■この瞬間を全力で戦ったものだけが、ひとつ上のステージにある本当の楽しさに到達できるのだと思います
■オススメ度
eスポーツに興味のある人(★★★)
青春群像劇が好きな人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2024.3.12(TOHOシネマズ二条)
■映画情報
情報:2024年、日本、122分、G
ジャンル:オンラインゲームの大会に出るためにチームを組んだ高校生3人を描く青春映画
監督:古厩智之
脚本:櫻井剛
キャスト:
奥平大兼(郡司翔太:金髪ピアスの情報科の2年生)
鈴鹿央士(田中達郎:天才ゲーマーの機械科の3年生)
小倉史也(小西 亘:V Tuber&お菓子好きの達郎のクラスメイト)
花瀬琴音(松永紗良:翔太の同級生)
斉藤陽一郎(郡司康雄:翔太の父)
山田キヌヲ(郡司詩織:翔太の母)
西間木冠(翔太の弟)
味元耀大(翔太の弟)
唯野未歩子(田中律子:達郎の母、看護師)
杉山ひこひこ(亘の父)
冨樫真(亘の母)
ともだりのあ(亘の妹)
山下リオ(三上桃子:大会主催者、広報)
和田聰宏(水村俊一:大会主催者、桃子の同僚)
古舘佑太郎(滝田健二郎:大会主催者、桃子の同僚)
薬丸翔(桃子の同僚)
村上航(桃子の同僚)
夏生大湖(足立:翔太の友人)
岩本晟夢(翔太の友人)
志賀李玖(達郎の友人、バスケ部)
井上雄太(達郎の友人、バスケ部)
胡桃のあ(亘の推しVチューバー)
三浦誠己(木村佳浩:阿波高専の電気科の教師)
徳留歌織(木村かおり:佳浩の妻)
OooDa(全国eスポーツ大会の総合司会)
平岩康佑(全国eスポーツ大会の決勝の司会)
影山裕子(長谷川愛:特別支援学校の教員)
すずきみあいムェンドウ(ケニア人の参加者)
いわむらゆきね(ケニア人参加者の友人)
船崎良(雄叫び上げる参加者?)
小田えりな(女性の参加者)
木原健人(参加者、赤い髪)
中津川巧(まーゆ:参加者、雷神)
ちょふ(うどん屋の客?)
八頭司悠友(うどん屋の客?)
■映画の舞台
徳島県&東京都心
ロケ地:
徳島県:阿南市
阿南工業高等専門学校
https://maps.app.goo.gl/gRwL7fgSGhjMswJMA?g_st=ic
徳島県:海部群(翔太の父の職場)
オオキタ日和佐店
https://maps.app.goo.gl/FeAQUCtSxYetMdKH8?g_st=ic
とば作日和佐店(翔太のバイト先)
https://maps.app.goo.gl/iWJxhf9Zh2T6hWqP8?g_st=ic
徳島県:美波町
https://maps.app.goo.gl/UaT2nFVyrCEWsbWy6?g_st=ic
東京都:豊島区
ダイス池袋西口店
https://maps.app.goo.gl/eqbDTPA6aF222UQG7?g_st=ic
東京都:台東区
まんがランド上野店
https://maps.app.goo.gl/vvEAF2UUHW6Un4tp8?g_st=ic
■簡単なあらすじ
徳島の高専の情報科に通っている翔太は、弟二人と不仲な両親と一緒に過ごし、うどん屋でアルバイトをしながら、友人たちと過ごしていた
翔太には取り立てて夢や目標などはなく、同級生の紗良たちと共に何気ない日常を過ごしていた
その頃、同じ高専の機械科に通っている達郎は、オンラインゲーム「ロケットリーグ」にハマっていて、彼は怪我によってバスケの道を閉ざされていた
ある日達郎は、ゲームで負けた後のチャットにて、「ロケットリーグの全国大会」の存在を知る
参加条件は「3人ひと組」で、達郎は参加するためにビラを配り、クラスメイトの亘に声をかける
亘はV Tuberにハマっていて、「人数合わせなら良いよ」と押し切られてしまう
そして、渉が作ったビラは翔太の目に止まり、彼はゲーム未経験者ながらも、やってみたいと思うようになっていた
テーマ:青春と全力
裏テーマ:悔しさの正体
■ひとこと感想
eスポーツを題材にした作品で、実話がベースとなっている本作は、実在のゲームで高校生が対戦する青春群像劇になっていました
ダブル主演のような感じで、半歩引いたところに亘がいるのですが、彼もまた内に篭りながらも、外側の世界に憧れを持っていました
ゲーム自体はプレイしたことがないのですが、車でサッカーをするというとんでもない内容で、妙にリアルな重力感に驚いてしまいました
勝利の舞とかで飛び跳ねているのですが、真面目に考えるとダメなゲームなのだと思います
映画は、それぞれのキャラの背景が丁寧に描かれますが、ちょっと盛り込み過ぎかなと思います
仲間ができることで家庭環境の負の面が緩和されなくはないですが、翔太のあの状況だと高専を辞めざるを得ないのかなと勘繰ってしまいます
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
eスポーツに関しては色々と言われている感じですが、時代を考えればもっとオープンになっても良い頃なのかなあと思ってしまいます
とは言え、高校野球のように同じスポーツで競うという形にはなりづらく、世界的に有名なゲームを用いた技術争いが色んなゲームで行われていって、その中で歴史が刻まれて行くのかな、と感じています
ゲームの特性上、オンラインでネットで試合観戦をするという流れになるのですが、ネットに関しては「情報を拾いに行かないとわからない」部分があって、ゲームに興味があっても存在を知らない人もたくさんいると思います
その市場がどれぐらいの規模になるのかは、どこまで一般層に波及するかにかかっていて、今ではほとんどの人がスマホを持っているので、スマホで完結するのであれば、爆発力があるのかなと感じました
映画では、ゲームによって関わりを持った3人の絆というものが芽生えてくるのですが、彼らの世界が高専の中の誰にも伝わっていかないというのがある意味でリアルだったように思います
あれだけビラを貼り付けたのなら、隠れてやっているゲーマーが試合を見そうに思いますが、そのような背景への波及というのはほとんど描かれていませんでしたね
盛り過ぎるとアレなのですが、せめて紗良ぐらいは翔太が何をやっているのかに興味を持って、それから二人の関係性がどうなるかを描いた方が良かったように思えました
あの感じだと「私よりもゲームの方が大切なのね」と勝手に思われて突き放されている感じがするので、寂しさだけが募ってしまうように思えました
■eスポーツが市民権を得るには
本作は、eスポーツの高校生の大会を描いていて、それにのめり込む青春というものが展開されてきました
eスポーツは今では一般的になりつつありますが、競技の特性上、裾野が広がりにくいものでもあると言えます
映画では「ロケットリーグ」というソフトが登場しているように、それぞれのソフトでの優劣を競うという点ではゲームを開催できても、この世にはeスポーツになり得るソフトが山のようにある状態となっています
そんな中で、突出したゲーム人口と認知度を誇り、かつ数年規模で人気を博し続けるゲームだけが対象になります
一般的な高校生たちの大会は「プレイヤーが変わってもゲームは変わらない」という原則がありますが、eスポーツの場合「プレイヤーもゲームも変わらない」という構造になっています
それゆえに「今回の大会は期間限定」だけど、実際には何歳になっても競い合うことができるのですね
今回は「高校生」という限定的な要素を持ち込んでいますが、この限定性というものを取っ払うことができるのがeスポーツの凄みであり、弱点でもあると言えます
限定性がないと、プレイヤーの裾野が広くなりますが、それに伴って希少性というものがなくなってしまいます
今回のようにプレイをしている姿を見せると透明性は確保されるように思えますが、オンラインでアカウントだけしかわからないと、ぶっちゃけ個人で挑んでいるのかどうかすら担保されないのですね
参加者が見えれば透明化が成し得るのかは何とも言えない部分がありますが、少なくとも表面的には公平にプレイして競い合っているように見える、ということにうるさい人もいるのは事実でしょう
また、不正の発覚などに対するバッシングは秘匿性があるために発覚した時のダメージも大きいように思えます
ゲームで競い合うことに対する抵抗というのは今ではほとんどなくなっているのですが、個別のゲームごとに大会があるという状況は変わらず、トレンドによって使われるゲームも変わってきます
プレイヤーが新しいゲームで遊びたいと思うのと同時にトレンドは推移するため、伝統というものが作られにくいとは思うのですね
歴史のあるゲームでも、アップデートを繰り返していくうちにオリジナルとは操作性なども変わり、ほとんど別のゲームのように思えてくるので、特定のソフトでの戦いというのはとても難しいと思います
この辺りの非連続性を観る側がどう許容していくのかとか、そもそも細かな仕様の変化についていけるのかが一般化できるかどうかの瀬戸際のように感じています
■一般層を巻き込むために必要なマインドシフト
ゲームに対する抵抗というものが無くなっていくのにも時間がかかってきたのですが、それは一般層とゲームの関係性がどのようなものだったか、というところに分岐点がありました
ゲームは勉学を阻害するものという考えで反発があった時代に生きてきた人は、次世代にそれを強要していきます
それらが取っ払われた世代は次世代にネガティブな感情を押し付けて来ないので、その時代がようやく訪れてきた、というところになると思います
