■一緒に歩む道の先に、思い描いた理想よりももっと素晴らしいものが待っていると思う
Contents
■オススメ度
一人っ子政策の余波を受けた女性たちを描いた作品に興味のある人(★★★)
姉弟の深まっていく絆を体感したい人(★★★)
■公式予告編
https://youtu.be/PNZ95fKUNiQ
鑑賞日:2022.11.25(MOVIX京都)
■映画情報
原題:我的姐姐(「僕のお姉さん」と言う意味)、英題:Sister
情報:2021年、中国、127分、G
ジャンル:一人っ子政策の余波で初対面になった弟の面倒を見ることになった姉を描いたヒューマンドラマ
監督:イル・ルオシン/殷若昕
脚本:ヨウ・シャオイン/游晓颖
キャスト:
チャン・ツィフォン/张子枫(アン・ラン:医師を目指す姉)
(幼少期:ワン・シェンディ/王圣迪)
ヤオユエン・ジン/金遥源/ダレン・キム(アン・ズーハン:会ったことのないアン・ランの弟、6歳)
シャオ・ヤン/肖央(ウー・ドンフォン:麻雀命のアン・ランの叔父)
リュ・ワン/王丽语(ココ:ドンファンの娘)
クァン・グゥワンビン/全官斌(ココの許嫁)
ジュー・ユエンユエン/朱媛媛(アン・ロンロン:アン・ランの父の姉、雑貨店を営む苦労人)
ホー・チアン/何强(脳卒中を患うアン・ロンロンの夫)
スン・ジアリン/孙嘉灵(父の姉アン・ロンロンの娘、我慢を強いられてきた従姉妹)
ヨン・シェンチェン/陈永胜(父の姉アン・ロンロンの息子、のんびり屋の従兄弟)
ジンカン・リャン/梁靖康(チャオ・ミン:アン・ランの彼氏、医師)
スー・アイティン/苏爱婷(チャオ・ミンの母)
タオ・リン/陶林(チャオ・ミンの父)
ウェン・ファン/黄雯(チェン医師:チャオ・ミンの同僚女医)
シー・ワン/王实(養父候補の夫)
ジン・ワン/王婧(養母候補の妻)
ボーエン・ドゥアン/段博文(ション・ヨン:事件のドライバー)
ヤン・ユートン/杨雨潼(ヤーヤー:ション・ヨンの娘、ズーハンと同じ幼稚園の女の子)
ヤン・ペン/彭杨(チェン先生:幼稚園の先生)
シュウ・ジン/周静(妊娠中の患者)
チェン・リャン/陈亮(患者の夫)
ユ・シュエン/尤姝雯 (患者の娘)
リー・ワンリン/李宛霖(患者の娘)
■映画の舞台
中国:四川省
成都市/Chengdu
ロケ地:
中国:四川省
成都市/Chengdu
https://maps.app.goo.gl/QuXAKaKC3WPHHxy66?g_st=ic
■簡単なあらすじ
一人っ子政策の余波で両親から早くに自立することになったアン・ランは看護師として働きながら、北京にある医大を目指して勉強を重ねていた
ある日、両親が事故で死亡し、ズーハンと言う歳の離れた弟と会うことになった
親戚はズーハンは姉のアン・ランが育てるべきと言い、一方的に押しつけられる
アン・ランには目標があり、とても弟の面倒など見れるはずもない
そこで「養子に出す」と言い、養子縁組が成立するまでの間だけ面倒を見ることになった
喪中が明けて出勤したアン・ランだったが、ズーハンを一人で家に置いて行ける訳もなく、幼稚園を利用しながら叔父のドンフォンを頼ることになった
ドンファンは両親の家を売って、養育費に充てようと言い出すものの、彼の賭博癖は信用ならない
そんな折、両親の事故相手ションヨンと会ったアン・ランは、思わず彼を問い詰めてしまう
ションヨンの飲酒運転は思い込みで、事故は父の心筋梗塞が原因だと判明する
だが、いきなり見知らぬ弟を押しつけられた怒りは収まらず、彼氏のチャオミンとの心の距離も離れていくのである
テーマ:一人っ子政策の闇
裏テーマ:我慢の先にある負の連鎖
■ひとこと感想
題材に興味があったため、大作飛び交う中、小さな箱で鑑賞
内容は、中国の一人っ子政策について知っていないと、描かれる女性の不遇ついて意味がわからないかもしれなません
いわゆる負の連鎖が続いている状況で、その枠外にはみ出したはずのアン・ランが、両親の事故によって、再びその渦中に引き摺り込まれることになりました
弟を育てることが夢を諦めることに直結するのかは微妙なところですが、彼女自身があの街(成都)を出たいと考えていたので、あの場所から出て弟の面倒を見るのはハードルが高そうに思えます
映画は人物相関が鑑賞中にはほとんどわからないので、パンフの相関図くらいは頭に入れておいた方が良いかもしれません
ネタバレと言っても、最後にどうするかと言うものなので、相関図を見るだけではネタバレにならないと思います
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
いわゆる不条理の連続になっていて、両親の死によって、いきなり姉になって6歳の弟の面倒を見ると言うハードモードに突入します
