■受諾に至る過程において、趣向を無視した強要は成し得ないと証明されたのかも


■オススメ度

 

入り組んだ伏線のある映画が好きな人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2024.5.7(T・JOY京都)


■映画情報

 

原題: Казнь(実行)、英題:The Execution(処刑)

情報:2021年、ロシア、138分、G

ジャンル:終わったはずの事件が蒸し返されて混沌とする捜査を描いたミステリー映画

 

監督:ラド・クバタニヤ

脚本:ラド・クバタニヤ&オルガ・ゴロジェッツカヤ

 

キャスト:

ニカ・タバゼ/Niko Tavadze(イッサ・ダヴィドフ/Issa Davydov:連続殺人事件を担当した捜査官、モデルはイッサ・コストエフ/Issa Magometovich Kostoyev

   (幼少期:Mark Bazrov

 

エフゲニー・トゥカチュク/Evgeniy Tkachuk(イワン・セヴァストノフ:犯罪現場写真家)

 

ダニール・スピバコフスキー/Daniil Spivakovskiy(アンドレイ・ワリタ:殺人事件の容疑者)

Evgeniy Muravich(ワリタの母)

 

アグラヤ・タラソーバ/Aglaya Tarasova(キラ:1991年に襲われて生き残った女性)

ユリア・スニギル/Yulia Snigir(ヴェラ:1981年に殺されたキラの姉)

 

Igor Savochkin(アルトゥーム・カムラエフ:イッサの部下、捜査員)

Andrey Kharybin(イワン・サベリチ:捜査員)

Ivan Mulin(コルシュ:捜査員)

Valentin Smirnitskiy(イッサの上司)

Agrippina Steklova(イッサの上司の妻)

 

Ekaterina Ermishina(スヴェタ:サベリチの友人)

 

Dmitriy Gizbrekht(チェスプレイヤー:イッサが捕まえた連続殺人犯)

Olga Lapshina(インナ・ソイナ:殺された少女の母)

 

Viktoriya Tolstoganova(ナデジダ・ダヴィドワ:イッサの妻)

Manizha Khamraeva(イッサの母)

Vladimir Baynov(マーク:イッサの息子)

Artem Saribekov(ディマ:イッサの娘)

 

Elena Morozova(グリゴリエフ:心理療法士)

ダニール・スピバコフスキー/Daniil Spivakovskiy(ミロン:グレゴリエフの患者)

 

Vladimir Mayzinger(ブルラコフ:?)

Aleksandr Desyatov(オニッシュ:?)

 

Husky(愚か者/愚か者の兄)

Ilya Naishuller(容疑者)

Oleg Rudenko-Travin(犯罪捜査官)

Oleg Akkuzin(犯罪捜査官)

Valeriy Myznikov(犯罪捜査官)

Denis Yakovlev(犯罪捜査官)

Mikhail Konovalov(犯罪捜査官)

Aleksandr Potapov(犯罪学者)

Aleksandr Guriev(中尉)

Andrey Komarov(警察官)

Fedor Kuzmenko(警察官)

Nikolay Frolov(警察官)

 

Galina Panova(売春婦)

Roland Gagulashvili(法廷の証人)

 


■映画の舞台

 

1981年~1991年

ロシア:モスクワ郊外

 

ロケ地:

ロシア

 


■簡単なあらすじ

 

難事件を解決してきた捜査官のイッサは、仲間たちを集めて昇進パーティーを開いていた

だが、それに水を刺すような電話が入り、イッサはパーティーを中止して捜査に入ることを余儀なくされてしまった

それは、森の中で襲われた女性が発見されたというもので、その襲われ方が「イッサが投獄した犯人」と同じ手口だった

同一犯の可能性が高く、真犯人はずっと逃げおおせて来た可能性があり、イッサを含めた捜査員たちは、その真相を探る必要に迫られてしまった

 

イッサは捜査資料を読み返し、被害者キラの証言を元にして、アンドレイ・ワリタという人物を犯人だと特定する

そして、ワリタを捕まえることに成功するものの、イッサは「捜査はワリタの家で行う」という

情報漏洩を避けてのものだったが、イッサには過去の事件が冤罪だったとは認められなかった

そこでイッサは、ワリタにありとあらゆる拷問にかけて「自白」を強要し始める

 

その捜査の渦中、イッサは10年前の事件に思いを馳せ、映画は「1991年と1981年~1988年まで」が入り乱れた状態で描かれていくのである

 

テーマ:犯行自白の過程

裏テーマ:証拠と自白の関係性

 


■ひとこと感想

 

事前情報をほとんど掴めず、ロシア映画なのでウィキなども正確には読めない中で参戦

パンフレットも発売されておらず、さてどうしようかと悩んでしまいましたね

画面も非常に暗くて、ぶっちゃけ誰が誰だかはっきりと認識できたかは自信がありません

 

映画は、1981年~1988年までの「姉ヴェラの事件」と並行して、1991年の「妹キラの事件」というものが同時に描かれます

1991年→1981年→1984年→1991年というように、流れを掴むのが非常に難しい作品になっていました

とは言え、どちらのパートもパートごとの時系列は順列なので、現代と過去を行ったり来たりするということさえわかればOKだと思います

 

物語は、有能な捜査員イッサが何かを失っていく流れになっていますが、その何かというものが後半になって暴露される展開になっています

前半のキーワードはイッサの妻ナデジダの言葉ということになりますね

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

映画は、全7章の構成になっていて、

第1章「Важняк(ボス)」

第2章「Отрицание(否認)」

第3章「Гнев(怒り)」

第4章「Торг(交渉)」

第5章「Депрессия(鬱病)」

第6章「Принятие(受諾)」

第7章「Казнь(実行)」

という流れになっていました

ラストの「実行」のところがタイトルの名前になっていますが、この流れは劇中でも登場する「容疑者が自白に至るまでの過程」そのものとなっていました

 

映画は、かなり入り組んだものになっていますが、時系列で並べ直すと、

1981年~1988年は、イッサがサベリチ、ヴェラ、ミロンたちと会う流れになっていて、その後ヴェラとの不倫関係と事故が起こるパートになっています

1991年のパートでは、ヴェラの妹キラが何者かに襲われて逃げることができ、そこから1981年の事件と同一視されるという展開になります

そこからイッサがワリタを容疑者認定し、拷問を繰り返して自白をさせますが、ヴェラに関しては否認をするのですね

そして、キラの記憶と捜査官から語られる姉の死の様子がおかしいことに気づき、黒幕へと辿り着くという感じになっていました

 

1回しか見ていないので細かいところまでははっきりとわかりませんが、ざっくりとこんな流れだったのではないでしょうか

 


アンドレイ・ロマノヴィッチ・チカチーロについて

 

映画は、アンドレイ・ロマノヴィッチ・チカチーロ(Чикатило, Андрей Романович)が1936年に起こした殺人事件をモチーフにしていて、その捜査にあたったイッサ・マゴメトヴィッチ・コストエフが主人公のモチーフとなっています

チカチーロは小児性愛から成人の強姦に至るまで様々な事件を起こし、少なくとも43人を殺したとされています

人気のないところに誘い出して殺害したのですが、その中には遺体を強姦したり、バラバラにして食べたともされています

 

チカチーロは1936年にウクライナ・ソビエト連邦のハリコフ地方にて生まれ、祖父は農民で、その土地が奪われたという過去がありました

父のロマンはパルチザンの指揮官で、ドイツ軍に捕えられたという過去を持つ人物でした

アンドレイは水頭症の兆候を持って生まれたと言われていて、12歳頃までおねしょをしていて、母親に殴られて過ごしたと言われています

 

1957年に徴兵され、1960年までソ連のKGB国境部隊に配属され、その後はソ連軍の通信員として勤務していました

退役後、地方で電話交換局の技師として雇われ、同時期にフリーの地方紙のライターも務めていました

1962年には妹タチアナの紹介でオドナチェワと出会い、結婚しています

その後は、寄宿学校の校長に採用され、ロシア語教師に転身しています

この頃に女子学生に対して性的な嫌がらせを始めたとされています

 

最初の事件は、1978年で、被害者はエレナ・サコトノワという9歳の女の子でした

失踪届を出されたエレナは遺体として発見され、その死因は窒息によるもので、強姦の形跡が残されていました

この事件では、アレクサンダー・クラチェンコという少女強姦歴のある男が逮捕され、チカチーロの容疑は晴れてしまいます

クラチェンコは殺害を自白し、死刑が宣告されることになりました

さらにもう一人の容疑者が浮上していて、アナトリー・グリゴリエフという50歳の男性でした

彼には酔うと精神的に不安定になり、その後「誰も殺していない」と言い残し、トイレで首を吊ったとされています

 

クラフチェンコの死刑が確定し、自分が安全だと考えたチカチーロは犯罪行為を再開させます

1981年3月、シャフティ生産組合のエンジニアとして働き始めた頃、第2の殺人として、17歳のラリサ・トカチェンコを殺害しました

彼女は売春に従事していた専門学校生だったことがわかっています

 

さらに1年後、今度は13歳の少女リュボフ・ビリュクを殺害し、1982年までに7人の子どもを殺害しました

それからも犯罪を重ね続け、1990年に捜査の指揮がイッサ・コストエフに引き継がれることになります

イッサは、当時はフラフチェンコが犯人であると判決が出た後にチカチーロが真犯人であることを突きつけることになります

当時の最高裁はクラフチェンコの判決を覆すことに否定的でしたが、イッサの尽力もあり、その評決が覆されることになりました

 

映画は、これらの一連の事件の中の「別の真犯人を突き止めた捜査官」という部分と、猟奇的な連続殺人をモチーフにしています

でも、実際の事件とは全くの無関係で、さらにイッサが実は殺人犯でしたという顛末になっていました

かなり無茶な引用になっていますが、犯罪の詳細がモチーフとして借用されていて物議を醸しているとされています

 


時系列シャッフルから見えてくるもの

 

本作は、1991年と1981年〜1986年までが混在する内容になっていました

自分の頭を整理する意味でも、時系列順に並び替えてみたいと思います

 

1981年、イッサが連続殺人の捜査に加入(第1章)、殺害現場記録係のイワン・セヴァストノフと共にこれまでの捜査を再確認します

1984年、イッサは捜査の渦中でレストランの喧嘩騒ぎの仲裁、そこでヴェラと出会い、その後自宅で妻のレイプ未遂ののちにヴェラと再会し関係を持つ(第3章)

1986年、イッサは心理療法士のグリゴリエワを訪ね、そこで患者であるミロンに遭遇(第4章)、ミロンを怪しいと睨んで尋問を開始するものの、その背景で殺人事件が続き、イッサは「双子の兄弟だ」と断定(第5章)

そして、彼の家を監視し、そこでミロンが過去の犯罪の記録を残し、ビデオライブラリを編集していることを突き詰める(第6章)

1988年、ヴェラの妹キラが姉の遺体が発見されたことを告げられ、そこでキラは「姉は森ではなくキッチンで死んでいた」と発言、ヴェラは身籠っていて、誰かの愛人だったのではないかと疑われる(第7章)

1991年、ミロンが目を覚まし、井戸にいたキラに暴行を加え、通行人によって保護される(第1章)

その頃、イッサは昇進パーティーを行なっていて、その場で「過去と同じ事例の事件が起きたこと」を知らされる(第1章)

被害者の証言から、アンドレイが容疑者に浮上し、彼の自宅を取り調べ場所にすることになった(第2章)

尋問は続き、アンドレイの過去が暴かれていく(第3章)

チェスプレイヤーが犯罪捜査に利用され、逃亡を図る(第4章)

アンドレイが自白、彼の行動から診療所で会ったミロンであると確信する(第5章)

アンドレイ=ミロンが撃たれるものの、その地下室で一部始終が録音されていたことに気づく(第6章)

地下室に拘束されたイッサの元に、イワンとキラがやってきて、自白を強要、イッサが抵抗する(第7章)

おそらくはこんな感じの流れになっていたと思います

 

細かなところは覚えていませんが、アンドレイ=ミロンがヴェラの殺害だけを否認し、キラはヴェラが死んでいたのは森ではなくリビングだったと確信していました

そのリビングにイワンがイッサに贈ったネクタイピンがあったという謎解きがあったように思いました

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

本作は、実際の事件や人物に着想を得ていますが、かなりアレンジが入っていて、元ネタと言って良いのか悩んでしまいます

有能な捜査官が実は裏で殺人を犯していて、その罪を着せるためにアンドレイを拷問にかけていき、自白にまで追い込むという所業を見せます

実際に彼が起こした事件に関しては供述をしますが、その中に紛れ込ませようとしたヴェラの死に関しては、頑なに否定することになりました

映画の章立ては「自白に至るまでの心理状態」を表していて、その過程はアンドレイもイッサも同じような過程を経ていると言えます

 

事件のことを聞かれて「否認」し、容疑がかかったことに「怒り」を覚え「交渉」に入ります

精神的に追い込まれて「うつ病」状態になり、捜査員が見せる飴を「受諾」し、自白の「実行」というものが行われるのですね

イッサはアンドレイがこのような心理過程によって「自白」にたどり着くと考えていましたが、彼には殺人に対する哲学のようなものがあって、それだけは覆せなかったのだと思います

犯罪者の論理に同調はしませんが、これまでと同じ殺し方でも、殺す相手は異質なもので、それを受諾はできないのですね

これは、アンドレイの中にある衝動と合致しないので、これを看過できなかったイッサのミスであると言えます

 

連続殺人の中に紛れ込ませるには、その対象の偏りに敏感である必要があって、無差別に殺しているように見えてもロジックがそこにあります

アンドレイを自白に追いやっても、彼の家にある無数のテープの中にヴェラがいなければ嫌疑にもならず、趣向の違うものを混ぜ合わせても溶け込むことはありません

優秀な捜査官であるイッサがなぜこのような初歩的なミスを犯すのか?

それは、殺人が起こった際に「冷静でいられる人間などいない」ということに尽きるのだと思います

 

起きたことを拒絶し、それを無かったことにしようと画策するのですが、その際に「自分が犯した罪を起こしそうな人物」「殺害の動機がある人物」を探し出すのは困難なことだと思います

計画的にアンドレイが起こしたと見せかけて、その趣向を理解しつつ、物的な証拠をも用意する

このためには、殺害よりも前にアンドレイの全てを把握していないとダメで、それがイッサにはできなかったのですね

それもそのはずで、イッサを自白へと追い込むためにイワンとキラが共謀して罠を仕掛けているので、それによってイッサは操り人形のようになっていました

この流れを可能にしたのが、事件現場写真家として、数多くの事件をフィルムに収めてきたイワンの嗅覚だったのでしょう

事件を印象で語る捜査官と、細部のこだわりを見抜く博識の差が出たのかな、と感じました

 


■関連リンク

映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://eiga.com/movie/101016/review/03780105/

 

公式HP:

https://klockworx.com/movies/17894/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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