■記憶の中に眠るものは、強烈な体験に紐づく何かが必要なのだと思います


■オススメ度

 

キルギス映画に興味のある人(★★★)

記憶喪失系の映画に興味のある人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2023.12.4(アップリンク京都)


■映画情報

 

原題:Esimde/Эсимде(私は憶えています)、英題:This Is What I Remember

情報:2022年、キルギス&日本&オランダ&フランス、105分、G

ジャンル:ロシアから戻った記憶喪失の父と向き合う息子と元妻を描くヒューマンドラマ

 

監督&脚本:アクタン・アリム・クバト

 

キャスト:(?については未確定)

アクタン・アリム・クバト/Aktan Arym Kubat/Актан Арым Кубат(ザールク:ロシアへの出稼ぎから帰った父)

 

ミルラン・アブディカリコフ/Mirlan Abdykalykov/Мирлан Абдыкалыков(クバト:ザールクの息子)

タライカン・アバゾワ/Taalaikan Abazova/Таалайкан Абазова(ウムスナイ:ザールクの元妻)

 

エルヌラ・オスモナリエワ/Elnura Osmonalieva/Эльнура Осмоналиева(メーリム:クバトの妻)

アイナジク・セイイトカノワ/Ainazik Seyitkanova/Айназик Сейитканова(スルガ:クバトの娘)

アナール・ナザルクロワ/Anar Nazarkulova/Анара Назаркулова(カディチャ:メーリムの母)

 

ナジム・メンデバイロフ/Nazym Mendebairov/Назым Мендебаиров(ジャイチ:ウムスナイの今の夫、金貸し)

グルミラ・トゥルスンバエワ/Gulmira Tursunbaeva/Гулмира Турсунбаева(ジャイチの母)

 

ナスレディン・ドゥバシェフ/Nasreddin Dubashev/Насреддин Дубашев(エリク:コーランを放送する男)

 

ターサン・ウセノブ/Tursun Usenov/Турсун Усенов(バイジャン:ザールクの旧友)

エリック・バルバコフ/Erik Balbakov/Эрик Балбаков(タタール:ザールクの旧友?)

エルキン・サリエフ/Erkin Saliyev/Эрика Салиева(バイジャンとタタールの友人の女性?、もしくはバイジャンの妻)

マクサト・マミルカノフ/Maksat Mamyrkanov/Максат Мамырканов(マシャ:バイジャンの息子)

 

マース・ツゲロフ/Mars Tugelov/Максат Мамырканов(アブドゥル・ハミド:布教活動するムスリム?)

ティンチク・アビルカシモフ/Tynchtyk Abylkasymov/Тынчтык Абылкасымов(ドゥーラット・ハジ:ムスリムの導師)

 


■映画の舞台

 

キルギス:

ビシュケク/Bishkek

https://maps.app.goo.gl/VEpQMLjVntGYvEwbA?g_st=ic

 

ロケ地:

上記に同じ

 


■簡単なあらすじ

 

ロシアに出稼ぎに行っていた父ザールクは、記憶を失った状態で生まれ故郷の村へと戻った

息子のクバトは彼を生活に馴染ませようとするものの、ザールクは何を思ったのか村のゴミを拾い集めに出掛けてしまう

 

友人のバイジャン、タタールたちが来ても会話を交わすことなく、彼らのことを覚えていない

また、ザールクには妻ウムスナイがいたが、失踪から23年も経ち、死んだものとして、地元の金貸しのジャイチと結婚していた

 

クバトは父に会うようにと母に働きかけるものの、死んだと思って他の男と結婚した手前、会いにいくことは憚られた

だが、ウムスナイの心がざわつき始め、その心を制御できなくなってくるのである

 

テーマ:冬を越えたら春になる

裏テーマ:記憶を呼び起こす歌

 


■ひとこと感想

 

キルギス映画ということで、何の事前情報も確かめる余裕もなく参戦

記憶喪失の父が帰ってきて、妻と再会するけれど、全く覚えていないという内容で、妻はどうするのかという物語になっています

 

パンフレットがあるので、キルギスに関することなどは分かりますし、監督のインタビューなども踏まえて役に立つものが多かったですね

でも、キャスト情報を調べようにも「役名と俳優が一致しない」し、エンドロールでも主要キャストの名前しか流れずに困惑してしまいましたね

なので、IMDBにも情報がないキャストが数名いましたね

 

