■孝二郎が残した言葉は、アイヌ民族の伝承では成し得なかったものかもしれません
Contents
■オススメ度
アイヌと和人の歴史に興味がある人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2024.9.18(イオンシネマ京都桂川)
■映画情報
情報:2024年、日本、114分、PG12
ジャンル:アイヌに助けられた武士が幕府の命令に板挟みになる様子を描いたヒューマンドラマ
監督:中尾浩之
脚本:尾崎将也
キャスト:
寛一郎(高坂孝二郎:アイヌの民に助けられる松前藩の武士)
三浦貴大(高坂栄之助:孝二郎の兄)
富田靖子(高坂まさ:孝二郎の母)
古川琴音(みつ:孝二郎の幼馴染)
緒形直人(大川:孝二郎の先輩藩士)
和田正人(善助:高坂家の使用人)
山西惇(伊助:船頭)
要潤(平助:密書を受け取る謎の男)
坂東龍汰(シカヌサシ:アイヌの若者)
平野貴大(アㇰノ:村の長)
半田理津子(キナべ:アㇰノの妻)
佐々木ゆか(ヤエヤㇺノ:アㇰノの娘)
一条恭輔(ポコチョカㇻ:アㇰノの甥)
諫早幸作(オモアイノ:アㇰノの息子)
佐藤直子(アイシナ:アㇰノの母、孝二郎の世話人)
サヘル・ローズ(リキアンノ:和人に夫を殺された妻)
菊池賢太(リキアンノの夫)
國井颯介(リキアンノの息子)
瀬山聖椰(村の少年)
沼田あきら(村の少年)
鈴木咲(村の少女)
海道力也(村人)
ヨネヤマサトシ(村人)
佐伯紅緒(村人)
藤本隆宏(イカシコトシ:別の村のリーダー)
吉田興平(イカシコトシの弟)
比嘉秀海(イカシコトシの部下)
佐藤五郎(イカシコトシの部下)
大宮将司(イカシコトシの部下)
佐藤宙輝(与平:松前藩の使用人?)
長万部純(漕ぎ手)
山下徳久(漕ぎ手)
ダンディ山輝(漕ぎ手)
續木淳平(砂金堀)
宮原奨伍(砂金堀)
伊藤悌智(砂金堀)
東龍之介(松前藩の兵士)
藤野棟孝(松前藩の兵士)
斉藤賢(松前藩の兵士)
佐々木大介(松前藩の兵士)
イマニシケンタ(松前藩の兵士)
■映画の舞台
江戸時代前期、
北海道:白糠町付近
マカヨコタン
https://maps.app.goo.gl/udVF4wdzWdHuWhtE7?g_st=ic
ロケ地:
北海道:白糠町
https://maps.app.goo.gl/oWXcGEF5jSL1AZtK8?g_st=ic
■簡単なあらすじ
松前藩の藩士である孝二郎は、優秀な兄と比較され、いつも子ども扱いをされていた
先輩藩士の大川からも、蝦夷に行けば一人前になれると言われる始末だった
そんな彼もようやく蝦夷に行くことになり、そこで商いの管理を手伝うことになった
兄・栄之助とともに蝦夷の東海岸に出向いた彼は、そこで一晩を過ごし、アイヌとの商取引に臨むことになった
だが、夜中に目覚めると、兄はそばにおらず、隣の小屋から炎が立ち上っているのが見えた
慌ててそこに向かうと、そこには何者かに刺された兄がいて、彼は「善助を追え」と言い残して力尽きた
孝二郎は、使用人の伊助とともに入山し、ようやく善助を見つけたものの、不意打ちを喰らって傷を負ったまま川へと転落してしまった
善助は西を目指し、伊助は孝二郎の顛末を報告しに戻った
その後、孝二郎は河原に辿り着き、そこでアイヌの民たちに助けられる
献身の看護を受けた孝二郎は徐々に回復するものの、和人がアイヌを搾取している実情を知り心を痛める
そして、恩を返すために彼らの狩りの手伝いをしていく中で、己の使命を全うするための旅の準備を始めるのであった
テーマ:そこに住む命
裏テーマ:アイヌのためにできること
■ひとこと感想
アイヌと和人の戦いを切り取った作品で、時代的にはシャクシャインの戦いがあった頃(1669年)の争いが起こっていなかった東側が舞台となっています
主人公の孝二郎は蝦夷地に入るのが初めてというキャラで、アイヌを知らない和人ということになります
松前藩はアイヌとの交易をしていますが、コメの不作なども重なって、米俵を小さくしてごまかすみたいなせこいことをしていました
アイヌ側もその小細工を承知で、さらに砂金堀による川の汚染、産卵前の鮭を乱獲するなど、アイヌたちが大切にしている信念と相反する行動を起こしてきたことがわかります
最近になって、ようやくアイヌを舞台とした映画が全国展開されるようになってきましたが、学校でもそこまで詳しく習わない禁忌的な扱いになっていたように思います
