■消えゆく記憶の中で、その行動は記録となり得るのだろうか
■オススメ度
韓国における反日の構造を知りたい人(★★★)
■公式予告編
https://youtu.be/PTBhI_pujd4?si=dioShe-nfQqNlimY
鑑賞日:2023.9.7(アップリンク京都)
■映画情報
原題:리멤버(覚えている)、英題:Remember
情報:2022年、韓国、128分、G
ジャンル:過去の清算のために奮闘する老人を描いたヒューマンドラマ
監督:イ・イルヒョン
脚本:イ・イルヒョン&ユン・ジョンビン
原作:アトム・エゴイアン/Atom Egoyan『Remember(邦題:手紙は憶えている、2015年のカナダ&ドイツ映画)』
Amazon Prime Video『手紙は覚えている』
キャスト:
イ・ソンミン/이성민(ハン・ピルジュ/フレディ:ファミレスで働く80歳の老人)
(青年期:ユン・ウ/윤우)
(少年期:ハン・ヒス/한희수)
ナム・ジュヒョク/남주혁(パク・インギュ/ジェイソン:ピルジュの同僚)
チョン・マンシク/정만식(カン・ヨンシク:事件を追う刑事、ソウル広域警察)
ナム・ムンチョル/남문철(捜査のチーム長)
チョン・ハンビン/정한빈(チェ:カンと一緒に動く部下の刑事、ソウル広域警察)
パク・クンヒョン/박근형(キム・チドク:元国防長官、韓国の英雄)
(青年期:ナム・ミンウ/남민우 )
ユン・ジェムン/윤제문(キム・ムジン:チドクの息子、テハン工業の社長)
チェ・ミンチョル/최민철(キム・ジュンサ:チドクの部下の傭兵)
イ・スンジュン/이승준(パク・ジュンサ:チドクの部下の傭兵)
ハド・クォン/이승준 (チドクの警備の隊長)
パク・ソヨン/박서연(キム・セジョン:チドクの孫娘)
キム・ユルホ/김율호(モジンの秘書)
ソン・ヨンチャン/송영창(チョン・ペクジン:最初に狙われる病院の理事長)
ムン・チャンギル/문창길(ヤン・インソク:反日民族を糾弾する歴史学の教授)
(青年期:イ・ウジョク/이우성)
パク・ビョンホ/박병호(ヒサシ・トウジョウ:元大日本帝国の軍人、現在の韓国とパイプのある日本企業の顧問)
(青年期:キム・ウジン/김우진)
ヤン・ヒョンミン/양현민(チェ・ジンマン:ジェイソンが金を借りているチンピラ、ジン・キャピタル経営者)
パク・セヒョン/박세현(ハン・オクソン:騙されて慰安婦となったピルジュの姉)
ペク・イクナム/백익남(ハン・ヨンシク:ピルジュの父、揚州の小作農、左翼の烙印を押されて逮捕された)
チェ・スンヒ/최승희(ピルジュの母)
ハン・サムヨン/한사명(ハン・ドンジュ:強制徴用を受けて亡くなったピルジュの兄)
クォン・ミンギョン/권민경(ピルジュの妻)
キム・ホンバ/김홍파(セオ:揚州聖母病院の院長、ピルジュの友人で主治医)
ハヨン/하영(リリー:ピルジュのアルバイト仲間)
チョン・スンヒョン/정순원(ジン・サンナム:レストランのクレーマー)
キム・ジヨン/김지영(サンナムの恋人)
チョン・ジョング/정종구(パク・サンテク:インギュの父、テヨン工業の元従業員)
キム・ミンチェ/김민채(インギュの母)
■映画の舞台
韓国:ソウル
ロケ地:
韓国:ソウル
■簡単なあらすじ
80歳になってもファミレスで働いているピルジュは、アルバイト仲間のインギュと仲良しで、お互いをフレディ、ジェイソンと呼び合う仲だった
だが、アルツハイマーの進行によって記憶力が低下したピルジュは引退を決意し、余生をどう生きるかを考え始めていた
ある日、ピルジュは真っ赤なポルシェをレンタルし、インギュに運転手を頼むことになった
ピルジュは「バケットリスト」がひとつ達成したと喜ぶものの、そのお手伝いは予期せぬ方向へと進んでいく
最初に向かったのは大病院で、車で待つように言われたインギュは、なかなか病院から出てこないことに痺れを切らして中に入ってしまう
ピルジュは予期せぬ出来事に慌てるものの、計画を遂行するために関係者入り口から侵入し、院長室にたどり着く
そして、院長のチョン・ペクジンを殺害するに至った
ピルジュは第二次世界大戦時に家族を失っていて、その元凶となった人物をターゲットにして、復讐を果たそうと考えていたのである
テーマ:過去の清算
裏テーマ:未来を生きるために必要な過去
■ひとこと感想
原作はカナダ&ドイツ合作の映画で、内容は「戦争によって家族を殺された老人が復讐する」というプロット自体は変わっていません
舞台がアウシュヴィッツなどになっていて、そこで起こった出来事を主体にして、主人公が相手を追い詰めていきます
インギュにあたるキャラクターもおらず、老人が淡々と復讐を果たしていく様子が描かれていました
本作は、そのプロットを韓国を舞台に変えたものになっていて、関東軍、慰安婦などの大日本帝国時代の遺恨というものが全面に登場しています
日本人役も韓国人俳優が務めていたり、歴史的な解釈も色々と飛び出してきますが、よくこの内容を映画化できなたなと感心してしまいます
韓国国内の評判も二分する内容であると思いますが、歴史史観そのものへのツッコミなどとは別に、反日マインドがどうやって起こっているのかがよくわかる映画になっていましたね
日本から見れば反日ですが、韓国から見れば「反親日」という感じになっていましたね
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
主に関東軍の蛮行を中心に描き、それに加担した韓国人に対して復讐するという内容になっていて、かなり際どいところまで攻めている内容になっていました
創氏改名によって日本人として生きてきた人々が同胞を犠牲にしたという内容で、それを日本軍が主導したというよりは、生き残るためになりふり構わずに必死だったという感じに描かれています
台湾の近代化を取り上げて、いまだに反日思想に入れ込んでるのはダメだと宣う教授なども登場し、違う意味で殺されるんじゃないかとヒヤヒヤしてしまいます
映画では、ピルジュの復讐を果たすためにインギュが巻き込まれていて、いわゆる戦争を知らない世代が「教科書で習ったことと違う歴史を知る」という感じになっています
とは言え、慰安婦問題などで発信され日本に届いているものと、実際に韓国内で教育に使われている史実というのは微妙なズレがあると思います
今ではインターネットで何でも調べらる時代になっていて、若者ほど反日思想のカラクリに気づいている人は多いように思います
過去とどう向き合うかということは大事ではありますが、当事者が不在になった過去をどこまで中心視すべきかというのは難しい問題でしょう
新しい戦争が始まるまで続く可能性はありますが、事の発端は日本政府の態度が曖昧なところにあるのだと思います
■記憶と記録の違い
映画のタイトルは「記憶」という意味になり、戦争当時に行われていた犯罪を忘れずに制裁をするという内容になっています
戦争に関する記録と記憶には違いが生じ、ピルジュが憶えていることと、公式に残っていることというものには乖離があります
これは「記録」というものが都合の良いものだけを残すという性質から生まれていて、「記録に残してはいけないもの」というものは多数存在します
でも、実際に行われてきた事実は当事者の記憶の中に残り続け、ピルジュが体験してきたものを知る者は少なくはありませんでした
犯罪などを断罪する時、それを捌くためには「公式な記録」「明確な証拠」などが求められ、その場にいなかった人たちを説得する必要が生じてきます
本作の場合だと、事情を全く知らないインギュがピルジュが体験したことが本当なのかを疑っていて、それを説得させるものというのが求められてしまいます
でも、インギュを説得させるだけの材料を提示することはできず、彼がピルジュの体験を本当のものだと理解することは難しいのですね
なので、ピルジュという人間を知った上で、彼が起こす行動の純粋性というものが説得力に繋がっている状態になっています
ピルジュが言っている真実を知るのは、彼自身と殺された人たちの中にだけあるもので、それが公の場には出ていない「生き延びるために率先して関東軍の手先になる」というもので、この事実が公式な記録に残ることはあり得ません
あくまでも当事者の中で共有される暗黙知なのですが、多くの人の記憶による証言は、時に公式な記録を凌駕する場合があります
問題は、それを世間が事実認定できるかどうかであり、様々な記録にて裏付ける必要があります
記録というのは客観的なものではありますが、事実と照らし合わせた上で見ると意味が変わるものも存在します
これらの特定作業は難航を極めるので、自分自身でありのままを記録しておく必要があります
映画では、戦争当時の犯罪をキム・ムジンが公の場で語るということを強いるのですが、彼の言葉が本当だったのかを裏付けることは難しいのですね
ピルジュは彼を殺し、自分も死のうとするのですが、インギュはそれを止めます
それは、インギュも死んでしまったら、当時の本当のことが伝わらないまま、単なる脅迫による証言で終わってしまうからです
後世に生きる人が当時のことを知るためにも、ピルジュは生きて、事実を語り続ける必要があり、彼の犯罪の動機を紐解いていくうちに、様々な記録の見方が変わり、暗黙知が公然へと変えていく必要があるように思えてきます
■戦争犯罪の清算の難しさ
戦争の記録というのは、勝者側が残していくものが絶対的なものとして残り、都合の悪いものは消されていく運命にあります
でも、敗者側の感情まで消すことはできず、それが募った結果、多くの感情的乖離を残したまま時が過ぎていくことになります
後世に生きる人は、それらの感情が起因となっている行動を見ることになるのですが、多くの伝承には客観的な記録がない場合が多く、それを信じられるかどうかというところに難しさがあります
また、起こったことに対しても、勝者側と敗者側の認知は異なっている場合が多く、それぞれの理屈というものが一致することはありません
本作でも、韓国の併合に関してどう捉えるかという問題が生じていて、それによって近代化を果たしたという見方もあれば、それは詭弁であるという見方もあります
実際に併合が行われたから近代化が進んだという論理は、当時の韓国の政治経済の状況を知る人にしか理解できない部分があり、結果的にそうなっているという部分もあります
映画における親日派は併合を肯定的に捉え、反日派は否定的に捉えるということが起こっていて、その影響をどう捉えるかは人それぞれの部分もあると言えます
韓国併合に関しては、大日本帝国が大韓帝国側の全借財を肩代わりする代わりにその領土を領有したというものがあり、この事実を知らない人からすれば、いきなりやってきた日本軍に占領されたという見方になると思います
当時の韓国政府がこの事実をどのようにして国民に伝えていたかということが重要で、領有した日本側が説明をしても納得できるものにはならないのですね
そうした当時の感情というものは燻り続け、それはやがて被領有側の意識として共有されていきます
映画では、この併合を利用して地位を拡大した人や、それに便乗して同胞を裏切ってきた者が登場し、それを隠蔽したまま英雄視されていることを止めるという手段に出ています
その歴史が隠蔽されるのは、当事者が全員いなくなった時に起こるので、ピルジュはそれを阻止するために事件を起こし、それによって再度起こった戦争犯罪について、現在の国民に認知させることになりました
でも、生き残るためにしたという正当性を主張する者は勝者の理屈でもあり、彼らの行動によって起こった無念は闇に葬られてしまいます
これが混乱期における感情的な乖離を決定させ、相容れないものを生み出していくのだと考えられます
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は、ある程度自分で歴史を調べたことのある人なら知っているものですが、メディアや人の言うことを真に受けている人からすれば、信じがたい事実であるように思えます
実際に韓国の歴史教育の現場において、併合がどのように教えられているのかは分かりませんが、これまでの政府の対応を見る限りは、国民感情を一つにするためのプロパガンダに使われ続けていると言う印象を受けます
このプロパガンダを持続させるには、その方向性の歴史認識を教育していく必要があるので、その方向性で教育が行われていると言うことは容易に想像ができます
なので、本作のような、政府公式見解に反する映画が登場すると、それは本当なのか?と反発が起こることは容易に想像できます
慰安婦問題でも、一貫して日本軍主導のもとに強制的に行われてきたのだから永遠に賠償しろと言うスタンスで、それがあたかも日本軍だけがやっていたと言うふうに主張しているケースがあります
戦時下の性犯罪において、民間業者の斡旋であるとか、内地に出向いた日本人女性もいたり、「大五種補給品」と呼ばれる在韓国連軍相手に支給された韓国人女性を管理していたのは韓国軍だったという事実、「ライダイハン」と呼ばれる韓国軍がベトナムに侵攻した際に起こった問題なども同時に語られていたりします
戦時下における貧困から身売りが頻出していた時期に、わざわざ軍主導で行う必要があったのかと言う議論もあれば、軍の方で管理するために慰安所を設置したと言う議論もあったりします
これらの歴史認識のずれは「本当のことを知ろうとすること(本質の探究)」と「主張によって存在感を示す(持論の展開)」と言うものが混在しているのが問題なのだと思います
歴史に関しては、どのような主張を裏付けるかで資料を利用すると言うことも起きるし、その主張を行うことで賠償を獲得すると言う手段に出ることもあります
また、国内の政治情勢の主権争いの道具に使われることもあり、本当にどうだったのかと言うのは永遠にわからないように思えます
一般的に性奴隷は金銭譲受のない性的行為の強要と言う意味になりますが、そこで金銭譲受が発生すると商売になってしまいます(でも、行為の後に金を投げつけても商売にはなりません)
斡旋して手数料を取る業者もいれば、個人的に話を持ちかける人身売買も存在するわけで、これは戦時中のみならず現在でも、様々な場所の路地裏で公然と行われていたりします
戦争の最前線において、人間の残虐性というものをどうコントロールするかということを軍が行う必要があり、あえて公的な管理をして、現地の犯罪を抑制するということも行われると思うので、様々なことが同時多発的に起こっていると考えるのが普通のことだと感じます
被害者からすれば、「誰に強制されたか」は問題ではなく、意図しない性行為をさせられたということは強制以外の何者でもないでしょう
それを国をあげて行ったのかどうかというのが国家賠償への論議になりますが、そのような状況を作り出したのは国家という見方もありますので、広義的な意味においてはどの国家も責任を負うべきもので、国際的な保障が必要なのかなと感じています
また、これらのことがらに対して、嘘や捏造を行なって事実を歪めた人というものも多数いて、それらが断罪されないと言うことも問題なのでしょう
発言の撤回、記事の撤回などが相次いでいる割には、訂正元の記事をいまだに引用したりして主張を繰り返すことも見受けられるので、当時よりも無秩序になっているようにも思えてきます
どのような着地点があるのかは分かりませんが、このような問題を恣意的に利用して、国民感情を支配しようとする行為そのものが最も悪質なことのように思えてなりません
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
公式HP:
https://fukushu.jp/