物語は、じっくりと日常を切り取っていくタイプで、ザールクが何を考えているのか全くわからないのですね

でも、彼の行動がとても特徴的で、おそらくは23年前に戻って人生をやり直そうと考えているのだと感じました

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

映画の冒頭で「白く塗られた木の幹や根」が登場し、それが後半になって、ザールクが行っていたものだということがわかります

この行為は「樹木を冬の乾燥から守る」というもので、キルギス地方のみならず、多くの寒冷地で行われている習慣だとされています

 

冬が来ると、樹木の表面がひび割れてしまい、そこから虫が入り込んでダメになったりするのですが、その予防効果と樹木が日光で日焼けしないように守るという意味合いがあります

これは「末長く生きる」という意味になり、あの場所が「ザールクとウムスナイがデートした場所」で、「2人の愛情が消えた場所」でもありました

 

ウムスナイは彼が死んだと思って、裕福な男と結婚していますが、それはジャイチの母の勧めであって、彼に愛情がなかったことが示されます

ウムスナイはムスリムの導師に相談に行きますが、そこで「女性から離婚する方法を聞く」というのは、なかなかヘビーな内容だったと思います

 


キルギスについて

 

映画の舞台はキルギス共和国で、位置的にはインドと隣接してはいませんが、経度的には同じような位置になります

首都はビシュケク、人口は2022年の段階で607万人ほど、公用語はキルギス語とロシア語になります

キルギスは旧ソビエト連邦の構成国で、NIS諸国(New Independent States=新独立国家諸国)の一つに数え挙げられます

人口の90%がイスラム教徒で、その大半はスンナ派となっています

 

かつてはモンゴル帝国の支配下に入っていて、19世紀初頭にはコーカンド・ハン国(18世紀頃の中央アジアのテェルク系イスラム王朝)の支配下に入っていました

1865年に北キルギジア、1876年にコーカンド・ハン国がロシア帝国に併合され、1922年にソビエト連邦が成立します

1925年にはキルギス自治州になり、翌年にはキルギス自治ソビエト社会主義連邦共和国、1936年にはキルギス・ソビエト社会主義共和国という感じに名前がコロコロ変わっていきます

1990年に「キルギスタン共和国」として国家主権宣言を行い、翌年のソ連8月クーデターの失敗によって、正式に独立を果たすことになりました

 

キルギスの国交はロシアと密接ですが、中国や欧米、日本などともバランス外交を展開しています

日本は1991年12月28日に国家承認し、翌年から外交関係を樹立しています

2003年に日本の大使館、2004年にキルギスの大使館が設置されています

日本はキルギスにODA(政府開発援助)を行っていて、ビシュケクに「キルギス日本人材開発センター」を開設しています

 


歌に込められた意味

 

本作のタイトル『Esmide』はラストでウムスナイが歌う曲名のことで、古くから伝わる楽曲になっています

ググるとたくさんの曲が出てきて、歌詞も結構違うものが多いですね

代表的とされるものを一つだけ載せておきますが、映画内の楽曲と完全一致しているものではありません

 

歌詞:ユサップ・トゥルスベコフ/ Жусуп Турусбеков

楽曲:アタイ・オゴンバエフ/Атай Огонбаев

 

Жайдын толук кезинде,(夏の盛り)

Адырлуу тоонун бетинде(月が満ちた夜)

Сан гүлдөн тандап бирди үзгөн,(サンは花を選び)

Жайрады селки эсимде.(摘み取りました)

 

Өзүмдү сага берем деп,(自分自身をあなたに捧げ)

Өмүрдүн гүлүн терем деп.(人生の花を摘むために)

Сүйлөшкөн күндөр эсимде,(人生の秘密を深めながら)

Турмуштун сырын тереңдеп.(話し合った日々を思い出します)

 

Агарып тоодо таң аткан,(夜明けのアガリプ山)

Суюлуп жылдыз бараткан,(消えかかっていた星々)

Калды го бекен эсиңде,(残りのことは覚えていますか)

Кыйышкан күлө карашкан.(彼らは萎み、灰を眺めていた)

 

Атыңды ойлоп андагы,(あなたの名前を思い出すと)

Көңүлүм сенден калбады.(あなたを考えずにいられない)

Азыркы шайыр жаштардын,(今日、幸せな若者も)

Өзүңдөй болсун алганы.(あなたのようになるかもしれない)

※翻訳はGoogle翻訳さんと筆者による合わせ技になっています

 

映画では、「夏の盛り、月が満ちる夜、草木香る山の斜面を、僕たちは儚げな野花を摘んだ」で始まっています

その後、「月明かりに浮かぶ少女の姿、それを覚えている」と続いていますね

「Esmide」はキルギスに伝統的に伝わる子守唄のようなものですが、本作の場合は、ザールクとウムスナイの結婚式の時に、彼女が披露したものでした

映画のラストでは、その歌を聞いたザールクが家の方を向くというシーンで終わっていて、まさしく「Esmide(私の記憶にある)」という物語になっていたと思います

 

ザールクは実家に帰って生活をしても記憶が戻らなかったのですが、かすかに聞こえたウムスナイの歌に反応していました

記憶は体験とつながり、言葉よりも音の方が刻まれやすいのですが、それを体現していましたね

その音が響いたこともありますが、その歌に込められた決意というものが、ザールクを振り向かせたように思えました

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

映画のオープニングは、樹木の立ち並ぶ場所で「下の方の幹が白く塗られている」というイメージショットで始まります

これはキルギスをはじめとした多くの地域である習慣で、「樹木を保護する目的」にて行われるものです

冬になると、樹木は乾燥し、日差しの強さに負けて割れてしまうのですが、それによって隙間に虫などが入り込みやすくなります

監督のインタビューでは「失われた愛を取り戻す」という意味が込められているのですが、それは「かつて美しかった景色を取り戻す」という意味合いに近いのかなと思いました

 

ザールクはゴミを集めて町をきれいにしていくのですが、それは彼の記憶の中にある町の姿に戻そうとしているのだと思います

彼が失語症のために理由が他人に伝わらないのですが、日々を過ごしていく中で「ゴミに慣れてしまう」という怖さがあるのですね

様々な理由で故郷を離れることがあると思いますが、帰った時には「同じ姿でいてほしい」という身勝手な思いが存在したりします

その場所の維持に貢献しないのに、想い出のままでいてほしいと願うのですね

 

ザールクの場合も、故郷の荒廃に心を痛めたでしょうし、それを気にしないで過ごしている人々というのは奇異に映ると思います

町は生き物なので、建物が建ったり、道が整備されていくとは思いますが、路上に捨てられるゴミというのは、その地域の民度を表していると言えます

これは故郷の発展とは別次元の問題で、公共的なサービス云々でもありません

都会にしろ、田舎にしろ、根本的な町の美化というのは、その土地に住む人の行動の結果が現れているので、それを容認している文化になっていることを示しています

 

かつて「ブロークンウインドウ理論」というものがビジネスの世界で流行ったのですが、町の美化はこの理論に近いものがあります

「ブロークンウインドウ理論」は、車を路上に放置していても誰も何もしないが、窓ガラスなどが割られてしまうと、その後の車はやりたい放題になってしまうというものです

いわゆる「管理されていない」とされているものは、人の悪意を呼び起こしてしまうというもので、ニューヨークなどで町の落書きを全て消して治安を回復したという実例があったりします

 

最初に捨てた人と、最初に拾った人がその土地の習慣を決めるという感じになっていて、町の路上駐車なども「誰かがやっているのでOK」という感じに連鎖していきます

ゴミかどうかわからないものに手を出せないという法律もあって「最初に拾う人」に市民がなれないジレンマがあったりします

それを打ち破って、トラブル覚悟の上で撤去するというのは躊躇を生むので、結局は行政などが入って撤去するしかなくなってしまいます

これらは巡って「全市民の負担」になっているわけで、それを起こさせないように何らかの方策を取るより他ありません

方法は色々とありますが、本作とは直接関係ないので、このあたりで割愛するといたしましょう

 


■関連リンク

映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

Yahoo!検索の映画レビューはこちらをクリック

 

公式HP:

https://www.bitters.co.jp/oboeteiru/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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