退屈だからこそ、映画との距離感がわかってしまうのかもしれません


■オススメ度

 

シュール・コメディの派生映画が好きな人(★★★)

相当変わった映画が好きな人(★★★)

 


■公式予告編(公式貼れずシネマトゥディを引用)

鑑賞日2023.11.9(アップリンク京都)


■映画情報

 

情報2023年、日本、75分、PG12

ジャンル:酷評される映画を作った監督が静かな騒動に巻き込まれるシュールコメディ

 

監督脚本井上テテ

 

キャスト:

奥山かずさ(加賀美久美香:酷評される映画監督)

 

中里萌(畑井菜衣奈:映画館に来る女子高生、アイドル志望)

大原由暉(鹿島豊:映画館に来る男子高校生)

 

山口大地(島村夏生:自称評論家の失礼な男)

広山詞葉(春日アンジェリカ:夏生の連れの失礼な女)

 

岩井七世(富岳案:タコス店の店員)

宮澤翔(加茂一:タコス店の店長)

高橋蟹丸(菅沼修二:タコス屋の客)

 

野呂佳代(新田茜:バカなことばかり言う映画プロデューサー)

 

井上テテ(映画館の店員?)

中西広和(好き勝手言う高校生?)

須賀貴匡(好き勝手言う高校生?)

 


■映画の舞台

 

都内某所

 

ロケ地:

東京都:世田谷区

TACOS Shop IKEJIRI

https://maps.app.goo.gl/kUTvn8QN5Tapw8Ss8?g_st=ic

 

千葉県:千葉市

京成ローザ10 EAST

https://maps.app.goo.gl/JshqZWxuqAi89YA46?g_st=ic

 


■簡単なあらすじ

 

公開作品が酷評されている加賀美久美香は、近くのタコス店にて、自称評論家のカップルから難癖をつけられてしまう

彼らは「なぜこの映画を作ったのか?」と迫り、「面白さ」を保証するのが監督の役目だと言う

 

彼らは禁煙の店で堂々とタバコを吸い、傍若無人に振る舞うものの、途中から乱入してきた映画プロデューサーの新田に追い出されてしまう

久美香は新田との話の中で、名曲を使用したり、無関係の人気者にインタビューするなどの話題が上がってしまう

 

一方その頃、アイドルの選抜に落ちた菜衣奈は、クラスメイトの鹿島を成り行きで誘って、映画館にやってきてしまう

そこでは久美香の作品しか上映しておらず、無音の映画に戸惑いを見せながら、時間を過ごすことになったのである

 

テーマ:映画とは何か

裏テーマ:何も起こらない映画

 


■ひとこと感想

 

いわゆるノンジャンルに挑戦した作品になると思うのですが、あまりにもドマイナーな作品に、レビューを探すのも一苦労の作品になっています

映画は映画監督が自称評論家に好き勝手言われるシーンと、高校生カップルがその映画を見ての反応が描かれていきます

 

敢えてジャンルをつけるとしたらシュール系コメディと言う感じですが、映画業界の風刺がキツい作品でもあると思います

自称評論家の言うことも分かりますが、言いがかりも程がありますね

プロデューサーの登場で空気が変わりますが、最高の映画『トランスフォーマー』に吹き出しそうになりました

 

高校生カップルの微笑ましい感じもツボで、無音映画にB‘zを持ってくるところとか毒が効いていましたね

誰にでもハマるものではないと思いますが、成り行き任せのバカ話は最高だったと思います

メタ構造になっているところも秀逸だったと感じました

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

真面目な監督と適当なプロデューサーの組み合わせが映画談義をするのですが、結局はプロデューサーのバカ話に乗っかってしまうところがシュールでしたね

高校生二人も味があって、おそらくは鹿島の方は気があるのだと思います

この二人の映画のエピソードトークも聞いていないように思えて的確なツッコミをされるところもツボだったように思います

 

映画は、ジャンルのない映画を作った監督が酷評されるのですが、実験映画的な側面とエンタメが融合できない失敗作だったと言うことになります

既成概念を取っ払ったものになると思うのですが、流れるだけの映像になっているし、それが「つまらない」と感じているのは相当なことだと思います

 

自称評論家は、あれこれと難癖をつけたり、曲解による自己解釈で分かった気になるのですが、その視点でも意味がわからないと言うのは相当でしょう

劇中内映画がどんなものかは分かりませんが、少なくとも本作の場合は、込められているメッセージは明確なものだったように思いました

 


実験映画の役割

 

映画の中で久美香が作った映画は、かなり実験的な映画で、それを商業映画として成立できると考えていました

稀にミニシアター系で「実験っぽいな」という映画を観ることがあるのですが、やりたいことはわかるけど、商業映画として公開するのは無理があるのではないかと思ってしまいます

本作もかなり攻めた内容になっていて、いわゆるノンジャンルを目指しているのですが、ジャンルというものは指定しなくてもカテゴライズされてしまいます

 

ノンジャンル映画というのは、そのものがノンジャンルというジャンルを作ることもあるのですが、本作の場合は「シュール系会話劇」というカテゴリーに入るので、この手の作品というのは本作が初めてではないと思います

とは言え、ミニシアター系とは言っても、ガッツリと商業映画として公開しているので、かなり無茶をしているなあという感じにはなっています

個人的には面白い映画ではあると思うのですが、映画のセオリーは完全に無視しているので、そう言ったこだわりがある人には不評になると思います

 

新しいエンタメというのは全て実験の歴史があるもので、当初は受け入れられなかったものも、いずれはジャンルというものを形成していくことになります

ノンジャンルは新規開拓事業なのですが、本作の場合は「着地点のない会話劇」をエンタメにできるか?という命題があって、それはそれで成立していたと思います

また、メタ構造を配していて、映画を観ている側と作り手側が同じものを題材にして話しているという構造になっています

久美香たちは「制作意図」についての話をしていて、プロデューサーとの間では「プロモーション」についての話をしています

学生二人は「映画自体が面白いか」ということを話しているのですが、どう考えても面白いとは感じていないのですね

この退屈を生み出しているものの正体は「無音効果」であると言えます

 

久美香の作った映画は「無音映画」なので、すなわち会話もないということになります

何かしらの映像だけが流れていて、劇伴も会話のないという感じになっていて、そこに「音楽を聴く」「無駄話が入る」という余地が生まれていました

無音が効果的に配される映画はありますが、それは会話や劇伴があって、その中で無音があるから効果的なのですが、完全無音だと「ミュートにした映像を見ているだけ」なので、映像作品としてはかなり欠落している部分が多いのだと思います

これらは実験的な側面もあると思いますが、「面白いと思って作ったのか?」というど直球の質問に答えられるならばOKではないかと考えます

でも、久美香には感覚的なものしかなく、その企画意図を自称評論家どもに伝えることができません

これでは、面白い面白くない以前に、映画として完成していないと言われても仕方のないことだと思います

 


会話劇の楽しみ方

 

本作の基本は会話劇で、その会話の内容は「つまらない映画について」というものになっています

自評評論家との会話は「制作意図」に関するもので、彼らの主張は言いがかりに近いものがありますが、明確な答えを用意できていないので久美香の負けになっています

プロデューサーの新田が来てからは「プロモーション」に関する話題になり、どのようにして売っていくかというラインの中で、DVDに特典をつける話などが出ていました

こちらも新田に一方的に話を持って行かれているので、勝敗があるとしたら負けのように思えます

 

学生二人の会話は、映画の話をしていくものの続かず、菜衣奈のアイドル話にシフトしていきました

こちらの会話は鹿島が好意を持ちながらひたすら隠しつつもカッコいいところを見せようとして滑っている様子が窺え、この会話にシフトしていくことで、映画が退屈であることを伝えています

ラストでは、どうにもならない鬱憤をくだらない映画にぶつけることになり、実はそこに久美香がいたというオチになっていました

学生二人は監督であることを知らないままでしたが、久美香は二人がエンドロールを最後まで見ないことについて、サラッと一言添えていましたね

 

これらの会話劇が面白くなるかどうかは、演者の力量に頼るところが大きいように思います

自評評論家二人の会話劇も、間が悪く、会話のテンポに辿々しさが残ります

学生二人も同じレベルで、会話の転換の際の間というものにためらいが生まれています

これらが意図したものかは分かりませんが、おそらくは演者の力量によるものだと考えられます

 

それに対して、プロデューサー新田の捲し立ては相手に付け入る隙を与えず、話の切り替わるポイントもスムーズに移行しています

かと言って、久美香が口を挟む瞬間を与えていないわけではなく、その呼吸を感じ取って、付け入る隙を作っているのですね

その対象的な存在として、ひたすら食っているだけで話さないというキャラクターがいました

話さないキャラと会話が成立しているのが新田だけで、それはかなり高度な技術であると思います

食べるリズム、咀嚼のタイミング、飲み込む、表情などを駆使して、その隙間にツッコミを入れるスタイルで、しゃべっていないのにしゃべっているような会話になっているのですね

このシーンによって、会話劇は会話がなくても成り立つということを証明していると言えます

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

本作では、パンフレットが作られていませんが、ホームページではキャラの名前などの詳細がわかります

ロケ地などはわからなかったのですが、外観が映像で登場したので、なんとか特定できる感じになっていました

かなり小規模な公開になっていて、公式HPだとアップリンク吉祥寺、アップリンク京都、京成ローザ⑩(ロケ地)の3箇所ということになっています

おそらく拡大公開もなさそうですし、観れたことがラッキーという語種になりそうな映画になっていました

 

基本的には酷評される感じの内容になっていて、それはセオリー通りの映画作りではないからだと思います

主人公がいて、目的があって、仲間を集めてという流れもありませんし、何かを得るとか失うということもありません

冒頭からエンドロールまで、久美香の背景も心情もほとんど変わっておらず、変化のない作品となっていました

それでも、観客側には変化というものがあって、それが映画体験であると言えると思います

 

個人的には、何も起こらない映画の何が面白いのかを考えていたのですが、通常の会話も基本的には何も起こらないし、芸人さんがつけるようなオチというものはつきません

会話の役割は、関係性の円滑効果と、状況把握、距離把握になると思います

この観点から考えると、劇中の学生カップルの距離は縮まっているし、久美香は映画の相対的な評価を知ることになるし、自評評論家との距離感やあしらい方というものを身につけていると言えます

退屈な映画でもそれを観ている人には何かが起こっているもので、それを再確認する映画だったのかなと思いました

 

この手の映画は誰かと観た方が良いもので、劇中でも自評評論家カップルと学生カップルは同時に同じものを見ています

それゆえに、自己消化で終わることなく、映画との距離感を再認識できるようになったと言えるのではないでしょうか

 


■関連リンク

映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

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公式HP:

https://www.taikutsuendroll.com/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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