■日の出を見ることができるのは、水平線を眺めた人だけの特権なのだろうか
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■オススメ度
人生の再起の物語に興味がある人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2024.3.11(アップリンク京都)
■映画情報
情報:2024年、日本、119分、G
ジャンル:東北で散骨業を営む男が訳あり遺骨に遭遇する様子を描いたヒューマンドラマ
監督:小林且弥
脚本:斎藤孝
キャスト:
ピエール瀧(井口真吾:震災で妻を亡くした男、散骨業)
栗林藍希(奈生:真吾の娘、食品加工会社勤務)
足立智充(江田:散骨に物申すジャーナリスト)
高橋良輔(城島:江田に同行するカメラマン)
火野蜂三(江田の知り合いの記者)
田中里衣(淺川:東京の連続殺人事件の被害者遺族)
内田慈(河手:奈生の同僚、シングルマザー)
河野新(翔真:河手の一人息子)
宮澤佑(河手の彼氏?)
押田岳(渡部:奈生の同僚、コミック好き)
円井わん(沙帆:奈生の親友)
清水優(隼斗:散骨を疎ましく思う漁師)
渡辺哲(清一:真吾のために船を出す漁師)
遊屋慎太郎(松山:真吾に兄の散骨を依頼する男)
大方斐紗子(平島:真吾に安くで散骨を依頼する老女)
大堀こういち(箕輪:真吾の親友、飲み友達)
宮下かな子(美雪:真吾行きつけのスナックのホステス)
アサヌマ理紗(アヤコ:真吾のお気に入りのホステス)
西洋亮(スナックの客)
三瓶雅之(墓を閉める男)
斎藤恭紀(ラジオのホストの声)
■映画の舞台
日本:福島県
南相馬市
ロケ地:
福島県:相馬市
サンエイ海苔
https://maps.app.goo.gl/Lx7LrjTiNcywdBwr8?g_st=ic
丸仁水産
https://maps.app.goo.gl/QUuxutcY9J1DWsyVA?g_st=ic
デイリーヤマザキ原町北泉店
https://maps.app.goo.gl/9vr28ubLnsXyDbpc6?g_st=ic
スナック恋心
https://maps.app.goo.gl/6zhKBYx2e8Po8mKP6?g_st=ic
■簡単なあらすじ
福島の南相馬にて散骨業を営む真吾は、妻を震災で亡くし、まだ亡骸と対面できずにいた
娘・奈生との折り合いも悪く、日々を地道に生きてきた
ある日、真吾の元に松本という男がやってきて、兄の遺骨を散骨して欲しいと言う
遺骨を預かるものの、埋葬許可証がなかったために散骨は保留、数日後、郵送にて送られてきたが、その名前は「相澤靖史」と言う名前だった
それから数日後、今度はジャーナリストを名乗る江田と言う男が東京からやってきた
江田は、松本から預かった遺骨は東京の連続殺人犯のものだと言い、震災でまだ海にいる人たちに向けて、散骨をして良いのか?と問いただす
真吾は「無関係のものに答える義務はない」と突き放すものの、今度は「殺人事件の被害者遺族」を同伴させ、カメラマンまで連れてやってきてしまう
その動画は拡散され、さらに娘との仲が険悪になってしまい、さらに地元の漁師組合からも釘を刺されてしまうのである
テーマ:無関係者の再生
裏テーマ:代弁者と風化
■ひとこと感想
スケジュールの関係で、意図的ではないものの、3.11に観ることになってしまいました
映画の中が震災から何年後なのかはわからないのですが、放射線を測る機械に対して「撤去するタイミングを見失った」と言うセリフがあるので、10年ぐらいは経っている感じに思えます
これまでに訳あり散骨は知らぬ間にしていたと思いますが、今回はジャーナリストがその行方に張り付いていたようで、それによって真吾が的になると言う流れになっています
「知らずにすでに散骨していた」らどうなっていたのかとか、そもそも誰のものかわかるのか、などの問題はありますが、とりあえず「知ってしまったらどうするか」と言う内容になっていましたね
個人的には「仕事だから」で終わりそうですが、東北の海に散骨されて横須賀で気になると言うのであれば、何をしても気になるのでしょう
トイレに流しても海に辿り着くし、その辺に埋めても、いずれは川に流れて海に行くでしょう
また、あの遺骨を弟に返しても、彼がフェリーか何かに乗って捨てたら一緒なわけで、お気持ちの問題というのは、何をやっても答えは同じであると言えます
すでに火葬されているので、空気として吸っているかもしれないよ、とでも言ったら発狂しそうに思えます
極刑になったのだと思いますが、その後のことにまで口を出してくるのはやり過ぎな感じがしないでもないですね
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
突っ込んだらキリがないのですが、それは「無理やり正義の人になろうとするジャーナリストがいるから」であり、彼が行なっていることは「墓荒らし」以外の何物でもないからでしょう
被害者遺族に「わざわざ殺人犯の遺骨を海に撒こうとしている男がいます」と伝えて感情を揺さぶっているわけで、あの女性が「どこかの劇団の人」でなければ、悪質極まりない感じがします
海に撒くというのが一般的ではなく、さらにその海が震災で亡くなった人がまだ残っているという設定が問題をややこしくしています
故郷の海でもないのなら、わざわざ福島の散骨業を指定しなくても良いのではと思ってしまいますが、最安値だったからかもしれません
兄の呪縛から解放されたいのであれば、彼自身がトイレにでも流すか、一般ゴミで捨てれば良いのですが、それをするのは忍びないという感情があるからなのでしょう
映画は、散骨どうする?という問題よりは、風化しつつある震災で金を稼ごうと考えているジャーナリズムを断罪する内容になっていて、それは「過去の事件を炙り出してビジネスにする」という今流行りの風潮の延長線上にあるもののように思えます
水平線の上には朝日が登りますが、それは海の中から出てきたものではないのですね
どこかを照らしてきたものが順序よくやってきているだけで、それを考えると、一度海の向こうに消えたのなら、新しい太陽だと考えた方が心が楽になるように思えてきます
■散骨について
散骨とは、故人の遺体を火葬した後の焼骨を粉末状にしたものを海、または山にそのまま撒く葬送方法のことを言います
日本の場合だと、散骨には色んな諸条件があるようで、刑法190条では「死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、三年以下の懲役に処する」とあるのですね
これによって、散骨がそれに相当するのかという議論があります
また、遺骨を散骨にするという行為も議論の対象になっているのですね
これ以外にも、散骨が行われる土地の周辺住民とのトラブルになることもあり、海の場合でも、漁場や養殖場の周辺は避けられるようになっています
遺骨を粉状にすると相当な量となり、小瓶に入るような量ではないのですね
現在では、宗教法人などが所有・管理する場所において、樹木葬という形で土地への散骨というものが行われているとされています
海外だと、アメリカのハワイ州では罰金刑となり、ブータンなどの一部の地域では、宗教上の理由から墓を作らずに散骨する習慣があったりします
中国では遺体保存がされた毛沢東以外の多くの人が散骨されているのですが、これは墓地が個人の崇拝の対象となることを避けるためだと言われています
ちなみに、墓地が信奉者の聖地化することを防ぐという意味合いで、ヘルマン・ゲーリング、アドルフ・アイヒマンなどは散骨されていて、日本では東條英機を含む7人のA級戦犯者の遺骨はGHQによって、太平洋に散骨されています
■どうすれば丸く収まるのか
映画では、不自然な点が多く、議論を起こさせるための舞台設定がありました
実際に起こった場合には、もう少し諸事情を聞いたり、埋葬許可証がない遺骨を預かるということはないと思います
そのあたりの「実際の手順」に関しては緩めにして、この状況ならどうするのが良いのかを考えたいと思います
事の起こりは、松山という男が「訳あり兄の遺骨」を持ち込んだことになりますが、実際には「ジャーナリストが嗅ぎ付けてきたから」問題化しているように思います
この持ち込みをどのような経緯で知ったかは業務上の秘匿事項なので教えてはもらえませんが、ジャーナリストがどこかの出版社の記者であるならば、「まずは本当に取材なのか」を確認するために「名刺の連絡先に確認すること」が必要でしょう
おそらくはフリーの記者で飯の種を探しているのだと思われ、背景がないと思いますが、これは自称のようなものだと考えて良いと思います
その後、持ち込まれたものが殺人犯のものということになりますが、そこで反応したのが「被害者遺族」でした
この場合でも、このようなものが持ち込まれ、被害者遺族を名乗る者がジャーナリストと一緒に抗議に来ているという状況が「本当なのか」を確認することだと思います
確認の方法は色々とありますが、この手の連続殺人のような規模だと「被害者遺族の会」というものが発足している場合があるので、そういったものがないかを探すことになると思います
連続殺人犯なので、多くの被害者がいるので、それぞれが殺人犯の遺骨散骨に対してどのように考えているかは人それぞれだと言えます
その意思を確認する必要はあると言えるでしょう
これらのことを一個人が調べてもわからない場合がありますが、こういう時に当該のジャーナリストを利用するのですね
「遺族の総意なのか?」と聞いて、その反応だけで察することもできるでしょうし、そのような対応をされるとは思ってもいないと思うので、そこから綻びというものが出てくると思います
その後、彼は独自のルートで松山を見つけることになります
その情報所得能力を利用する形で松山とコンタクトを取り、彼の真意を尋ねる必要があります
ここまでの流れで、真吾は状況に巻き込まれて、自分自身との葛藤だけで物語を進めています
なので、一度冷静になって、「遺骨を福島に持ち込んだ意図」「それに対する反発の規模」などを特定する必要があるのですね
東京で事件を起こした人物のゆかりの土地が福島なのか、それとも単に東京では断られたので、たどり着いた先なのかなど、確認することが多くあると思います
それらの状況を踏まえた上で、この散骨に正当性があるのかを考える必要があると思います
殺人犯のゆかりの地であるならば、それを踏まえた上で漁業組合と話し合いをする
まったく違うのであれば、地元の理解は得られないので松山に返す、という選択になると思います
単に、再出発のために「お気持ち」を汲んでという行為では成り立たない話なので、誰もが見ていないところで勝手に散骨するというのは、真吾の自己満足のように思えるのですね
松山自身も、その行為の影響について向き合う必要があるので、最低限「どうしてこの地に、散骨という方法を選ぶのか」ぐらいのことは確認しないとダメなんだと言えるでしょう
松山と殺人犯は血縁というだけで縛られているのは確かなのですが、その縁を切れるのは散骨という方法なのかという疑問があります
業者に頼んであとはお任せ、背景は一切喋らないというのでは、今後もその性質で色んなものを抱えたまま生活していくことになります
動画で拡散されたものは削除しても消えないので、自分の行ったことが他人に迷惑をかけている、ということは理解できると思うのですね
その上で、松山が自分の行為に対してどのような反応があって、それに対してどう向き合っているのか、というのを知ることは非常に重要な要素だったと言えるのではないでしょうか
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は、震災の傷が癒えていない主人公が、土地の人間の気持ちと再出発しようとする若者の気持ちとの間に挟まれるというもので、松本はある意味ではメタファーのような存在だったと言えます
震災の傷をそのまま抱えて生きていくのか、それとも苦難があっても離脱しようとするのか
それを試すために「無理難題で理不尽な問題」というものが用意されていたように思えます
実際には起こりづらいものではあるものの、松本の性根(目的)が主人公の推察で終わっているところに疑問の余地があります
理不尽さをもっと強調するならば「この海なら文句は言われないと思った」というところまで追い詰めるのもありですが、おそらくそこまで馬鹿にされると反発してしまうと思います
なので、真吾に与えられた情報だけで、彼はどう判断するのかというところと、今現在の彼の心の向きを示すために、曖昧な感じにしているのだと言えます
映画は、さらなる風評被害を恐れる地元の漁師の反発もありますが、それ以上に「代弁者たるジャーナリズム」への反発を描いているのだと感じました
かなり悪質なジャーナリズムになっていますが、ここまで悪として描くなら「被害者遺族は仕込みだった」というところまで堕ちても良いと思うのですね
実際に「街の声と称した捏造」というのは行われていて、ネット社会の今ではあっさりと拡散されてしまっています
ジャーナリストが流した動画も「TV放映はできない」というもので、ネットで動画がバズっているというくらいでした
公共の電波では流せなくてネットに流したのか、テレビ放映が拡散されたのかはわからないのですが、このあたりもはっきりさせた方が良かったでしょう
テレビ放映を見送られてネットに流したというのであれば、その情報元の怪しさも感じられるし、そもそもがモザイクかけて無許可で流しているのでテレビ局のコンプライアンス的にどうなのかという疑問も残ります
そのあたりの情報の立ち位置というものをもっと鮮明にすることで、最終的な真吾の判断が活きてくるのではないか、と感じました
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/100460/review/03589859/
公式HP:
https://studio-nayura.com/suiheisen/