■神の道理に逆らって生き永らえることこそが、最も「哀れなこと」だったのかもしれません
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■オススメ度
一風変わった映画が好きな人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2024.1.26(イオンシネマ京都桂川)
■映画情報
原題:Poor Things(可哀想なものたち)
情報:2023年、イギリス、142分、R18+
ジャンル:体は大人、頭は子どもの女性が人間を学んでいくヒューマンドラマ
監督:ヨルゴス・ランティモス
脚本:トニー・マクナマラ
原作:アラスター・グレイ『Poor Things(1992年)』
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キャスト:
エマ・ワトソン/Emma Stone(ベラ・バクスター:ゴッドウィンの患者)
ウィレム・デフォー/Willem Dafoe(ゴッドウィン・バクスター:ベラを助ける天才外科医)
ラミー・ユセフ/Ramy Youssef(マックス・マッキャンドルズ:ゴッドウィンの助手になる医学生)
マーク・ラファエロ/Mark Ruffalo(ダンカン・ウェダバーン:ベラを旅に連れて行く弁護士)
ジェロッド・カーマイケル/Jerrod Carmichael(ハリー・アストレー:クルーズ船で仲良くなる男性)
ハンナ・シグラ/Hanna Schygulla(マーサ・フォン・クルツロック:クルーズ船で仲良くなる老女)
ビッキー・ペッパーダイン/Vicki Pepperdine(プリム夫人:ゴッドウィンの助手)
マーガレット・クワリー/Margaret Qualley(フェリシティ:ゴッドウィンの研究対象の女性)
キャスリン・ハンター/Kathryn Hunter(スワイニー:売春宿の女主人)
スージー・ベンバ/Suzy Bemba(トワネット:売春宿の娼婦)
クリストファー・アボット/Christopher Abbott(アルフィー・プレシントン:ベラを知る将軍)
【ロンドンパート】
Jack Barton(気取り屋の学生)
Charlie Hiscock(気取り屋の学生)
Gergo Borbas(よちよち歩きの学生)
Attila Dobai(不幸な学生)
Emma Hindle(ロンドンストリートの子持ちの女性)
Anders Olof Grundberg(ロンドンストリートの少年)
Attila Kecskeméthy(ロンドンのたくましい男)
【リスボンパート】
Jucimar Barbosa(リスボンのドアマン)
Carminho(「Fado」を歌う女性)
Angela Paula Stander(口論する女性)
Gustavo Gomes(口論する男性)
Kate Handford(キティ:ダンカンの友人)
Owen Good(ジェラルド:ダンカンの友人)
Zen Joshua Poisson(リスボンの泣いている赤ん坊)
Vivienne Soan(公爵夫人:ベラをヴィクトリアと間違える女性)
Jerskin Fendrix(リスボンのレストラン・ミュージシャン)
István Göz(ウインクする男)
Bruna Asdorian(リスボンの踊る女性)
Tamás Szabó Sipos(リスボンの踊る男性)
Alexandra Tóth(上流階級の女性)
【クルーズ船パート】
Tom Stourton(スチュワード:船長?)
Mascuud Dahir(ベラから金を受け取る船員)
Miles Jovian(ベラから金を受け取る船員)
Jeremy Wheeler(船のオーナー)
【アレキサンドリアパート】
Hisham Omer(「Alexandria Hotel」のウェイター)
Sam J. Schiavo(戦う海の男)
【パリパート】
János Geréb(犬の飼い主)
Patrick de Valette(ムッシュ・シャペル:売春宿のベラの最初の客)
Raphaël Thiéry(サヴール:売春宿の太った客)
Boris Gillot(メルソー:売春宿の客)
Yorgos Stefanakos(ジョルジュ:売春宿の客、ダジャレ)
Hubert Benhamdine(売春宿の客、ハンサムな司祭)
Laurent Borel(カニ歩きをする売春宿の客)
Gábor Patay(腕にホックをつけた売春宿の客)
Andrew Hefler(足をぶつける売春宿の客)
Damien Bonnard(売春宿の客、息子に性教育を施す父親)
Noah Breton(性教育を受ける息子)
Donovan Fouassier(性教育を受ける息子)
Dorina Kovacs(スワイニーの孫、赤ん坊)
Celina Schleicher(スワイニーの恋人)
Laurent Winkler(パリ医科大学の医者)
Roderick Hill(公園の男)
【ロンドンパート(2度目)】
Keeley Forsyth(アリソン:アルフィーのメイド)
John Locke(デヴィッド:アルフィーの執事)
Wayne Brett(ベラの結婚を取り仕切る司祭)
David Bromley(アルフィーの主治医)
■映画の舞台
イギリス:ロンドン
ポルトガル:リスボン
フランス:パリ
アレクサンドリア
ロケ地:
ハンガリー:
ブダペスト/Budapest
スコットランド
グラスゴー/Glasqow
■簡単なあらすじ
ロンドンの橋の上から、ある女性が身投げをし、天才外科医のゴッドウィンは彼女を救うことになった
事故の影響で知能が子どもレベルになった女性はベラと名付けられ、ゴッドウィンと助手のプリム夫人の元で育てられる
そんな折、ゴッドウィンは医学生のマックスを助手にして、ベラの生育の記録をつけさせることになった
その後、ベラの成長と共にマックスとの関係が深まっていき、ゴッドウィンはベラとマックスを婚約させる
その結婚契約書を作成することになった弁護士のダンカンは、妻となる女性に興味を抱き、会うことになった
ダンカンは監禁状態の結婚に意義を唱え、ベラは結婚までの間にダンカンと旅に出ると言い出す
そして、ダンカンとベラはロンドンを離れ、リスボンに向かう
その頃から知能が思春期に差し掛かったベラは、衝動のままにダンカンと性行為を繰り返し始めようになるのである
テーマ:人間を学ぶということ
裏テーマ:人生の不条理と許容
■ひとこと感想
アカデミー賞受賞目前というふれこみで、先週には先行上映が始まっていましたが、スケジュールの都合で断念
改めて公開日に鑑賞することになりました
率直な感想としては「ちょっと長い」と言うのと、思った以上に激しい濡れ場が満載で、目のやり場に困ると言うものでした
映画としては、衣装や装飾などの映像技術に味があるテイストで、主演のエマ・ストーンは何でもありの体当たり演技をしていました
ほぼ子どもと状態から、最後は娼婦になって妻になるのですが、この変化というものをきちんと表現できていたと思います
さすがに主演女優賞は取るのではないかと思います
物語は、ある事故によって幼児化した女性が大人になるというもので、その過程の中で世界の構造、男女の不条理などを学んでいくことになります
哲学的な部分を多く、単純な性的興奮に支配される年頃から、精神的な知的興奮に身を委ねていく様子が描かれていました
そんな中で男が考えていること、やることは一緒という皮肉めいた裏側がきちんと描かれていたように思えました
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
予告編で大体ネタバレしているのですが、最大のネタバレは「ベラが自分の胎児の脳を移植された女性だった」ということでしょう
冒頭で女性が身投げをするシーンがあり、途中でベラを誰かと間違える女性が登場したりするので、そこまで隠している設定でもなかったりします
映画では、ゴッドウィンが学生に対して行なっている授業がテーマとなっていて、臓器を取り出して正しく戻すにはどうすれば良いかというものが描かれていきます
要は、脳がクリアになった状態に、「人間を移植するとしたらどうなるか」というもので、その為にベラが学ぶべきことというものがたくさん散りばめられていました
世の中の仕組み、男女の問題、性的好奇心と知的好奇心の相関関係など、一気に幼児期から成人まで駆け上がっていくように思えます
そんな中で、紆余曲折を経た女性を幸せにできる男とはどんな男なのかが描かれていて、その着地は無難なものだったように思えました
■人生で起こり得る不条理
映画は、自殺を図った女性に自分の胎児の脳を移植するというもので、その女性自身を助けたというよりは、胎児に成長した体を与えたということになっています
そのために、幼少期の行動が発達障害みたいに見える部分があり、それを再現したエマ・ストーンの演技力は凄まじいものがありました
ゴッド呼ばわりしているところに「神」という意味が含まれているのかは謎ですが、彼が何をしたかということを理解するのには時間がかかるという感じになっていました
物語は、ある程度成長したベラが性的な関心を持ち、それに溺れていく様子が描かれていきます
マックスとの結婚を前に「冒険」に出るベラですが、ダンカンが隠し持っていた男の醜い部分というものに気づかないまま出国することになっています
彼自身がベラを意のままに操れると考えたのかはわかりませんが、最終的にはベラに全てを奪われてしまい、復讐心を駆り立てるまでに対立することになります
このあたりは自業自得な感じになっていて、成長期に悪いことを教え込んだ報復を受けているように思えました
ベラの成長期において、彼女は相当不条理な人生を歩むことになっていますが、彼女自身がそう思っているのかはわからないのですね
あまり悲壮感のないキャラで、行く先々で起こることに目を輝かせていて、経験したものを全て吸収していく強さがありました
アレクサンドリアの一件でも直情的で情緒不安定なのですが、それは彼女の人生が鳥籠だったから、のように思えてきます
籠の中にいた時の感覚のまま外に飛び出しているのですが、それはこれまで彼女が制約はあれども自由だったというものがあって、その延長線上として自由に振る舞っていたのですね
その行動の異質性に気づかないまま、ダンカンは自分の淫らな欲求のために連れ出し、その戒めを受けているのだと言えます
第三者的に不条理に見えることも、条理を知らないことで打ち消されている印象があります
起こったことを全て受け入れるということなら不条理というものは起こらず、逆に想定外のことばかり起こっているダンカン目線だと不条理なことばかりに見えるのですね
でも、ダンカンの不条理の条理は「自分がベラを連れ出したこと」なので、彼の中で完結しているはずの条理を否定しているという不可思議な状態に陥っていることになります
このあたりに考えが及ばないのが、ダンカンの幼児性なのかなと感じました
■心身のバランスが崩れたとき
本作におけるベラは「頭は子ども、体はおとな」という状況になっていて、本来ならば同時並行で成長するものが歪な形で進んでいくことになっています
思春期に起こる体の変化を性徴と言いますが、その性徴によって起こる心身のバランスの崩れというものがなく、生まれた時から生理が定期的にある、という状態になっていると思います
本来ならば、性徴とともに胸が膨らんだり、それによって羞恥心を覚えたり、性的衝動が始まったりという流れを汲みますが、本作の場合は「脳が幼児化すると、体の発育もリセットされる」という感じになっていました
実際にこうなるのかはファンタジーの世界ですが、生まれながらの生理もないし、ある日突然性的な興奮が生まれるという感じになっていたように思えます
このようなケースは類を見ないのでわからないのですが、ベラ自身には身体の成長がないために、それに対するコンプレックスのようなものは生まれていないように思います
また、彼女は外界との接点が与えられず、同世代の比較というものもないので、通常だと感じる「発育の個人差」というものへの感情や反応というものもないのですね
それによって、ベラには感情の起伏が乏しくなっているように見え、常に躁状態のように見えるという演出がなされていたように思えます
通常の人間の場合、身体と精神の成長と劣化というものは同時並行し、ある時点を境に老いていく自分を目の当たりにすることになります
ベラの場合はそこまで年齢が達していないのですが、成長期に起こる身体の変化への反応がないために、一般的ではない行動というものが繰り返されています
それでも、彼女の中での精神的変化は通常の女性(人間)が感じるものになっていて、感情主体、性衝動主体、哲学主体というように、精神構造と欲求が変化していく様子が描かれていました
そして、そんなベラとは対称的な存在として、徐々に幼児化していくダンカンというものが描かれていたように思えます
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は、ベラの成長譚であるものの、実質的には「性的な側面から見た男性の愚かさ」というものを描いていたように思います
紳士的で全てを受け入れるマックス、短絡的で執着の強いダンカン、理性的で知的なハリーがいて、支配的な夫アルフィーが登場していました
後半になって彼女は娼館にて働き始め、そこでは様々な性癖を持った男性が登場し、ありとあらゆるセックスを嗜むという格好になっています
でも、ベラにエクスタシーを与えることができたのは、同性のスワイニーだけだったりするのですね
この構図から見えてくるのは、男性は自分の欲望に忠実だけど、異性(相手)とそれを分かち合えないということなのですね
一緒にエクスタシーを感じようとか、セックスによって相手を楽しめせたり、エクスタシーを感じさせようとする男性は皆無で、それでもベラがセックスから離れないのは、それ相応の快楽があったからだと思います
その価値観を破壊するのがスワイニーによるエクスタシーで、これによってベラの性的な観念や価値観というものが劇的に変化を起こしていきます
通常のセックスだと、雰囲気作り、前戯などを含めて、女性の快感をマックスにさせることを望む男性がいますが、本作ではクンニをするのもスワイニーが最初という感じで、徹底して「自分の性的衝動を果たすもの」として描いていたように思います
それがセックス描写の多さに繋がっていくのですが、同時にベラに尊厳を持つ男性とのセックスというものは描かれません
ハリーは貞操観念がしっかりしているし、マックスもはだけた胸に動揺するものの、それ以上のことはしなかったりします
帰国後も、娼婦として渡り歩いてきた事実を知りながらも、「君の体は君のものだ」「自由にすれば良い」と達観しているのはすごいことだと思います
実際には、嫉妬に溺れ、このような事態を引き起こしたダンカンに対して何らかの措置を講じそうになりますが、マックスはそう言った行動は一切取らないという徹底した紳士的な部分がありました
映画は、末期癌によって衰弱したゴッドのために帰国し、その意思と技術を受け継いで、アルフィーの頭の中にヤギの脳を入れるという報復のようなものが行われます
自分自身がこのようになった経緯にアルフィーが関わっていたことを知るからなのですが、ゴッドの脳を他に移して生かさないところにベラのこだわりがあるのかなと感じました
それは、脳を入れ替えて生きながらえることの無意味さを知ったというもので、ゴッドの脳を移し替える媒体は存在しないと結論づけたのだと思います
そう言った意味において、実験結果としては「できるけどやらない方が良い」というものが検証されたとも言えるので、妥当な落とし所なのかな、と感じました
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/99481/review/03411554/
公式HP:
https://www.searchlightpictures.jp/movies/poorthings