映画は、和人の船が攻撃されたことで、松前藩が鎮圧に向かうのですが、そこでアイヌに助けられた孝二郎が板挟みになるという展開を迎えます
そこで彼はどうするのか?というところが命題になっていて、その後の「使命」に関してもその心意気が如実に描かれていました
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
アイヌに助けられた武士が藩と板挟みになったらどうするかという物語で、アイヌに対して無知な青年の価値観を揺さぶるという内容になっていました
個人的にも映画でふれる程度の知識しか持っておらず、学校教育でしっかり学んだという記憶はありません
最近になって、アイヌをテーマにした作品にふれる機会が増え、そのレビューを書きながら、少しずつ学んでいるというところかな、と思います
映画は、かなり細かなディテールに凝った作品になっていて、劇中でアイヌ語の会話劇というものがあって驚きました
孝二郎目線で映画は作られているので、最初の段階では字幕が出てこないのですが、この言い合いの段階では孝二郎も断片的に理解しているので字幕がついているものだと思われます
それでも、人間の感情というものは面白いもので、彼らが何を思ってどんな感情でいるかというのはわかるのですね
これは演者の努力の賜物であると思います
物語としては、フィクションでありながらもファンタジーには向かわないという脚本になっていて、孝二郎が残した文献がどうなったか、などは描かれません
あくまでも、彼の立場で何ができたのかという目線になっていて、それを随分とリアルなところに落とし込んだことになります
シャクシャインの戦いの裏側で起こっていたことではありますが、その後どうなってしまったのかは、映画の後にそれぞれが学ぶべきことなのかな、と感じました
■アイヌと和人
映画でも描かれるように、アイヌと和人の間には交易があって、それが1604年頃に松前藩に黒印状が与えられたことで独占のような状態になっていました
1630年頃から松前藩の家来がアイヌ民族の村を訪れるようになり、アイヌにとっての不利な交易というものが始まってしまいます
さらに和人による支配が強まるにつれて、アイヌ民族の交易の自由性というものが奪われていくようになりました
1871年に制定された法律によって、アイヌ民族は戸籍的に「平民」として組み込まれることになり、和人との区別というものはなくなっています
でも、実際には「旧土人」としての差別を受けるようになり、明治政府が設置した開拓使によって、同化を強制されるようになりました
アイヌの風俗は禁止され、日本語の習得の奨励がなされ、その他にも多くの不利益を被ることになっています
その後、1899年に「救済」を目的とした「北海道旧土人保護法」というものが制定され、アイヌに農業用地が与えられるようになりましたが、実際には農業には向かない土地ばかりでした
元々、狩猟採取で生活をしてきたアイヌ民族を農業に転化させること自体に無理があり、生活の変容も起こってしまいます
戦後の日本国憲法にて、法の下の平等が保障されることになりましたが、実際には差別はなくならず、格差は現在も残っているとされています
現在では、1980年ぐらいから始まった「国連による先住民族の権利に関する議論」の影響を受け、北海道ウタリ協会(現在の北海道アイヌ協会)がアイヌ新法案を決議することになります
そして、1997年に「アイヌ文化振興法」というものが成立し、「旧土人保護法」は廃止となりました
さらに「アイヌ施策推進法」の制定によって、アイヌが先住民族であると明記されることになりました
■シャクシャインの戦いについて
映画は、1669年に起きた「シャクシャインの戦い」の別のアイヌ地方で起こった出来事を描いていました
遠くで本州から軍隊が渡ってきているとか、和人の船が沈んだというものが風の噂で流れてきますが、それが「シャクシャインの戦い(寛文蝦夷蜂起)」と呼ばれるものになっています
この戦いは、アイヌのシブチャリ(現在の静内町)の首長だったシャクシャインという人物を中心にして起こった蜂起のことを言います
アイヌ部族間の抗争や報復の最中に、シブチャリ地域と対抗していた部族に松前藩が武器を貸したという「誤報」が起点となって、松前藩に対する大規模な蜂起へと発展しています
その東に居住するアイヌ民族のメナシクルとシュムクルという部族は、これまでにシブチャリの漁猟権を巡る争いを続けてきました
15世紀頃から交易や和人、アイヌ同士の抗争などが活発になり、17世紀頃には河川を中心とした複数の狩猟・漁労場所などの領域を政治的に統合するようになります
そして、地域ごとに首長というものが現れるようになり、地域間の争いを収めるようになってきます
17世紀に入って、幕藩体制が成立すると、幕府による対アイヌ交易権は松前藩のみになってしまい、他の大名には禁じられるようになりました
シャクシャインはメナシクルの副首長だったのですが、1653年に首長のカモクタインはシュムクルという人物によって殺害されたことで彼が首長となります
シュムクルは松前藩に接近し、親松前藩的な立場をとることになりました
その後、シュムクルはシャクシャインによるオニビシ殺害の報復を巡り、松前藩から武器の提供を求める事態に発展します
松前藩は対立の深化を望まずに拒否するものの、オニビシの娘婿ウタフが疱瘡に罹患して死亡し、これが松前藩による毒殺と流布されるようになります
これを機に、シャクシャインは対立していたシュムクルを筆頭に蜂起を呼びかけて団結し、1669年に一斉蜂起が起こることになりました
突然の蜂起に和人は対応できず、決起した2000人を超えるアイヌ民族が砂金掘りや交易船などと襲撃することになります
これによって、東蝦夷で213人、西蝦夷にて143人の和人が殺されました
その内訳は大半が非戦闘員で、士卒は5名しかおらず、犠牲者の総数は356人となっています
その後、松前藩の家老・蠣崎広林は部隊を率いてクンヌイに出撃し、シャクシャイン軍と一戦を交えることになります
幕府に武器・兵量の支援を求め、幕府はそれに応じて、弘前津軽、盛岡南部、秋田佐竹の3藩が蝦夷地に向けて出兵を行うことになります
同年の9月頃にはシャクシャインは劣勢になり、和議の方向へと向かわざるを得なくなります
そして、戦後処理が終わりを告げる1672年、松前藩は「七ヶ条の起請文」によってアイヌの絶対服従を誓わせることになりました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作では、アイヌ民族に助けられた孝二郎がその恩を返そうとする物語で、彼ができることは現実的な落とし所になっていました
他勢に無勢でもあり、剣を交えて撃退するとか、歴史には無い「和人がリーダーになってアイヌと一緒に蜂起した」という方向にも向かいません
彼が行ったのは、和人とアイヌの中で何があったのかを書き残すということで、その「記録」というものが、後世に残されることによって、真実というものが生まれてきます
映画では明確には描かれていませんが、彼が筆記伝承を選んだのは、アイヌ民族が口頭伝承をする民族だったから、だと思います
このあたりの民族性をある程度知っておくと孝二郎の行動の理由と選択がわかるのですが、映画内では「アイヌ民族は一切物書きをしない」ということしかわかりません
孝二郎の他に物書きをするのが偵察に入った元アイヌの善助ぐらいで、彼は高坂家の奉公人だったために読み書きの文化にふれていたのでできたのでしょう
映画では、アイヌ民族の日常が描かれるものの、完全に孝二郎目線になっているので、彼らが口頭伝承を行っている民族である、というあたりもはっきりとわかっていないのかもしれません
なので、深い意味を考えるまでもなく、彼にはそれしかできなかったと言えるのでしょう
彼が残したものがどうなったのかというのは映画内では明確にされておらず、アイヌ文化が和人に知れ渡ったのは金田一京助が発端になると思いますが、もしかしたら彼があの土地を訪れた中で何かを見つけたのかもしれません
でも、そう言った経緯よりも大切なのは、何かを残すことの意味であり、彼があの時に戦って散れば、もっとアイヌ民族の理解というのが遅くなった可能性もあります
史実は、生き残った人の語りで残るとされていますが、シャクシャインの戦いなどの史実とされるものは制圧した松前藩が残したものに限られると言えます
そういった意味において、孝二郎が勝者の言い分を覆すような記録を残したことは、大いに意義があるのでしょう
多くの歴史の中にも、このような客観的に紡がれたものが眠っていて、それが後の世に出現し、歴史観を変えていくの可能性があるので、彼の行動は無意味ではないと言えるのかな、と感じました
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://eiga.com/movie/101480/review/04266804/
公式HP: