■表面をソフト&クワイエットにしても、中身はハード&ノイジーだったりするのが人の常なのかな


■オススメ度

 

おぞましい白人至上主義の成れの果てを体感したい人(★★★★)

リアルタイムで崩壊する愚か者たちを眺めたい人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2023.5.23(アップリンク京都)


■映画情報

 

原題:Soft Quiet

情報:2022年、アメリカ、92分、G

ジャンル:レイシストのリアルタイムの暴走を描いたスリラー映画

 

監督&脚本:ベス・デ・アラウージョ

 

キャスト:

ステファニー・エステス/Stefanie Estes(エミリー・リース:「アーリア人団結をめざす娘たち」を結成する幼稚園の先生)

オリヴィア・ルッカルディ/Olivia Luccardi(レスリー:元受刑者の参加者、キムの店の従業員)

ダナ・ミリキャン/Dana Millican(キム:ユダヤ系銀行に融資を断られた雑貨店の店主、エミリーの友人)

エレノア・ピエンタ/Eleanore Pienta(マージョリー:昇進レースでエストニア人に負けた女性)

 

シャノン・マホニー/Shannon Mahoney(ジェシカ:途中まで参加する女性、生まれながらにKKK)

レベカ・ウィギンス/Rebekah Wiggins(アリス:途中まで参加する女性、ブラック・ライブズ・マター運動に辟易している)

 

メリッサ・パウロ/Melissa Paulo(アン:キムの店を訪れるアジア系の女性)

シシー・リー/Cissy Ly(リリー:アンの妹)

 

ジョン・ビーヴァーズ/Jon Beavers(クレイグ:エミリーの夫)

 

ジョヴィータ・モリーナ/Jovita Molina(マリア:幼稚園の清掃員)

ジェイデン・リーヴィット/Jayden Leavitt(ブライアン:エミリーの幼稚園の生徒)

ニーナ・ジョーダン/Nina E. Jordan(ノラ:ブライアンの母)

 

ジョシュ・ピーターズ/Josh Peters(神父)

 


■映画の舞台

 

アメリカ:カリフォルニア

 

ロケ地:

アメリカ:カリフォルニア

Inverness/インヴァネス

Inverness Elementary School(幼稚園)

https://maps.app.goo.gl/36k1z4g4i84nBaL27?g_st=ic

 

St. Columba’s Episcopal Church(会合場所の教会)

https://maps.app.goo.gl/FohzyooaXGkX8Ko57?g_st=ic

 

Inverness Store(キムの店)

https://maps.app.goo.gl/6DpWNFNoqBiA5zSy8?g_st=ic

 

12916 Sir Francis Drake Blvd(アンの家に通じる道)

https://maps.app.goo.gl/bH5vRxDyPee2vTL3A?g_st=ic

 

12765 Sir Francis Drake Blvd

https://maps.app.goo.gl/3K9NFrGJY1KvXJKk9?g_st=ic

 


■簡単なあらすじ

 

ある田舎町の幼稚園の先生をしているエミリーは、友人の雑貨店店主のキムたちを集め、「アーリア人団結を目指す娘たち(Daughers for Aryan Unity)」という会合を始める

近くの教会の一室に集まったのは、キムの店の従業員マージョリー、元受刑者のレスリーに加えて、アリスとジェシカを含めた6人だった

 

彼女たちは、日頃見かねている「逆差別」について論じていくものの、その議題と方向性に危うさを感じた神父は「よそでやってくれ」と彼女たちを追い出した

面目が潰れたエミリーは彼女たちを自宅に招待することに決め、ワインなどをキムの店で調達しようと考えた

 

店で必要なものを探していると、そこにアジア系の女性アンとその妹リリーがやってきた

キムは「閉店している」と追い出すものの、アンは「一番高いワインを買う」と言って引き下がらない

 

アンはエミリーの兄を刑務所に送った因縁の相手で、エミリーは執拗に絡み出す

ヘイトが溜まりまくったレスリーは、アンの家に言っていたずらをしようと言い始める

加熱する彼女らの元にエミリーの夫クレイグもやってきたが、白熱するエミリーを抑えきれずに止む無く同行することになってしまった

 

テーマ:行為の正当化

裏テーマ:自己肯定の先にあるヘイト

 


■ひとこと感想

 

ポスターヴィジュアルが強烈で、罵りあう女性の横顔には魔女っぽさが滲み出ていましたね

冒頭の生徒ブライアンとの絡みからしてネチネチしていて、気持ち悪さが全開となっていました

 

映画は、ワンカットで描かれていく作品で、92分の中で逆差別を掲げる女性たちのエスカレートを描いていきます

正視に耐えない内容になっていて、ひとつ箍が外れると、一気に雪崩れ込んでしまうのだなと思わせます

 

エミリーの夫を焚き付ける静かな罵倒も結構えげつなくて、「言い出したら聞かない人」のリアリティがえげつなかったですね

後半のグダグダ感と、暗くて判別しづらいところがありますが、人間の本性がじっくりと描かれていてなんとも言えない心持ちになってしまいます

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

冒頭の生徒との絡みのあと、会合で鉤十字を刻んだパイを持参するなど、悪ノリが凄すぎるのですが、それはほんの序章ということになっていました

会合が始まってからの「静かに、優しく」みたいなテイストで紡がれる逆差別への怒りというものは、言いたいことはわかるけど根底に優生思想が凝り固まっていることが伺いしれます

 

自己肯定感が強く、共感されない思想を抱えてきた人たちが一堂に集まるとヤバい方向にいくのですが、それをリアルタイムで描いていくところが凄かったですね

教会を追い出されるというところが面白くて、プライドだけは高いエミリーのヘイトが徐々に積み上がっていくのが見て取れます

 

キムの店で起こる「プチ騒動」もほとんどホラーで、どっちもどっち感があるのですが、キムの家に行ってからのエスカレートした行動は擁護のしようがありません

本人たちは至って真剣だったりするのですが、事件が起きてからの崩落ぶりが凄まじかったですね

冷静にならなきゃと思っても冷静になれなかったりするもので、このあたりの狼狽からのアホにしか見えない行動は妙なリアリティを感じてしまいます

 


逆差別が起こす鬱積

 

エミリーたちは「白人至上主義」と言う名目で会合を開き、そこでは「逆差別」に対する対抗措置というものを考えていました

アイデアと出し合いながら、遭遇した「逆差別」なるものを披露していく彼女たち

「行き過ぎた保護」に対するアンチテーゼが噴出し、それが更なるヘイトを産んでいる、という下地が描かれています

 

逆差別Reverse Discrimination)」は、「差別を改善し撤廃しようとする過程で、優遇されて来た集団の優位性や平等性が失われることで起こる差別(ウィキによる)」とされています

差別を無くす過程において、あるグループを優遇することで、定員から漏れる人がいる、という考え方ですね

アファーマティブ・アクションAffirmative Action)と言って、政策の段階でも取り入れられている行為のことを言います

一部の国では「割り当て制度」というものがあり、日本では「障がい者雇用枠」とか、「女性参画」などによる「特定のメンバーの確保」として起こっています

 

イギリスでは、能力に関係なく、単に保護グループの地位を理由に人を雇用することは違法となっていますね

アメリカでは物議の対象となっていて、世論は真っ二つに分かれているとされています

起源としては、1961年の3月6日にジョン・F・ケネディ大統領によって署名された「大統領令 第10925号」と言われています

これは「人種などに関係なく公平に扱われること」が目的となっています

 

「平等」であれば良いのですが、日本の場合だと「努力義務」になっていて、それによる弊害が起きています

男女比率は何%みたいなものがメディアで取り沙汰され、たとえば「女性閣僚がいるかどうか」問題でも、本人の資質で選ばれたのか、単純に枠があるから(補助金も出るし)なのかを知ることができません

 

個人的な考えだと、どんなに「平等を謳っても」差別を受けたかどうかは本人がどう思うかだと思うので、結果として「差別があろうがなかろうが」平等にはなり得ないと思っています

むしろ、「差別」を論調に上げることが「差別」を産んでいる状況を考えると、差別に対する抗議デモや政策などは逆効果になっている感覚はありますね

つまるところ、望む結果にならずに理由を探していけば、どのようにでも転ぶものだもと言えます

差別を無くせるかどうかについても、個人的には「人間としての資質だから無理」という考えを持っているので、無くすよりも「より建設的に差別構造に向き合うことのほうが大事」だと考えています

 


ヘイトをぶつけ合うことの効果

 

映画では、教会の談話室を追い出された後に「キムの店」にいくことになります

教会の神父は「揉め事は厄介」というスタイルで、諭すよりも無関係であることを選びます

この行動がある種のテーマになっていて、「感情的な所業を止める手段はない」という物語の流れを如実に表していました

 

キムの店にて、兄を刑務所送りにしたアンに遭遇するエミリーですが、彼女は積極的に関わりたくないという行動を見せていました

ちょうど、物陰に隠れるかのように息を潜めるのですが、アンとエミリーの関係性を知る参加者の暴走によって、エミリーは表舞台に引き摺り出されてしまいます

映画の中では、エミリーの兄がアンに性的暴行を加え、彼女がそれを訴えたために投獄されたのですが、同性なのに「アンの身を案じない」ところに、人種差別の根底があるように思えています

 

この遭遇の後、被害者であるアンの悪態にキレたレスリーとの間に衝突が起き、それがお互いのヘイトを生み出していきます

その場では「ワイン騒動」で収まっていたのに、アンが「エミリーの兄」に言及したことで、エミリーの怒りが沸騰してしまうのですね

さらにキムやレスリーが煽ることで、彼女たちは「悪戯」をすることになりました

 

彼女らを迎えに来たエミリーの夫クレイグも「クレイジー」だと思っていましたが、エミリーから「私の夫としてどうなの?」ととばっちりを受けることによって同行を余儀なくされてしまいます

「5分だけだ」というクレイグの忠告も虚しく、行動はエスカレートしていき、そこにアンとリリーが帰ってきたことで、最悪の展開へと向かうことになりました

 

ここまで来ると「後には引けない」という感じになっていて、それが差別意識があるからという次元には収まっていません

これがテーマになっていて、「差別という火種」と「行動の制御」は別次元であるという意味合いになります

なので、行動の制御が不可能になった段階では、行為の正当性としての逆差別思想であるとか、感情を動かしている優生思想というものが顕在化していきました

ヘイトを含む「感情と思想の言語化」というものは、それらを既知へと昇華させ、それによって、行動をさらにエスカレートさせていきます

人間は感情の生き物でありますが、行動に対する正当性を論理的にでっち上げる性質があるので、彼女たちの行動は「あり得ないけど、あり得る」という方向に向かっていくことになりました

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

映画のタイトルは「Soft&Quiet」で、「静かで優しい」という意味がありますが、それは「ある思想を広めるための方法」として使われています

いわゆる「目的」の方に目を向けているので、「最大の結果を得るために」犠牲にするものは犠牲にして、抑えるものは抑えるということになっています

彼女らが起こす「会合」もそれを行動の根底にしているのですが、表向きを装っても、一瞬で化けの皮が剥がれていくのですね

これが彼女たちの特性なのか、人に備わっているものなのかの線引きは難しいのですが、神父の行動から見るように、彼女たちの特性と捉えても良いのかな、感じました

 

かつての人類は、自分の主義主張を唱えるために暴力に依存し、それによって「制圧」というものを主眼にして来ました

これは「領土の支配」などにも通じていて、今では「空き物件を購入して」というような方法に切り替わったり、あるコミュニティに集団移民をして、自治体を乗っ取るというようなことも起きています

映画がこのテーマを取り扱っているのは、わかりやすく言えば「Soft&Quiet」に動いても、何かしらのタガが外れれば、その本性は隠せないということなのだと思います

そして、そのタガというものは「感情」が起点となり、「思うような行動が起こせないこと」と「自分の立ち位置を揺らがす何か」によって不安定になっていることが見えてきていました

 

神父の追い出しによって、エミリーは「主催者としての立場」を揺るがされたという強迫観念を持ちます

それを何とか抑え込んで、「自分のプライドを守るため」に「自宅へと仲間を招待する」ことになりました

本来ならば、教会という「聖域」において、エミリーたちの会合は「社会的に肯定される」ような感覚を植え付けるのですが、神父はその目的を察して追い出しにかかりました

 

ちなみに、この神父を演じたのが製作者の一人でもあるジョシュ・ピーターズさんなのですね

なので、反論の余地も与えないまま追い出すという行為には作為的なもの、すなわち「エミリーの中で起こる感情とその制御」の起点として機能していることになります

 

わざとエミリーの心理的な状況を揺るがし、それによって行動を起こさせるのですが、冒頭のブライアン少年とのやりとりにもあるように、彼女は「自分では動かない」人なのですね

なので、常に何かを心の中には抱えながらも、行動による結果が自分に波及しないように、距離を取りながら目的を達しようとする狡猾さがありました

神父の追い出しによって、エミリーは「不本意な自主的な行動」を余儀なくされていて、それがさらに彼女を不安定にさせていきます

そして、キムの店で起こることに巻き込まれる中で、不本意な自主性を発揮せざるを得なくなっていきました

 

ある意味、映画は「人のプライドや偏見」「感情とその制御」というものが「Soft&Quiet」では難しい、ということを描いているのかなと思います

思想は行動になる、と言いますが、エミリーたちの根底にある優生思想というものは、彼女たちが思う以上に精神を蝕んでいたのでしょう

彼女たちのエスカレートした行動は、客観的に見ると「起こるべくして起こった未来」なのですが、当該者たちは「予期せぬことが起こった」としてパニックになっていました

彼女らは「自分たちの行動を客観視できない」のですが、それは彼女らの思想とは関連がないように思えます

結局のところ、人の行動原理にはさまざまなものがありますが、静かにも優しくも生きていけないものなのかもしれません

彼女たちを特殊と見るか、その素養は誰にでもあると見るかは人それぞれですが、否定する人ほど同じ行動を取るのではないかと思ってしまいますね

 


■関連リンク

Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://movies.yahoo.co.jp/movie/388572/review/6b35b138-80ea-4dc3-9452-ca0e449e588f/

 

公式HP:

https://soft-quiet.com/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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