■一夜の夢を創り、千夜の夜を越えてきた先にあったもの


■オススメ度

 

田中裕子さんの演技を堪能したい人(★★★)

「ダンカン、ばかやろう」と言いたい人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2022.10.13(アップリンク京都)


■映画情報

 

情報:2022年、日本、126分、G

ジャンル:30年前に失踪した夫を待つ妻が、2年前に失踪た夫を持つ妻の手助けをしていくヒューマンドラマ

 

監督:久保田直

脚本:青木研次

 

キャスト:

田中裕子(若松登美子:30年前に失踪した夫を待つ妻、水産加工場で働く)

 

阿部進之介(若松愉:30年前に失踪した登美子の夫)

平泉成(若松俊雄:愉の父)

長内美耶子(絹代:登美子の母)

 

尾野真千子(田村奈美:2年前に失踪した夫を待つ妻、両津市民病院の看護師)

安藤政信(田村洋司:2年前に失踪した奈美の夫、中学校の理科の教師)

 

ダンカン(藤倉春男:登美子一筋の漁師の男)

白石加代子(藤倉千代:春男の母)

 

小倉久寛(入江春粥:登美子を手助けしてきた元町長)

 

田島令子(妙子:登美子の仕事仲間)

滝のり子(噂好きの登美子の仕事仲間)

 

諏訪太朗(吉村:晴男の漁師仲間)

竹本純平(岸田:晴男の漁師仲間)

 

山中崇(大賀:奈美の同僚)

元水颯香(奈美の同僚の新人看護師)

 

田中要次(安斎:生活安全課の警察官)

 

山村真也(不審者?)

 

宮田佳典(愉の元同僚教師)

瑛蓮(愉の元同僚教師)

 


■映画の舞台

 

新潟県:佐渡島

 

ロケ地:

新潟県:佐渡島

 


■簡単なあらすじ

 

水産加工場でイカを捌いている登美子は、30年前に失踪した夫の帰りを待っていた

失踪当時はビラ配りなどを精力的にこなしていたが、今では何気ない一日を過ごすだけの日々を重ねている

そんな登美子にぞっこんなのが漁師の春男で、登美子は彼の申し出を拒み続けている

 

ある日、島に住む奈美という女性が登美子の元を訪れる

彼女も2年前に夫が行方不明になっていて、登美子と同じような境遇になっていた

看護師を続けながら待つものの、どうしたら良いかわからずに元町長の入江を訪ねたところ、登美子を紹介されたのである

 

登美子は奈美の話を聞き、いろんなところへ連れて行く

時には警察に行って「身元不明の遺体の似顔絵」などを閲覧したりもする

だが、手がかりになるようなものは何一つなかったのである

 

テーマ:区切り

裏テーマ:日常化する待ち人

 


■ひとこと感想

 

日本海が舞台で、失踪者の話だったので、てっきりそっち系かと思っていましたが、当たらずも遠からずという感じで、まったく音信不通のまま30年を過ごしてきた女性の心情の変化を描いていきます

奈美と出会ったことで、過去を想起することになっているものの、登美子の中では区切りのようなものがついているように思えます

 

惰性といえば聞こえが悪いのですが、答えは夫が持っているというように、ただ待つだけの人は囚われの日々を過ごしていました

 

映画としては演技に引き込まれるものの、かなりのスローテンポになっているので体感時間が相当長く感じます

それぞれのシーンが無駄に長かったり、風景を映しているだけの時間も妙に長かったりと、体力的にかなり疲れる映画になっていました

 

奈美の問題が登美子のものと対比になっていますが、待つことが日常になってしまうには2年は短すぎるということなのでしょうか

待ち人になって経験がないので想像の範疇を越えませんが、過ごした日々の質が「区切りへのカウントダウン」を決めてしまうのかなと思ったりもしましたね

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

田中裕子さんの演技を堪能する映画になっていて、静かな中に潜んでいる狂気というものが切なくもあり、恐ろしくもありました

登美子もどこかで夫が死んでいるのだろうと感じていますが、区切りをつけるタイミングを見誤ってしまったのか、今では日常と化しているようにも思えました

 

奈美の出現によって、かつての自分を重ねる一方で、自分ができなかったことをしているお互いに対して、同じ境遇の身としての衝突が描かれていました

 

街で見かけた洋司を連れて帰る件は地獄への入り口になっていて、その場から逃げられない大賀は気の毒でしたね

ある意味、登美子の嫌がらせが凄まじいのですが、その行動が最終的に自分を救うことになるところは面白かったと思います

 

いつもはもっと早く起きてしまうのに、最後はゆっくりと眠れていて、奈美の行動を自分に重ねて、洋司を夫に見立てることで、何かが進んだようにも思えました

 


失踪者の現在

 

警察庁の発表によると、日本における「行方不明者の届け出受理件数は、令和元年で86,933人」となっています

これでも「前年から1029人減少」となっていて、これは延べ人数となっていて、同じ人が複数回届け出が出るという場合も含みます

最近の報告では「令和3年の行方不明者の現状」では「79,218人」もの行方不明届けが出されています

本作の予告でも流れる「年間8万人の失踪者」というのはこの数字が引用されています

 

令和3年の内訳だと、「9歳以下:1010人」「10代:13577人」「20代15714人」で、「30代:9628人」「40代:6841人」「50代:5351人」「60代:4149人」なのですが、「70代:10242人」「80代以上12706人」となっています

人口比率的には「10〜20代」「80代以上」が人口100万人あたりで100人を超えています

理由に関しては「疾病関係:23308人(うち認知症:17636人)」「家庭関係:12415人」「事業・職業関係:8814人」などとなっていて、「不詳:15794人」となっています

映画の愉と洋司は当初は原因がわからないので「不詳」にカテゴリーされるものと思われます

以上、警察庁『令和3年における行方不明者の状況』より引用(リンク先はPDFファイルが開きます)

 

失踪したくなったことはないのですが、人間関係をリセットしたくなる人の気持ちはよくわかります

これを巷では「人間関係リセット症候群」と言い、突然人間関係を断ち切る人がいたりします

恋愛や職場の悩みからの解放で転職、音信不通というものもあれば、家庭環境が起因だと家出などが起こったりします

これらは「環境に対して敏感である」「深刻に考える」「精神的に疲れやすい」というものがあるとされています

 

精神科や心療内科では「HSPHighly Sensitive Person)」と言い、「先天的に非常に感受性が強く敏感な人」の中に「人間関係リセット症候群」に陥る人が多いと言われています

これは心理学者エレイン・アロン(Elain Aron)と夫のアーサー・アロン(Arthur Aron)によって作られた概念で、パーソナリティ障害とは別の観念であるとされています

これらは「感覚処理感度(SPS)」によるものとされていて、その値が高い人は人口の約15〜20%ほどはいると言われています

定義としては、「一部の個人に見られる気質または性格特性であり、中枢神経系の感受性の増加と身体的、社会的、感情的刺激のより深い認知処理を反映している」というものですね

これらの人は「知覚閾値(境界線を表す値)が低く、ほとんどの人よりも認知的に深く刺激を処理するため、外部刺激によって簡単に過剰刺激を起こす」と言われていて、また「これらの深い処理には時間を要する」として、「反応時間が長くなる可能性」があります

 

映画に登場する愉と洋司がこれに該当するのかはわかりませんが、洋司に関しては「HSPである可能性は低い」のかなと思います

彼の場合は「奈美の敷く人生のレールが嫌になった」という明確な理由があり、これは言い換えれば「人生の伴侶としては相性が悪かった」というものだと言えます

それを洋司がちゃんと伝えればよかっただけなのですが、奈美が知らずに追い詰めていたというところは否定できません

 


待ち人は何を待っているのか

 

登美子は30年もの間、夫・愉を待っているのですが、幸せの絶頂期に彼は去ったというふうに登美子は認識しています

失踪に至る兆候が彼女にはわからなかったということですが、それ以外の情報が全くないために、観客も愉の心理を推測することはできません

当初の登美子は警察に助けを求めたり、積極的にビラ配りをしたりしていましたが、それらの努力は何ひとつ身を結ぶことはありませんでした

 

そんな登美子の元に「失踪2年目の奈美」がやっていて、彼女は「失踪当時の登美子」を見せるための仕掛けであると思われます

実際に境遇は違いますが、失踪直後〜2年目という「行動に移している時期」というところが、登美子の当時の狼狽ぶりであるとか感情というものを垣間見せる感じになっています

登美子はその時期から28年経っていて、今では日常となったために動きがなかったのですが、奈美の登場によって「過去の自分」を想起することになっていました

 

登美子が30年間待ち続けられたのは、不在が日常になったからだと考えられます

待つ自分が日常化したことで、感覚的な部分において揺さぶられることがなかったからでしょう

この心理に至るには個人的に差異があると思いますが、その際に「愉以上の魅力的な男性が現れなかった」というのも原因の一つかもしれません

 

奈美には全てを理解する大賀という人物が登場しますが、登美子にも一応春男がいるのですね

この二人は相手の過去を知って受容しているのに扱いが真逆になっているのが切ないですね

でも、よく考えると、春男と大賀には決定的な違いがあります

それは、「代役になる春男」と「寄り添う大賀」という役割認知の違いなのですね

 

春男は「愉さんが帰ってきたら捨ててもいい」と言い、それは「愉さんが帰ってくるまでの間、愉さんの代わりに登美子を支えたい」と言っているのと同じです

これに対して登美子は「愉さんの代わりが務まるわけがない」と考えていて、それは同時に「春男に愉さんの代わりをさせたくない」という愛情があるからと言えます

なので、春男にワンチャンあるとすれば、「愉さんのことなど忘れて俺と一緒になろう」だったでしょう

当初は登美子も「忘れられるわけがない」と反発するでしょうが、春男はそれを恐れて「登美子の人生の上書き保存から逃げている」ので、最後まで拒絶される人生を歩むことになっています

 

これに対して、大賀は「寄り添う」という選択肢を提示し、「いつかは奈美の中から洋司が消えること」を予感しています

彼は「上書き保存を強要しない」ことで、奈美の心が変化するのを待っています

洋司の喪失で空いた穴を埋めるのではなく、喪失に浸っている奈美を抱擁するというイメージになると言えます

これは、失踪2年目という時期が功を奏している感じになっていて、大賀は「事後にこれ以上を求めてはいけませんか」と欲望を成就させた後に一言添えるのですね

 

結局のところ、二人の男性は「待ち人」が望むものを与えられたかどうかによって、未来が変わっているとも言えます

これは二人の年齢差というものもありますし、失踪当時の状況が異なるので一概には言えません

登美子の「幸せの絶頂」に際して大賀と同じように行動してもうまく行ったかはわかりませんが、春男にその器用さがなかったのは否めないと思います

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

本作は北陸の島を舞台にしているために、地理的なリスクを仄めかしています

また、特定失踪という制度にも言及していて、奈美は次の生活のためにその制度によって、洋司との関係をリセットしようと考えていました

これに対して、探すことに協力していた登美子は動揺し、自分の行動は「奈美の新しい生活のためだったのか」と思い始めてしまいます

実際には「半々」みたいな感じで、逆にその曖昧な状況が「洋司を奈美の前に突きつける」という行動につながっていました

 

奈美はそのつもりはなかったものの、結果として登美子の嫉妬を買うことになっていて、その嫌がらせに対して奈美は怒りを露わにします

あの時点で「洋司を見つけた」と連絡をして、「どうするか」を奈美に選択させることもできました

でも、登美子はあえて「何も知らせずに突然会わせるという暴挙」に出ます

しかも、奈美に結婚を前提とした新しい男性がいることを知っていて、しかも相手もいる前に洋司を連れて行くのですね

映画は「大賀が先に彼と会う」という流れになっていて、「おおう」という感じになっていたのがシュールでした

 

そこからは修羅場になっていて、大賀は身をすくめるしかないし、登美子は「じゃ」と言って逃げようとします

奈美に心理を見透かされて「この場にいろ」みたいなことを言われますが、「後は好きにやってね」と言わんばかりに奈美の愚痴を聞いた後は逃げるように去って行きました

映画は、その後「追い出された洋司」が登美子のところにやってきます

そこで観客は「洋司を通じて、登美子の人生の裏側を見る」ことになり、彼女が30年間待ってられた理由というもを知ることになります

 

奈美は「あなたは夢の中で生きている」と言い、これはほぼ正解だったと言えます

登美子は「幸せの絶頂」をカセットテープによって反芻することができ、そして「残された彼との会話(記憶)」から、愉がいなくなった後の「彼の人生を夢想している」のですね

そこに登美子もいて、まるで「海外に行っている愉の近況」を夢を通じて知っているという夢を見ています

そして、それは一人芝居という形になって、夜中に夢遊病のようになって彼女を支配していました

 

登美子はそこに洋司が現れても「愉が帰ってきた」というふうに夢想し、洋司もその相手をすることになりました

これが冒頭の「外国の名前を呟く」シーンと連動していて、そのシーンの意味を突きつけることになります

表の世界では日常になっている「待つ時間」と対になっている「裏の世界の登美子の夢遊病」

これを洋司が見ることになったのは、失踪した人に待ち人の本質を突きつけるという意味があります

 

そう言った意味において、この映画は「どこかに理由もなく失踪してしまった人」に対してのメッセージにもなっている気がしました

でも、この映画を見て失踪者が家族の元に連絡を入れるケースは稀だと思います

洋司がもし、奈美に会う前に登美子の夢遊病を知っていたら、おそらくは怖くて奈美に会えなかったでしょう

なので、この物語の順序はとても重要なのだと思います

そして、この映画は失踪者への行動喚起ではなく、待ち人への救済の方に舵を切っているように見えるのも、そう言った観点があるからかなと感じてしまいました

 


■関連リンク

Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://movies.yahoo.co.jp/movie/383064/review/82a48612-1012-4242-9a9d-cf4b50c02681/

 

公式HP:

https://bitters.co.jp/senyaichiya/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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