これからは、ゲームで育った世代が社会の中心になっていきますが、大会を運営したり、資金を投入する決定権を持っている世代というのは、まだひとつ上の世代で留まってます
これらのマインドが変わるのには世紀単位の世代交代が必要ですが、企業というのは宣言効果が見込めるレベルまで波及し出すと、損得勘定で動くようになります
分かりやすいのはインフルエンサーや芸能人の参戦で、その対象者が広範囲の年齢層に支持があること、だったりします
そのようなイメージの刷新が秘密裏に行われ、それがあたかも当然のような状況になってくると、一般層は「周囲に取り残されまい」という感情になって追随する傾向があります
意思決定をする人と、それを他人に委ねる人との割合を考えると、そのカラクリをうまく利用できれば、波及効果というものが生まれてくるでしょう
とは言え、それらの波及効果を発揮する装置だった地上波というものが廃れてきている以上、これまでのようにはマインドシフトが起こらなくなった、とも言えるのかもしれません
より現代的なことを考えると、大会やゲームを維持する規模の資金調達とオーディエンスが存在すれば良いので、無作為な一般層の取り込みが不要になってきているとも言えます
その規模や資金がどれくらいなのかは一概には言えませんが、知っている人だけのコミュニティが無数に点在し、それが水面下で結束していても、アンテナが無い人には気づかれない
このような状況下でも、運営というものが可能であるならば、一般層の取り込みは必要では無くなっていきます
今ではワールドワイドに展開し、知る人だけが知るコミュニティでも成立するので、世界規模の認知が必要では無くなってきているようにも思えます
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は、高校生の3人が力を合わせて目標に向かうという物語で、その手段がeスポーツということになっていました
達郎はゲームに精通していて、彼自身は自分一人でも勝てると考えていました
翔太は素人だけどやる気があって、ゲームに面白さを感じ始めています
亘はまったく乗り気ではなくて、V Tuberとの時間が割かれることを嫌がっていました
この3人がゲームを介してどのように寄っていくのかというのが本題になっています
達郎は、自分一人では勝てないことを知り、仲間の助けを必要としますが、やる気の無い亘を切り捨てる感じて、翔太と二人で勝とうとします
これが亘のさらなるやる気のなさを生み出しますが、これは達郎が他の二人の伸ばし方というものを知らないからなのですね
彼があの年齢で人を動かす術に長けているというのはファンタジーで、ダメなことをして学ぶのですが、それが却ってリアリティを生み出します
結果的に、亘は褒めると伸び、翔太は押さえつけられると反発するタイプだと分かりますが、それ以上に必要なのは「勝ちたいという熱量」だったりします
負けて喜ぶ人はおらず、勝てないと悔しいというのは誰にでもある感情で、それをどのように活かすかというのが命題になっています
熱を押し付けても相手は引くだけで、意気消沈したら伝播してしまいます
そんな中で彼らが選択するのが「勝敗を超えて楽しむ」ということなのですね
でも、「勝てないと純粋には楽しめない」ので、「勝敗を度外視した楽しむ」は完結することがありません
映画のタイトルは「勝つとか負けるとかどーでもよくて」という副題がついていて、それが映画のキーワードでもありました
この言葉に感化された翔太は、勝つことにこだわった過去があって、その挫折を感じたことがあるのだと思います
そういった競争から逃げている存在でもあり、それがこの言葉によって少し救われた気がしたのでしょう
でも、その言葉を胸にしても、それを無視することはできないのですね
勝敗というのは時の運ではあるけれど、勝利を目指して最善を尽くすことで、プレイそのものの楽しさというものに通じていきます
負けるためにゲームをしても楽しくはなく、勝つためにプレイをする中で、結果として、負けたけど楽しめたというマインドになれるのだと言えます
また、勝利にこだわってラフプレイなどの遺恨を残しても、勝っても嬉しくなかったりします
相手も自分も全力を出し切って、そして時の運としての勝敗がある
この領域に達してこそ、本当の楽しさというものが訪れます
なので、本当の楽しさとは「相手あってのもの」であり、「仲間あってのもの」なのですね
映画では「仲間あってのもの」に特化していますが、本来の楽しさというのは、衝突の先にある一歩登ったところにあるもの、なのかなと思いました
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/100037/review/03593979/
公式HP:
https://happinet-phantom.com/play/