■斜陽から日の出に向かうために、人は恋をするのではないだろうか


■オススメ度

 

文学的な作品が好きな人(★★★)

宮本茉由さんのファンの人(★★★)

太宰治のファンの人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日2022.11.8TOHOシネマズ二条)


■映画情報

 

情報2022年、日本、109分、G

ジャンル:戦後の没落貴族となった娘がある作家との交流の果てに人生を切り開いて行く様子と描いたヒューマンドラマ

 

監督:近藤明男

脚本白坂依志夫&増村保造&近藤明男

原作太宰治(『斜陽(1947年、新潮)』)

 

キャスト:

宮本茉由島津かず子:華族令にて伊豆に移り住むことになった没落貴族の娘)

安藤政信(上原二郎:新進気鋭の天才作家)

 

水野真紀(島崎都貴子:最後の貴婦人と呼ばれているかず子の母)

奥野壮(島崎直治:戦地から戻ったかず子の弟、上原に傾倒する青年)

 

田中健(和田の叔父:かず子たちの伊豆行きを支援する親戚)

 

細川直美シチュー屋の主人)

村山陽央(盗みを働く少年)

残間統(盗まれるパン屋)

 

白須慶子(上原スガ子:二郎の妻)

竹澤咲子(上原夕子:二郎とスガ子の娘)

 

三上寛(茂吉:かず子を気にかける伊豆の老農民)

岡元あつこ(みわ子:女給)

 

柏原収史二宮:巡査部長)

萬田久子(居酒屋「千鳥」の女将)

 

柄本明(三宅医師:都貴子の主治医)

菅田俊(老医師)

今井かなこ(産婆)

宮地尚子(吉田:看護師)

安藤由希子(渡辺:看護師)

 

尾崎右宗(編集長)

岡部尚(出版社の社員)

中谷太郎(出版社の社員)

光藤えり(出版社の社員)

薗田正美(関口:二郎の弟子)

今泉朋子(さち代:二郎の弟子)

 

薗田正美(評論家)

 

緒方美穂(街頭で歌う女性歌手)

 

野崎小三郎(居酒屋の店主)

ジョナゴールド(居酒屋の娘)

 

片山きょうこ(あかね:娼婦)

春風亭昇太(福井:画家)

 


■映画の舞台

 

静岡県:伊豆

 

東京都:中央区

京橋(二郎の活動場所)

https://maps.app.goo.gl/KXck1rBiAUfMGAkR8?g_st=ic

 

ロケ地:

山梨県:山梨市

根津記念館

https://maps.app.goo.gl/eDMp9vbMHwUfoGtf6?g_st=ic

 

岩下温泉旅館

https://maps.app.goo.gl/EiVbCgTqcwmdCPtC9?g_st=ic

 

青森県:五所川原市

赤い屋根の喫茶店「駅舎」

https://maps.app.goo.gl/MYWtuCZSZy3VMRQy5?g_st=ic

 

太宰治記念館「斜陽館」

https://maps.app.goo.gl/ho6mNpsbv9Vry2C27?g_st=ic

 

青森県:西津軽郡

鰺ヶ沢温泉 水軍の宿

https://maps.google.com?g_st=ic

 

静岡県;沼津市

安田屋旅館

https://maps.app.goo.gl/n9wNNBh2X6xPWZAa7?g_st=ic

 


■簡単なあらすじ

 

昭和20年、戦後の日本では「華族令」の廃止により、身分制度は一新されていた

当主の父が他界した島崎家の娘・かず子は母・都貴子と共に叔父の和田の助けを得て伊豆の山荘で暮らすことになった

 

伊豆での生活が落ち着いた頃、弟の直治が戦地から帰省することがわかった

母は直治が帰ってくると更に生活が苦しくなると言い、和田の勧めで老医師との縁談を勧めてきた

だが、かず子には誰にも言えない秘め事があったのである

 

