■砂が何かのメタファーだとして、彼女らが靴を履かないのは何故だろうか


■オススメ度

 

JKの本音が気になる人(★★★)

赤裸々な会話劇が好きな人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日:2024.5.7(イオンシネマ京都桂川)


■映画情報

 

情報:2024年、日本、87分、G

ジャンル:男女平等に悩むJKたちの本音を描いたワンシチュエーション青春ムービー

 

監督:山下敦弘

脚本:中田夢花

原作:徳島市立高等学校の舞台劇『水深ゼロメートルから(2019年)』

 

キャスト:

濱尾咲綺(ココロ:プール掃除を指示される高校2年生)

仲吉玲亜(ミク:ココロの親友)

清田みくり(奥田チヅル:ココロの同級生、水泳部)

花岡すみれ(ユイ:ココロの先輩、元水泳部)

 

三浦理奈(リンカ:野球部のマネージャー)

さとうほなみ(山本:体育教師)

 

井手亮太(楠:野球部員)

岡田空(野球部員)

𠮷田タケシ(野球部員)

山本宗介(野球部員)

 

麻木貴仁(インターハイの実況の声?)

土山茜(山本の友人の声)

 


■映画の舞台

 

徳島県:徳島市

徳島市立高等学校

https://maps.app.goo.gl/5oFgiaEYpLZjgzUC7?g_st=ic

 

ロケ地:

栃木県:足利市

足利市運動公園

https://maps.app.goo.gl/8AE38XUrKjsjwWaC7?g_st=ic

 


■簡単なあらすじ

 

高校2年生のココロとミクは、体育のプールの授業に出なかったことで、体育教師の山本から補習を言い渡されていた

ココロが指定の場所に来ると、そこには誰もおらず、プールの水は抜かれて、乾いた砂が一面に積もっていた

 

ココロは誰もいないことを確認し、阿波踊りの練習を始める

だが、そこにインターハイに行っているはずの水泳部のチヅルがやってきて、彼女は水のないプールで泳ぎ始めた

さらに、ミクがやってきて、3人は取り止めのない会話を始める

 

ようやく山本先生がやってくるものの、補習の内容がプール掃除ともあって、あまり身が入らない

授業を受けなかったそれぞれの理由も徐々に明らかになるもの、それによってさらに補習の意味を感じなくなってしまった

それぞれはその場から逃れるための言い訳を用意し出し、一向に補習は進まなくなってしまうのであった

 

テーマ:青春の葛藤

裏テーマ:男女平等活動の余波

 


■ひとこと感想

 

思いっきり「高校生の主張」みたいなテイストの作品で、元は徳島県の高校による演劇がベースとなっていました

水の抜けたプールでの会話劇となっていて、ほぼプール内で完結するという変わった作品になっていました

プール以外では野球部のグラウンドとその周辺、先生のデスクぐらいしか出てこず、どうやって展開させるのかな、と心配になってしまいました

 

映画は、男女平等が謳われる今のご時世に巻き込まれている女子高生という構図になっていて、男女平等を意識すればする程に生きづらい世の中になっていることがわかります

女の子らしく可愛い自分でいたいというのも今ではアウトなのでしょうか

生理的な問題で授業を休みがちになっても、体の心配よりは「ルール」が優先されてしまう世界

 

暴力的なものは何もありませんが、彼女たちがきちんと傷ついているということは手に取るようにわかります

成長期における身体の変化に悩み、喜怒哀楽だけではない複雑な感情の出現

某アニメではありませんが、この時期特有の悩みをいうものは、大人からすれば過去の出来事ですが、当事者としてはいつまで続くのかわからないストレスになっているのだなと思います

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

可愛い女の子が集まって「男子が聞いてはいけない会話」をしているというテイストで、劇場には共感を得る女子は皆無で、そこは見たくなかったのというおっさんたちの微妙な空気に包まれていましたね

おそらくはキャストのファンと思われる人々の群れがいましたが、終わってからは意気消沈していたように思えます

 

映画は、ほぼワンシチュエーションの会話劇で、その内容が「女子だけで展開されるもの」になっていましたね

赤裸々といえば聞こえが良いのですが、男子が近くにいたら絶対にできない会話だと思うのですね

野球部にモテ男がいるみたいですが、そういった青春に対するアプローチも少しずつ違います

 

男と女の違いというものが明確にあるのに、それを考えない社会にしようとしているのですが、女子高生の等身大の意見としては真っ当な部類だと思いました

とは言え、平等言ってるのはブスとまで言ったらダメだと思うのですが、女の子が女の子らしさの追求すらダメな社会って、何がしたいのかわかりません

青春期を過ぎた人たちの断末魔のように思えますが、そういった人たちも彼女たちの年齢だと「ウザイ」と思ったはずなので、そういうことをやりたい大人だけが勝手にやっておけば良いと思われても仕方がないのかな、と感じました

 


男女平等とは何か

 

映画では、水泳部のチヅルが野球部員の楠に負けたことを根に持っていて、フィジカルの競技における男女差の問題がさらっと描かれていました

水泳部でもない楠に負けてしまうということで、部長の面目も丸潰れで、メンタルの部分が折れかけていました

同時に、おそらくではありますが、チヅルは楠のことが好きなのだと思います

そのために実力以上のものが発揮できなかった可能性もありました

 

この時期に限らず、女性には生理現象というものがあり、それが原因でプールに入れないという事態になっています

今では男女別になっている学校があったりしますが、私の時代の小中高は一緒の授業で、着替える場所も入れ替わり制のような運用になっていました

参加しない女子たちの理由は説明されず、察してねという感じになっていたのは何とも言えませんでした

この頃は、男女の骨格による体力差を意識することもなく、それよりは性欲的な衝動に関する悩みの方が強かったように思います

 

昨今では、性的自認を巡る諸問題が発生し、それによって身体的性別によって争われてきたスポーツの世界に、精神的な問題が入り込んでいます

当事者ではないので問題を斜めから見ている段階ですが、身体的な強さを競う競技に、心の問題が入ってくる理由と、それを受容する風潮は理解できないところがあります

身体的性別に関しても、生殖器の有無よりは、根幹的な構造であるとか、ホルモンに関する区別が必要なのですね

それを考えると、遺伝子的もしくは医学的な見地における「新しい性別の呼称」というものが必要なのかなと思いました

ボクシングなどの格闘技がウェイトなどで階級があるように、そういった区分を行うことによって、これまでのようなカテゴライズをしないという方法に向かわざるを得ない気がするのですね

その方法が難しいのであれば、性差を完全に排除して、全ての競技をフラットにするしかありません

 

第3の性によるカテゴライズというのは、今の風潮だと暗礁に乗り上げるイメージしかありません

なので、全てを見直すか、競技が始まった時に行われた区分に立ち返るしかないでしょう

男女が分かれて競技を行い、記録を併記させる意味を考えれば、結論は見えているようなものだと思います

 


JKたちの本音は誰に届くべきなのか

 

映画は、女子高生たちの本音トークがメインになっていて、進学、恋愛、性徴などが赤裸々に語られていきます

学校が定めるルールは誰のためにあるのかなどにも言及し、狭いカゴの中でもがいている様が描かれていたように思いました

その本音はどこに向かえば良いのかという問題がありますが、実際にはそれらの声によって何かが変わる必要はないのでしょう

要は、この理不尽に定められたルールというものにどのような意味があって、どのように対処するのかが求められていると言えます

 

山本先生はミクのメイクが濃すぎると言い、大人でも何を言われるかわからないから控えめにしていると言います

生徒の側には明確なルールというものがありますが、先生にはそういったものがなく、でも自由に振る舞えるというわけでありません

生徒を預かる、いわば教職という立場によって求められるものが暗黙知になっていて、それは明文化されているルール以上に厄介なものであると言えます

彼女らが明文化と暗黙知の関係性について学ぶために、理不尽だったり、時代遅れと思われるルールがあり、その線引きには許容範囲があること知る

そういったものが社会で生活する上で必要になっていき、法律などへの考え方へと結びついていきます

 

彼らが青春の雄叫びを上げるのは、その強さによってルールとの距離感と構造、必要性などを探るためにあるのでしょう

ルールを変える方向に動くも良し、暗黙の了解で罰せられない境界線を探るも良し、という感じですね

そういったものの積み重ねによって、経験値というものが上がり、実社会におけるルールの中で生きていく知恵というものが生まれるのではないでしょうか

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

映画は、ほぼワンシチュエーションの会話劇になっていて、男子生徒は登場するけど顔は出ないと徹底されていました

この演出の意図としてわかりやすいのは、女子高生以外の徹底的な排除で、男子生徒との関係も彼女たちの反応を見て察してくださいということになるのだと思います

その中で、女性教師の山本だけは登場するのですが、これは「大人と子どもの対比」として、学校内のヒエラルキーとその距離感というものを浮上させる舞台装置だったと言えます

最終的に彼女は退場し、わかってもらえないことを嘆き、その視野の狭さに怒りを見せる仕草をしていました

 

映画のタイトルは「水深ゼロメートル」なのですが、彼女たちが立っている場所は、「水があれば水深2メートルぐらい」なのですね

そこに水がなくて砂があることはメタファーになっていて、本来豊なる場所が侵食されている様が描かれています

プールの中に積もっているのはグラウンドの土で、それは男性性による無自覚な侵食であるように思います

女子が抱えている悩みに無頓着なようにも見えますが、それは根本的な身体の作りが違うので、わかる方が気持ち悪いとも言えます

 

掃除をしている様子を見ても、ココロは掃いたフリに近く、ミクはさわろうともしません

チヅルはその上に椅子を走らせて、直にふれない距離感を保ち、ユイだけが真面目に掃除をしていました

これらの反応は男性性による侵食に対するそれぞれの反応を表していて、排除・無視・受容などのように言い換えられるでしょう

 

女性の反応がこのように大雑把に分けられるとは思いませんが、映画では「女子高生的反応」として描き分けていたのだと思います

彼女たちは誰もが靴を履かずに、裸足で砂を踏み締めているのですが、それは砂に対して嫌悪感を持っているわけではないことを表しているのかなと感じました

着飾ることを良しとしながら、汚れることは厭わない

この相反するような心理状態が同居するのが、思春期ならではの特徴なのかもしれません

 


■関連リンク

映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://eiga.com/movie/100942/review/03780101/

 

公式HP:

https://suishin0m.com/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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