■近江商人としての成長をどう描くかよりも、エンタメ性を追求して失敗している
Contents
■オススメ度
とりあえず時代劇ならOKの人(★★)
一風変わった時代劇が好きな人(★★★)
吉本新喜劇のノリが好きな人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2022.12.30(イオンシネマ京都桂川)
■映画情報
情報:2022年、日本、114分、G
ジャンル:近江にて丁稚奉公の若者が市井の商人たちを救う様子を描いたコメディ時代劇
監督:三野龍一
脚本:望月辰
キャスト:
上村侑(銀次:大津の米問屋の丁稚)
(幼少期:小鷹狩八)
森永悠希(蔵之介:大善屋の丁稚、銀次の先輩)
(幼少期:高橋玲生)
筧利夫(伊左衛門:大善屋の主人)
真飛聖(朝陽:伊左衛門の妻)
黒木ひかり(楓:伊左衛門の娘)
(幼少期:大墨菜桜)
前野朋哉(有益:銀次に輔られる眼鏡の行商)
鳥居功太郎(佐助:怪我をする大工)
渡辺裕之(岩男:大工の親方)
田野優花(お仙:「むさしの森茶屋」の看板娘)
帆南(千代:「むさしの森茶屋」の店員)
蔵内王太(梅吉:銀次の手伝いをする少年)
松藤史恩(音吉:銀次の手伝いをする少年)
村田秀亮(喜平:銀次を助ける薬売り)
たむらけんじ(孫太郎:大善屋の常連客)
大橋彰(銀一:銀次の父、農民)
矢柴俊博(平蔵:柏屋の主人、蔵之介の父)
コウメ太夫(村に生息する泣き女)
でんがん(お仙親衛隊)
ギア(お仙親衛隊)
高梨瑞樹(おひさ:「夢楽夢楽茶屋」の一番人気の娘)
徳江かな(おとよ:「夢楽夢楽茶屋」の娘)
落合亜美(おみつ:「夢楽夢楽茶屋」の娘)
堀部圭亮(強欲な大津奉行)
藤岡弘、(人情を重んじる大津藩藩主)
青森佃(ナレーション)
■映画の舞台
滋賀県:近江国
大津藩(現在の大津市)
ロケ地:
滋賀県:彦根市
下矢倉町
https://maps.app.goo.gl/AzjhuD9Jk4dTpDD87?g_st=ic
滋賀県:高島市
滋賀県:甲賀市
油日神社
https://maps.app.goo.gl/qSMyNWVZd2HzUWhZA?g_st=ic
■簡単なあらすじ
近江国の農村で父・銀一とともに農業を手伝っている銀次は、体調が思わしくない父の代わりに行商に出ていた
そこで、薬売りの喜平に出会った銀次は、彼の助けを得て大根を完売させることに成功する
だが、喜びも束の間、帰宅すると父は帰らぬ人になっていた
その後、1人で畑を耕して野菜を売る毎日を繰り返していた銀次だったが、そこに偶然通りかかった武士の刀を汚してしまう
武士は斬りかかろうとするものの、そこに現れた喜平によって救われた銀次は、「大津の大善屋へ行け」とだけ言葉を残した
銀次は彼の言葉の通りに大津に行き、そこで米の取引所の様子を眺めていた
そして、そこにいた大善屋の主人・伊右衛門の跡を追う
伊右衛門は銀次のことを喜平から聞いていて、妻の反対を押し切って丁稚奉公をさせることにした
それから5年後の享保5年(1730年)、銀次は立派な商人への道を駆け上がり、先輩の丁稚・蔵之介たちとともに、研鑽の毎日を送っていたのである
テーマ:三方よしの精神
裏テーマ:嫉妬と信頼
■ひとこと感想
近江商人を取り扱った作品で、一応史実ベースになっているようですが、銀次のモデルになった人物が誰かはわかりません
近江商人の教えみたいなものがあり、今で言う「3WIN」のような考え方があり、そんな中で才覚を表したのが銀次という青年でした
ぽっと出の出自不明の若者に先を越されたり、父の暗躍に巻き込まれる蔵之介ですが、案の定闇を抱えたまま爆弾となっていきます
色恋沙汰がそこまでなかったのが不思議でしたが、まるで古典の英雄譚のように褒賞を受け取る流れはギャグのように思えます
映画の印象は吉本新喜劇から笑いの要素を減らしたコントという感じですね
ガチの時代劇だと思うとなんだかなあですが、NHKとかでやっている時代劇コントだと思えば許せなくもありません
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
キャスティングを見ただけでガチではないことがわかりますので、地雷を踏み抜くという人はいないと思うますが、笑いの質は少々低めかなと思いました
劇中のヲタ芸ダンスとかは振り切って頑張っておられたので面白かったですが、時代劇ファンは激おこ案件なんじゃないかなと思います
時代考証とかはそこまで考えられておらず、人情味のあふれるものの「何を考えているかわからない青年」をメインに据えているので、どの角度で見たら良いのか悩みますね
若者たちの葛藤という意味では蔵之介がメインですが、昔ながらの勧善懲悪があるものの、蔵之介の処罰は軽めの印象を持ってしまいます
大津奉行がこれでもかという悪人になっていて、最後に藩主が持っていく展開もベタでしたね
なので、物語としてはありきたりなのですが、人は悪いことはできないを地で行くような話になっていました
でも、「三方よし」を言うのが藩主というのはどうなんだろうと思いましたね
そこは、長年の経験の中で、「どうして銀次にだけ違う世界が見えているのか」という結びとして、彼自身が気づく流れの方が良かったと思います
■近江商人あれこれ
近江商人とは、「近江国(現在の滋賀県)に本宅(本店、本家)を置いて、他国へ行商していた商人」のことを言います
近江の他にも、伊勢、大坂がいて、映画では大坂の様子も少しだけ描かれていました
時代的には「中世から近代」にかけて活動があって、近江内だけで商いをしていた人は「地商い」と呼ばれていました
映画の大膳屋の規模は分かりませんが、大津内で米の問屋をしていただけなので、実際には「地商い」とされ、「近江商人」とは呼ばれない可能性があります
近江商人は「複式簿記(資本と資産、現金と資産などの二面性のある会計)」を考案し、「資産、負債、純資産、費用または収益の勘定科目を用いて、貸方と借方の合計額を記載する方法」によって、貸借平均の原理(貸方と借方が常に一致する)を示しました
現行の企業などが作る「損益計算書」「貸借対照表」などがこれに当たります
その他にも「契約ホテル」のはしりと言われる「大当番仲間」制度の創設、チェーン店のはしりとされる枝店の開設などもあり、徹底した合理化による流通革命をもたらしました
現在に通じている企業としては、堤康次郎が創設した「西武鉄道、西武グループ、セゾングループ」をはじめとして、「高島屋(飯田儀兵衛)」「白木屋(大村彦太郎)」「伊藤忠・丸紅(伊藤忠兵衛)」「住友財閥(広瀬宰平)」「東洋紡」「東レ」「ワコール」「トヨタ自動車(豊田利三郎)」「日本生命保険(弘世助三郎)」「ニチレイ」などがあります
映画では大津藩主が言及する「三方よし」ですが、これは近江商人の商業哲学として有名な思想になります
三方とは「売り手、買い手、社会」のことを言い、売り手の都合にあらず、買い手が心の底から満足をして、社会全体にも良い影響を与えることを言います
出自として、最古の史料では「1754年に神崎郡石場寺村の中村治兵衛が書き残した家訓」とされています
■勝手にスクリプトドクター
本作のパンフレットにもでっかく明記されている「三方よし」の考え方ですが、映画内で銀次が行った商売の中に「三方よし」とされるものはありません
眼鏡売りの有益は「売り手側のパラダイムシフト」を起こし、お仙の人気投票では「人気獲得のための修行の手伝い」を起こしただけにすぎません
メインとなる「コメの価格情報」に関しても、大膳屋を救うために「他の問屋を出し抜くアイデア」を出しただけなので、この商いですら「三方」というものが存在しません
最終的にこの言葉が「藩主の口から出る」のですが、一連の大膳屋のビジネスのどこを見て「三方よし」なのかは意味がわかりませんでした
映画は、銀次のアイデアが革命的なものを生み出したというもので、近江商人がかつて起こしたパラドックスの変化の表現者として登場しています
分割払いであるとか、コストを下げるとか、人気を取るためにライブをするとか、のテクニックがメインでした
本来ならば、銀次の行動の中に「三方よし」の精神が芽生えていく過程が描かれるはずですが、悪徳奉行と戦うという構図になっているので、純粋に商いの転換を行ったという方向に向かえないのですね
悪役の必要性は分かりますが、勧善懲悪を考えるなら、銀次の「三方よし」の行動によって、大津の商人全体の結束によって、奉行がギャフンと言う(賄賂政治の発覚など)と言う展開になると言えます
そのためには「銀次が情報を仕入れたことで大津の人々が経済的に楽になった」と言う「社会的な好影響」を結ぶ必要があります
前半の眼鏡売りとかライブは銀次の機転、柔軟性を見せるもので、仮初の有頂天などを経て、それが原因で他の問屋の恨みを買うと言う流れに向かうのが自然に思えます
そこで、悪い問屋などが奉行に賄賂を送るなどして、大膳屋の動きを制限すると言うところが限度でしょう
今回のように、奉行の思惑で借用書で嵌めると言うのはリアリティがなく、倒産を免れるために銀次が知恵を働かせると言う内容が近江商人の映画に即しているとは思えません
映画は銀次と言う少年が薬売りと出会ったことで商人への道を歩み、そこで才覚を見せていく成功譚であると思います
そこで描かれるべきことは、大膳屋のビジネスの拡大と伊左衛門越えであると思うのですね
その渦中で蔵之介の嫉妬を買うとか、楓が靡くなどのドラマがあっても良いと思いますが、その才能の発露はもう少し健全な物語の方が良かったのではないでしょうか
なので、もし櫓を使っての奇策をどうしても映画に取り込むのなら、その行動が他の問屋を出し抜くものではなく、大坂との格差を無くすための方策である方が良いでしょう
映画の中では、他の問屋を出し抜いて利鞘を稼ぐと言うだけのものなので、それよりは「大津の経済のために情報を入手する」と言うことで、不当な値段で大坂から買わずに済むなどの「経済圏としての発達」を目的としたものを作った(史実ベースかどうかは置いておく)方がしっくりくると思います
これまで近しい人間だけを助けてきた銀次が、今度は大善屋のみならず大津の商業圏へ影響を及ぼしていく
そうした中で、衝突をするのは伊左衛門ということになり、そして、師匠越えをすることになって、大津の顔になるという本筋があった方が爽快感を描けたと言えるでしょう
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
映画は「近江商人、走る」というタイトルであるにも関わらず「近江商人、走ってねえ」という内容になっていました
走る、走らないはどちらでも良いのですが、近江商人として認められる話なのに、誰が認めるかというところがおざなりになっていましたね
商人が才覚を表す段階で抵抗があり、その多くは内部もしくは外部の嫉妬が生まれます
内部の嫉妬として蔵之介がいて、外部の嫉妬として平蔵がいる、というのが映画のキャストで描ける範囲であると思います
これらの嫉妬を才覚で変化させるのが銀次と言う人物で、大善屋を救うというマインドによって、清濁合わせ飲むという精神に蔵之介が屈することになるでしょう
また、大津商業圏の発達のために情報伝達の重要性を説くのが後半の櫓になるので、そこで大津の問屋が力を合わせることで、平蔵(柏屋)は疎外感を感じ、銀次の影響力に屈するということになるでしょう
なので、これらの商人たちの凌ぎ合いの中で奉行とか藩主が絡んでくると純粋性が失われるので、本来は不要な存在であると思います
時代劇っぽさを出すことと、官民癒着の構造を出したかったのかもしれませんが、ほとんど意味がなかったように思えました
(個人的には蔵之介の密偵設定も不要だと思います)
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/384558/review/9822d786-4f1f-4ac9-8a9a-77a18c80da06/
公式HP: