■ただ「在る」ということの先に在る「無」という境地
Contents
■オススメ度
映画愛に溢れた映画が好きな人(★★★)
奥野瑛太さんの真骨頂を体感したい人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2023.3.23(アップリンク京都)
■映画情報
情報:2023年、日本、94分、PG12
ジャンル:死体役専門の俳優がデリヘル嬢のトラブルに巻き込まれる中で自分自身を見つめ直していくヒューマンドラマ
監督:草刈勲
脚本:草刈勲&渋谷悠
キャスト:
奥野瑛太(吉田広志:死体役専門の俳優、交通整理バイトと掛け持ち中)
唐田えりか(香奈/金沢ゆり:広志が利用するデリヘル嬢)
楽駆(津田翔太:香奈の彼氏、売れないミュージシャン)
岩瀬亮(高橋:翔太が憧れている音楽プロデューサー)
田村健太郎(東郷岳:広志の後輩俳優)
烏丸せつこ(吉田紀子:広志の母)
きたろう(吉田富造:広志の父)
平井亜門(ボートのカップル、マサル役)
山崎果倫(ボートのカップル、ユキ役)
■映画の舞台
都内某所
ロケ地:
東京都:新宿区
麻雀OZ
https://maps.app.goo.gl/tw6n6h6CrsfYQmb27?g_st=ic
茨城県:つくば市
洞峰公園(たぶん)
https://maps.app.goo.gl/9bbNsint7fM8amEg8?g_st=ic
■簡単なあらすじ
かつて劇団を主宰していた吉田広志は、今では「死体役」として呼ばれる日々を過ごし、交通整理と掛け持ちをしながら生活を続けていた
彼は「死体役」にこだわりを持ちすぎていて、度々監督と衝突して、シーンが差し替えられたりしていた
ある日、癒しを求めてデリヘル嬢を呼んだ広志は、そこで香奈という「有名大学女子大生」のサービスを受けることになった
オプションをつけまくって満足した広志は、帰り際に「どうして、この仕事をしているの?」と彼女に訊いた
彼女は少し考えたそぶりをして、「好きだからかな」と呟き、そして「こんなことでしか人に喜んで貰えないから」と続けた
彼女が帰った後、広志は忘れ物に気づく
妊娠検査薬だったが、こともあろうに広志はそれで検査してしまう
そして、なぜか「陽性反応」が出て焦り始めていた
それから数日後のこと、広志の元に父・冨造から連絡が入った
母・紀子が検査入院するというもので、広志は時間を取って田舎に帰ることになった
母は「大袈裟になること」を嫌がったが、二人は気が気ではなかった
テーマ:夢を持ち続ける方法
裏テーマ:一芸は身を助けるか
■ひとこと感想
ポスタービジュアルと設定が気になったので鑑賞
奥野瑛太さんと言えば、なりふり構わぬチンピラみたいな役が多い印象でしたが、今回は朴訥で自己主張が下手な役回りを演じていました
映画は、死体役が定着した売れない俳優の転機を描いていくものですが、その潮目は激流のようで、とても穏やかなものになっています
テレビ撮影の裏側という感じですが、死体役が専門というのは斬新な設定でしたね
そんなに簡単な役柄ではないと思うのですが、やりすぎの演技は見事だったと思います
デリヘル嬢との何気ない会話とか、名言集の朗読とか、真面目なのかそうでないのか微妙でコミカルなタッチになっているところは良かったですね
パンフレットの作成がなかったのは残念でしたが、監督役と産婦人科役、それと交通整理の同僚役の方は味があってよかったと思います
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
最近の流行りなのか、これまで脇役を専門にしている役者さんが主演を務める映画が増えてきました
これは業界にとっても良いことで、力量のある役者さんにとって、その真価を発揮できる機会が与えられるのは業界自体を底上げすることになると思います
今回の奥野瑛太さんの役柄は、これまでのイメージとは全く違ったものでしたが、本当にうまい人は何をさせても一流なんだなあと改めて感心させられます
唐田えりかさんも色々とありましたが、スクリーンに復帰できてなりよりですし、イメージを払拭するには時間がかかると思いますが、存在感のある役者さんとして活躍されるのではないかと思います
物語は、まさかの「妊娠検査薬に反応」というとんでもない展開があるものの、それをうまく回収していたのは凄かったですね
医療従事者だとちょっとネタバレしちゃってますけれど、それを目的に使用するものではないので、運が良いのかなあと思ったりもしてしまいます
■妊娠検査薬あれこれ
妊娠検査薬は「hCG(ヒト絨毛性性腺刺激ホルモン)」に反応するキットのことで、hCGが尿中に降りてくることで尿検査をすると反応する仕組みになっています
反応が出るのが「妊娠4週目」となっていて、非妊婦・男性の場合は「0.7mIU/m」で、20mIU/mに達した段階で陽性と見なされます(4週目は20mIU/m〜500mIU/m)
男性がこれを使用して「陽性」が出ると、「精巣がん」の可能性があるとされていて、2012年頃にアメリカのマンガ共有サイト「Imgur」に投稿をした男性が「ネット民からのアドバイス」を受けて病院受診したところ、本当に精巣がんが見つかったという事例があります
この人の場合は、しこりが発見されていて、その情報もネットにあげられていて、多くの人から「病院に行け」と心配されたとのこと
hCGの分泌量に反応する仕組みだったことから、このような判定が出たとのですね
市販キットでは「イムノクロマト法」という「抗原抗体反応」を利用したものですが、これで反応した場合はちゃんと血液検査やエコーなどの検査を受けた上で確定診断が下されます
コロナ禍のため、「抗原検査キット」という名称が一般的に浸透してきました