かず子は直治を介して上原二郎という作家と出会っていて、その胸に熱き想いを抱えていた

だが、上原には妻子がいて、その想いを表に出すのははばかられていたのである

 

そんな折、母は結核に罹ってしまい、かず子は折り合いのつかない直治と過ごすことになる

直治は編集社を立ち上げると言って、母の所持していた宝石を売り払ってしまう

だが、上原はそんな直治に対して、その金を持って伊豆へ帰れと突き放すのである

 

テーマ:恋は革命

裏テーマ:恋はいのち

 


■ひとこと感想

 

おそらく読んだことがあるはずの太宰治『斜陽』ではありますが、完全に記憶から消えていましたねえ

卒論を書いたのが25年前ですから、それも仕方のないことなのかもしれません

 

映画は朗読劇を思わせるようなスローテンポで進み、小説で読むとそれほど変には思わない「自分の内面の吐露」というものが応酬する流れになっていました

睡眠不足で突撃したら確実に寝るパターンだと思います

 

本作はかなり狭い層にし響かないイメージがあって、まずは原作を読んでいないと厳しいかなと思います

本当は太宰作品をある程度読んでいる方が良いとは思うのですが、この世界観がどれだけ忠実なのかは、小説を読んでいないとわからないのではないかな、と思います

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

前日の夜勤が死ぬほど忙しくて、ほぼ仮眠できないまま突入

TOHOシネマズのスケジュールの関係で『犯罪都市 THE ROUNDUP』と続けて観るという無茶なスケジュールだったのですが、地球の裏側レベルの落差があって驚きました

 

原作の記憶はほぼないままに流れを追っていきましたが、いろんなキャラに太宰治が投影されている感じになっていましたね

直治にも、上原にもそこはかともない太宰っぽさを感じて、少しばかり懐かしい気分になりました

 

音楽も歌謡曲で、映画のノリは時代劇に近い印象がありますね

結構な年配の方がたくさん来られていましたが、戦後間もない頃を知っている年代だったように思えます

 

映画はもう、宮本茉由さんの一人舞台かなと思えるくらいに存在感が半端ない感じでした

凛とした慟哭という感じで、一人で生きていくための情念というものが迸っていたように思います

 


華族について

 

映画の舞台は昭和20年、華族令が廃止された直後となります

華族とは、大日本帝国時代にあった貴族階級のことで、公家の堂上家(御所の清涼殿南廂にある殿上間に昇殿する資格を有する家柄=上級貴族、江戸時代末期で137)に由来する華族を「堂上華族」、江戸の大名家(鎌倉時代に家臣群を有した武士の一族)を「大名華族」、国家への勲功により華族に加えられた「新華族」のことを指します

明治2年の時点での華族数は2891人という内務省の資料があります

 

岩倉具視の政策「版籍奉還」と同日に出された太政官達54号「光卿諸侯ノ称ヲ廃シ華族ト改ム」により、従来あった「公卿・諸侯」の呼び方が変わることになりました

この時点で公家137家、諸侯270家あったとされています

また、明治維新後に公家となった5家、維新後に諸侯となった15家も加わっていました

旧・諸侯の華族は東京に住むことを定められ、地方官にあたるものはその場所に住むことになります

その後、1871年7月14には「廃藩置県」が行われ、現在の知事職にあたる「知藩事」としての地位も無くなりました

 

1947年、日本国憲法の施行により、華族制度は廃止されます

当時は「今、華族の人はOK」みたいな草案もありましたが、最終的にはすべて廃止となっています

当時の華族総数は1011家あったとされ、その後も華族会館は名称を変更しつつも存続され、旧・華族の親睦の中心となっているそうですね

 


恋愛は男女間で起こる革命なのだろうか

 

「人間は恋と革命のために生まれてきたのだ」という一説が有名な『斜陽』ですが、かず子だけは華族を剥奪されてから強く生きる道を選んでいます

かず子の弟・直治も戦地から帰還して懸命に生きますが、最終的には酒に溺れて人生を終わらせてしまっています

人が強く生きようとする時、そこにはある種の思い込みや信念というものが生まれます

傍から見て狂気に見えるものほど、当事者にとっては当たり前のことになっています

 

本作でも、かず子は「上原の子どもを身籠る」という明確な目的があり、それによって上原をも圧倒していきます

不倫相手の子どもを身籠もって育て、相手には依存しないというのだから相当であると思います

かず子の中には確信めいたものがあり、それは「既存の女性の在り方に対する挑戦=革命」であったと言えるのでしょう

彼女が生きていく目的は「恋焦がれた男の種を残すこと」であり、この強さというものが彼女の支えとなっていきました

 

歴史の転換点はある特定の人物の感情によって動くもので、それが国家の中枢にいるかどうかを問いません

多くの歴史的な出来事は個人的な感情が情勢に先立って動き、また情勢によって扇動されたうねりというものが生まれてきます

そこに理屈はなく、あるのは感情と反応だけなのですね

人の強さと脆さは感情によって引き起こされ、時には強固な思い込みとなって、その影響を無視した行動というものを産んでいきます

 

個人の感情の中で最も衝動的で、情熱的なのは「恋愛」であると思います

怒りもそれに近い瞬発力を有しますが、持続的であったり、距離を苦にしないというところなどを加味すると、この感情に勝るものはないでしょう

恋愛は障壁の大きさによって肥大化し、越えられそうにもない壁を越えようとする力が働きます

かず子の恋愛は、まさにこれまでの女性観を変えていけるものであると言えますし、時代の転換期だからこそ生まれ得たものであるとも言えるでしょう

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

情念というのは、時に人を狂わせますが、その渦中にいる人間は自分を狂っているなどとは思ったりもしません

人生を賭けた恋愛に遭遇できる人は幸運で、大半の人は「運命の出会い」に遭うこともなく、その生涯を終えるかもしれません

運命の出会いを誇大に考えるとその罠に陥るのですが、空想に毒されているとその感覚が麻痺してしまいます

昨今、ブームになった「シンデレラシンドローム」なども誇大妄想の弊害であり、それによって感知能力が鈍ったことで、本来「運命的だったもの」を矮小化していたりもします

 

かつての自分の恋愛を振り返ると、初発の衝動というものはそれほど大きなものではありませんでした

惚れやすい性格で、小学校ではクラス替えのたびに好きな女の子がコロコロ変わるという性質でしたが、高校になって「運命だった」と思えるような恋をしたことがあります

でも、臆病な自分がそれを運命にはできず、その反動から大学では前のめりになって玉砕という青さを発揮していましたね

過去の恋愛、とりわけ成就しなかったものも含めて、それは未来の恋愛に影響を強く与えます

ある恋愛の結果はその後の恋愛の結果に影響を与えるもの、というのは誰しもが経験してきたものではないでしょうか

 

恋愛に溺れることはみっともなく見えますが、「みっともなさ」というものに囚われていると、うまく行くものの行きません

かず子も不倫相手への溺愛という、世間では爪弾きになれるような恋愛に溺れ、その情念というものが上原を圧倒し、彼女なりの勝利というものを掴み取ることにつながっていました

かず子の恋愛を見て、彼女がみっともなく見えたかと言えばそう言ったこともなく、むしろその情念の出自や根幹に興味が湧くでしょう

このような情念は、斜陽を促進させ、ひいては新しい日の出をたぐる糧になると思います

斜陽からもっとも早く抜け出すためには、夜への抵抗をやめ、より早い日の出を掴むためにもがくことなのかなと思ってしまいますね

 


■関連リンク

Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://movies.yahoo.co.jp/movie/384527/review/7b38f562-1e9c-47fd-89ed-8befaad8b3d4/

 

公式HP:

https://syayo.ayapro.ne.jp/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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