父の姉アン・ロンロンは「私と同じ苦労を味わえ」見たいな感じですし、母の弟ドンフォンは「博打まみれの甲斐性なし」なので子育てに悪影響を与えてしまいます
そんな中、幸福になれそうな養父母が見つかるものの、二度と会えないと言う事実を突きつけられて、アン・ランにさまざまな思いが押し寄せていきます
アン・ランは望まれて生まれた訳ではなく、その後「障害者を偽装してもう一人の子どもを得ようとする両親」に苦しめられてしまいます
障害者のふりができずに困らせてしまうのですが、かなりの毒親だったのだろうと思います
ズーハンも6歳にして、男尊女卑と儒教的な考え方が染み付いていて、それがさらにアン・ランを苦しめることになっていました
親によって書き換えられた人生をなんとか自分の手で掴もうとするアン・ラン
彼女に追い討ちをかける不条理は徹底していて、周りに偉そうなことだけ言う大人が屯している孤立無援状態になっていました
ラストシーンはどの方向に向かったのかはわかりませんが、好意的に解釈するなら、アン・ロンロンが預かることで勉学に集中すると言う感じでしょうか
でも、可能かどうかは置いておいて、北京に行って看護師として働き、ズーハンが小学校に上がった段階で、夢へのチャレンジをすると言うのが現実的なのかもしれません
■一人っ子政策について
一人っ子政策とは、1979年から2014年までに行われた中国における計画出産政策のことを言います
一組の夫婦につき、子どもは一人までという決まりがあり、2015年から2021年までは二人に緩和されています
2021年5月31日に政策の効果がないことを中国共産党が認め、三人目の出産を認める方針が出されました
これらの歴史は中国人民共和国憲法の規定に「夫婦は双方ともに計画出産の義務を負う」というものがあり、「国家は計画出産を推進して人口の増加を経済発展計画に適応させる」という目標がありました
中国人民共和国婚姻法では、法廷結婚年齢の引き上げを行い、男性22歳、女性20歳と世界的に最も高齢な基準に引き上げています(少数民族は男性20歳、女性18歳)
第一子を出産した夫婦が「第二子を産まない」と宣言して、「一人っ子証」を受領することになります
宣言には優遇策もあり、「月5元(当時の平均月収のおよそ1割)の奨励金を子どもが14歳になるまで受け取れる」「託児所および学校への優先入学、学費の免除」「医療費の支給」などがありました
逆に宣言しない夫婦には「超過出産費(多子女費)の徴収」「夫婦双方の賃金のカット」「医療費と出産入院費の自弁」などのペナルティがありました
現在は三人目がOKという段階ですが、これを三人っ子政策とは言わないそうですね
二人目を緩和した段階で出生率が激増しましたが、その翌年には激減に転じていて、以降出生率は下降傾向にあるとされています
その要因として挙げられるのが、一人っ子の政策期間が長かったために、一人が面倒を見る数が増えて、経済的な余裕がないことが挙げられます
一人が二人の親をみて、その上に祖父母が四人いる状態で、そこに高齢化の波が押し寄せている状態なのですね
この流れの中で子どもを産む余裕のない夫婦が増え、少子高齢化が進んでいると言われています
■女性の的は女性と言う風潮
映画では一人っ子政策をまともに受けた世代と、二人目がOKとなった世代が同時進行していました
アン・ランの両親が二人目を産んだのはアン・ランが成人するかしないかという時期だと思われます
アン・ロンロンはアン・ランの父の妹で、二人目がOKの世代になっていて、その息子と娘の年齢差はほとんどありません
逆にアン・ランの母の弟であるドンフォン夫妻はココしかいないのですが、これはドンフォンが離婚しているから二人目がいないというふうに解釈ができます
映画の世界が何年なのかはわかりませんが、ズーハンが6歳くらいなので、これが二人目の緩和とともに誕生したとすると、ほぼ現在(2021年ぐらい)と同じ時間軸ということがわかります
映画では深く言及されていませんが、どうやらズーハンには亡くなった兄がいる様子で、それが死産だったのか乳幼児の突然死だったのかはわかりませんでした
これらの背景があって、苦労してきた代表格がアン・ロンロンとなっていて、当初ズーハンをアン・ランが育てるべきと主張していたのは、「同じ苦労を味わえ」という意味合いが強かったと告白しています
アン・ロンロン自身は女として生まれた(姉として生まれた)ことによって、自分の人生を歩むことができませんでした
その鬱積したものが重なってアン・ランにきつくあたるのですが、アン・ランはその重圧を真っ向から跳ね除けようとしています
それが「養子に出す」というものでしたが、それに対してアン・ロンロンは「養子に出したら訴える」とブチ切れていました
時代と言ってしまえばそれまでなのですが、同じ苦しみを味わうべきだという連鎖は好ましい未来を生み出しません
できなかったことを託すと重くなりますが、そもそもアン・ロンロンが受けてきたものと、アン・ランが遭遇している問題は本質が違います
アン・ロンロンはその本質の違いを理解した上で、弟の養育を盾にアン・ランの自由を奪おうとしていました
でも、アン・ランには先立つ夢があり、そのためには恋人とも別れるし、弟を養子に出すことを厭いませんでした
この強力な頑固さを打ちこわしたのはアン・ロンロンの執念ではなく、アン・ランの中に芽生えた母性というところが誇らしくもあり、残酷でもあるように思えました
ラストシーンではズーハンと暮らす未来を選びますが、だからと言って大学への進学を諦める必要はないと思います
アン・ロンロンが自分の考えを改めたという部分もありますが、アン・ランのインテリジェンスと熱意があれば、その難題をクリアできるのではないか、という希望を感じられるのですね
なので、絶望的な未来があるように見えて、実は明るい未来へと向かっているように感じました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
映画は中国の背景を知らないとわからない部分が多いのですが、それを知らなくても女性の生きづらさというものは十分に伝わってきます
彼女らがなぜそこまで固執するのかは背景があった方がわかりやすいのですが、わかりやすいのは「制約のない自由」に対する嫉妬というものがあったからだと言えます
でも、アン・ロンが自由なのは、両親に捨てられたからで、それを自由と言って良いのかは微妙だと思います
自由と両親の愛を天秤にかける意味はありませんが、娘の存在が消えている家族というのは、自由であることの意味をほとんど打ち消していると感じます
アン・ロンロンの娘は制約のある生活に苦しんでいるし、母親の圧も面倒だと感じているでしょう
そこに来て、自由と家を手に入れて、弟の面倒を放棄できるアン・ランの存在は疎ましかったと思います
でも、両親から捨てられて、その存在すらも消された上で、いきなり見知らぬ弟の面倒を押し付けられるのは、想像以上に重いものだったのではないでしょうか
映画の後半では、三人目を欲しがる夫が登場し、それが男児であるとわかっているようで、妊婦の命と引き換えにしてでも渇望する様子が描かれています
彼らの背景がわからないので「他人が口出しするな」は正解なのですが、アン・ランとしては医療従事者としての判断を優先させていて、命と引き換えにしてまで男児を欲しがる理由は理解できません
あの段階で妊婦は「子癇(しかん)」と呼ばれる状況で、「適切な治療が行われない場合に重積状態になると、母体死亡率は10〜20%とされる危険な状況」でした
子癇とは、主に妊娠20週以降に初めて起きる痙攣のことで、きっかけは「妊娠高血圧症候群」とされています
これは「分娩後12週までに高血圧が見られる症状」で、「高血圧に蛋白尿が伴う」とされています
収縮期血圧140mmHg以上、拡張期血圧90mmHgの状態が続くとこの診断が降ります
160/110だと重症と診断されます
この状況を放置すると、母体だけでなく胎児にも重篤な合併症を引き起こす可能性がありますが、自覚症状があまりないという特徴があります
子癇発作が繰り返されると、脳ヘルニアを引き起こして死に至る場合や、発作中は呼吸が停止した状態になるため、胎盤に酸素がいかなくて、胎児性低酸素症などが起きる場合があります
マグネシウムなどの投与もされますが、全身痙攣が起こり始めるとかなり危険な状況(映画の状況)なので、妊娠を終結させることが第一選択になります
このような場合には緊急帝王切開手術が選択されることは多いようですね
日本の場合は母体保護法というものがあって、そこの「不妊手術の項」の中で、母体保護法指定医師でない場合は、本法による人工妊娠中絶は行うことができないという規定がありますが、例外として「母体の生命が危険にひんする場合、例えば妊娠中の者が突然子宮出血を起したり、子癇の発作が起きて種々の危険症状を呈し、急速に胎児を母体外に出す必要がある場合に、緊急避難行為として、人工妊娠中絶を行うことはもとより差し支えないこと」とされています
あのシーンは思った以上にサラッと流されているのですが、映画の中では一番の異常性を見せている場面でもありますので、少しばかり詳し目に書いておきました
気になる人はググるとさらに詳しい情報も出てきますので、一通り認知させておいて、予防の方に意識を向けたほうが良いと思います
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/384576/review/21ffbfc4-440b-4459-a16e-f68697008762/
公式HP:
https://movies.shochiku.co.jp/sister/