「抗原」とは、生体に侵入した際に「免疫反応」を起こす物質の総称で、「抗体」とは「抗原に特異的に結合して、その異物を生体内から除去するための物質」のことを言います
抗原は「免疫グロブリン」と呼ばれるタンパク質の総称で、ワクチンなどは「無毒化した病原性細菌やウイルスを投与して、体内で病原体に対する抗体産生を促して、免疫を獲得する」という方法になっています
抗原定性検査では「抗原の有無」を判定しますが、抗原定量検査では「抗原の量を測定」します
なので、妊娠検査薬はhCG定性定量検査となり、尿中のhCGの量を調べていることになります
コロナにおける「簡易検査キット」は「定性検査」なので、コロナ治療期間はずっと反応し続け、隔離期間が終わってもキット(定性検査)だと陽性が出続けます
PCR検査だと、発症2日前から反応を始め、その後31日後でも2.8%も陽性率があるとされています
1ヶ月前にコロナにかかっていたら、現在無症状で隔離期間が済んでいても、検査すれば「コロナですね」と言われてしまうのですね
そのために「救急搬送時の付加情報」として、「コロナの罹患歴」というものが併せて報告されています
要は、1ヶ月前にコロナにかかった人が「骨折などで入院が必要」となると、入院前検査で「コロナ陽性が出る」ということになりますね
■ビット・プレイヤーとは何か
最近の映画傾向で、これまで脇役だったポジションの人物を主役にして、コアな層に訴求する作品が増えてきました
いわゆるビットプレイヤー(Bit player)を主演にするというもので、本作は「エキストラ以上バイプレイヤー未満」の役所である「死体役」というものにフォーカスしています
ビット・プレイヤーとは、時代劇の切られ役とか、モブの刑事役とか、表には出ないけど脇を固めて、その人がいることで主役に花を持たせるという役割があります
ビットプレイヤーの定義は、「主役と直接なやりとりがあるキャラクターで、セリフは5行以下」というポジションになります
本作の場合だと、産婦人科医やラストで話す監督がこのポジションになります
本作では、通常の作品だとモブになりかねない死体役を主役にしていますが、このようなキャラを演じる人にも日常はあるし、ドラマもあるのですね
かと言って、主演を演じるタイプの俳優さんがこの役をできるわけではなく、物語の内容に即したキャスティングというものが重要になってくると言えます
本作のような作品は俳優さんの認知度を上げる効果があって、ファンとしては感慨深いものがありますね
俳優さんにはそれぞれ個性があって、それが最も活きるキャスティングがなされますが、コア層に訴求できる物語というのは数多くありますので、そう言った作品が世に出る機会が増えたことは喜ばしいことだと思います
視点を変える映画がトレンドになり、それによって「これまで映画化してもダメだろう」と思われた作品が制作されるようになっていきます
本作は、いわゆるコアな職業ものと言えますが、「望んで死体役に甘んじているわけではない」という根幹があります
自分の人生において、もっと違う人生があったはずだと思うキャラクターでもあり、それゆえに様々な葛藤を抱えています
やりたいことができて生きている人もいれば、やむを得ずに流れ着いた人もいる
そう言った中で、やりたいことにしがみついているけど、本当のところからは逸れているのが吉田という人物なのかもしれません
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は、母の死を体験したことによって、イメージだけだった吉田の死生観が変わっていく様子を描いています
これまで「もっともらしいこだわり」を見せてきたけど、それは自分本位の言い訳のようなものでした
存在感を示したいという欲求が空回りして、求められていないものを押し付けようとする行為は、いわば創作に対しての冒涜とも言えます
吉田のわだかまりの正体は、自分自身の間違ったこだわりであり、それが是正されていく様子が描かれていました
彼は演技に関しては自分なりの解釈を持っていて、研究熱心なところがありました
これは好意的に思える一方で、実体験ではない弱さというものがあります
本で読んだだけの人の死というものは、ある視点を通したものであり、その記述で膨らませる想像とは一線を画すのですね
また、吉田は「シーンの中に必要な死」という捉え方をしていましたが、実際に求められていたものは「不必要な死だった」と言えます
シーンの登場人物には彼らなりの人生があり、そこに不用意に訪れる他人の死は、ある意味「異物」なのですね
なので、死体が語り始めるのは、死体に存在理由が生じた段階、すなわち警察などが死体を調べ始めた時ということになります
そこから、死体を客観視することで事実が浮かび上がるのですが、それまでの死体は「ただ在るだけ」ということになります
ラストシーンで監督がOKを出したのは、その場にいる人は「死体であると認知できるだけの無意味さ」というものが表現できたからだと言えます
このシーンの吉田は「無」として「有」を演じていて、「有」を認知するのは他者なのですね
なので、吉田自身が「有」を意識する必要はありません
彼は母親の死に際して、「人が死ぬことの意味」を知り、それは「有から無になった実感」というものだったと言えます
こうした体験は、ただ向き合うだけではなく、自分との関連性を紐つけることで生きてくるのですね
ラストシーンに向かうまでに、彼は自分の出演したシーンがまとめられたビデオテープを見るのですが、そこに「在った」のは、吉田自身ではなく母だったことに気づいたのではないでしょうか
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/386165/review/6dde31e8-c076-432d-8a9f-b13d1274c378/
公式HP: