■曳航されたままの船というところが1番の衝撃


■オススメ度

 

社会派ドキュメンタリーが好きな人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2023.5.10(TOHOシネマズ二条)


■映画情報

 

原題Sur L’Adamant、英題:On the Adamant

情報:2023年、フランス、109分、G

ジャンル:セーヌ川に浮かぶデイケアセンターの日常を切り取ったドキュメンタリー

 

監督:ニコラ・フィリベール

 

キャスト:

アダマン号に集まる人々

 


■映画の舞台

 

フランス:パリ

セーヌ川に浮かぶ「アダマン号」

 

ロケ地:

アダマン号

Day Center L’adamant

https://maps.app.goo.gl/iM33n2Lbtvmjze759?g_st=ic

 


■簡単なあらすじ

 

セーヌ川に浮かぶ精神医療のデイケアセンター「アダマン号」には、フランス公的精神医療の機関にて治療を受けている患者たちが集う場だった

ワークショップと呼ばれるカリキュラムを自分たちで立案して行なっていて、グループ・ディスカッションからダンス、絵画、歌など、様々なことをして復帰支援を行なっていた

 

映画は、アダマン号に潜入し、そこで行われているワークショップを捉えながら、それぞれが疾患について考えていることをインタビューする形になっている

インタビュアーと利用者は名前で呼び合いながら交流を深め、それぞれの哲学にふれる中で、人生訓が提示されていく

 

また、ワークショップの在り方について利用者が問題提起をし、管理者がそれを調整する様子を切り取っていく

 

テーマ:全体を捉える

裏テーマ:言語化される哲学と思想

 


■ひとこと感想

 

「早く出たいと思った」と言う感想を人伝に聞き、「それならばトライしよう」と言うことで急遽参戦

基本的にドキュメンタリーは観ない(映画館では)派なのですが、「そこまで酷評と絶賛が入り混じっているなら」と言うことで興味が湧きました

 

結論から言えば「退屈」の一言なのですが、それはノーカットだからとか、テーマがわかりにくいからではなく、「ほぼ普通の人に見える人々の日常を眺めても楽しさがわからない」からでしたね

いわゆる「人間観察が好きな人」には刺さるのだと思いますが、その趣味がないので「人のプライベートに切り込んでどうするよ?」と言うものはありました

 

映画は、言われないとわからないくらいに普通に話したりしているので、映画にできる部分だけを切り取っているように思えます

すべては個人への配慮もあって映せないと思うのですが、編集がなくても「素材の取り捨て」で趣旨がダダ漏れになっているのですね

このあたりの制作意図があまり好意的に思えず、それゆえに「どんな感情で向き合っても監督の思う壺」と言うところに腹立たしさを感じてしまいました

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

映画は、フランソワさんの歌唱シーンから始まり、フェルナン・デグニーの引用が為されていました

この引用があっさりとしたもので、何を言っていたのか調べるのに苦労しました

 

オープニングテーマも歌詞が過激で、「人間爆弾、いつ爆発するかわからん」みたいなヤバい内容になっていましたね

それを歌っていたフランソワさんが「結局は薬で症状を抑えるしかない」と割り切っているところに色んな闇を感じます

 

個人的な感想としては、「精神疾患の見えやすそうで見えにくい部分」と言うものが問題の難しさを浮き彫りにしているように思います

なんとなく肌感覚でわかる精神疾患的な奇行はまだしも、この映画のワークショップのシーンだけを見ると、イメージしている精神疾患の状況とは違うことがわかります

 

このあたりは使える映像だけを使っていると思うのですが、そもそもが自発的にデイケアに来られる人たちが対象なので、そこまでの隔たりを感じません

後半あたりでは、「言語化の不得意な人たちの集まり」と言う感じになっていて、それは精神疾患の有無に限らないことだと思いながら観ていましたね

 


冒頭の引用、Fernand Deligny『N‘oubiezpas les trous』について

 

フェルナン・デリニー(Fernand Deligny)はフランスの教育者&作家で、「特殊教育」として、非行児や自閉症の子どもたちの保護に反対してきた人物でした

デリニーは「精神疾患の治療」に対する明確な立場を有していて、彼らを保護するのではなく、「共通点を見つけるための努力をすべきだ」というスタンスを取っています

また、映画を教育に使うことに積極的で、『Le moindre geste(1971年)』などを手掛けていました

「S’il n’y a pas de trous, où voulez-vous que les images se posent, par où voulez-vous qu’elles arrivent ?」はこの映画から引用されている引用されているようで、めっちゃ早口だったので「穴がどうのこうの」くらいしか覚えていませんでした

間違っている可能性も高いので拡散はしないでくださいね

N‘oubiezpas les trous」という言葉も、その関連の中にあった言葉で「穴も忘れずに」という意味だそうです

 

フェルナンの研究の一環で映画『Le moindre geste(1971年、フェルナン・デリニー&ジョゼ・マネンティ&ジャン=ピエール・ダニエル共同制作)』が作られるのですが、これはドキュメンタリーとフィクションを交えた作品になっていて、精神的な苦しみを持った子どもたちにフェルナンの理論を実践するという流れになっています

フェルナンは「精神患者の保護」に否定的で、このような映画を通じて自閉症の患者とのコンタクトを取ることを考えていたようです

映画はYouTubeでも見られるようなので、リンクを貼っておきますが、著作権に関してはわからないので自己責任でお願いいたします

https://youtu.be/Yy93xPqckd4

 


フランソワさんが歌う「La Bombe humaine」By Téléphoneについて

 

映画のオープニングとなる「La Bombe Humaine」はTéléphoneというフランスのロックグループが1979年に発表した楽曲になります

↓歌詞の一部はこんな感じ(サビの部分)

La bombe humaine, tu la tiens dans ta main(人間爆弾、あなたはそれを手に持っている)

Tu as I’détonateur juste à côté do cœur La bombe humaine, see’est toi elle t’appartient Si tu laisses quelqu’un prendre en main ton destin See’est la fin, la fin(あなたは起爆装置を心臓のすぐそばに持っている。ほら、それはあなたのもの。誰かにあなたの運命を任せたら終わってしまう)

 

この楽曲のワンコーラスをフランソワさんが熱唱するのですが、この歌詞の内容が前述のフェルナンの教育思想につながっているように思えますね

 

この楽曲はメンバーのジャン=ルイ・オベール(Jean-Louis Aubert)が書いていたSF小説が元になっているとのこと

この物語の中で、男性は「H」の文字のタトゥーを背中に彫っていて、それは「水爆の水素」を想起させるものになっています

それを歌詞にしたのがこの楽曲になっていて、時代性も含めた内容が、現在にも通じていると言えます

 

アダマン号に集う人も、フェルナンが提唱する隔離保護の反対なども含めて、本人の自由意志によって、病気と向き合いながら社会生活を過ごしていくことが重要なのだと再確認させられますね


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

映画は「アダマン号」に集う精神疾患の患者さんの様子をそのまま流すという内容で、編集というものがほとんどされていません

なので、会話の辿々しさやコンタクトの不都合などがそのまま使われていることになります

彼らの思うところを聞かせてもらうという内容で、そこで繰り広げられるインタビューは、やや一方通行のようなものに思えました

このあたりが患者特有のものなのか、インタビュアーとの対話が足りないのかはわからないのですが、感覚的には「相手が理解しているかわからないまま話している」という印象を受けましたね

 

対話というのは、相手の反応を確認しながら次の言葉を選ぶのですが、それがうまく機能していないのですね

これが話し下手のように見えてしまうのですが、編集などを駆使して、端的に内容を伝えるという手法がなされることが多いと思います

本作の場合は、それを意図的にカットせずにそのまま使うことになっていて、それによって評価は二分しているように思います

 

好意的に捉える人の多くは、おそらくは「人間観察が好きな人」で、彼らの発する言葉の端々を聞いて、言語以外の情報からも読み解こうとする人だと思います

対して、話の内容を知りたいだけだとしたら、かなりテンポの悪いインタビューになっていて、受信側の理解度と発信側の理解度の乖離が生まれることによって、この編集方法を否定的に捉えると思います

私個人は、少々かったるいなあと思いながら見ていて、それはどちらかかと言えば「察することに長けている」ということと、スクリーンの向こうとは対話ができないので、聞きたいことを深掘りできないからということでした

 

本来ならば、観客に発信者の真意を伝えるためにスクリーンの向こうにいる受信者が理解度を示すのですが、本作のインタビューではそれをあんまり感じませんでしたね

なので、話している相手が何度か「エリック(音響担当)」とか、「ニコラ(監督)」などの名前を呼んでいましたね

このあたりのバランスは難しいところで、本人が言っていないことを言っているようにも編集できるし、それを避けようとノーカットにすると本作のようになる

でも、使う映像を選別している上で、何らかの主張が紛れ込んでいるので、意図を排除するのは難しいと思います

なので、個人的には「内容や人柄がもっと伝わるようにした方が良かったかな」と感じました

 


■関連リンク

Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://movies.yahoo.co.jp/movie/387279/review/d5520aef-1d56-43de-8a5d-4a59e25be51e/

 

公式HP:

https://longride.jp/adaman/index.html

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投稿者 Hiroshi_Takata

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