■愛する人のために尽くすことが、「罪」だと言われた時代があった


■オススメ度

 

実在の事件に興味がある人(★★★)

LGBTQ+映画に興味がある人(★★★)

 


■公式予告編

鑑賞日2023.11.14(京都シネマ)


■映画情報

 

原題:Il signore delle formiche(蟻の王)、英題:The Lord of the Ants(蟻の王)

情報2022年、イタリア、140分、G

ジャンル:同性愛を理由に教唆罪に問われた教授を描いた自伝的ヒューマンドラマ

 

監督&脚本:ジャンニ・アメリオ

 

キャスト:

ルイジ・ロ・カーショ/Luigi Lo Cascio(アルド・ブライバンティ/Aldo Braibanti:蟻の生態学者、イタリア共産党のシンパ)

 

エリオ・ジェレマーノ/Elio Germano(エンニオ・スクリバーニ/Ennio Scribani:「ウンタ」紙の記者)

 

レオナルド・マルテーゼ/Leonardo Maltese(エットレ・タリアフェッリ:アルドと関係を持つ青年、モデルはジョヴァンニ・サンフラテッロ)

Davide Vecchi(リッカルド・タリアフェッリ:エットレの兄、アルドの生徒)

アンナ・カテリーナ・アントナッチ/Anna Caterina Antonacci(マルダレーナ・タリアフェッリ:エットレの母)

Francesco Barilli(エットレの父)

 

Rita Bosello(スザンナ:アルドの母)

 

Sara Serraiocco(グラディエラ:エンニオの従妹、活動家)

Fabio Zulli(シルヴィオ:グラディエラの彼氏、弁護士)

 

Giovanni Visentin(「ウンニ」新聞社の編集長)

 

Elia Schilton(アルドの弁護士)

Valerio Binasco(検察官)

Alberto Cracco(裁判長)

 

Gina Rovere(アドゥバ:密告するペンションの所有者)

Roberto Infurna(マンリーコ:?)

Giuseppe Alessio(エットレのいとこ)

Michele Alessio(エットレのいとこ)

Michele e Giuseppe Alessio(エットレの小さないとこ)

Andrea Gambetta(エットレのおじさん)

Ilaria Gelmi(エットレのおばさん)

 

Maria Caleffi(カルラ:アルドの生徒、女優)

Luca Lazzareschi(ヴァンニ:アルドの旧友、音楽家)

 

Emma Bonino(エマ・ボニーノ/Emma Bonino:イタリアの政治家、デモに参加)

Alessandro Bressanello(医者)

Alessio Cioni(警察官)

Sebastian Gimelli Morosini(ロビー:?)

Maurizio Notari(パトカーの運転手)

Jacopo Relucenti(エキストラ)

Giacomo Tamburini(郵便屋)

Chiara Valerio(詩人)

Cristina Castellani(修道女)

Gergette Ranucciパーティーの淑女)

Sebastian Gimelli Morosini(ヴァンニのカメラマン)

Giuseppe Amelio抗議活動参加者のリーダー)

Luca Lo Destro抗議者)

Natalia Florenskaia(「Rusba」の代表者)

Santina Scalabriniファンコアの徹夜の女性)

Giulia Sangiorgi(アイダ役:郊外舞台の女優)

Francesco Degli Esposi(ラダメス役:郊外舞台の俳優)

 


■映画の舞台

 

1959年、

イタリア:ピアチェンツァ

https://maps.app.goo.gl/ibu9TitDbRzn9KHS7?g_st=ic

 

ロケ地:

イタリア:エミリア=ロマグナ

フィデンツァ/Fidenza

https://maps.app.goo.gl/5JpkJVSaT8y2jut57?g_st=ic

 

フィオレンツオラ/Fiorenzula

https://maps.app.goo.gl/FojgwPXNfTYMxdPp7?g_st=ic

 

パルマ/Parma

https://maps.app.goo.gl/eeauZkVbc1ESshSB8?g_st=ic

 

ブッセート/Busseto

https://maps.app.goo.gl/pSG29qd94JePBjHD8?g_st=ic

 

イタリア:ローマ

 


■簡単なあらすじ

 

