■ラストシーンの解釈は分かれるけど、共通するのは「付加されたセリフへの違和感」だと思う
Contents
■オススメ度
静かな農村のドラマを堪能したい人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2023.3.11(京都シネマ)
■映画情報
原題:隐入尘烟(埃の中に隠れる)、英題:Return to Dust(埃に還る)
情報:2022年、中国、133分、G
ジャンル:ある貧困の農村にて、押し付けられた結婚をする夫婦を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本:リー・ルイジュン
キャスト:
ウー・レンリン/武仁林(マー・ヨウティエ/马有铁:马家の四男、クイインとお見合い結婚をする寡黙な農夫)
ハイ・チン/海清(ツィオ・クイイン/曹贵英:内気で体に障がいをもつ女性、ヨウティエの妻)
チャオ・トンピン/赵登平(マ・ヨウトン/马有铜:马家の三男、ヨウティエの兄)
ワン・ツァイラン/王彩蘭:ヨウトンの妻)
ソ・ケンケイ/曾建贵(マ・ヨウトンの長男)
ウー・ユンジ/武赟志(マ・ヨウトンの次男)
ワン・カイラン/王彩兰(マ・ヨウトンの嫁の姉)
ワン・ツイラン/王翠兰(クイインの兄嫁)
マー・ジャンホン/马占红(クイインの兄嫁の弟)
ヤン・クアンルイ/杨光锐(チャン・ヨンフーの息子)
ワン・シャオラン/王小兰(チャン・ヨンフーの妻)
(チャン・ヨンフー/张永福:病気療養中の地元の豪農)
リ・シェンフー/李生甫(村長)
リウ・イーフー/刘义虎(マー・ヨウウェン/马有文:深圳から帰ってくるヨウティエの親戚)
シュー・ツァイシャ/续彩霞(マー・ホンメイ/马红梅:?)
チャン・チンハイ/張津海(マー・チョンワン/馬成万:?)
リー・ツォンクオ/李増国(衣料品店主)
イェン・ペンチェン/殷鹏程(スタジオ写真家)
ウー・シュエイ/吴雪(スタジオセールスマン)
ワン・チールー/王治贵(牧夫)
ワン・イージー/王屹芝(郡テレビのレポーター)
チェン・シヨン/程宪(郡のテレビ局のカメラマン)
■映画の舞台
2011年、
中国:農村地帯
甘粛省、張掖市花牆子村/チャンイエ市
ホアチャンツ村
https://maps.app.goo.gl/V5VF2t63bAHRid5p9?g_st=ic
ロケ地:
中国:
Gaotai Gansu/甘粛省高台県
https://maps.app.goo.gl/nzwk6vct7929TxKy6?g_st=ic
■簡単なあらすじ
中国甘粛省、張掖市花牆子村にて農夫として働いているヨウティエは、寡黙で内気な性格をしていて、今は兄のメイホンの家に居候をしていた
メイホンには妻と成人した息子が二人いて、ヨウティエを置いておく場所はなかった
ある日、下半身に障害を持つクイインをヨウティエに押し付けようと考えた両家族は、お見合いを強行させて、二人を結婚させた
二人は住処を探し、ようやく空き家を見つけて住み始める
だが、「空き家を壊すと補助金が出る」という国の政策によって、二人の住処もあっさりと奪われてしまった
そこでヨウティエは泥をこねてレンガを作り、藁葺きをしたためて家を作り始める
また、麦の収穫時期も訪れ、二人は生きる糧を徐々に得ていく
だが、思いもよらない事態にて、ヨウティエの未来に暗雲が立ち込めるのであった
テーマ:自分を救うのは自分
裏テーマ:死場所の探し方
■ひとこと感想
SNSでバズった奇跡の映画というふれ込みでしたが、若者がこの映画を観てバスらせた意味はよくわかりませんでした
癒しがあったのかどうかはわかりませんが、暗に漂う体制への批判というものを感じ取ったのかもしれません
物語は、農村のひと組の夫婦の顛末を描いていて、家族、村、市、国から見捨てられている様を描いていきます
搾取され、良いように使われている二人ですが、そんな中でも土着を目指して真剣に生きていきます
彼らが作り上げた家は圧巻で、その前段階のレンガを作るシーンも印象的でした
映画としてはセリフ量も少なく淡々としたもので、ある夫婦の日常を切り取ったドキュメンタリーにも見えます
肌をふれ合わせるシーンもなければ、求愛の衝動もありません
でも、この夫婦の日常には、愛を感じずにはいられません
検閲が入ったとされるエンディングですが、加筆されたものを持ってしても、監督の描きたかったものはブレずに描けたのかなと感じました
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
ネタバレ部分は衝撃的で、あまりにも一瞬のことだったのでちょっとびっくりしましたね
「え? あれで?」みたいな感じになっていて、経緯とかがほとんどわからないまま、その時を迎えたような感覚になりました
これらの流れよりも恐ろしかったのは、その事故に対して、誰も何もしないところでしょう
もしかしたら、誰かが初動で動いていれば、防げたものだったのかもしれません
この出来事を機に、ヨウティエは生き方を変えていくのですが、エンディングでははっきりとそれを描きません
解釈によっては、夜の出発だったので「残りのお金を紙銭にして妻に捧げて自殺」ということもあり得ますし、「ここではないどこかへ」というパターンもありますし、当局の推奨する都会に向かうというものもあるでしょう
個人的には「ここではないどこか」派で、その理由は「クイインの事故の時の周囲の態度」に集約されています
その後、約束をキチンと果たし、自分の痕跡すら完全に消し去るという行動に出ていました
ある程度のお金を得ることができても、都会で生きるには足りないと思うのでう「土地に縛られているけど、それはこの村である必要はない」という覚悟ができたのかなと思いました
■当時の歴史的背景について
映画の時代背景は2011年ということで、都市部と農村地帯の格差が凄いことになっていました
都会パートはおそらく深圳だと思われますが、この落差の背景を少しだけ紐解きたいと思います
前年の2010年は「上海万博」があった年で、その翌月の7月には「国防動員法」というものが施行されています
これは有事があった際に、全国民が全国人民代表大会乗務委員会の決定の動員令に参加するというもので、国防義務の対象者は男性で18歳〜60歳、女性は18歳〜55歳となっています
映画の年である2011年は「中国共産党成立90周年大会」が開催された年だったりします
映画内では、深圳の街でもそこまでクローズアップされていた印象はありません
映画の時代は胡錦濤政権時代(2002年から2012年)で、現在の習近平政権に移行する段階になっています
この時期を舞台にしていますが、政権の交代をどう捉えているかというところに、映画の隠された意図があるように思えました
映画は公開された後、200万元の低予算で大ヒットを飛ばしました
ですが、中国共産党の第20回全国代表大会を控えた頃、「北西部の貧困地帯を描いた映画」はインターネットから完全に削除されたのですね
この理由の一つとして、「特別な不幸を誇張してはいけない」という考え方があり、中国の農村地域の現実に誤解を与えかねないというものがありました
表向きは「不幸は存在しない」という当局の意図があり、田舎で住むことの素晴らしさへの訴求が当局の方針に合わないという向きがあります
でも、実際には「妻が死んだ後に絶望して毒を飲む(この解釈が異様に多い)」という行為が「これから現政権に移行する時期になっている」というところに大きな意味があるのでしょう
時代設定が2000年とかで、胡錦濤政権時代だったら、検閲の中身は変わっていたように思えます
■ヨウティエの選択とは何か
日本公開版では、ヨウティエは備蓄の麦を売り、家財道具を整理し、それらをすべてお金に変えました
牧夫にじゃがいもを返し、妻が死んだ側溝のあたりで、村人に卵を返すのですが、その後に「自宅で卵を食べるシーン」があります
妻の遺影が壁に飾られ、それを見ているヨウティエが描かれるのですね
そして、その祭壇の一番右側に「赤い蓋をした500mlぐらいのサイズの小瓶」があります
ヨウティエはその小瓶をチラッと見た後に横たわり、麦で作った馬を眺めていくシーンがに移ります
このシーンは印象的で、この時に彼の手は小刻みに動いていました
この後、ヨウティエの家を処分するシーンになり、そこに村長とマ・ヨウエン(=深圳から来た人)が来て家を取り壊します
村長から15000元の補助金を受けていたのがヨウエンですが、その後の取り壊されるシーンにもう一人の男性(これが見ようによってはヨウティエに見えなくもない)がくるのですね
その後、ナレーションのように「老四跟着你去住,这也是他新生活的开始(4番目の子供はあなた(=深圳から来た男)と一緒に暮らします、これは彼の新しい人生の始まりでもあります)」というセリフが追加されています
また、字幕の最後にも同じ文言が繰り返されていて、「2011年冬,老四乔迁新居,过上了新生活(2011年冬、第4子が新居に引っ越し新生活を始めた)」とわざわざ書かれているのですね
映画を素直に見ると、妻亡き後に彼女の遺体があった場所で「彼女が作った麦の馬」を眺めているシーンは「悲しみに暮れている」ようにも見えます
でも、祭壇に「ボトルがあること」によって、このシーンは「毒物を飲んで自殺した」と思わせているのですね
実際にボトルを飲んだ描写もなく、ただそのシーンにボトルがあったということが「解釈」を与えています
このシーンに検閲が入り、前述のナレーションのようなセリフが付け加えられているのですが、「ヨウティエが自殺した後に家を取り壊した」ようにも思えるし、「新天地に向かうために取り壊して補償金を得た」ようにも思えます
個人的な感覚だと、家財道具や備蓄を処分して2380元を得て、補償金15000元を得ています(これがヨウティエに渡ったかはわからないが)ので、普通の感覚だと「村を捨てた」のかなと思っていました
妻の後追い自殺をするならば、備蓄などをすべてお金に変える意味がなく、妻の亡骸の横に横たわって、そこで毒を飲むと思うのですね
でも、ヨウティエはそれをしなかったので、その流れを考えると、「村での生活をすべてお金に変えて、都会ではないどこかで一人で暮らした」というのがしっくりくる感じがしました
彼が都会に行く理由はなく、でも検閲でそれが挿入されたのは、劇中でも示されるように「都会に貧困層を住まわせる政策」があるからでしょう
ある意味、プロパガンダっぽい感じになっているのですが、この流れで彼があのマンションで住む可能性はゼロに近いと思います
劇中で、「農民は土地に縛られている」というセリフがあり、これは「農民は都会では暮らせない」という意味に通じます
なので、ヨウティエは農民であることは捨てないけど、妻を殺した土地には留まらないという選択をした、というのが私の感想でした
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
映画は一つの小瓶が重要なシーンにあることで物議を醸し、それによって検閲を受けることになったのですが、この一連の流れをも見越した編集を行なっているように思えました
と言うのも、映画内で国策を描き、それに向かったように見えるエンディングと、ボトルを置いたことで想像される別のエンディングを配置するというのが巧妙だと感じさせます
どちらとも取れるエンディングにしつつ、当局の検閲を見越した上で「明かなプロパガンダを挿入させる」のですが、それによって、さらに映画のメッセージ性が強まっています
ラストシーンとエンドクレジットで強調される「都会に行った」という文言は、逆効果になっているのですね
あのシーンにあのセリフが入ること、字幕の最後に繰り返されて強調されることによって、映画の本編との違和感が生まれ、それが当局の及ばない水面下で拡散される
当初の「田舎暮らしの純愛は素晴らしいという感想」だったものが、検閲によって映画を私物化しているという批判に置き換わり、最終的には巧妙な仕掛けによってバズっていく
この映画が中国の「若者を中心にバズった」理由がわからなかったのですが、「純愛路線」でバズったというよりは、「検閲路線」でバズったという感じに思えてきます
映画のパンフレットには検閲のことは一言も載っていませんし、バズったのも「泣ける映画だった」という分析になっています
公開2ヶ月後にいきなり中国版TikTokで取り上げられてバズったとされていますが、個人的な憶測だと「検閲を逆手に取った印象論」に気づいた人が仕掛けたのかなあとか考えてしまいました
映画がヒットすることで「違和感」がクローズアップされ、それは明文化されない検閲への拒否反応を生み出します
それを考えると、検閲を受けることを想定して、その内容すらも予測していたのかなと考えてしまいます
これらの効果は想定通りに行くものではありませんが、裏メッセージを配した構成になっているのが巧みにも思えました
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/385398/review/3b53ff0b-51e6-4bd2-a5be-4347eac7ffdb/
公式HP:
https://moviola.jp/muginohana/