土を喰らえなくなったとき、それは自然に還るべき時の知らせなのかもしれません


■オススメ度

 

精進料理に興味がある人(★★★)

まったりネイチャー系ドラマが好きな人(★★★)

ジュリーのファンの人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2022.11.15(T・JOY京都)


■映画情報

 

情報:2022年、日本、111分、G

ジャンル:信州の山奥で暮らす作家が1年を通じて自然を享受する様子を描いたヒューマンドラマ

 

監督&脚本:中江裕司

原作:水上勉(『土を喰う日々 わが精進十二カ月』

 

キャスト:

沢田研二(ツトム:人里離れた信州の山荘に住む作家)

 (少年期:佐藤優太郎

もも(さんしょ:愛犬)

真知子(松たか子:ツトムの担当編集者で恋人)

 

奈良岡朋子(チエ:息子と離れて暮らすツトムの義母)

尾美としのり(隆:ツトムの亡き妻の弟)

西田尚美(美香:隆の妻)

 

檀ふみ(文子:ツトムが奉公する禅寺「瑞亀院」の和尚の娘)

平井正修(瑞亀院の住職)

 

瀧川鯉八(遺影を頼む写真屋)

火野正平(棺桶と祭壇を頼む大工、山歩きの師匠)

 


■映画の舞台

 

信州の山奥の山荘

すげ村(位置不明)

 

ロケ地:

長野県:白馬村

https://maps.app.goo.gl/zo6emALBeDLqYGo97?g_st=ic

 

長野県:北安曇郡

リゾートインやまひら

https://maps.app.goo.gl/uSjifuZXQ7stQ2aq6?g_st=ic

 

長野県:松本市

国立病院機構 まつもと医療センター

https://maps.app.goo.gl/n8zaiEUTVwMQZD948?g_st=ic

 

長野県:信濃市

野尻湖ナウマンゾウ博物館

https://maps.app.goo.gl/GXPfXnmU48D72Ho18?g_st=ic

 

京都府:京都市左京区

圓光寺

https://maps.app.goo.gl/ER7ABDknCAoApajC9?g_st=ic

 


■簡単なあらすじ

 

信州の山奥に住む作家のツトムは、新しい作品の原稿に追われていた

タイトルすら決まらない中、担当編集者で恋人の真知子が東京からやってくる

 

ツトムは山菜料理でごまかしながら、頭を下げる

真知子は「タイトルだけでもください」と言い、ツトムは「土を喰らう十二ヶ月」と筆を走らせた

 

立春を皮切りに、二十四節気の中から9つの季節を切り取り、ツトムの土着の生活を描いていく

近くに住む、亡き妻の母チエとの交流、かつて奉公していたお寺の住職の娘・文子との再会を経て、ツトムは1年間の生活を綴っていくことになったのである

 

テーマ:自然と生きる

裏テーマ:死の受容

 


■ひとこと感想

 

予告編から滲み出る静かに思える物語は、軽快なジャズのナンバーとともに東京から真知子がやってくるシーンにて始まっていく

信州の山村に着くと、そこからはほとんど自然音がメインで、物語に違和感のない音楽が背景で鳴っているという感じになっていました

 

料理監修が土井善晴さんだったこともあり、映画内の食事はどれもが美味しそうでした

料理を作る様も形になっていて、普段そういったことをしない真知子との対比が良かったですね

 

意外なところで演出がコミカルで、場内はほとんど高齢者の方々だったのですが、クスクスと笑いが溢れていましたね

ほぼ1年間をかけて撮影されたと思うのですが、自然の移り変わりとか

かすかな環境音がとても心地よいヒーリング系の映画だったと思います

 

ともかく、米と味噌と漬物があれば、日本人は生きていけるのだなあとつくづく思ってしまいました

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

ネタバレも何もない映画で、若い恋人との距離感が絶妙でしたね

真知子との別れに至る過程とか、死を目前にしたある種の達観などは、ある程度の年齢にならないとわからないものかもしれません

 

映画を京都駅南で観たのですが、フロアには某アニメの待合が多く、あんまり人が入っていないんじゃないかなと思っていました

でも、中サイズのシアターがほぼ満席で、そのほとんどが高齢者の方々でした

いわゆる「私が一番若かった」みたいな感じになっていて、場違い感はありましたね

 

でも、本作は若い世代にも観てほしい映画で、死に感することはまだわからなくても、食に対しての考え方を少しでも改めてほしいと思うのですね

自然を食べるということの意味の深さと知って、少しでも多く土とふれる機会を作ってもらえたらなあと思いました

 


二十四節気について

 

本作の映画の章立てに使われている「二十四節気」は、平気法(太陽の動きを24分割するイメージ)、定気法(黄道を24分割するイメージ)によって1年を24等分し、その分割点を含む日に季節を表す名称をつけたもののことを言います

いわゆる「和暦のカレンダーにちょこっと書いてある立春とか冬至などの呼び方」のことを言います

映画では「立春から冬至の間の9つ」をピックアップして、使用していました

 

映画の始まりである「立春」から順に書くと、(映画登場分は太字)

立春(2月4日)冬が極まり、春の気配が立ち始める日。前日が節分

雨水(2月19日)空から降るものが雪から雨に変わり、雪が溶け始める頃

啓蟄(3月5日)大地が温まり冬眠をしていた虫が穴から出てくる頃

春分(3月21日)昼と夜の長さがほぼ等しくなる日。前後3日間は春の彼岸

清明(4月5日)万物が清々しく明るく美しい頃。立夏の18日前から「春の土用」

穀雨(4月20日)田畑の準備が整い、それに合わせて春の雨の降る頃。

立夏(5月5日)春が極まり夏の気配が立ち始める日。

少満(5月21日)万物が次第に成長して、一定の大きさに達してくる頃

芒種(6月6日)芒(稲の籾殻にあるとげ)のある穀物、稼種するとき

夏至(6月21日)昼が一番長い日

小暑(7月7日)梅雨が近づき、暑さが本格的になる頃。立秋の18日前から「夏の土用」

大暑(7月23日)快晴が続き、気温が上がり続ける頃

立秋(8月7日)夏が極まり、秋の気配が立ち始める日

処暑(8月23日)暑さが峠を越えて後退し始める頃

白露(9月8日)大気が冷えてきて、露ができ始める頃

秋分(9月23日)昼と夜の長さがほぼ等しい日、前後3日間は「秋の彼岸」

寒露(10月8日)露が冷気によって凍りそうになる頃、立冬の18日前から「秋の土用」

霜降(10月23日)露が冷気によって霜となって降り始める頃

立冬(11月7日)秋が極まり冬の気配が立ち始める日

小雪(11月22日)わずかながら雪が降り始める頃

大雪(12月7日)雪が激しく降り始める頃

冬至(12月22日)1年で夜が最も長い日

小寒(1月5日)寒さが最も厳しくなる時期の前半、立春の18日前から「冬の土用」

大寒(1月20日)寒さが最も厳しくなる日

となります

この記事が上がる頃には、雪が降り始める地域もあるかもしれませんね

 


土を喰らうとは何か

 

映画で登場するのは「精進料理」で、「仏教の戒に基づき、殺生や煩悩への刺激を避けることを主眼として調理された料理」のことを言います

禁止されている食材は「肉・魚・卵などの動物性食材」「煩悩を刺激する五葷と呼ばれるニラ・ニンニク・ネギなどのネギ科に分類される食材」の二点となっています

料理もまた修行の一環として重要視されてきました

また、一般家庭や料理屋でも作られていて、その目的は仏教の精神と対称的な「美食文化」として作られていて、密かに動物性の出汁(魚など)が使われていたりします

 

基本的に「肉食」は禁止で、野菜や穀物、豆類が中心となります

そのために、栄養価の高い大豆が重宝され、味噌、醤油、豆乳、湯葉、豆腐、油揚げ、豆豉などが開発されました

映画でも、味噌は貴重な調味料として使われていましたね

あとは漬物が多くて、一年分をまとめて作っているような印象もありました

 

土を喰らうとはまさに土着の食べ物を中心としたもので、大地の営みによって育まれた食材を選んでいました

根菜と実をどのようにして食べるかという感じになっていて、草の部分は薬味などに利用されていました

昨今では「カット野菜」なるものが便利ですが、個人的にはあまり使わないようにしていますね

焼きそばを作る時でも、キャベツを丸ごと買ってきて、1枚ずつ葉を剥がして使っていきます

カット野菜は量があるように見えますが、実際にはキャベツの外側3、4枚の量もなかったりして、意外なほどにコスパが悪かったりします

 

ちなみに野草の知識がなくても、今では便利なサイトもあります

例として、「YAMA  HACK」のURLを載せておきますので、ブックマークしておけば何かの役に立つかもしれませんね

↓YAMA  HACK「食べられる野草【写真付き/春夏秋冬一覧】」URL

https://yamahack.com/383

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

映画のメインはチエの葬式で、そこで通夜振る舞いをする様子が描かれていました

そこでテキパキと動く様はまるで料理人で、真知子がそれにかろうじてついていっているという感じになっていました

二人の呼吸は合っていそうでしたが、田舎暮らしに真知子が馴染めるかは微妙だったと思います

 

ツトムが倒れたことによって、そばにいてあげるべきだと真知子は一緒に住むことを了承しますが、ツトムは逆のマインドになっていました

迷惑をかけるというよりは、自分の死期が近づいたことと悟り、真知子の人生のことを考えたのだと思います

真知子に未練を持たせないために「一人でいることが好きなんだ」とツトムは言いますが、これは半分本音で半分は建前と言ったところでしょう

また、ツトム自身は真知子が喜ぶことをしてあげたいと考えていたので、同居することで「喜ぶこと」以上の「苦しみ」を与えるのではないかと思ったのではないでしょうか

 

チエと仲が良かったツトムは、彼女の生き方を否定しませんし、あのような死に方が悪いとは思っていません

誰かがそばにいることで生き残る確率は上がりますが、そのまま死ぬということを受け入れられる年代なのかなと思います

 

私個人はまだ50歳手前ですが、死ぬ可能性が高い瞬間がきたら、そのまま死ねる方が良いのかなと考えています

人は助かるときは助かるし、死ぬときは死にます

なので、そこでそばに誰かがいるとか、生き残る確率が高い場所で病魔が襲うということには意味があるのかもしれません

そういったことがなく、命の危険が差し迫った時は、「ああ、役割を終えたのだな」と思って、そのまま逝くのも悪くないと考えています

このあたりは個人の死生観によると思いますが、「生かされているっていう状態がいかにしんどいか」は病院勤めの人なら理解できるのではないでしょうか

 


■関連リンク

Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://movies.yahoo.co.jp/movie/378786/review/d47c8ec5-e0c0-4fcb-97f8-56392eef8d4d/

 

公式HP:

https://tsuchiwokurau12.jp/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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