三好達治に興味のある人(★★★)

戦争詩について興味のある人(★★★)

文学系映画が好きな人(★★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2022.12.17(京都シネマ)


■映画情報

 

情報:2022年、日本、125分、PG12

ジャンル:実在の詩人・三好達治の狂愛の行方を描いた自伝的サイコホラー映画

 

監督:片嶋一貴

脚本:五藤さや香&荒井晴彦

原作:萩原葉子『天上の花 三好達治抄』

 

キャスト:

東出昌大三好達治:萩原朔太郎を師と仰ぐ文学青年、詩人)

入山法子(萩原慶子:萩原朔太郎の妹、達治の想い人、史実では萩原アイ)

 

浦沢直樹佐藤春夫:小説家、詩人)

関谷奈津美(佐藤智恵子:春夫の娘、達治の妻)

 

萩原朔美(アルス社の社長、北原白秋の弟)

林家たこ蔵(按摩師、福井にいる盲目の元軍人)

有森也実(闇市の女)

 

吹越満萩原朔太郎:三好が師事する詩人)

鎌滝恵利(萩原稲子:朔太郎の妻)

イザベル矢野(萩原葉子:朔太郎の妹)

 

鳥居功太郎(畠中哲夫:三好を師事する若者)

間根山雄太小野忠弘:三好の友人、画家)

ぎぃ子(小野陸子:忠弘の妻)

 


■映画の舞台

 

昭和20年〜昭和45年

東京府:馬込(現在の東京都大田区)&世田谷区

福井県:三国(現在の福井県坂井市三国町)

 

ロケ地:

新潟県:柏崎市

金泉寺

https://maps.app.goo.gl/Z26nRakS7G8LpNz79?g_st=ic

 

六宜閣

https://maps.app.goo.gl/zT5CsNxXVzReypwVA?g_st=ic

 

飯塚邸

https://maps.app.goo.gl/coGi8CDpAznSTaTQ8?g_st=ic

 

安田館

https://maps.app.goo.gl/CdxMDJXMnaoLanXr8?g_st=ic

 

不動院

https://maps.app.goo.gl/1rHG6ZKvv7bziYj8A?g_st=ic

 

萩ノ島かやぶきの里

https://maps.app.goo.gl/RunmrFm3aXP8b1LV9?g_st=ic

 

新潟県:小千谷市

湯どころ ちぢみの里

https://maps.app.goo.gl/cHUUeFfKQiwXsc9D8?g_st=ic

 

新潟県:上越市

有馬川駅

https://maps.app.goo.gl/AzdohXaanmVBVEfo7?g_st=ic

 


■簡単なあらすじ

 

東京の馬込文士村に住んでいた三好達治は『月に吠える』の作者である萩原朔太郎に師事していた

書けども、詩では食えず、フランス語の翻訳などで食い扶持を繋いでいた

 

ある日、朔太郎の妹・慶子が離婚して兄の元に戻ってきた

そこに偶然居合わせた達治は、彼女の美しさに惚れ込む

だが、貧乏書士では相手にならず、慶子はそのまま佐藤惣之助と結婚してしまった

 

その後、達治は友人・小野忠弘の紹介で佐藤智恵子とお見合いをすることになった

智恵子は達治の詩『太郎を眠らせ』に感銘を受けていて、詩人と結婚することを夢に見ていた

だが、達治の心は妻に向かうことなく、そして朔太郎の葬式にて、慶子と再会することになった

 

達治は胸の内を彼女に告げ、慶子は彼と共に福井県の三国へとやってくる

そこは海が近い陸の孤島で、魚はうまいものの、慶子は場違いな場所にきたと感じていたのである

 

テーマ:情念の方向性

裏テーマ:憎しみを生んだ純愛

 


■ひとこと感想

 

一応文学部なので、一通りの予備知識はありますが、あまり詩歌については詳しくはありません

そんな中、昭和激動期に執念の愛を実らせようとした三好達治の記念映画なるものが誕生しました

 

個人的にはそこまで思い入れはなく、「戦争詩」というものもあまり興味がありません

でも、こういう役をやらせたらハマるんだろうなあという東出昌大さんを配していたので、興味を持って鑑賞に至りました

 

映画は文学的な素養は1ミリもないと地獄のような作品になっていて、そもそも「会話が脳内で漢字変換できない」んじゃないかなと思います

 

