■苦い涙を流したのは、観客の方だったかもしれません


■オススメ度

 

恋は盲目を体現したい人(★★)

リメイク元を観たことがある人(★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2023.6.8(アップリンク京都)


■映画情報

 

原題Peter von Kant

情報:2022年、フランス、85分、PG12

ジャンル:友人から紹介された若者に恋をした映画監督が、その喪失の畏れから取り乱す様子を描いたラブロマンス映画

 

監督&脚本:フランソワ・オゾン

リメイク元:ライナー・ベルナー・ファスビンダー/Rainer Werner Fassbinder『The BitterTears of Petra von Kant(ペトラ・フォン・カントの苦い涙、1972年)』

 

キャスト:

ドゥニ・メノーシェ/Denis Ménochet(ピーター・フォン・カント:成功している映画監督、原作のペトラ)

 

イザベル・アジャーニ/Isabelle Adjani(シドニー・フォン・グラーゼナプ:ピーターにアミールを紹介する有名女優)

ハリル・ガルビア/Khalil Gharbia(アミール・ベンサレム:シドニーの友人、俳優の卵、原作のカリム)

 

ハンナ・シグラ/Hanna Schygulla(ローズマリー・フォン・カント:ペーターの母、原作のヴァレリー)

アマント・オーディアール/Aminthe Audiard(ガブ/ガブリエル・フォン・カント:ピーターの娘、原作のギャビー)

 

ステファン・クレポン/Stéfan Crépon(カール:ペーターの忠実な助手、原作のマレーネ)

 


■映画の舞台

 

1970年代、

ドイツ:

Cologne/ケルン

https://maps.app.goo.gl/us2s1HoM1XhYJF4G7?g_st=ic

 

ロケ地:

フランス:パリ

 


■簡単なあらすじ

 

映画監督として大成功を収めたピーターは、忠実な助手カールを顎で使い、傍若無人な生活を送っていた

だが、恋人と別れたばかりで情緒不安定になっていて、いつも以上にカールに無理難題を押し付けていた

 

ある日、そんな彼の元に有名女優のシドニーがやってきた

彼女を主役に抜擢したことでスターダムにのしあがったピーターは、彼女を褒め称えていく

 

彼女は、これから売り出しにかかっている俳優の卵アミールを連れていて、ピーターに紹介したいという

アミールに会ったピーターは、一目で彼に恋をしてしまう

アミールもピーターのことを悪くは思っておらず、次回作への抜擢に期待を膨らませて、関係を持つことになったのである

 

テーマ:執着と豹変

裏テーマ:脳内反応の煩雑さ

 


■ひとこと感想

 

リメイク元は知りませんが、どうやら男女逆転して、レズ→ゲイとなっているようです

その設定の違いを比べることはできませんが、なんとなく「喪失が怖くなって暴走した」というのは同じなのかなあと思ってしまいました

 

映画は、ほぼ室内劇で、ひたすらピーターが喋っているだけになっています

前半は愛を語り、後半は憎しみを語りという感じになっていて、いつ終わるのかなあと思って観てしまいましたね

 

さすがに共感度ゼロなので、なんだかなあと思って醜態を眺めるだけになってしまいました

機会があれば、リメイク元を鑑賞して比較してみたいと思います

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

登場人物が少なくて調べるのは楽ですが、ここまで内容がないとレビューを書くのは一苦労という感じですね

物語的な展開というものがほとんどなく、未練→出会い→幸福→執着→馬脚みたいな感じになっていました

 

映画は、ひたすら喋っているだけなので、字幕を追うので精一杯という感じになってしまいます

前半の甘さよりは、後半のビターの方が好みではありますが、精神崩壊がなかなか激しくて、コミカルにすら思えてしまいます

 

ラストでは、あれだけ忠実だったカールが唾を吐いて去るという衝撃に展開を迎えますが、カールの顔芸が要所要所を締めていましたね

カールがいなければ、本作は闇に葬られていたのではないでしょうか

 


リメイク元について

 

リメイク元はライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督作の『ペトラ・フォン・カントの苦い涙The Bitter Tears of Petra Von Kant)』で、1972年のドイツ映画になります

主人公のペトラ・フォン・カントはブレーメンを拠点とする著名なファッションデザイナーで、舞台も彼女のアパートメントの寝室で繰り広げられています

映画は、ニコラス・プッサンNicolas Poussin)の絵画「Midas and Bacchus」が壁面に飾られています

 

ペトラは結婚していましたが、1回目の結婚相手のピエールは妊娠中に事故で死亡しています

2回目は性格不一致でうまくいかず、今はアシスタントのマレーネと一緒に暮らしています

映画はこの序章を含めて「全6幕」構成になっています

 

「第一幕」はペトラがマレーネに起こされたあと、母親に電話を掛け、いとこのシドニーと話します

そこにシドニーの友人カリン・ティムも加わり、女性4人になります

ペトラはカリンに惹かれ、モデルになることを提案します

 

「第二幕」では、カリンに夢中になるマレーネを描き、そんなことも露知らず、カリンに入れ込んでいくペトラを描きます

カリンには夫がいて、両親は亡くなっています

彼女は両親の話をペトラに聞かせ、夫は自分を奴隷のように扱っていると訴えます

ペトラはカリンに「最高のモデルにする」と約束し、運命付けられていると感じます

そんな様子を見て、マリーヌはさらに嫉妬を募らせます

 

「第三幕」では、カリンがマレーネの様子がおかしいと気付き始めます

カリンは他の男とネタことを告白し、ペトラは嫉妬に狂います

カリンは夫に会うことになり、マレーネは彼女を空港まで送り届けました

 

「第四幕」では、ペトラの誕生日が描かれます

ペトラは深酒をしながら、カリンからの連絡を待ちます

そこに娘のギャビーが到着し、母のヴァレリーもやってきます

ペトラは母を罵倒し、母は娘が女性と恋に落ちていることにショックを受けます

その場にシドニーもやってきますが、彼女の口からカリンが夫のところにいることがわかり、ペトラはさらに怒りに打ち震えます

 

「最終幕」では、ペトラの胸のうちが語られ、先ほどまでの悪態を詫びることになります

マレーネにも謝罪をしますが、彼女は「ペトラに服従するというマゾ的嗜好が終わりを告げた」ためにペトラの元を去ってしまいます

 

という流れになっています

内容はほぼ一緒で、主人公(と恋人)の男女が逆転しています

また、映画には「女性しか出てこない」という特徴があって、本作とはかなり趣が違っています

「Midas and Bacchus」は「自分がふれたものが全て黄金に変わったミダスが、食べ物が全部黄金に変わってしまって途方に暮れる」というニュアンスの絵画とされています

全てを手に入れた者は、愚かな行動によって、大切なものを失うという暗喩に使われているのかなと思います

 


恋愛で精神が崩壊する理由

 

映画では、ピーターがアミールに入れ込んで、ちょっとすれ違いが生じただけで人生破滅だ!みたいな展開になっていました

恋は盲目を地でいくような内容にポカーンとしてしまいましたが、恋愛衝動は時に無茶な行動をさせてしまいます

これが若年における行動なら理解できるのですが、中年のおっさんが乱れまくっているのを見ると冷静になってしまいますね

こいつ、何やってんだ感がとてもすごくて、後半は「ひたすら愚痴」の展開に脳がショートしてしまいました

 

恋愛衝動が変な行動を起こすというのは、個人的にも経験があるのですが、20代前半までだった記憶があります

その起因は、高校生時代に行動しなかったことで後悔を生んだことで、大学では後悔しないようにと「傷つくことよりも行動」という方向にシフトチェンジしていました

恋人がいる人に特攻とか、まあ色々チャレンジしましたが、不思議と玉砕することに対する怖さというものはありませんでした

恋愛衝動は、玉砕の怖さよりも、喪失の怖さの方が先立っていたような気がします

 

この喪失の怖さというものが「悪い予感」を増幅させてしまい、あれこれと考えてしまう原因になっています

喪失の怖さは「惚れたら負け」にも通じるものがあって、この映画のピーターとアミールの関係にも現れています

社会的な立場はピーターの方が圧倒的に上なのに、アミールに心を支配されているので、常に焦燥に駆られているのですね

これを客観的に指摘しても改善できず、痛い目を見るか、終わるまでは続いてしまいます

 

冷静になって立ち止まるか、想像の方向性を変えていくことになるのですが、このどちらもが容易ではありません

恋愛中に盲目にされる要因の一つに「ドーパミンの過剰放出」というものが考えられています

ドーパミンは神経調節分子で、快楽を生む化学物質と考えられていますが、薬理学的には「動機づけの顕著性を与える」とされていて、要は結果に対する行動を促すということになります

ロンドン大学のセミア・ゼキ(Semir Zeki)教授と大阪市立大学の共同研究グループが行った研究では、恋人の写真を見たときに活性化するドーパミン神経が「前頭葉の内側眼窩前頭野」「内側前頭前野」の領域に局在し、気持ちの高まりの強さに関わっているというものを発表していますね

↓「Frontier」Semir Zekiの研究記事のリンク(英語です)」

https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fnhum.2015.00191/full

恋愛衝動も脳内伝達物質の仕業なのですが、その理屈がわかると、ひょっとしたらコントロール可能な時代がやってくるのかもしれません

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

映画は、ほぼ独白劇で早口なので、字幕鑑賞ではキツいタイプの映画になっています

個人的にはミニシアターの場合は最前列に座ることが多いので、この速さはさすがに苦心してしまいました

言ってることは単純なので、一言一句を読んでいく必要なないのですが、吹き替えだったら楽だろうなあと思ってしまいます

 

リメイク元を観る機会も時間もなかったのですが、男女を入れ替えて現代風にアレンジしたという理由まではわからなかったですね

女性が男性に変わったことで、女性だけの会話劇の面白さは変わっているし、ペトラとアミールのキャラが女性っぽく見える時もありました

逆に「全員男性にしたらどうだったんだろう」ということを考えてしまいましたね

パパと息子、友人も男となると、それはそれで絵面がキツいのかもしれません

 

映画は、個人的には合わなかったのですが、唯一好みだったのはカールの顔芸ですかね

ほぼ喋らないので、顔で演技をしているのですが、これが映画の良いアクセントになっていました

むしろ主人公はこの人なのかと思うくらいに存在感があったと思います

 

カールの「ピーターのこれじゃない感」が嫌悪になって、最後は「用無し」なので唾吐いて去るとかカッコ良すぎますね

このシーンが見れたので救われましたが、後半の愚痴連打のシーンだけは「はよ、終われ」と思ってしまいました

さすがに狼狽したおっさんを愛でる精神性も愛情もないので、途中からかわいそうになってしまいましたねえ

唯一の救いは、カメラにアミールを収めることができたことぐらいなのかなあと思ってしまいました

 


■関連リンク

Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://movies.yahoo.co.jp/movie/387133/review/f807d103-c729-4ec0-941e-fdce6ac32071/

 

公式HP:

http://www.cetera.co.jp/nigainamida/

アバター

投稿者 Hiroshi_Takata

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA