■状況の中にいると見えないものも、外側から見ると滑稽な風刺絵になっている


■オススメ度

 

社会風刺系映画に興味がある人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2023.12.4(イオンシネマ京都桂川)


■映画情報

 

情報:2023年、日本、120分、G

ジャンル:惑星難民がいる世界において、その疑惑を取材する記者を描いたヒューマンドラマ

 

監督&脚本:熊澤尚人

原作:パリュスあや子『隣人X(講談社)』

 

キャスト:判明分のみ

上野樹里(柏木良子:惑星難民Xの疑惑のある女、コンビニ&宝くじ売り場勤務)

(幼少期:吉田帆乃華

林遣都(笹憲太郎:良子を担当する「週刊東都」の記者)

 

ハン・ペイジャ/黃姵嘉(リン・イレン/林怡蓮:地震研究に来た留学生、居酒屋&コンビニ勤務)

野村周平(仁村拓真:夢見るバンドマン、リンが働く居酒屋の同僚)

 

原日出子(柏木麻美:良子の母)

酒向芳(柏木紀彦:良子の父、元コンビニ経営者)

 

川瀬陽太(内田瑛太:Xの記事のために「週刊新報」から引き抜かれた記者)

嶋田久作(小池:「週刊東都」の編集長、笹の上司)

バカリズム(月村祐一:週刊東都の副編集長)

 

平原テツ(古谷:良子につきまとうコンビニのエリアマネージャー)

テイ龍進(良子に絡む宝くじ売り場の客)

足立智光(リンの勤める居酒屋の店長)

 

髙橋かすみ(憲太郎の祖母)

吉家章人(憲太郎の祖母の施設の介護士)

 

須賀裕紀(拓真のバンドメンバー)

長谷川かすみ(拓真のバンドメンバー)

日比杏奈(拓真のバンドメンバー)

 

常世晶子(ニュースキャスター)

西郷豊(憲太郎の同僚)

村松和輝(憲太郎の同僚)

木村龍(憲太郎の同僚)

長岩健人(憲太郎の同僚)

藤田直美(憲太郎の同僚)

丁源水(リンのルームメイト)

周浚孏(リンのルームメイト)

菅沼翔也(居酒屋の客)

堀井みゆ(林伽蓮/ハヤシカレン:別の階のリンそっくりの女)

茉白実歩(介護士)

須原麻衣(記者)

伊藤玄紀(記者)

 


■映画の舞台

 

都内某所と地方都市(ロケ地は滋賀県彦根市)

 

ロケ地:

滋賀県:彦根市

ビバンティ彦根

https://maps.app.goo.gl/3fgxKpdZB8zYxf8DA

 

彦根銀座商店街

https://maps.app.goo.gl/FkEbrLN1g3HC5qXU7

 

彦根中央商店街

https://maps.app.goo.gl/ASFus4sTowBZZnqi8

 

彦根城

https://maps.app.goo.gl/BLcJwrtSwucHHrq5A

 

滋賀県:米原市

フタバヤ近江店

https://maps.app.goo.gl/Uohc8MUWJpTuLucD6

 

滋賀県:長浜市

道の駅 湖北みずどりステーション

https://maps.app.goo.gl/iy9qJPsEdYfG9suR8

 

デイサービスさくら

https://maps.app.goo.gl/dXakvbJo3hfvmqcr6

 

コメダ彦根平田店

https://maps.app.goo.gl/K8ASPeoh462r2dQ17

 


■簡単なあらすじ

 

アメリカの行動に追従することになった日本は、惑星難民のXを受け入れることになった

だが、閉鎖的な日本では世論は懐疑的になっていて、週刊誌はその恐怖を煽るようになっていた

その先鋒とも言うべき「週刊東都」では、「Xは誰か?」を追求するための特集記事を組み、契約記者の笹憲太郎はそれに参加することになった

 

編集部は秘密裏に「X容疑者」のリストを手に入れていて、憲太郎は「柏木良子」と「リン・イレン」と言う2人の女性を追うことになった

良子は宝くじ売り場とコンビニで働き、リンは台湾からの留学生で学費のために居酒屋で働き、良子と同じコンビニで働いていた

 

憲太郎は「X」である証拠を掴むために良子に接近し、その関係を深めていく

だが、一向に「X」である証拠は見つからない

そんな折、憲太郎は玄関先で何者かと接触し、それは良子の疎遠の父親のような存在だった

そこで憲太郎は良子に「父親に合わせて欲しい」と懇願するのである

 

テーマ:レッテルによって規定されるもの

裏テーマ:レッテルを加速させるマスコミ

 


■ひとこと感想

 

予告編の情報しか知らず、上野樹里演じる良子が宇宙人ではないかと勘繰っていく内容になっていました

冒頭から「アメリカに追従する日本」と言う社会風刺っぽいものが入り、Xについても「コロナと同じように排除するのですか?」と言うセリフも飛び出してきます

一応は、社会風刺系の映画ではありますが、印象としては恋愛映画にシフトしているように思えました

 

劇中では2人の女性に疑惑が取り沙汰されていますが、俯瞰して見ると「誰もがXに見える」と言う感じになっています

映画の設定だと「最初に遭遇した人類をコピーする」というものなので、オリジナルは近くにいるのですね

留学生リンの上の階に良く似た女性が住んでいたように、良子のオリジナル(あるいはコピー)も近くにいるように思えてしまいます

 

映画は、脚本的にどうなの?と言うところが多く、シーンが変わるところで「憲太郎が夢から目覚める」を連発し、「スマホのアラームで起きる」も多用されていました

配役はハマっていたと思いますが、全体的にはしっくりこない演出や展開が多かったように思います

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

隣人が宇宙人かどうか問題が浮上していますが、見分けがつかない実害がないと言う状況が続けば、いずれは誰もが興味を持たなくなってしまうと思います

連日、マスコミが報道を加熱させて、数ヶ月経っても「あやしい」から抜け出せないのですが、人間よりも遥かに高度な文明を有していれば暴くことすら無理だと考えられます

 

映画では、主人公が2人の女性を追うことになっていますが、ぶっちゃけ良子の話に集中させた方が良いでしょうね

良子を追う中でリンに気づき、彼女に疑惑を向けると言う流れの方が、最初から2名を追うよりは賢明だったように思います

 

Xの能力と証拠についてはわかりやすい「しるし」を設けていますが、これは蛇足中の蛇足のように思えます

実際には、人は自分の見たいように見てしまう生き物なので、証拠の有無に関わらず、勝手に断定してしまうものでしょう

攻撃的になる人もいれば、自分の主観や自説を広める人もいます

そのような混沌とした社会になったとしても、それを扇動する者がいる以上、こういった問題は無くならないと言えますね

本作ではマスコミがその役割を担っていますが、少しばかり時代遅れの印象が強いように思えました

 


惑星難民を特定する意味

 

本作は、「惑星難民X」をアメリカに追従して日本で受け入れることになったというもので、日本人の気質として「拒否反応を示す」という前提で物語が進んでいきます

この流れに関してはそこまで違和感がないものの、現代の話だとすると、SNSなどによる私的リンチや拡散などの表現が弱いように思えます

「コロナ禍のように排除するのか」という憲太郎のセリフを考えればどう考えても「現在」なのですが、報道の環境などは昭和的な印象が拭えません

 

主人公の憲太郎が気味悪がっていることはわかりますが、彼がどうしてそこまで拒否反応を示すのかは分かりません

仕事だから惑星難民Xについて懐疑的になっているのか、個人的に怯えているのかが微妙なラインなのですね

なので、個人的に怯えているという前提なら、彼の世代で「惑星難民X」への情報を仕入れるのが「Twitterみたいなつぶやき」だけだと弱い気がします

また、日本全体でどのような反応が起こっているかがわからず、「国民のニーズに合わせて記事を作る」という編集部の存在が「好意的なのか距離感があるのか」わからないのですね

 

このような「週刊誌によるスクープ」というのは、一定の需要はあっても「国民全体が注視している」というものではありません

そもそも「見分けがつかない」ほどに擬態しているものを怖がるというのも無理な話で、社会全体は「惑星難民X」に対して恐怖を抱くのは「有事が起こってから」なのですね

なので、アメリカでどのようなことになっているのかという前提がない以上、単に「移民が怖い」というだけになってしまっていて、それは単なる感情論のように思えます

移民が来るというのを「護送船団のように何百万人が一気に来る」というイメージで語られますが、実際には「日本に来れる程度の経済力を持った人もしくはその能力がある人、ルートがある人」というものが「少しずつ浸透していく」のだと思います

 

日本全体で恐怖感を持つということは、アメリカでの犯罪が多いとかになりますが、そもそもが完全擬態ならば特定することはできません

撃ち殺したら元の姿に戻るみたいなことがあればわかるとは思いますが、そうでないのなら「惑星難民X」そのものを規定することが難しくなります

アメリカ政府としては、「惑星難民X」の見分け方がわかっているということになるので、その見分け方を探すあるいは情報を入手しているというのが前提になります

副編集長が「お金を払って見つけてきたリスト」もどうやって作られたのかは分かりませんし、そのリストの信憑性を担保しないままに取材活動をしている時点でおかしな物語になっていたと思います

 


勝手にスクリプトドクター

 

本作は、「もし愛する人が惑星難民Xだったら」というテイストで描かれていますが、惑星難民Xの見分け方がわからない以上、単に疑心暗鬼になって周囲を見ているだけになっています

「証拠を出せ」と編集長は言いますが、そもそも「証拠」というものが存在しないので、アプローチのしようがないのですね

最後の方で「とってつけた」ように「DNA鑑定」というものが出てきますが、それ以前に「アメリカからやってくる」という前提になっているので、「アメリカの識別方法を調べろや」と思ってしまいます

この時点で、「惑星難民X」を特定すること以上に描きたいものがあるというのは明白であると言えます

 

映画は、惑星難民Xを特定しようと良子に接近する憲太郎が描かれますが、後半の展開を見ると「レッテルを勝手に貼ったマスコミと」とどう向き合うかという流れになっています

いわゆる「マスゴミ」と呼ばれる人権侵害を平気で行う集団に対する問題提起になると思うのですが、その方向に向かった時に「憲太郎はマスコミ側に留まるのか、良子側につくのか」という選択が生まれてくると思います

映画では、そこでも流されたままになっているので、この憲太郎の主体性のなさというものが、最後までグダグダな展開を作り上げていることになります

 

後半では、良子の父がマスコミの前に出て「Xであることを証明できる人はいますか?」と問いかけます

誰もが「Xの見分けができない」ので、「特定の誰かをXに仕立て上げる」ということをマスコミが手動で行うことになっていて、それに加担しているのが憲太郎ということになります

彼はお金で良子たちを売ることになったのですが、彼が手に入れた証拠というものも不確定なものだったりします

上司がDNA鑑定をしなかったのは、「それで特定できるとは思っていない」というもので、そんな方法があればすでに特定されて然るべきなのでしょう

あの場面は「怒っている上司を宥めるために適当なことを言っている」というもので、それにすら気づかないほどに健太郎は冷静ではないということになります

 

本当に「X」がいるのかどうかもわからないのですが、憲太郎はなぜか漠然とした恐怖を感じています

その正体は最後までわからず、「X」による実害がゼロの状態で彼が思い込むのは意味がわからないのですね

見分けがつかず、いつからいたのかもわからないし、どのように入ってきたのかも分かりません

この船に乗っているのが「X」ですよという入国の仕方をしていればこんな騒ぎにはならないわけで、「X」が入ってきたという情報を政府は流すけど、その方法は秘密裏になっているのは不思議ではなりません

むしろ、政府が隠蔽してこっそりと入国させ、それを何らかのルートで入手したマスコミが勝手に騒いでいる方が理に適っていたりします

この前提条件が描かれない以上、憲太郎たちが何をしようとしているのかの土台すらないということになっています

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

映画は、愛する人が訳ありならどうする?という問いかけのようなもので、健太郎は「どこから湧いたかわからない恐怖感」に苛まれ続け、わずかなお金のために「思い込みの証拠」を捏造します

普通なら、彼の記事が掲載されるはずもないのですが、元々でっちあげでも良いと思っている編集部は、最終的に詰め腹を切らせるつもりでGOサインを出しています

ここまで適当な出版社もないと思いますが、本作における「X」は存在すら怪しいので、作り上げたストーリーを脚色しているだけなのかなと思いました

 

本作はコロナ禍を揶揄していると言われていて、それは「コロナが実在するのか」というところを皮肉っているのだと思います

コロナ自体は存在しますが、罹ればすぐに死ぬような病気でもなく、従来の病原菌が変異したものにしかすぎません

でも、「未知の病原菌」と謳い、「開発途上のワクチン技術」を絡めることで、大きな金儲けの道具になっていたという見方もできます

 

医療現場にいるとわかるのですが、コロナ禍というのはあってないようなもので、「世の中の空気感に病院が追従しなければならない」という風潮はあったように思えます

発生当初は情報も臨床も不確かなので厳重警戒は分かりますが、数ヶ月もしないうちに「これ、いつものやつでは?」みたいな感じになっていくのですね

現場ではただ面倒なだけというコロナも、助成金が出るとなればパフォーマンスをする経営陣もいるし、これを機会に業務を効率化させていくことになります

今でも病院によっては温度差があって、厳戒態勢を敷いたままのところもあれば、以前ほどではないものの90%ぐらい元に戻っているところもあります

ぶっちゃけると、コロナである方が病院としては楽というところもあり、それを大義名分を利用して継続しているとも言えます

 

ある状況は誰かの不都合であり、誰かの都合のようなものだったりします

コロナ禍終盤において、助成金をもらいつつも病床を機能させなかったというのが問題になって、メディアから姿を消した御仁がいましたが、彼を筆頭に「都合」にしていた人がいるというのが「コロナ禍」の真相のようなものだったりします

映画は、その「都合」に踊らされる憲太郎を描き、彼が滑稽に見えているということは正常である「しるし」のようなものだったりするのですね

ラストでは、全てを知った上で良子が憲太郎を受け入れるという結末に向かいますが、彼女は最初から全てを知っていたのかもしれません

 

惑星難民Xが実在したとすると、それは人間には計り知れない高度な生命体であることを意味します

腕に現れる斑点のようなものがXを示す証拠のようなものですが、それがしるしだとすると憲太郎はXではないのですね

これをはっきりさせる意味は分かりませんが、映画の命題がレッテルに囚われないというものなので、思いっきり蛇足の演出になっていたように思えました

 


■関連リンク

映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

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公式HP:

https://happinet-phantom.com/rinjinX/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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