三好達治という人物にもそれほど詳しくはありませんが、内容的には結構攻めているんじゃないかなと思わせます

おそらくは、女性が観たら「ほとんどホラー」で、特に「慶子を眺める陸子」がめっちゃ怖かったという印象がありました

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

映画は朔太郎の死後に慶子と約束を取り付けた達治が描かれていて、越前三国(みくに)での生活を中心に描いていきます

都会で不自由なく暮らしていた慶子にとっては地獄のような日々で、達治はただそばにいてくれるだけで良いと言います

 

でも、酒癖が最悪で、細かなことに口出していくのですが、この背景が意外なほど最後まで語られないので、女性からしたらDV夫から逃れられないホラーみたいな感じになっています

一応「書きたくもない詩を書いていた」みたいなエクスキューズはありますが、慶子の正常さを周囲が宥めていく様もホラーに思えました

 

戦争詩を書いて、戦地の人を鼓舞しようと考えていた達治にとって、「あなたがどんな詩を書いても、日本は戦争に負けるのよ」はNG中のNGだったと言えますね

でも、当時の虐げられた女性の本音が凝縮されていて、あそこまで無茶苦茶だと、そう言わざるを得ないと思わされます

 

慶子が東京へ戻ることを決意して、そこで「1万円あげるから、ここにいて」と達治が語りかけるシーンは、東出昌大さんを配したからこそ撮れた「最凶の画」だったのではないでしょうか

 


三好達治のあれこれ

 

三好達治は明治33年に大阪市で生まれた詩人で、フランス近代詩と東洋の伝統詩の手法を取り入れた作家でした

東京帝国大学仏文科を卒業し、代表作には『測量船(1930年)』などがあります

劇中でも登場する神経の病は小学生の頃からあったと言われています

1915年に大阪陸軍地方幼年学校に入校、そこでのちに「二・二六事件(昭和維新を掲げたクーデター)」の首謀者として銃殺される「西田悦」と出会い、親友となりました

 

1923年、萩原朔太郎の詩集『月に吠える』に魅了され、1925年に東京帝国大学文学部仏文科に入学します

高校時代の友人である翻訳家・淀野隆三から梶井基次郎(代表作『檸檬』など)を紹介され、外村茂(代表作『花筏』など)、中谷孝雄らの創刊した『青空』という同人誌に参加をします

1927年、梶井基次郎の療養のために伊豆湯ヶ島を訪れた際に川端康成(代表作『雪国』『伊豆の踊り子』など)、尾崎士郎(代表作『人生劇場』など)、宇野千代(代表作『おはん』『生きていく私』など)、広津和郎(代表作『神経病時代』『風雨弾かるべし』など)、そして、萩原朔太郎と出会いました

その際にギ・ド・モーパッサンの『女の一生』の翻訳をしていた広津和郎の手伝いをしたとされています

 

その年の10月、朔太郎の住む東京の馬込文士村(映画の前半で慶子と会うシーン)に下宿し、『詩と詩論』の創刊を手伝います

この頃に、朔太郎の妹・アイ(映画では慶子という名前)に出会い、求婚しますが、貧乏書生のためアイの母の大反対にあいました

1928年、『月に吠える』を再刊したアルス社に朔太郎の口利きで就職し、婚約に至りますが、程なく倒産し破談となります

その後、達治はシャルル・ボードレールの散文詩などの翻訳を手掛け、生計を維持することになりました

 

1934年、佐藤春夫の姪である智恵子と結婚、同年12月に長男、1937年に長女が誕生します

その後、太平洋戦争が始まり、達治は「日本の勝利や日本の国民国家を賞賛称揚する「戦争詩」というものを作り始めました

1942年、慶子の再再婚の相手である作詞家の佐藤惣之助が死去、それに伴って達治は智恵子と離婚をします

1944年から福井県の三国(現在の坂井町)に移り住み、そこで慶子と同棲生活を始めました

この生活は10ヶ月程度で終わりを告げています

 

1949年に三国から東京の世田谷区へ転居(映画後半の闇市の女とのシーン)、1964年に心筋梗塞と鬱血性肺炎の併発によってこの世を去りました

原作は萩原朔太郎の娘である萩原葉子が書いた作品で、慶子の姪に当たる人物ですね

この作品では達治の度重なるDVの様子が記録され、葉子は「フィクション」と銘打つものの、様々な方面から知り得た話が盛り込まれているので、そこまでフィクション感はないとされています

 


戦争詩とは何か

 

