どちらかと言えば「積み上げてきたものを自分で壊している」印象がありますね
零落は「落ちぶれる」という意味ですが、「零に落ちる」と解釈すれば「無=出発地点」に返るという意味になります
本作は、漫画というものにこだわりを持つ作家が、庶民迎合の作品へと行き着く様を描いていましたが、その迎合作品こそ、彼の本質を表しているように見えてきます
見方を変えれば原点回帰として、これまでに繕ってきたものを全て曝け出した、とも読み取れるのではないでしょうか
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
漫画家というのは「自分の表現(思想)を気にしながら、相反する売れたいと願望を抱き合わせている傲慢な生き物である」という風に見て取れます
これを公言すると怒られそうですが、劇中の深澤はまさにこの言葉が当てはまる作家だったと思います
彼自身は「表現としての漫画に対する崇高性」と持ちながら、売れている漫画には駄作の烙印を押すのですね
パラパラっと数ページ読んで何がわかるのかという感じで、嫉妬にも似た感情を吐き出していきます
彼の女性関係を見ていると分かりますが、自分の言いなりになっているように演じられる女性しか、彼の周りには寄りつかないのですね
言い換えれば「自分で考えない女性」というものに執着があって、その起因となっているのが「猫顔の少女の言葉」ということになります
彼女の言葉が最後までシークレットになっていましたが、このセリフによって「零落」の持つ言葉の意味がガラッと変わるところが面白かったと思いました
■零落とは何か
「零落」とは、「草木が枯れ落ちる」「落ちぶれる」という意味があります
「おちぶれる」と打つと、変換で「零落れる」と出るように、そのまんまの意味になっています
本作では、売れっ子作家(とは言っても打ち切られているので元売れっ子作家)が転落していくのですが、最終的には「大衆に迎合した次回作を描く」という顛末になっていました
これを漫画家目線で見ると「零落れている」ということになり、言い換えると「読み手の希望通りの作品を描くことは作家性の喪失である」という意味になります
私個人の感覚だと、「零に落ちる」と書くこの熟語の構成を考えると、「何も持たなかった頃に戻る」という意味になりますし、「作家生活で得た良きもの悪きものも全て失う」という意味になると思います
作家生活で彼が得たものはファン(金と名誉)なのですが、彼のファンは熱狂的なアカリを含めて、次回作のサイン会に訪れます
本当にファンを失っていたとしたら、あの場には誰も来ないと思うのですね
でも、そこで深澤が何を失ったのかというのが明確になる残酷さがありました
作家生活を中断している間も深澤にエールを送ってきたのがアカリという少女で、彼女は「深澤の中で最低に思える作品」に対しても、これまでと同じような感銘を受けて涙を流します
これには二つの見方があって、一つは「あなただけには罵倒して欲しかった」という悔しさと、「真意がちゃんと届いている」という喜びであると思います
これまでに深澤を応援してきたアカリは変わることない反応を見せていて、彼女の中では「深澤は変わっていない」のですね
でも、深澤が再び表舞台に出られたのは「出版社が想定する売れる作品を描いたから」でしょう
これに対して、「出版社の思惑に乗って絵を描いた」というものと、「出版社の思惑に乗りつつ自分の作品を描いた」というどちらもある状況があります
となると、アカリは「作品の中に消えていない深澤イズム」を感じたのかもしれません
映画のパンフレットには『さよならサンセット(打ち切れられた作品)』が一部載っていて、再ブレイクの作品は表紙ぐらいしかわかりません
彼の作品が売れなくなった理由というのも映画内では明確ではなく、「作風が飽きられた」「売れていることに迎合して魅力がなくなった」などの様々な相反する理由が想像できます
もし、「迎合してきたつもりだけど売れなくなった」のであれば、いつの間にか彼と編集者の中で「売れる」というものの概念が陳腐化したようにも思えてきます
そういった意味において、「零落」という言葉は、作家生活で付随してきた余計なものが削ぎ落とされた、ということになるのかもしれません
■漫画家とは何者か
漫画家とは、自身の感情や体験を漫画という作品に落とし込める能力を有するもので、連載作家ならば、継続的に読者を惹きつける工夫ができる人のことを言います
個人的には、一時期「漫画研究会」という団体に所属していた過去があり、漫画自体を描くことはできます(面白いとは言っていない)
なので、定められた枚数の中でコマ割りをして、次回に引きを作るというのがどれほど難しいかは理解できます
私の場合は、「同じ顔を何度も描けない」という資質以前の問題であっさりと辞めてしまいましたが、漫画を描ける人はすごいなあと心から尊敬しています
漫画家を題材にした映画はたくさんありますが、描かれる多くのことは「描きたいもの」と「出版社が求めるものが違う」というものが多いですね
出版社は「売れる作品」を求めていて、それが経験則やマーケティングによる分析と、作品に相対した時の感覚というもので判断されています
経験則は「過去の実績」によるデータのようなもので、マーケティングは「現状のニーズ分析」ということになります
なので、今現在求められているもので、過去に実績があるパターンという骨子(判断基準)があります
でも、最終的には、それらの感覚を超える作品というものがあって、それが「世に出すべき(読者の判断に委ねる)作品」というものなのですね
これに対して寛容な出版社もあれば、あくまでも博打は打たないという出版社もあります
なので、同じ作品を持ち込んでも、OKのところもあれば、NGのところもあります
漫画家は「自分の作品の社会的意義」を考えた上で、「それが世に出る環境」について知らなければなりません
環境は読者層ということになり、フィールドを間違うと無意味な時間を費やすことになります
これが大手の出版社だと、「この雑誌では無理でもここならいけるかも」という世に出る選択肢が生まれるので、ハードルが高くても間口は広いという現象が起きます
なので、よほどセルフプロデュースが完璧な場合を除き、ハードルの高い出版社にトライする方が良いと思います
有望な漫画家には担当者が付きますが、まずは担当者の心を動かせる作品を描くことが最低限でしょう
それが難しく、自分の描きたいものを描きたいというのであれば、同人やネットコンテンツで披露することができるので、発表さえすれば逆探知されることもあります
手段は色々ありますが、今は漫画家になるというハードルは以前に比べたら低くなっています
でも、継続的に「売れる」かどうかのハードルは、以前に比べるとかなり上がってきているように思えます
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作の面白いところは、漫画家も編集者も「売れる作品を描くべきだ」と赤裸々なところだと思います
創作を神聖視していなくて、商業作家という前提を崩すことはありません
それゆえに内紛も軋轢もあって、苦悩も生まれています
深澤は「売れるために漫画家になっている」ので、それが叶わなくなったことによって疎外感を感じています
彼の中にある「売れる感覚」がズレていて、他の作品を貶すことで「自分の感覚を守ろうとしている」のですね
でも、それらが様々な出会いによって壊れていくところがリアルでもありました
映画では、デリヘル嬢のちふゆと客以上の関係になるのですが、これはアカリとの関係に近いものがあります
2人の間にはサービス者と客という関係があり、その一線を超えることで、元の関係には戻れなくなります
ちふゆが深澤の前から姿を消したのも、彼がちふゆのプライベートに近づきすぎたからだと言えます
この関係性が続く場合もありますが、だいたいは一方通行になっていて、元に戻ることはありません
常に一定の距離感であることは大事で、深澤はアカリとの関係において、相手の思う深澤というものを演じてきました
SNSのやり取りも上辺というよりは虚飾に近く、彼女とのつながりが消えたら、彼は漫画家を辞めていたかもしれません
アカリがラストシーンで熱く語るのは、彼女自身の気持ちよさが全開だからですが、サービスというものの満足度は、漫画のみならず、客側が決めてしまうものなのですね
なので、深澤がどんな崇高な思想で書き上げても、どんなに売れるものへと迎合しようと、アカリの評価というものには影響がありません
ラストシーンは、深澤がこれまでに抱えてきた「自分の漫画への理想」が崩壊するシーンですが、そもそも「そんなものはなかった」という解釈に近いでしょう
自分の描きたいものを描いて評価された時代と、売れるものを追求して迎合したものに差異はなく、それは自分が描きたいものを描いていたと思っていたけど、実は「売れるために描いていて、いつの間にか迎合していたこと」を見ないようにしていたのですね
なので、深澤の漫画はひょっとしたら、1ミリも変化しておらず、単純に売れて良い気になった深澤が、あたかも自分の漫画に崇高さがあるように勘違いしていただけなのかもしれません
そういう意味において、「零落」というのは「売れた過程によって積み重なった深澤の勘違いを削ぎ落とすことになった=原点回帰した」ともいえます
アカリの涙は「深澤が1ミリも変わっていないことの証明」でもあり、その涙によって誘発された深澤の涙もまた、削ぎ落とせたことをアカリの反応によって確認した、ようにも思えました
なので、私の中ではハッピーエンドだと位置付けています
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/385447/review/f307fa08-c29a-4a02-9c6b-271d0d1e56e7/
公式HP:
https://happinet-phantom.com/reiraku/