■後悔という思念も「ずっと隣にいるもの」だったりするのかもしれません


■オススメ度

 

解釈委ねる系映画が好きな人(★★★)

映像美に特化した映画が好きな人(★★★)

坂口健太郎さんのファンの人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日2023.4.19TOHOシネマズ二条)


■映画情報

 

情報2023年、日本、130分、G

ジャンル:色んな人を惹き寄せる青年とその過去を描く雰囲気系ヒューマンドラマ

 

監督&脚本:伊藤ちひろ

 

キャスト:(わかった分だけ)

坂口健太郎未山:「誰かの想い」が見える青年)

 

齋藤飛鳥莉子:未山の元恋人)

浅香航大草鹿:未山の高校時代の後輩、ミュージシャン)

 

市川実日子詩織:未山の恋人、看護師)

磯村アメリ美々:詩織の娘)

 

茅島成美(ナツ:未山に診てもらう近所の人)

不破万作(野菜をくれる近所の農家)

津田寛治(穴に足がハマってしまう近所の人)

井口理(村を訪れる青年)

 

呉城久美(京子:詩織の担当患者の娘?)

 

飛永翼(キウチ:近所の蚕農家)

辻千恵(麻理:キウチの妻)

バイ・ミン・タン(ミンくん:キウチの農家の技能実習生)

トミー・モウエ(ミンくんの父)

 

鶴田翔(霊媒師)

 

クボタカイ(ミュージシャン)

セントチヒロチッチ(音楽番組の司会者)

 


■映画の舞台

 

東京&日本の田舎のどこか(ロケ地は長野県)

 

ロケ地:

長野県:松本市

大正池

https://maps.app.goo.gl/F6beGV4dCCt6z5279?g_st=ic

 

ビクトリアンクラフト

https://maps.app.goo.gl/q2d8MAR1KT8pFZ62A?g_st=ic

 

たびのホテルlit松本

https://maps.app.goo.gl/tVRsrTywFst6Ced47?g_st=ic

 

長野県:いなし

こやぶ竹聲庵

https://maps.app.goo.gl/QsXtpo9L9abFSauT6?g_st=ic

 

入笠牧場管理棟

https://maps.app.goo.gl/wBkdHs6pbYXtWqgY8?g_st=ic

 


■簡単なあらすじ

 

田舎町で主夫をしている未山は、人の想いに通じる「何か」が見える青年で、多くの「モノ」を惹きつけてしまう特性を持っていた

バスに乗っては、見知らぬ誰かが隣に座ったりもする

今は、金髪の謎の男がずっと彼のそばにいて、何かを伝えたがっているようだった

 

未山は看護師の詩織と同棲していて、彼女の娘・美々の世話をしている

朝ごはんを作ったり、部屋の片付けをしたり、時には美々と近くを散歩したりもする

そんなゆったりとした時間の中で過ごしながら、依頼があれば近所の人たちを見ている

彼には、対象者が引き寄せている想いというものが視えていて、体の不調はその兆しのようなものだった

 

ある日、ずっと彼に引き寄せられている男が、後輩のバンドマンで、未山が過去に置き去りにしたものについて伝える

それを聞いた未山は東京へと向かい、そこで元恋人の莉子と再会することになったのである

 

テーマ:想いが惹き寄せる過去

裏テーマ:魂の救済

 


■ひとこと感想

 

霊的な何かが視えるみたいな感じで進む前半ですが、そのスローテンポさはヒーリングムービーのようなイメージを纏っています

隣にいるのは誰なのか、などと現実的なことを考えると混乱する映画で、本人の無意識下にある思念が映像化されている、という印象があります

 

未山自身は自分の隣にいる何かに気づいていなくて、それが表層に現れる段階で可視化されるというイメージですね

その可視化の対象が「映画の登場人物ではない」と感じで、映画の中で起こっていることの補足情報のような形で観客に提示されていたように感じました

 

観念的な映画は好きですが、それぞれの解釈を大切にしたいので、レビューを書くとなるとなかなか難しいですね

ある答えを提示しても、それは正解でも不正解でもないですからね

そう言った意味において、この記事は「参考程度」とか、「思考の転換」に位置付けられるのかもしれません

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

映画は、監督の頭の中にあったイメージを映像化しているので、その脈絡などの情報提示が不足しているように思えます

また、物語性は少なく、大きな展開がないので、このあたりに苛立ちを感じる人がいるかもしれません

個人的には、面白いことするなあと思いながら見ていましたが、さすがにスローテンポで尺が長いので、もう少しうまくまとめられなかったのかな、とは思いました

 

映画は、未山の深層心理にあったものが顔を出すという展開になっていて、どこまでが現実パートなのかわからない感じになっています

全部が虚構(脳内)のようにも見えますし、そうではないかもしれない

それを紐解く意味がない映画で、感じたままに解釈すれば良いのでしょう

 

個人的な感覚だと、未山以外は全員虚構という感じで、未山以外のキャラが監督の投影になっているのだと思います

なので、監督自身のこれまでの人生で救われたことというものが抽象化されている、あるいは後悔として募っているものがあるのかなと感じました

 


あなたの隣にいる人は誰?

 

未山の隣には何も言わない「ヒト」のようなものがいますが、彼自身が「ソレ」がいることには気づいています

でも、畏れることもなければ、疎ましく思うこともない

ものすごく近い距離に隣接していても反応はしません

どことなく表情はマイナスで、それによって「よくないこと」のモチーフのように思えてきます

 

何かしらが隣にいるのですが、主人公の未山はその理由を能動的には探しにいきません

彼の能力は周囲には既知で、それによって「人々を助けてくれ」という依頼が舞い込むのですね

なので、この世界では「未山が何かを見て、それを本人に伝えるという治療」のような行為が存在します

映画では、「戦地から帰ってこない父」「祖国に残してきた父」というように、「本人と物理的な距離がある」という状況があり、なおかつ「本人の意識から消え去ろうとしているもの」という関係性がありました

これが未山にもあって、彼は自分自身で治療をできないため、彼自身に変わる存在として、後輩の草鹿がその役割を担っていることになります

 

未山は草鹿を認知し、その想いを辿ることによって、「自分自身が深層心理に追いやっていた元恋人」の元に戻ることになります

莉子は妊娠していて、子どもの親は不明、彼女自身の家族も登場しません

言うなれば、孤独の中にいて不安を抱えている莉子が、草鹿という未山と唯一通じる道を利用して、未山を自分の元に引き寄せたと言えます

それは、言い換えれば、莉子は未山の力というものを知っていて、それを利用するために草鹿を彼の元に送ったと考えられるということなのですね

 

映画における未山は、おそらくは「監督のこれまでを支えてきた何か」であり、もし監督自身が投影されているとしたら、「未山によって癒される人々」ということになります

なので、彼が癒してきた「戦地に行って帰ってこない父(あるいは祖父)」「出稼ぎに行って帰ってこない兄(あるいは父)」は、それに近しい関係性の家族もしくは知り合いがいるという感じになるのかなと思います(個人的な主観です)

 

この流れを映画で描くというのは、「現実には起こらずにそのままになっている」か、「もっと悪い結果をもたらした」ということになるのかなと思いました

なので、現実世界の癒しや過去との折り合いをつけるという意味で架空のキャラクターとして登場させ、現実と魔法の同居という手法によって、セルフヒーリングをしているようにも感じられます

 


心の対話の中で視えてくるもの

 

この映画は「マジック・リアリズムMagic Realism)」という手法で語られている映画で、「日常の中に存在する非日常が融合し当たり前のように描かれる」という手法を取ります

映画では、未山の能力に対して誰も疑問を抱かず、その力を普通にあるものとして描かれていきます

未山がナツさんを診て、「あ、お父さんが見えます」みたいな感じになって、彼女は「戦地に行った父のことを忘れそうになっていたのかも。ありがとう、先生」みたいな流れになっています

そして、医者は自分を診れないという現実っぽさとして、草鹿が登場し、直接的に「莉子のこと忘れてるだろ、てめえ」みたいな感じで未山を彼女の元に引き寄せていきます

 

マジックリアリズムは色んな作品で使われる手法ですが、その特徴として「現実的なトーンで幻想的な出来事を描写する」「超自然的世界が現実と融合する」「著者は世界観の説明をしない」「社会的もしくは政治的な批判が込められている」というものがあります

世界観の説明がないのはこの手法の原則のようなもので、受け手はその世界観をそのまま受け入れ、その関係性において「内包されるメッセージは何か」を思慮することになります

この映画では「疎遠の父」というものが重なって登場するので、莉子にとっても、詩織と美々にとっても、未山は「疎遠の父」に対するメタファーであると考えられます

いわゆる「社会的な批判」にあたるものが、本作を通じて描かれていて、それは「父と娘の関係性」になるのかなと考えています

 

未山を莉子のもとに呼び寄せる段階として、ナツさんの父との関係性、ミンくんと父との関係性を引用し、草鹿を通じて未山は莉子と再会します

そして、莉子は詩織と美々を得て出産を果たすことになっていて、未山と莉子の関係性を考えると、呼び寄せたのは「お腹の子」なのかなとも思えるのですね

シングルマザーに育てられる娘が世に出る前に「自分の生育の環境を整える」というありえない話なのですが、この世界ではそれが起こっても不思議ではないのでしょう

なので、この視点で映画を観ると、「生まれてくる胎児が母・莉子のために出産経験のある詩織を引き寄せて、自分が孤独にならないために姉・美々を引き寄せた」ということになります

合っているかわかりませんが、これが監督の中にあった「後悔」もしくは「衝動」なのかな、と解釈してしまいました

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

映画は雰囲気映画と括られてしまいますが、それは「間延びした演出」「背景の見えない会話」などのように、観客との間に温度差が生じているからだと思います

物語の面白さを感じたい人は「莉子と未山が別れた理由」のような即物的な恋愛ドラマを期待するでしょう

設定だけを見れば、「過去に草鹿と未山が莉子を取り合って、未山が勝利したけどどこかに行ってしまって、莉子の中には未山の子どもが宿っている」みたいな物語です

莉子のことを可哀想だと思う草鹿が未山を見つけ出し、そして莉子のために彼を連れ戻す

でも、未山はすでに死んでいるので、莉子の助けになることができず、詩織と美々にそれを託す、という流れですね

 

このような俗物的なドロドロ恋愛劇ではなく、もっと深いところにテーマが置かれていて、それを観客に「感じさせる」という手法になっていて、それが監督と観客の中で対話になっていない時、観客は「雰囲気系」というふうに定義しがちなのだと思います

この雰囲気系という言葉の中には「論理的な説明がない」ということが大きな要素になっているのですが、実際にはものすごく論理的なんだけど、うまく伝わっていないということが多いのだと思います

なので、作り手目線だと見えているものが、受けて目線には届いていないこと、というのがしばしば起こります

本作では、その度合いがかなり高く、すべての解釈を観客に委ねているように見えてしまうのですね

それが起こるのは、「迷子の牛」のように印象的に残りながら意味が説明されていないものの多用によって起こっていると思います

 

牛に関しては、未山が来た道と牛と遭遇してから向かう先を考えれば役割は理解できます

例えば、左から来た未山が牛と遭遇し、左側に戻るというのは「今から行こうとしている方向を修正している」という意味になります

なので、「牛=草鹿」といっても良くて、未山がスルーしてはいけない場所に登場して、その方向転換をさせる役割を担っています

最終的に「牛と一緒に画面外にフェードアウトする」というのは「役割を終えたために退場する」ということになっていて、その状況を考えると、「莉子に出産と育児の不安を解消させる場ができたから」と考えられるのですね

その観点で考えると、やはり「未山を引き寄せたのは莉子の子ども」ということになり、それが映画内で草鹿という人物になるというのは、草鹿=莉子と未山の子どもなのかなと考えられるのかもしれません

 

個人的な解釈だと、シングルマザーの莉子に育てられた草鹿は孤独な母を思いながらも、自分のしたいことだけをして生きてきて、その後何らかの理由によって母は死んでしまったという前提があると思います

そして、残された草鹿も現実に絶望をしてしまうのですが、「自分と母が不幸になった原因は何か」を考えてしまうのですね

それが「父親の不在」となるのですが、それを調べていくと「父は身勝手に蒸発したのではなく死んでいたことがわかる」のだと思います

そこから「父が不在でも、シングルマザーの母が救われた道は何か」を探そうとします

母に何を与えれば救われたのか、を考えると同時に、自分が道を踏み外さずに済む方法を模索します

それが「育児と出産のことを相談できる相手=詩織」となり、「孤独にならずに済むための姉=美々」なのだと考えたのでしょう

 

そして、それを何とかするために、草鹿は未山の思念を見つけ出して、それは母のもとに届け、そして母に詩織と美々と関係を結ばせる

この結果、未山も役割を終えてフェードアウトし、草鹿自身も役割を終えて消えたのかな、と思いました

あくまでも映画で描かれた行動を論理的に考えてみましたが、実際にはどうなのかはわかりません

でも、この映画は「自由に受け取って!」という寛大な監督の意思があるので、1人ぐらいこんな解釈をしても良いのかな、と思いました

 

この一連の設定が想像か現実かはわかりませんが、よく考えればうまくできた映画だと思います

残念なことにそれがあまり伝わっていないのですが、それはマジック・リアリズムに忠実に作りすぎたからなのかなと思いました

なので、もう少しエンタメ性を重視して、わかりやすく伝えることができればとも思います

 

本作は、坂口健太郎さんで作りたい映画だったとのことで、おそらくは草鹿=監督で、父=坂口健太郎さんなのかなと勝手に想像しています

そういった意味において、非常にプライベートな世界観を組み込んでいると思うので、それを感じさせないための魔法を重ねていったのかな、と思いました

あくまでも個人的な解釈なので、鵜呑みにして監督に突撃するのだけはやめてくださいね

 


■関連リンク

Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://movies.yahoo.co.jp/movie/386668/review/3cd36348-37b7-4860-9762-be7dcf948b10/

 

公式HP:

https://happinet-phantom.com/sidebyside/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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