「戦争詩」とは、主に「日中戦争と太平洋戦争の時期に量産された、戦争協力の意図を含んだ詩群のこと」を言います

「愛国的」「国民的」とされ、戦時下で生まれたものを総括して「戦争詩」と名付けられています

「戦争詩」が詩誌に初めて登場したのが日中戦争の時代で、南京総攻撃戦に派遣された西条八十が主宰した『蝋人形』だと言われています

1937年頃に喜志邦三が「戦争詩、韻律の問題などー昭和十二年度詩歌界の回顧ー」の表題に登場しました

 

その後、萩原朔太郎の「南京陥落の日に(東京朝日新聞、1937年12月13日)」が掲載され、「こんな無良心な仕事をしたのは生まれて初めてだ」などと書き残しています

日中戦争時に内閣情報部は漢口攻略戦の際に文士を従軍させ、「ペン部隊」なるものを作ります

この派遣作家の中に、慶子の夫である佐藤惣之助がいました

この文士従軍のニュースは各メディアで報道され、詩壇もこれに呼応するように動いていきます

 

1936年には、東京詩人クラブ(現:日本詩人クラブ)主催の「戦争詩の夕」という朗読会も行われました

この会は何度か開催され、「戦争詩」という言葉が定着するきっかけになったとされています

 

「戦争詩」については、1938年の安藤一郎の「戦争詩といふもの」にて論じられたのが最初とされていて、その中では「愛国的なリリシズムに依つて大衆を鼓舞するもの」「直面した悲劇と惨禍を冷静且つ刻銘に写実するもの」「思想の観点に立つて皮肉や風刺に近づくもの」と定義されています

映画では、達治が「ペンの力で相手を倒せないが、戦っている人々の役に立てるのではないか」というふうに発言していたので、大衆を鼓舞するための戦争詩を書いていたとされています

朔太郎と戦争詩論争になっているシーンがありましが、これは先の日中戦争時に朔太郎が行った戦争詩への参加というものの総括と、達治の今が衝突したシーンになっていました

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

映画は、達治の執念を描きながら、そこで屈折した愛情表現が増悪する内容を赤裸々に綴っていきます

原作が女性の視点で慶子寄りなので、その達治の所業は狂気にしか見えません

慶子が達治についていった理由は、映画でも描かれる「惣之助が残した財産」であり、当時の状況下で頼れるのが達治しかいなかったからでした

でも、定評のあるわがまま娘の性質が変わるわけもなく、達治もモンペを履いたりすることを拒んでいたので、その性質は増長され続けたとも言えるでしょう

 

本作は、愛が伝わらない状況を描いていますが、それは達治の表現力不足と、行動が伴わないこと、そして惣之助との対比が主軸となって拗れていきました

また、戦争というものに対する捉え方が違っていて、戦争詩を書いていた達治に対して、「あなたがどんな詩を書いても、日本は戦争に負ける」はキラーワードだったと言えます

劇中で達治を師事する畠中も「昔の結核によって戦争参加ができなかった若者」で、達治自身も30歳の頃に喀血に見舞われていました

戦争に参加できない男性にとって、当時の不甲斐なさというものは強くて、それでも何とか国のために戦えないかと考えたのが「戦争詩への参加」だったので、それを全否定していく慶子の言動というのは許し難いものだったと言えるのでしょう

 

かと言って、女性に手を上げる行為はあってはならないもので、この映画では達治の暴力の増強というものが描かれていきます

そして、「暴力に慣れていく自分が怖い」と慶子が言うように、「DVから逃れ慣れない女性の心理」と言うものへの言及もされていました

慶子を宥めることになった小野の妻・陸子も、当初は達治を擁護する発言が多く見られましたが、実際に顔面に大怪我を負わされた慶子を見て目を逸らしていましたね

愛する夫がそんなことをするとは思えないと言う固定観念がそうさせてきたのだと思いますが、誰しもが同じ愛情表現を行えるわけでもありません

「愛」と言うものは時に人を狂わせるもので、達治の慶子への愛は「障壁が高すぎた故に狂っていった」とも見て取れます

 

本作は「三好達治大全」の記念で作成されたものなのですが、達治自身の狂愛を主軸としているところがすごいことだと思います

本人を手放しで絶賛するわけでもなく、でも「三好達治」と言う人物像を歪めることなく伝えると言う方針

それによって、彼が残してきた作品の意味や価値というものに深みが増してくると思うので、単純な礼賛映画を作らなかったと言う意義は深いものだと思いました

パンフレットもとても充実しているので、本作が気に入った方は購入されることをお勧めいたします

 


■関連リンク

Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://movies.yahoo.co.jp/movie/382211/review/ecad0692-0eb5-425e-83b9-5ec99c2b53ed/

 

公式HP:

http://tenjyonohana.com/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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