■戸締りを行う人を限定させるより、誰もが関われる未来を提示しても良かったかも知れません
Contents
■オススメ度
新海誠作品のファンの人(★★★)
女子高生ががんばる映画が好きな人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2022.11.11(MOVIX京都)
■映画情報
情報:2022年、日本、121分、G
ジャンル:幼少期の自分を救うために、死への受容を強いられる女子高生を描いたファンタジーアニメーション映画
監督&脚本:新海誠
キャスト:(声の出演)
原菜乃華(岩戸鈴芽:不思議な夢を見る17歳の女子高生)
(幼少期:三浦あかり)
松村北斗(宗像草太:閉じ師として日本各地の扉を閉める青年)
深津絵里(岩戸環:鈴芽と一緒に暮らす過保護な叔母)
花澤香菜(岩戸椿芽:鈴芽の母、環の姉)
染谷将太(岡部稔:環を想う同僚の男性)
花瀬琴音(海部千果:愛媛に住むみかん農園の娘)
上田燿司(千果の父)
伊藤沙莉(二ノ宮ルミ:神戸で出会うスナックのママ)
愛美(ミキ:ルミの店のスタッフ)
今津心之介(ルミの双子の子ども)
神木隆之介(芹澤朋也:草太の友人)
松本白鸚(宗像羊朗:草太の祖父、閉じ師の師匠)
山根あん(ダイジン:鈴芽の前に現れる白い猫)
■映画の舞台
宮崎→愛媛→神戸→東京→東北
■簡単なあらすじ
高校生になった鈴芽は、幼い頃に母を亡くし、今では母の妹の環と一緒に九州で暮らしていた
鈴芽は時折幼い頃の夢を見て、ある扉の向こうに景色が広がっているのに、何度潜り抜けても向こう側へは行くことができない奇妙な夢だった
ある日、学校帰りの坂道で見知らぬ青年に出会った鈴芽
彼に何かしらを感じたものの思い出せないままだったが、不意に「この辺りに廃墟はないか?」と訊かれてしまう
思いついたのは町外れの集落だったが、彼の目的はわからないままだった
鈴芽は気になってその集落に行ってみると、そこには誰もおらず、水没した場所にポツンと扉だけがあった
その脇に不思議な石があって、鈴芽はそれを抜き取ってしまう
石は瞬時に何かに変わって、彼女の元を逃げ出した
その後、遅れて学校に着いた鈴芽だったが、地震警報の発報とともに集落のあった場所から煙のようなものが立ち上がっているのが見える
だが、その煙は自分にしか見えてないようで、鈴芽は気になって一目散に廃墟を目指した
そこでは、先ほどすれ違った青年が扉から何かが噴出しているのを止めている様子だった
そこで鈴芽は彼のサポートをして、その扉を閉めることに成功する
このアクシデントで怪我を負った青年を、鈴芽は自宅に招き入れることになったのである
テーマ:過去との向き合い方
裏テーマ:彷徨える忘却への恐怖
■ひとこと感想
映画館でやたら予告編が流れ、映画館側もスクリーン数を大幅に増やしていましたね
『鬼滅の刃 無限列車編』のような箱に割り振られ方で、軒並み小作品が追いやられるという事態になっていました
入場特典で冊子とコースターがあり、パンフレットも充実した内容になっていましたね
同日に『ブラックパンサー ワカンダ・フォーエバー』が公開になっていて、絵エントランスはエラいことになっていました
映画は女子高生が世界の崩壊に巻き込まれる系の王道のような作品になっていて、ネタバレ厳禁系にはなっていますが、神戸に着いたあたりでなんとなく読めてきますね
いまだにこの後半の展開を「ネタバレ」にしてしまうのはどうかと思いますが、いつまで経っても抜けきらないのかなと思ってしまいました
新海誠作品と言えばRADですが、本作ではやや控えめで、『天気の子』での酷評からの転換が物凄いことになっています
さすがにここまで色を抜くと、「ぽさ」というものが消えてしまうように思えましたねえ
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
宮崎からスタートして、愛媛、神戸へと続く中で、地震警報が鳴って「ミミズ」と呼ばれる謎の物体が「後ろ戸」から噴出するという内容になっていました
この警報が注意喚起されていて、映画館に入った段階で「そっち系であること」がバレてしまっているように思えました
鈴芽の出自もそれとなく読めてきますが、ロードムービーとして移動していく過程に無駄が多く、体感時間が長く感じられました
愛媛、神戸のあたりのエピソードにあまり必要性を感じず、東北に向かうのが決まった段階では「まだあるの?」という感じになっていましたね
最終決戦は派手なのですが、サダイジンの出現とか回収がよくわからない感じになっていて、鈴芽が要石を抜苦ことができた理由などが不明瞭でしたね
