正しき欲望の果てにあるのは、受容ではなく理解であると思う


■オススメ度

 

社会に馴染めない人々の苦悩を描いた作品に興味がある人(★★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2023.11.11(イオンシネマ京都桂川)


■映画情報

 

情報:2023年、日本、134分、G

ジャンル:普通に生きることに悩む人々と、正論を振りかざす普通の人を描いたヒューマンドラマ

 

監督:岸善幸

脚本:港岳彦

原作:朝井リョウ『正欲(2022年、新潮社)』

https://amzn.to/47qgs2G

 

キャスト:

稲垣吾郎(寺井啓喜:横浜地方検察庁の検察官)

山田真歩(寺井由美:啓喜の妻)

潤浩(寺井泰希:啓喜の息子、YouTubeチャンネル「タイアキ・チャンネル」)

 

宇野祥平(越川秀夫:啓喜の同僚、検察庁事務官)

 

新垣結衣(桐生夏月:ショッピングモールの店員)

 (中学時代:滝口芽里衣

磯村勇斗(佐々木佳道:夏月の中学時代のクラスメイト)

    (中学時代:斎藤潤

渡辺大知(西山修:佳道の中学校時代の友人)

   (中学時代:浅川大治

佐々木茜(西山亜衣子:修の妻)

 

山本浩司(夏月と佳道の中学時代の担任教師

徳永えり(那須沙保里:夏月に話しかける職場の人)

 

佐藤寛太(諸橋大也:ダンスサークル「スペード」のダンサー)

東野絢香(神戸八重子:大地にオファーする大学の学園祭実行委員)

坂東希(高見優芽:大地の所属するサークル「スペード」の部長)

森田想(久留米よし香:八重子の友人、学園祭の実行委員)

 

岩瀬亮(矢田部陽平:小学校の先生)

 

鈴木康介(右近一将:NPO法人「らいおんキッズ」の職員、泰希のYouTubeサポート)

遠藤たつお(夏月の父)

伊東由美子(夏月の母)

白鳥玉季(ミワ:不登校YouTuber「ミワにこチャンネル」開設)

市川陽夏(被害者の少年)

大城龍永(冨吉彰良:泰希と一緒に動画を撮る少年)

市原茉莉(由美のママ友、彰良の母)

 

松岡依都美(取り調べを受ける万引き犯)

関本巧文(同窓会に参加する同級生)

高橋春織(吉澤かおる:佳道が同窓会で会う同級生)

 

橋口秀一(TVのニュース番組のアナウンサー)

 

清瀬やえこ(さくら:ダンサー?)

矢嶋俊作(上司?)

出先拓也(新郎?)

 


■映画の舞台

 

日本

神奈川県:横浜市

広島県:

 

ロケ地:

東京都:東久留米市

イオン東久留米店

https://maps.app.goo.gl/veGUBMprL8H4W87U6

 

栃木県:日光市

日光市役所観光経済部

https://maps.app.goo.gl/3gtg1722kES5HmWL8

 

あかがね親水公園

https://maps.app.goo.gl/YUxjxtmpJSuQr1dHA

 

埼玉県:坂戸市

城西大学

https://maps.app.goo.gl/rqGKXVUMKy8zwUgQ7

 

埼玉県:深谷市

東都大学

https://maps.app.goo.gl/U2p2D5s1QhNFhoodA

 

千葉県:千葉市

幕張研修センター

https://maps.app.goo.gl/Z63H9f9SbLqV1gBPA

 

埼玉県:深谷市

道の駅はなぞの

https://maps.app.goo.gl/T6iHpYXpyJqYaf347

 

広島県:福山市

ハートイングランディア福山 SPA RESORT

https://maps.app.goo.gl/94Mt2YG4w2WKN8qG6

 

栃木県:足利市

手打ちそば八蔵

https://maps.app.goo.gl/hiXyFbuN4DFcTT4bA

 

宗泉寺

https://maps.app.goo.gl/mgDQbxjjGJQDGX98A

 


■簡単なあらすじ

 

横浜地方検察庁の検察官である寺井啓喜は、妻・由美と息子・泰希と暮らしていたが、泰希は不登校気味だった

ある日、動画サイトを観て不登校であることは悪くないと思い始めた泰希は、NPO法人の右近の助けもあって、彰良という不登校の少年と一緒に動画を投稿することになった

 

広島に住む夏月はショッピングモールの寝具エリアで働いていたが、事あるごとに絡んでくる同僚の那須に嫌気が差していた

両親も事あるごとに「普通」を強調し、彼女には居場所がなかった

夏月には中学校の時に少しだけ関わることになった佐々木佳道とのエピソードが忘れられずにいた

 

佐々木は広島から引っ越して横浜に住み、そのまま社会人になっていたが、ある日両親が事故で他界したと告げられ、実家に戻ることになった

佐々木と夏月は同級生の西山修の呼びかけで同級生の結婚式に出席し、そこで再会を果たすことになった

 

テーマ:正しい欲望

裏テーマ:普通とは何か

 


■ひとこと感想

 

原作を知らなかったので、どんな話なのか知らずに鑑賞

正しい欲とは何だろうかを突きつける話なのかなと思っていました

冒頭からキャラクターの名前が登場し、特定の人物の背景が徐々に描かれ、普通とされるものから少しはみ出している人々が描かれていきました

 

物語の主人公は、検察官の啓喜で、彼が持つ「普通の目線」というのが徐々に壊されていく様子が描かれていました

ラストシーンが秀逸で、そこで彼が崩壊するようにも見え、このシーンに繋がっていく様々な物語に無駄がありません

 

映画は、できるだけネタバレなしの方が良いのですが、各種レビューではあっさりとネタバレがあったりするので、原作未読なら情報皆無の状態の方が主人公の視点に立てると思います

個人的には、誰もが色んな属性を持っているので、それを隠すべきか隠さざるべきかは難しい問題なのかなと思ってしまいます

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

映画は、多様性を主軸とした物語になっていますが、それよりも「人にわかってほしい人々」が「わかってもらうべきか」ということを悩んでいたように思います

泰希は父親に自分がしていることを認めてもらいたいと思うし、無関心に対して心を痛めています

夏月と佐々木の秘匿の関係は共有を拒んでいるし、水フェチと括られる人々もその共有を求めつつも背徳に塗れている罪悪感を背負っています

 

物語は、啓喜と夏月の出会いに至るまでを綿密に描き、ファーストコンタクトは意外なものでした

そこから、まさかの展開で再会することになるのですが、SNSの伏線がなかなか巧妙にできていたと思います

 

映画は、特殊な性癖を持つ人たちが描かれていますが、それが対人ではないところに普通っぽくないように見えてしまいます

とは言え、嗜好の細分化の先にあるものはキリがなく、それを分かり合える存在というものは、かなり貴重なものだと言えます

その喪失は、普通の愛情の破綻よりも深く心に落ちてしまうものではないでしょうか

 


フェチについて

 

本作で登場するのは「水フェチ」で、このフェチというのは「特定の対象や状況に対する強い興味や魅力を感じる心理傾向」のことを意味します

フェティシズムFetishism)とは、リヒャルト・フォン・クラフト=エビングRichard Freiherr von Kraft-Ebing)が1886年に執筆した『性的精神病理(Psychopathia Sexualis)』中で使用した言葉でした

フェティシズムの起源は「呪物崇拝(Fetishism)」ですが、現代では「性的興奮を引き起こす特定のものや状態(Sexual Fetishism)」という意味が強くなっています

 

ちなみに、映画では「水フェチ」という範疇にとどまらず、「水に性的興奮を感じる」のですが、これを「対物性愛Object Sexuality)」と呼びます

この対物性愛の有名なパターンは、パリのエッフェル塔と結婚したエリカ・エッフェルになりますが、今回のように「水」というのはあまり例がありません

これらの性愛には「アミニズムAnimism)」が絡んでいて、これは「物体、場所、動物、植物、岩石、川、言葉などに精神的なものを感じることを意味します

これらの概念の延長線上に「水を性愛対象とする」というものが生まれるのですが、水というのは人間のほとんどを占めるものなので、ある意味自己愛の延長線上にあるのかなと思います

 

水に対する感情でも、水に浸されることを望む夏月、水の弾ける様に生命力を感じる諸橋と佐々木、水に濡れた状態を好む矢田部がいました

夏月は同化や浸透、侵食を感じているので、距離感はゼロと言えます

諸橋は水の躍動性と一体になりたいと感じていて、彼のダンスは水になりたいという欲求の上にあります

彼の性的な行為は俯瞰であり、その躍動を観ることで興奮を覚えていきます

佐々木も躍動に興奮を覚えますが、彼の場合は夏月と違い状態で、自らが濡れることに興奮を覚えていました

矢田部の場合は、水そのものではなく「濡れた状態」なのですが、これには「少年の」という枕詞がつくのですね

なので、それぞれの性癖が暴露された段階で、矢田部の水フェチは他の二人とは意味が違うことがわかります

 


わかりあえなくてもいいこと

 

本作では、特殊な嗜好を持つ人々が描かれ、彼らの孤独性がそれに起因している様子が描かれていきます

分かり合えないと思っていて、それゆえに孤独を感じているのですが、その対象が水であれ人であれ、誰もが同じような秘め事を隠しているものだと思います

彼らの場合は、対象が水ということで普通ではないと自分も感じていて、それによって自己否定というものが生まれています

佐々木も「明日生きる人たちに向けた言葉」と言いますし、諸橋も「明日自分以外の人間になっていたら」と語っていました

 

これらの悩みというのは誰にでもあるもので、社会から逸脱したような精神的な状態というものが正常ではないと捉えているからなのですね

他人と違うことへの恐れというものが自分自身を支配するのですが、これは青春期に誰もが通るような道であると思います

初潮や精通が起こった際に感じる誰にも言えないことは、実は誰にでも起こっていることがわかります

でも、社会的な通念が理解でき、マジョリティと普遍性を知る大人になればなるほど、誰にでもないことだと気づいてしまうのですね

 

このあたりは考え方によって解消できる部分があります

カテゴリーを細分化しすぎると全ては「個」に行き着いてしまうので、それを是正してもっと大きな括りで見ていくのが良いと思います

思考を集中させて一点を見るのではなく、思考の輪郭を取り外して、大きな枠組みの中に自分がいると考えるのですね

夏月の場合は「被支配欲」「包容力」になりますし、佐々木の場合は「支配欲」「逸脱性」になりますし、諸橋の場合は「生命力」といったものになると考えられます

 

これらの置換を行った際に、「被支配欲」を満たすものが他にないかを考えることになります

そして、その対象を人に限定するのではなく、「時間」「場所」「風習」などのような状況に置き換えたり、「蔓草」「蛇」のように置き換えていきます

そうすることによって、実は同質のものがこの世の中にはたくさんあるということが感じられるでしょう

そして、それらの属性をもつ人は「自分と同じように隠そうとしている」と考えられるので、その辺を歩いている人も「人には見えないものを抱えているのでは?」と解釈を入れることもできます

自分だけしかいないという状況を、思考の拡大解釈と置換によって分解し再構築する

そうすることによって、最終的には「自分だけしかいない」と思っている人ばかりが世の中を構成しているということに気づいていけるのではないでしょうか

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

本作では、社会で生きづらい人々が中心となって描かれますが、本質的にはそうでない人が彼らを理解できるか、という着地点に向かいます

それが主人公が啓喜である意味になっていて、彼の周りには彼のあり得ないが溢れていくことになります

不登校の息子、Youtuberを容認する母、他人を許可なく自宅に招く妻というものがあって、それを容認しないことを非難されることになります

結局は妻子と別れることになるのですが、これが啓喜の不寛容が生んだものかどうかというのは意見が分かれるところだと思います

 

彼の職業は検察官で、特殊すぎる色んな人を見てきたと思います

その経験則から「悪魔のような人間はいる」と考えていて、それはかなりマイノリティな個体との遭遇の歴史によって生まれています

そのベースがあるからこそ、普通でいることの重要性というものを認識していて、社会からの逸脱というものが生む結末を案じているとも言えるでしょう

不登校になった子どもが全員犯罪者になるわけではありませんが、検察官としての統計的な印象論として、悪魔のような人間が普通の生活から生み出されていないという結論のようなものがあるのですね

それによって、初歩的な逸脱の先にあるものというものを危惧していて、それゆえに強く当たるようになっていました

 

映画のラストシーンでは、夏月との面談が描かれ、そこでは「普通を目指して関係を壊した夫」と「普通を装いながら関係を維持する妻」という対比がありました

そして、その結びつきというものが精神的かつ価値観の共有とお互いへの信頼と愛によって起こっていることがわかり、啓喜のパラダイムシフトが起ころうとしています

傍にいる事務官の越川はフラットな感覚を持っていて、水フェチに関しても理解はしています

許容と理解には大きな壁があるのですが、許容と拒絶にはもっと大きな壁があると言えるのでしょう

 

あり得ないという自分のスケールで物事を観ることはとても危険で、それは手段と目的の関係性を見誤ることになります

啓喜の妻子が今後どのような人生を歩むかはわかりませんが、今の時代だと受容される生き方になるかもしれません

とは言っても、その受容は新しい価値観で人生を広げる一方で、現在の社会を構成している基幹には立ち入れなくなることを意味します

そう言った社会の構造を理解した上で進むのならば良いのですが、妻の場合はその抵抗から逃げているので、かなり短絡的な状況から悲劇的な方向に向かうことは想像に難くありません

慰謝料などで生活が維持できるのは、息子が18歳になるまでなので、その後の息子の人生が「自分の結婚観にそぐわない大人に育つことすらも容認できるのか」というのは何とも言えないでしょう

 


■関連リンク

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公式HP:

https://bitters.co.jp/seiyoku/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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