■その構造が誰にとって都合が良いのかを考えると、突破口が見えてくるような気がしませんか?


■オススメ度

 

教育手法の映画に興味のある人(★★★)

メキシコ国境地帯のリアルを体感したい人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2024.12.24(アップリンク京都)


■映画情報

 

原題:Radical(根本的な、革命的な)

情報:2023年、メキシコ、125分、PG12

ジャンル:麻薬紛争地域の小学校に赴任した先生の風変わりな授業を描いたヒューマンドラマ

 

監督&脚本:クリストファー・ザラ

原作:ジョシュア・デイヴィス/Joshua Davis『A Radical Way of Unleashing a Generation of Geniuses(2013年)』

原作の記事のURL→ https://www.wired.com/2013/10/free-thinkers/

 

キャスト:

エウヘニオ・デルベス/Eugenio Derbez(セルヒオ・フアレス・コレア/Sergio:新しく赴任する教師)

 

ダニエル・ハダット/Daniel Haddad(チュチョ/Chucho:「ホセ・ウルビナ・ロペス小学校」の校長先生)

 

ジェニファー・トレホ/Jennifer Trejo(パロマ/Paloma:セルヒオの生徒、宇宙科学に興味)

Gilberto Barraza(パロマの父、ゴミ集めで生計)

 

ミア・フェルナンダ・ソリス/Mia Fernanda Solis(ルペ/Lupe:セルヒオの生徒、哲学に興味)

Franco Ortega(ルペの弟)

Vania Aleysa Parra(ルペの妹)

Viridiana López(ルペの母、看護師)

Ermis Cruz(ルペの父)

 

ダニーロ・グアルディオラ/Danilo Guardiola(ニコ/Nico:セルヒオの生徒、パロマが気になる男の子)

Victor Estrada(チェぺ/Chepe:ニコの兄、アウトロー)

Manuel Cruz Vivas(ナチョ/Nacho:チェぺのボス)

 

Xochiquetzal Martínez(マリア/Maria:パロマを毛嫌いするセルヒオの生徒)

Allison Pérez Bernal(マリアの友人)

Andrea Nicole(マリアの友人)

 

演者不明(カルロス:ゲーム好きの生徒)

演者不明(ドノヴァン:昨日の続きをせがむ生徒)

 

Manuel Márquez(エンリケ/Enrique:?)

Christian González(ジェイミー/Jaime:?)

Edmundo Moñoz(ベト/Beto:?)

 

Enoc Leaño(教育委員長)

 

Erwin Veytia(ガルシア先生/Sr. Garcia:セルヒオの方針を認めない同僚の先生)

Rocío Canseco(フロリタ先生/Doña Florita:学校の図書室の先生)

Sergio Iván Juárez Correa(体育の先生)

Margarita Chavarría(教師)

Libia Regalado(教師)

Claudia Fuentes Medina(教師)

Luis Enrique Parra(副校長)

 

Kaarlo Isaac(ロミオ:車椅子を押す少年)

Librada Eloísa(車椅子の老女)

 

Claudia de Bernal(ラウラ/Laura:セルヒオの妻)

 

Ana Nolasco(大学図書館司書)

Paloma Noyola(マルレネ:大学図書館司書のアシスタント)

 

Antonio López Torres(アーカイブの学者)

Gabriela Melgoza(役所の公務員)

Natalie Añorve Toledano(ネットカフェの少女)

Alexis Briseño(パソコンの説明をする業者)

Marco Antonio Aguilar(パン屋さん)

Paco Peralta(土建の親方)

Héctor Arévalo(土建の技術者)

Jocelyn Chacón(役所の受付)

Ricardo Rodríguez(ガラス職人)

Rogelio González(美容師)

Gabriela Baltazar(スクラップの露天商)

Lucero Cardoza(幼稚園の先生)

Iker Osvaldo Díaz Miranda(泣く子ども)

 


■映画の舞台

 

2011年、

メキシコ:マタクロス

ホセ・ウルビナ・ロペス小学校/Jose Urbina Lopez Primary  School

https://maps.app.goo.gl/eva2LoEf7QAEGZgR9?g_st=ic

 

ロケ地:

上に同じ


■簡単なあらすじ

 

2011年、メキシコにある「罰の学校」ことホセ・ウルビナ・ロペス小学校に赴任してきたセルヒオ・フアレス教師は、初日早々から学校の規定をぶち破る授業を展開していた

チュチョ校長は呆れるものの、生徒たちが能動的に参加しているのを見て、しばらく静観することになった

 

セルヒオは前の学校で問題を起こしていたが、ある情報を得て、この学校への赴任を決意していた

それはいまだにパソコンの助成が届いていないというもので、彼は「生徒が能動的に勉強する方法」というものを模索していた

 

セルヒオは「救命ボートに誰を乗せるか」という課題を提示し、生徒たちに考えさせる

当初は怪訝な表情をしていた生徒たちも、やがては自分たちで意見を出し合って、いろんな結論へと向かっていく

さらにセルヒオは「生徒たちの関心」に寄り添って、指導要綱を無視して、生徒たちの探究心を伸ばしていくのである

 

テーマ:教育の目的

裏テーマ:理想を壊す現実

 


■ひとこと感想

 

メキシコの麻薬戦争勃発中のある町の小学校が舞台になっていて、アウトローな人々が暗躍する流れになっていました

そんな中で風変わりな先生がひと騒動を起こすという内容で、あるウェブニュースの記事が原案となっています

 

映画には実在の人物が登場し、その出会いから様々な障壁を描いていきます

どこまでは事実かは置いておいて、学習要綱の杜撰な運用とか、その限界に対する新しい試みのように思えます

ENLACEと呼ばれるメキシコの共通テストがあって、それで高得点を取るのを目的とする教育に意味があるのか、という問題定義があって、それはそのまま世界中の試験ありき教育に意を唱える内容となっています

 

劇中では、教育委員長が視察し、基礎的なことも学べていないと断罪するのですが、それぞれの生徒が専門的な部分で特化しているだけで、個人に全てを求める教育がどうなのかというところがありました

とは言え、ある程度の基礎教養が必要なのは当然で、それは低学年の段階で行って、高学年になったら、専門性を突き詰めるというものでも良いと思われます

 

教育は「与えるもの」なのか「得るもの」なのかによって見方が変わる映画だと思いますが、今の指導要綱を作っている人たちには響きようがない内容のように思えてしまいますね

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

映画のタイトルは「Radical」で、これには「革新的な」という意味と、「基礎的な」という意味があります

前者だとセルヒオの前衛的に見える授業のように思えますし、後者だと教育委員会が訴える内容にも思えます

とは言え、「基礎的な」という意味合いにもセルヒオの信条は込められていて、それは「学びの姿勢こそが一番必要な基礎である」というものだと思います

 

学びに対して能動的か受動的かというのはとても大事で、今の指導要綱のほとんどを能動的に行える人は「テストで良い点を取ることに快感を覚える」というタイプだと思います

この手のミッションクリアー系の勉強も悪くはなく、自分に降りてきた課題をクリアするために努力をするので問題ないと思います

 

でも、受動的に感じる人も多くて、それはノルマを課せられている労働に近い印象を持っていると言えます

このノルマを努力でこなすということを訓練のような感じに設定していて、それが画一的な能動力の源泉になると考えている人もいます

それでも、いずれはノルマをクリアできなくなるわけで、そうなったときに終わってしまうのが、このタイプの教育方法の限度であるように思えました

 


学びに対する能動性

 

本作では、セルヒオによって壊滅だった教室が復活する様子を描いていて、それはその学校で行われてきたものとは違うものでした

指導要綱によった暗記型の教育から、自らが考えて、他の教科とのつながりを同時に学んでいく

そして、能動的に学びに向き合いたいという心を育てていきました

 

一般論で言えば、受動的な学びは「与えられた情報を耳に入れる」というスタンスで、能動的な学びとは「自らが情報を探し、問いを立てる」というものになります

セルヒオは子どもたちが興味を持てるレベルまで学問を細分化し、彼らの参加を促して行きます

何かしらの数式や法則を学ばせるよりも、その法則が日常のどんな場面で役に立つのかを考えていく

そうして、数式が描いている過程を現象として見せることで、より深い理解度というものを得ていきます

 

受動的な学びは言い換えれば命令に従うというもので、自らが何かを発案したり計画するということをしません

また、興味がないことでも詰め込んでいく必要性に駆られて、自分の興味のある分野とか関心ごとに対して重きを置けなくなります

さらに知識を蓄積させるだけの教育になり、そこから派生するはずの応用、創造、発信を行えなくなります

 

個人的な話だと、中学校の時の暗記型があまりにも面白くなくて、この受動的な学びが楽しくなる方法はないかと考えました

それがテストを自分で作るという方法になり、試験に出そうな箇所をピックアップしつつ、これまでの先生の設問パターン、テスト内における問題の配置のパターンなどを調べました

そして、ほぼ90%ぐらいの精度でテストを作り、それをクラスのみんなとシェアしたことがあります

結果として、答えを知っているテストを受けることになったためか、クラスの平均点が98点とかになってしまいました

あとでバレましたが怒られることもなく、テストというものが「作り手の気持ちになるだけで勉強の見方を変えられる」という気づきに繋がったことを覚えています

 


障壁となる現実の正体

 

これらの学びに対する姿勢の変化を阻害するものは、能動的な学びを育てるための要素を打ち消すものと言えます

内発的な動機づけをさせようとしても、勉強の目的を歪めることで、それが果たせなくなります

例えば、好きな洋楽の歌詞の意味を知るために英語を学ぼうとする子どもに対して、英語の基礎的な文法とかを先に覚えさせるというものがあります

確かに文章を構成する要素を理解することは大事ですが、歌詞は論文ではないので意味がありません

なので、歌詞が持つ世界観を理解する上で文法は不要とも言え、それよりも意味を知るために単語を調べたり、言い回しを覚えていくことで実践的な英語を学ぶことができます

 

これは、目的に沿った学びと紋切り型の指導法のどちらかが効果的かという問題に結びついていて、単に学習指導要綱を教師が満たしたいと思っている間には実現しないでしょう

それよりは、英語に慣れ親しんで拒否反応を薄める方が得策で、その段階で「この歌詞はどうしてこの単語の並びになっていると思う?」と聞くことで、文章がどのように構成されているかを理解できます

歌詞を日本語訳したとして、「君は日本語に直すときに一定の法則で言葉を並べたと思うけど、英語にもそう言った法則があるとは思わなかい?」と聞くのですね

これは英語と国語が密接に関係していることを示していて、英語も国語も使う単語が違うだけで、「人が他人に何かを伝えるためのコミュニケーションツールであり、それはどの言語も同じ役割を持っている」と気づけると思います

 

このように、学ぶということは他の学問や教科と密接に繋がっていて、言語の代わりに数字を使うのが数学で、専門用語で事象を細分化するのが理科や社会だったりします

それぞれの学問は「人間界にあるものをどのように他人に理解してもらうか」という命題があって、そのために独自の説明方法を作り出している、ということになります

これが理解できるようになると、この学問の存在意義はなんだろうと考えるきっかけにもなり、それが不得手な教科にも波及するようになります

 

これらのプロレスを阻害するものが障壁というものなのですが、その最大の要因は「教師が学問を学ぶ意味を生徒に伝えられていないこと」であると言えます

セルヒオが指導要綱を無視するのは、子どもたちが勉強に対して否定的で、親も教師も同じ考えを持っていたからでした

でも、ある偉人の話をすることで、学ぶことの先にあるもの、誰かの学びによって自分の生活が良くなっていることを知ると、それを提供したい側に立ちたいという子どもが現れてくるのですね

それが映画で主役的な立ち位置になっている3人の子どものエピソードになっていたのだと思います

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

映画のタイトルは『Radical』で、これは「根本的な」「急進的な」「かっこいい(スラング)」という意味があります

ラテン語の「Radix(根)」に由来し、物事の根っこに関わる部分という意味があります

セルヒオの教育方法はまさに「学びに対する根本的な部分」というものを最初の入り口にしていたと言えます

 

「急進的な」という意味については、これはセルヒオを傍観する人々から見たときに感じる言葉だと思います

急進的であり、革新的であり、極端な勉強方法に見えてくる

それを肯定的と捉えるか、否定的と捉えるかで反応が違うのは見ての通りだったと言えます

 

何かしらの改革というのは、根本的な部分の見直しをして、それを大胆に改革する必要があります

映画では、とある小学校の教育方法を変えるというものでしたが、それに着手したセルヒオは「環境、保護者の理解、教育者の方向性」というものを根本とみなしていきます

でも実際には、教育をビジネスとして捉えている社会情勢があって、それが様々なものを壊していました

それらは結局のところ、覇権者の権力の維持というものに乱用されていたことがわかります

 

セルヒオはそんな最大の障壁に対してできることから行い、時には道に迷うこともありました

それでも彼が立ち直ったのは、自分自身が幼少期に感じた学びの面白さと、それを伝えたいという欲求、さらにここで変えていかなければ何も始まらないという意思の表れであったと思います

誰しも困難を前にして、それを貫き通すことは難しいと思います

でも、初発の根源的な欲求とか衝動というのはとても純粋なもので、そこに立ち返ることで波及効果というものを生み出していきます

 

行動を起こしていく中で、様々な垢がこびりつくのは当然のことで、それがやがて自分を縛る鎖にもなってしまいます

それでも、自分の初期衝動にふれることでそう言ったものは融解していくものなので、何かを始める時には「初期衝動を紙に書いて掲げておく」というのは良いことだと思います

そこに掲げられた目標とか目的は向かうべき指針にもなるので、繰り返し反芻することによって、日々の行動の修正にも役立つのではないでしょうか

 


■関連リンク

映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://eiga.com/movie/100655/review/04589303/

 

公式HP:

https://katayaburiclass.com/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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