要石が封印の役割で、それがダイジンに変わるのですが、ダイジンの命名がSNSで誰かが「大臣っぽい」と言ったからというのが、最後まで腑に落ちませんでした
■いつまでそれはネタバレ扱いになるのだろうか
映画の特報、公開前の予告編では「鈴芽が震災で母を失って九州の叔母のところにいる」というのを想像するのはちょっと難しいかなと思います
公開が決まってから、数ヶ月「毎日のように映画館で予告編を観てきた」けど、本編が始まってすぐに「例の船」が出てきて、「これはそういう話なのか」と驚きました
その後、ミミズと呼ばれるジブリに出てきそうな怪物が封印から放たれて、それが地面に落ちる時に地震が起こる、という設定になっていました
ナマズではなくミミズになっているのは監督のセンスであると思いますが、そのあたりはさほど問題ではないように思います
本作では「観始めた瞬間に震災映画とわかる」のですが、予告編ではあまりふれられていませんでしたね
最近の『天間荘の三姉妹』でも予告編ではわからないし、ある程度ネタバレ覚悟で調べていかないとわからないものかもしれません
映画を観る人の中で、どれだけの人が「作品について調べる」のかはわからないのですが、個人的にはブログの下調べをしても、ネタバレにはあまりふれないようにしています
やはり、映画を初めて観た時の感覚とか感動を大事にしたいので、原作ありの作品でも「ネタバレ」を覗くことはしないようにしています
稀に、某掲示板で「試写会で観たネタバレを全部書くバカ」がいますし、各レビューでも「レビュータイトルにネタバレ書くバカ」も一定数存在します
でも、本作のレビュー系で多かったのは「震災映画なのでトラウマのある方は注意してくださいね」という注意喚起のものが多かったので、知らずに観た人が多かったということになるのだと思います
映画本体は震災であることを冒頭から見せていて、鈴芽の見る「幼少期の自分が街を歩くシーン」で、「その場所が東北のどこか」ということがわかります
逆にわからない世代もいて、それが本作の制作動機になっているという監督の言葉がありました
震災から10年が過ぎ、それを知らない世代というのが成人になりつつあります
監督の娘さんも明確には覚えておらず、監督作品のファンの多くが娘と同世代だということもあって、震災を廃れさせないようにと、ガッツリとメインで描くことになっていました
このマインドで作られた映画に対して、宣伝の部分で「なぜ、震災に言及しないのか」というのは昨今の問題であるように思えます
予告編はテレビでも流れるので、そこでいきなり津波のシーンがあるというのはハードルが高いのでしょう
でも、新海誠監督作品で震災を描くんだというメッセージ性は、そう言ったハードルを超える必要があったのではないかと感じました
最近では「設定が震災」という映画が増えてきていますが、「震災映画だと予告編でわかる」のは『Fukushima 50』ぐらいだったように思えます
■勝手にスクリプトドクター
本作は「日本のこれまでの震災」の多くを取り上げていて、神戸、東京、東北というふうに被害が甚大だった場所を鈴芽が辿るという流れになっていました
スタートが宮崎で、そこで「西の要石を抜く」というはじまりがあるのですが、それがなぜ宮崎のあの場所なのかというのはよくわかりませんでした
映画で言及される地震は「関東大震災(1923年)」「神戸・淡路大震災(1995年)」「東日本大震災(2011年)」の三つですね
これ以外にも甚大な被害をもたらした地震は数多くありますが、日本列島を縦断させるという意味あいと、比較的知名度の高い場所というものを選定しているのだと推測されます
要石は「宮崎」と「東京」にあったようですが、その場所にある理由は読み取れません
イメージとしては「神戸と東京」にあったほうがしっくり来て、その要石の封印が解かれたために、2011年に東で震災が起こったという設定でも良いのかなと思います
そして、今回西側にある要石が放たれたことで、西側でも東日本大震災クラス(普通に考えれば南海トラフ)が起こるかもしれないという設定があれば、鈴芽たちが次々と開いていく扉を閉める理由は明確になるかなと思いました
映画では、鈴芽を生家に連れていくために扉が次々と開いていくのですが、その順序であるとか必然性というものは皆無だったように思えました
西側で起きるであろう悲劇を予感させながら、その場所を北上していくのですが、その場所では「震災を受け入れて、その後もその場所に留まってきた人々」が描かれていきます
映画では「震災で辛かった」という文言はほとんど登場せず、震災が過去になった町を鈴芽は旅していきました
一応は、震災が記憶から消えつつある街にも、再び災禍が訪れてしまうという警告が背景にはあります
でも、鈴芽は自分の旅の意味を最後まで理解しないので、前半のロードムービーは本当に地方を旅しているだけになっていたのが残念だったと思います
これらの前半で必要だったのは、普通に生きている人が過去の災禍をどのように受け止めてきたかというものを仄めかすことだと思います
その意味が「観客にはわかるけど、鈴芽にはピンとこない」というラインが大事で、彼女の中に違和感が残るのだけど、それがわからないというのがそのラインに当たります
具体的に言うならば、「鈴芽の出身地を知って反応する人々」でしょうか
このあたりは「鈴芽が自分の出身地を知っている」という事前情報が必要なわけで、それを叔母との会話で示す必要があったと思います
一応は鈴芽の夢でわからないことはないですが、あの映像(船)の場所を鈴芽がどこであるかを認知していないので、夢の話を叔母として、彼女がそれについて動揺する(隠そうとしている)などのエピソードがあった方が、鈴芽がなぜ無知なのかがわかったかもしれません
映画は裏設定とか、神話の引用がたくさんあり、繰り返し見たりパンフレットを読んだり、原作を読んだりすることで、少しずつ吸収していける作品になっています
これはある意味正解なのですが、そのような行動を取る人の方が稀だと思うので、ファーストテイクでガッツリと観客の心に落とし込む方が良かったように思います
その方が、想定している観客層への最大のアプローチになってのではないかと感じました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は「ミミズから人々を守る物語」なのですが、このマインドと方向性は悪くないと思います
でも、問題は「震災を含めた有事に対してどう対処するか」というところの具体性が皆無であるところではないかと思います
閉じ師は「人知れず奮闘している人々」のメタファーですが、そこで行う「予防策」というものまでには至らないのですね
なので、どこかで扉が開いて、それを見つけてから対処するという人類の叡智も成長も描かれていないように思えました
確かに震災などは人が何とかできるものではなく、起きた時にどうするかというところに着目されがちです
映画でも、開いたら行くの繰り返しなのですが、草太がどうやって「扉が開いているのかを知るのか」というのがわからないのですね
なので、闇雲に日本各地を旅して、開いてたら調べて回るみたいな感じになっているのですが、それがアナログ過ぎてどうよ、と思ってしまいます
せめて、アプリなどで扉の位置情報を入力していくとか、それを手伝う人々を増やすとか、同じようにミミズが視える人を探すとか、色々と「未来に対してどうするか」ということは提示できたでしょう
この映画は、裏設定としては「防災」というところも描けたと思うので、起きた過去をどう科学的に利用するかという今風のアプローチがあった方がよかったでしょう
映画では、古風な方法(ほとんど魔法の部類)で扉を閉めていきますが、この扉を増やさないためにはどうするかというところが抜け落ちています
扉は「人がかつて住んでいたけど忘れ去られつつあるもの」の場所にあるのですが、それは忘れたというよりは「危険だから退去した場所」だと思うのですね
宮崎のあの宿場町もかつての水害か何かの被災地ですし、それが放置されていることが問題であり、日本人として「被災地をそのままにしておいて良いのか」という問題に行き着きます
なので、そういった「扉」を減らしていくためには、その土地を清めたり(古風路線なら)、廃墟になっている場所を自然に返す(大地の神の怒りによって追い出された土地)という行為を広げていくなどの未来的なアクションを提示しても良かったのではないかと思いました
最後まで、「頑張れる人だけが頑張る」では夢も希望もありません
なので、そう言ったものに対して、日本人全員がアクションを起こせるような流れになって、それを若年層から広げていこうというマインドがあった方が健全だったのではないかと感じました
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/380638/review/afc87ae3-b886-40a8-9c8f-e3b26a95762c/
公式HP:
https://suzume-tojimari-movie.jp/