■狭い路地の奥には、愛を温める場所が残っていた
Contents
■オススメ度
コロナ禍の香港に興味がある人(★★★)
底辺の生きづらさを描く作品に興味がある人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2023.8.22(アップリンク京都)
■映画情報
原題:窄路微塵(狭い路地の小さな埃)、英題:The Narrow Road(狭い道)
情報:2022年、香港、115分、G
ジャンル:コロナ禍の香港を舞台に理不尽な生活を強いられる男女を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本:ラム・サム/林森
キャスト:
ルイス・チョン/张继聪(チャン・ザク:「ピーターパン・クリーニング」の店主)
パトラ・アウ/区嘉雯(ウェン・イン:リウマチを患うザクの母)
アンジェラ・ユン/袁澧林(キャンディ:ド派手な服のシングルマザー)
トン・オンナー/董安娜(ジュー:キャンディの娘)
チュー・パクホン/朱栢康(アヘイ:ザクの顧客)
チュー・パクヒム/朱柏谦(ヒョウ:ザクの仕事仲間)
ウォン・ヤトホ/黄溢濠(電気店店員)
ジェイソン・ウー/胡卓希(パーティールームのオーナー)
リク・チン/程仁富(コスプレコンテストのMC)
ブーバー・マック/麦咏楠(クリニックの看護師)
モク・ワイフォン/莫偉峯(市場の運転手)
パン・チンシー/潘慶思(市場の商人)
チョン・カチュン/張家便(市場の商人)
ラム・クォクピン/林國平(代車の運転手)
タン・ツィチュン/鄧子俊(ジムのスタッフ)
チャン・グク/張國津(レストランのオーナー)
チョン・カーワイ/張嘉慧(コンビニ利用客)
チョン・タチュン/張梓東(ホットドックショップの店員)
スエン・チェン/孫仲斌(公園の警備員)
ホアン・ヴァンヒエン/黃文然(串焼き店の店主)
セキ・チュンクト/石俊傑(医師)
リー・ユーチン/李字澄(納棺士)
ジミー・ウォンワオ/黄華和(スクラップ工場のオーナー)
ツォイ・キット/蔡傑(インターネットカフェの客)
ヨン・チュンポン/楊振邦(裁判官)
ヤン・ジンウェン/楊靜文(子ども食堂のスタッフ)
チョン・カーマン/張嘉敏(化粧品店の店員)
■映画の舞台
2020年、香港
ロケ地:
香港のどこか
■簡単なあらすじ
コロナ禍の香港にて、廃業した店舗の清掃業を営んでいるダグは、リウマチを患っている母ウェン・インと一緒に暮らしていた
仕事量はそこそこあるものの、実入り自体は大したことがなく、財を構えるほどではなかった
ある日、彼の元にキャンディという名の若い女性がやってきた
彼女は仕事を探していて、なんでも良いから働きたいと申し出る
彼女には幼い娘ジューがいて、それから3人はまるで家族のように親しくなっていった
そんな折、顧客唐クレームが入り、役所の立ち入り検査が始まってしまう
偽物の薬剤を使ったことを問い詰められるダグには覚えがなかったが、市民を危険に晒したとのことで起訴されてしまう
ダグは荒れ、キャンディも真相を話さない
そして、三人は離れ離れになってしまうのであった
テーマ:狭い世界で寄り添う意味
裏テーマ:社会に置き去りにされた人々
■ひとこと感想
コロナ禍の香港を描いた作品で、初めはSARSの頃かなと思っていましたが、舞台は思いっきり2022年になっていましたね
特殊清掃を生業にする主人公ダグは、公認の薬剤を使うことで閉鎖された店舗などの洗浄を行なっていて、なかなかリアルな日常を切り取っていきました
映画は、まるで姉妹のようなキャンディ母娘との生活を描いていて、生きるために必死にもがいていく様子を描いていきます
劇中で起こる事件は防げたとは思いますが、発端とリカバーを間違った結果の因果応報な感じに描かれていました
ダグにとっては幸運の女神だったキャンディですが、それが彼の生活を激変させます
とは言え、人生の転換を考えるにあたって、そのこと自体が運命を変えるかどうかはわからないという感じになっていました
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
日本でも同じようなことが起きていて、コロナ禍の影響をもろに受けたのが、底辺層の女性だったと言われています
特に飲食関連は働き場所がなくなってしまい、路頭に迷う人も多かった
キャンディはシングルマザーとしてその煽りをもろに受けた世代として描かれていて、彼女はおそらくメイド喫茶のような場所で働いていたのだと思われます
彼女には衣装を作る才能があるので、その器用さを活かせる職場に就くことが最適解なのですが、幼い子を抱えて働ける場所というのは少ないのですね
縫製工場などの賃金も安いですし、これまでは若さとビジュアルをお金に変えてこれましたが、そうは行かない世界に変わりつつあります
映画では、疑似家族のような感じになっていますが、ダグの不器用な感じが前面に出ていてもどかしさを感じてしまいます
彼が決定的な言葉を言わないのは、ふたりの関係が壊れることを恐れているからで、ダグにとってのキャンディはそこにいるだけで幸運を呼んでくる女神のように考えていました
でも、現実的な問題を疎かにした結果、不幸が訪れたわけで、ふたりの関係がもう少し進んでいれば防げたようにも思えました
■香港のコロナ禍事情
映画の舞台はコロナ禍の香港で、多くの飲食店やジムが閉まり、ザクはそう言った店の除染作業を生業としていました
政府公認の薬剤を使用して清掃を行なっていて、紛い物を使ったことで業務停止に追い込まれていました
新型コロナ(SARS-CoV-2)は2019年に中国の河北省武漢市で最初に確認されたもので、2020年1月30日唐2023年の5月5日まで国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態として扱われていました
映画の舞台となる香港では、2020年1月下旬の段階で増加傾向が確認され、3月20日の時点で感染者数は257人になっていました
香港では、第1派における感染爆発の影響は少なく、2003年のSARSの流行以降、公共の場でマスクをする習慣に抵抗がなくなったから、とされています
4月になっても感染者は845人、死者は4人になっていて、これは前回のSARSの感染爆発よりも低い数字になっています
2020年の4月には、中国本土での強制隔離を恐れた人々が殺到し、それによって7月くらいから増加傾向に転じています
数日連続で1日あたり100人を超え、これが香港における第3波という扱いになっていました
その後、下火になり、同年11月ぐらいから第4波は発生、ダンスクラブでの感染によって、年末まで学校は停止、レストランのテーブルは 2名まで、午後10時に閉店という措置が取られます
2021年に入ってからは部分的な都市の閉鎖が始まり、集団検査などが当局に義務付けされるようになりました
この頃からシノバックワクチンとファイザーワクチンが出回るようになっています
最終的には、全ての国境を閉鎖し、2022年までは軽症者や無症状者でも入院、隔離措置が取られました
2021年の後半ではオミクロン株によって病床は逼迫を迎えています
映画の舞台は2020年なので、都市封鎖が始まる前の段階になると思われます
■荒れ狂う世界の中で寄り添って生きる意味
コロナ禍は未曾有の国際的な問題になっていて、各地で都市封鎖が起こっていました
日本でも「三密」と呼ばれる標語が飛び出しましたが、強制力のないお願いレベルを無理やり緊急事態宣言と称して、時短要請などを行なっていました
香港の場合は、当局による締め付けが厳しく、強制力の強い都市封鎖が行われていました
wikiなどには載せられないようなこともたくさん起こっていたと思いますが、映画ではそこまでエグい感じには描かれていませんでしたね
それでも、ザクは「この世の中はひどいことばかり」と感じていて、それはダブルミーニングのようにも思えてきます
彼自身は消毒作業などに準じているので仕事がなくなったわけではないので、キャンディが受けたような仕打ちとは無縁に近いと思います
それでも、当局が定めて薬剤を使用する義務があり、それに違反すると「国民を危険に晒した罪」というものが科せられることになりました
彼自身への周囲の人間からのバッシングも強く、社会復帰が困難な状況へと追い込まれてしまいました
彼自身の不遇もありますが、キャンディが自分を頼らなくてはいけない世界というものにも理不尽を感じていたのだと考えられます
事の発端はジューが薬液をこぼしたことなのですが、そのことをザクに正直に言えるほどの関係性にはなっていなかったのですね
表面上はまるで家族関係のように映りますが、深層に至るまでのハードルはクリアしておらず、保護という観点から抜け出せていません
なので、キャンディは今が奪われる可能性を危惧していて、それを取り繕うことになりました
映画を見ていて思うのは、コロナ禍が及ぼした影響の最も大きなものは「疑心暗鬼」だったと思います
ウイルスが目に見えないために、できる方策は距離を取ることだけになっていて、その距離感というものは心理的な距離感を作り出すことになっています
コロナにおける致死率が下がった頃でも、距離を取り続けることを余儀なくされていて、生活の自由度が奪われた鬱憤というものをぶつける場所が必要になっていました
それによって人々は攻撃的になり、弱い立場に置かれている人は、さらに悪くならないようにと行動を制限したり、声を殺していくことになりました
キャンディの軽率な行動によって、ザクの人生は狂ってしまうのですが、それでも彼は何とか自我を保ち続けていきます
最終的には彼女たちを許すことになるのですが、それはギスギスした世界の中で得た安息というものが、キャンディたちとの生活の中で生まれ始めていたからだと考えられます
この世界において、孤独に生きることの辛さの方が、職を失うことよりもキツくて、生きていく方法は変えられたとしても、人間関係というものはそれ以上に変え難い価値があるのだと思います
ザクは何とか踏み止まったのは、彼をバッシングした人々と同等にはなりたくないという思いがあり、それによって人であるために大事なものを取り戻すに至ったのだと感じました
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
映画は、ド派手な衣装を着るキャンディが描かれていて、それらはキャリーケースに入れて持ち運ぶほど大事なものでした
後半にはコスプレ大会に出場する彼女たちが描かれ、それらの衣装は彼女自身が自作してきたものだとわかります
前職は分かりませんが、趣味はコスプレのようになっていて、それは彼女を守る鎧のようなものだったと言えます
彼女がコスプレをしたりする理由は描かれませんが、この世界においても自分自身を捨てないという心情を表しているのでしょう
我が強いと言えばそれまでですが、生き方を変えないという主張だけは一貫しているように思います
職業は選ばず、ジューを守るためなら何でもしていくのですが、社会的に弱い立場のために、様々な不遇に晒されていきます
インターネットカフェでの顛末も、通常の世の中ならば相手の方が断罪されますが、行き場のないキャンディは耐えるしかないのですね
そんな様子を見て、ザクは彼女の笑顔が失われている現実というものを直視することになりました
ザクはキャンディに対して恋愛感情を持っているようには描かれていませんが、そう言った想いは抱いていたと思います
でも、その感情を優先するよりは、キャンディが笑顔でいることの方を大事にしていたのですね
こんな世の中において、誰かを笑わせることができる存在というものは稀有なもので、それを与えることができた自分というものは肯定できるものだと言えます
ザクの立場を利用すれば、行き場のないキャンディをどうとでもできますが、彼にはそう言った考えがありません
彼がそのようなマインドを持たずにキャンディと接して来れたのは、母との関係性がもたらした副産物のように思えました
ザクは母親思いだけど、彼女に十分なことをさせてあげられずに別れることになっていて、それが彼の中にある無力感というものを増幅させていきます
この経験があったからこそ、ザクはキャンディとの関係修復に向かったのだと思います
ザクの母もキャンディも自分のことを優先せずに家族のことを考える存在でした
彼がそれに気付いたからこそ、「自分の今の行動はどうなんだろうか?」と問うことになったのだと感じます
そうした先にあった、隠された本音によって傷ついている心というものが理解できるようになり、それは優しさとなって、彼の行動を変えることになったのではないでしょうか
自分たちの無力さを実感しながらも、でもそんな世界で自分でいられるように生きていくこと
それこそがザクがキャンディから与えられた価値観だったのかな、と感じました
■関連リンク
映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
公式HP:
https://hoshi-kata.com/