1959年、蟻の生態学者のアルド・ブライバンディは、演劇の顧問として学生たちに教鞭を振るっていた

ある日、その生徒の一人リッカルドが弟のエットレを連れてきた

二人はともに詩を嗜み、徐々に親密になっていく

だが、その関係をエットレの家族は許さなかった

 

1965年、二人はペンションを借りて暮らしていたが、家主によって通報され、二人の間は引き裂かれてしまう

エットレはそのまま精神病院に入れられ、電気ショック療法や薬物療法の犠牲になっていく

アルドはパルチザンとして活躍していたが、この件を機に「教唆罪」として告訴されることになった

 

裁判では、エットレを拐かしたとして弁論が振るわれ、アルドは純粋な愛情があったと主張する

だが、世間は同性愛者には厳しく、アルドに不利な状況が重なっていく

アルドはエットレとの時を想起し、その愛の行く末に想いを馳せていた

 

テーマ:言葉を分解した先にあるもの

裏テーマ:愛ゆえに見えぬもの

 


■ひとこと感想

 

無論、主人公のことは梅雨知らず、蟻が出まくったら嫌だなあと思いながら鑑賞

最低限の登場でホッとしていました

蟻が媒介した出会いになっているアルドとエットレですが、アルドはエットレの本当の姿を暴いたに過ぎません

 

映画の前半はアルドの人間性とエットレとの時間について描かれ、詩的表現、引用などが多数登場し、芸術論に近い文言が飛び交っています

このあたりのシーンで挫折しそうな人がいそうな映画になっていて、哲学的な話が苦手だと置いていかれる感じになっています

 

後半では、裁判シーンがメインになっていて、教唆罪というものの適用の是非を巡っていく流れになっています

彼らが同性愛者でなければ起こらなかった裁判であることを考えれば、不当な裁判であることは一目瞭然なのだと思います

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

自由恋愛に制限のある時代で、その偏見によって、ひとつの愛とひとりの青年が壊されるという悲劇を描いています

エットレが受けた治療は、現在では治療とは呼べないものですが、当時のヨーロッパにてスタンダードに行われていたとされています

同性愛を精神病だと考えていた時代があり、その矯正のために人体実験をしていた時代と言えるかもしれません

 

映画は、濃密なシーンはほとんどなく、同じ趣向と思考を持った二人が、言葉を使いながら愛し合う様子が描かれています

この恋愛は言葉によって昇華し、肉体関係は二の次のように演出されています

文学的素養のある二人の会話劇のシーンであるとか、演劇論での生徒との衝突などのシーンは、ある程度の知識を要する感じになっていましたね

とは言うものの、引用される古典を全て知っている必要はなく、雰囲気で捉えることができればOKなのかなと思わせてくれます

 

彼らの恋愛はローマに来たことで破綻を迎えるのですが、それが家主の密告というところに、当時の背景が窺い知れますね

裁判に入ってからは、記者のエンニオが登場するのですが、この人物は冒頭で二人をじっと見ていた野外食堂の客でした

あのシーンの時系列は分かりにくいのですが、彼が手の上で転がしていた蟻を息で吹き飛ばして、振り払うシーンを思うと、彼自身の変化というものが見えてきますね

 


アルド・ブライバンティについて

 

本作の主人公、アルド・ブライバンディは実在の人物で、イタリアの詩人、エッセイスト、蟻の生態学者という側面と、共産主義者で反ファシストとして、パルチザン(イタリアのレジスタンス)として行動していた人物でした

1922年生まれで、父は医師だったために、多くの往診に同行していました

その後、自然界に興味を持ち、生態学と環境保護に強い関心を示します

詩を書き始めたのは7歳の頃で、当初は韻を重視していましたが、最終的には自由詩に没頭するようになりました

 

1937年からパルマの学校に行き、成績優秀者として学費の免除を受けています

彼は在学中に「ファシスト政権に対する団結を促すマニフェスト」をまとめ上げ、秘密裏に配布したとされています

この頃から、見つけた物を使ったコラージュ作品や集合体模型を作るようになり、この際に蟻の研究が始まったとされています

 

第二次世界大戦後、彼は反ファシスト運動に加担し、イタリア共産党に入党します

そして、二度の逮捕などがありますが、演劇作品の中に反ファシスト思想を盛り込むようになります

また、映画やエッセイを通じて思想を広めるようになります

そして、1964年にエットレのモデルでもある「ジョバンニ・サンフラテッロ」と出会うことになりました

この関係に対して、ジョバンニの父イッポリトがローマ検察庁に告訴することになりました

 


アルド裁判の教唆罪について

 

1964年の告発によって、アルドは法廷に立つことになります

告発の内容は「精神の盗作」というもので、これはファシスト法典における「抑圧の手段として使用された中世の概念」でした

アルドは「邪悪な目的のために他人の心を奴隷にした」とされ、ジョバンニを誘拐したと手配されています

 

ジョバンニはアルドと引き離され、精神病院に監禁されることになります

複数回の電気ショックとインスリンショックを受け、友人や弁護士からも隔離される生活を送ることになりました

でも、このような仕打ちを受けたにも関わらず、ジョバンニは「自分は征服されていない」と宣言をしています

 

裁判は準備期間も含めて4年以上の歳月を要し、アルドの証人に対して反対尋問を繰り返していきます

結局のところ、9年の懲役刑を言い渡されるものの、控訴審にて懲役4年に減刑、2年間の服従の後、パルチザンだったことから恩赦を受けています

ちなみに、ファシスト刑法の一部を切り取ったことが議論を呼び、この制度は廃止されることになりました

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

映画では、「教唆罪」という翻訳になっていますが、実際には「洗脳罪」であるといえます

 映画で登場する「ファシズム刑法 603条」とは、「Chiunque sottopone una persona al proprio potere, in modo da ridurla in totale stato di soggezione, è punito con la reclusione da cinque a quindici anni(人を権力に服従させ、完全な服従状態に陥れた者は、5 年から 15 年の懲役に処す)」というもので、「Plagio」には「精神的隷属状態におく罪, 教唆罪」という意味があります

日本語の「教唆」は「おだててそそのかす」「犯罪を行おうと思うように他人を仕向けること」という意味があるのですが、「Plagio」の一つ目の意味とは少し趣が違います

イメージに近いのは、「精神的隷属状態=洗脳」ではないでしょうか

 

映画では、この「無理やり教唆の罪に問う」みたいな意味合いになるのですが、これでは正しい翻訳とは言えません

裁判の中でも、エットレを洗脳状態に置いているかどうかが裁判の焦点になっているので、少しばかり違和感があるように思いました

日本では「洗脳に対する罰則を設けた刑法がない」のですが、この法律ができれば「教育=洗脳」と捉えられることになり、その線引きが難しくなります

なので、本人の意思に反する監禁状態(=監禁罪)にあるかどうかという状況でしか裁くことはできません

軟禁=監禁ではありませんが、状況的に「監禁」と見なされる場合において、「監禁罪の適用になる軟禁」というものがあるとされています

 

映画は、成人であるエットレの自由意志によってアルドに同伴し、一緒に住むという選択をしているので、この時点でアルドを裁くのは無理な話だと思います

裁判において、エットレの状態を検察官が「これこそが洗脳状態である」と言っていますが、エットレが女性だったらどうだったのでしょうか

この裁判には、同性愛者を排除するという目的があって、性差を無視した個人の感情は蔑ろにされています

仮にアルドがカーラ(演劇の生徒)と一緒に暮らしたとしても、それに何かをいう人はいないでしょう(カーラが成人していることが前提ですが)

なので、映画を観ている最中は、検察は何を言ってるんだ?という感じに傍観してしまって、「恋愛状態にある個人」を洗脳と断ずること自体がおかしいと思っていました

歴史的には、スケープゴートとしての「反同性愛」のスローガンに使われることになりましたが、どう考えても「これで有罪になるのは狂っている」としか思えないので、それが通った時代というのは恐ろしいものだなと感じました

 


■関連リンク

映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

Yahoo!検索の映画レビューはこちらをクリック

 

公式HP:

http://www.zaziefilms.com/arinoo/

アバター

投稿者 Hiroshi_Takata

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA