■心が瞳を捉える時、その深淵にあなたの心は囚われている
Contents
■オススメ度
良質な推理ものが好きな人(★★★)
クリスチャン・ベールさんの演技を堪能したい人(★★★)
ネットフリックスで何観ようか悩んでいる人(★★★)
■公式予告編
鑑賞日:2022.12.27(アップリンク京都)
■映画情報
原題:The Pale Blue Eye
情報:2022年、アメリカ、129分、G
ジャンル:陸軍士官学校で起きた生徒の怪死事件の闇に迫るミステリー映画
監督&脚本:スコット・クーパー
原作:ルイス・ベイヤード/Louis Bayard『The Pale Blue Eye(邦題:陸軍士官学校の死体)』
キャスト:
クリスチャン・ベール/Christian Bale(オーガスタス・ランドー:事件解決のために呼ばれる男)
ハリー・メリング/Harry Melling(エドガー・アラン・ポー:ランドーに協力する士官学校生)
トビー・ジョーンズ/Toby Jones(ダニエル・マークウィス:士官学校の軍医、死体の検案)
ジリアン・アンダーソン/Gillian Anderson(ジュリア・マークウィス:ダニエルの妻)
ルーシー・ボーイントン/Lucy Boynton(リア・マークウィス:病弱なダニエルの娘)
Harry Lawtey(アーティマス・マークウィス:ダニエルの息子、リアの弟、士官学校生)
シャーロット・ゲンズブール/Charlotte Gainsbourg(パッシー:飲み屋の主人)
サイモン・マクバーニー/Simon McBurney(ヒッチコック大尉:士官学校の責任者、ランドーを招聘する上官)
ティモシー・スポール/Timothy Spall(タイアー:士官学校の教育係)
ロバート・デュヴァル/Robert Duvall(ジャン・ぺぺ:ランドーの知り合いのシンボル専門家)
Hadley Robinson(マッティ:男と駆け落ちしたランドーの娘)
Matt Heim(リロイ・フライ:遺体で発見される士官学校生)
Joey Brooks(ストッダード:士官学校生、フライの友人)
Fred Hechinger(バリンジャー:士官学校生、フライの友人)
Brennan Keel Cook(ハントゥーン:士官学校生、遺体の第一発見者)
Gideon Glick( コクラン二等兵:士官学校生、遺体監視を命令される男)
Steven Maier(レウリン・リー:士官学校生)
Charlie Tahan(ラフバー:士官学校生、かつてフロイと同室だった男)
Jack Irv(ハミルトン:士官学校生)
■映画の舞台
1830年、NYハドソン川流域
陸軍士官学校(ストリートキャンプ)
ウェスト・ポイント
https://maps.app.goo.gl/xjJGXF1FHv5UwsDV7?g_st=ic
ロケ地:
アメリカ:ペンシルベニア州
Laughlintown/ラフリンタウン
https://maps.app.goo.gl/qW4UzsiJXhLBNXe59?g_st=ic
New Wilmington/ニュー・ウィルミントン
Westminster College/ウェストミンスター大学
https://maps.app.goo.gl/P4tES9G4jpe3ZVyR8?g_st=ic
■簡単なあらすじ
1930年、ニューヨーク州ウェスト・ポイントにある陸軍士官学校にて、士官学校生のフライという青年の絞殺死体が見つかった
学校責任者のヒッチコック大尉は、推理力に定評のあるオーガスタス・ランドーを招聘し、事件の真相解明に当たらせた
死体は絞殺だけではなく、心臓が抜き取られているという異常なもので、猟奇的な殺人犯は士官学校の中に潜伏していると思われた
そんな折、士官学校生のポーと親しくなったランドーは、彼を助手のように扱い、解明の手助けを依頼することになった
ポーは学に長けていて、詩を嗜む知能を有している
ランドーは遺体から見逃した情報をいくつか示し、それを元に捜査を進めていく
ポーも彼の推理に協力していく中で、ある仮説が浮かび上がってきた
それは、女性がフライを呼び出したというもので、それは士官学校の外にいる人物ではないかということだった
テーマ:人身掌握
裏テーマ:心身制御
■ひとこと感想
登場人物がエドガー・アラン・ポーという古典推理もので、重厚な雰囲気が漂っていました
ネトフリ案件でしたが、キャスティングとタイトルの意味を知りたくて参戦
やはり、クリスチャン・ベールさんの演技は凄かったですね
物語は「ある陸軍士官学校で起きた自殺」を調べていると、実は「殺人事件なんじゃないか?」という感じに展開していきます
検視官が見落としていたことというものが後半への布石になっていて、観終わったあとに様々な伏線が張られていたことがわかります
映画は後半に行くにつれて、着地点がわからないように仕掛けられていて、当時としては画期的なトリックだったのではないかと思います
ラストも意味深で、集中して観るなら劇場の方が良いと思われます
↓ここからネタバレ↓
ネタバレしたくない人は読むのをやめてね
■ネタバレ感想
推理ものなので完全ネタバレは避けますが、反則に近いようなトリックに思えます
でも、実に合理的で巧妙なミスリードだったなあと思いました
原作の完成度が高く、不要なキャラはほぼいないという展開を見せ、何気ないシーンでも重要なヒントがあったりするという構成になっていました
映画はトリックがメインに進むものの、その解明には人の心理を理解していないとダメというもので、人間だからこそ犯す犯罪という感じに思えます
各キャラクターは断片的な情報を提示し、そこに嘘がないという誠実さがありました
嘘とミスリードを混同する流れが多い推理ものの中で、本作はミスリードの中に嘘がなく、それゆえに「見落とし」には驚かされます
犯行動機が判明するくだりであるとか、ある人物が真相に辿り着く過程は痺れますね
頭の良い人が頭の良い人に出し抜かれるというまさしく頭脳勝負なのですが、それがものすごくわかりやすく説明されていると感じました
■良質な推理映画とは何か
ミステリー映画と推理映画は少しだけ趣が違っていて、「ミステリーとは非日常の世界観を描く」のに対し、「推理は謎解きが主体」という感じに分類されます
主人公が探偵、警察などのように「提示された難題を解く」というもので、助手が観客目線になって、解答者と世界観を同時に観るという流れを組みます
本作でも、謎解きをするのがランドーで、証拠集めをするのがポーになっていて、ポーも謎解きに参加するスタイルになっていました
それゆえに、解答者の反応を眺めながら、解答者よりも多くの一次情報にふれていくことになります
本作では、一次情報を有しているのはポーの方で、解答者であるランドーは部外者という立場になります
なので、ランドーは「状況」を知るために士官学校生に話を聞いていくのですが、その「行動」に関わろうという意思を持っていたのがポーという人物でした
ランドーは「状況」を探るとともに「自分が行けない場所に行ける助手」を探していて、その思惑に乗せられたのがポーでした
そして、彼の知的好奇心と能力がランドーの「計画」に必要だったことがわかります
後半では、このポーの知的好奇心への刺激によって、本来の目的を隠していく様が見えていて、それは「一次情報に支配されたポー」の成れの果てであるとも言えるでしょう
ポーはランドーを利用して退屈な士官学校生活に刺激を与え、ランドーはポーを利用して計画を推し進めていく
そうした先にあった「真相」というものはベールに包まれたものではなく、最初から提示されていた情報だったと言えます
そして、その情報を隠すために「大きな嘘」をつくことになり、それが「手紙の紙片と伝達メモの筆記体」というカラクリになっていました
これらの流れにおいて、そのどれもが観客に提示されてきたもので、その情報に対して「考える時間」というものを与えています
ちょうど「ポーが情報を得て咀嚼している時間」がこれに当たり、その分テンポはゆったりなのですが、観客も同時に参加している気分になれます
対して、天才性を発揮する解答者がいた場合、往々にして観客は置き去りになって、映画の中で事件が解決していく様子を眺めるだけという作品もあります
このタイプの映画で成功例が多いのは、「犯人が事前にわかっているパターン」で、解答者がどのような情報を得て、どのように考えるかと見て、そして犯人をいかにして自白させるかという流れを楽しむパターンになります
なので、犯人が不明で、解答者が異次元の天才性を発揮しただけでは、参加型にも思考型にもならないので、そう言った作品の鑑賞後の満足というものはあまり得られません
そう言った意味でいうと、本作は参加型かつ思考型の要素を満たしているので、解答がわかってから観ても楽しめる内容になっていると思います
■ミスリードと嘘の関係性
推理映画につきものなのが、「犯人のつく嘘」と「展開としてのミスリード」ですね
どちらも作者の意図が反映されていますが、その対象者は「嘘は解答者に対してで、ミスリードは観客に対して」という違いがあります
本作では、観客目線=ポーの目線という構図があったので、観客へのミスリードはポーへのミスリードになっているとも言えます
また、ポー自身だけがミスリードに引っかかっている部分があって、後半では「ポー=観客」から「ポーも作劇の中の1人」という視点切り替えがあって、事件の全容を見せていくという流れになっていました
ポーが観客から切り離された瞬間は、ポー自身が自説を唱え始める段階でした
でも、おそらくは英語圏で筆記体に慣れている人ならば、「紙片の筆跡とメモの筆跡が同じ」ということはわかったかもしれません
また、ポーがメモを読んだ時の表情など、細かなところでポーだけが知る疑念が生まれている描写もあります
この瞬間にポー=観客の構図が少しづつズレ始めて、さらにポー単体の物語というものが始まりました
これらの「ポーからの離脱」というものが実にスムーズで、気がついたら観客は神様の視点で全体を俯瞰しているという感じになります
本作で描かれるミスリードは「犯人は士官学校生の内部犯である」というもので、また「殺人と臓器くり抜きが同一人物である」という思い込みを誘発していることです
でも、2体目の死体(バリンジャー)の際に、「1回目と抜き取った人物が違うこと」を前提とした上で、「検視官に素人でもできると言質を取っている」様子が描かれます
この時点で、複数犯もしくは1体目と2体目に関連がないと読み取ることは可能なのですね
それをさせないためにランドーはわざとらしい言質を取るのですが、この段階で「ランドーはダニエル一家を疑っている」上で、ダニエルが隠していることに勘付いているように思えました
この前段階において、死体から紙片が出てきたシークエンスがあるのですが、この時のダニエルは「これ以上、死体の詮索はしたくない」という理由で、「自分が無能であることを認める」という判断をします
紙片を握らせたのはランドー自身なので、この時点でダニエルがこの死体に何らかのフェイクがあって、それを隠そうとしているということが読み取れたのだと推測できます
ミスリード自体をうまく誘発し、それを観客ではなくポーに仕掛け、そして各キャラクターには「嘘の発言」がありません
本来ならば、犯人は「自分が操作対象から外れるために情報を隠す」のですが、本件では「殺人と臓器窃盗は別人である」という前提と、秘匿の儀式を優先させる必要があったために「嘘で逃げる」という判断をしません
嘘をつかないことで対象者から外れるという流れになっていて、通常の推理だと「その嘘を暴く」という過程が必要になりますが、本作にはそれがありません
その理由が「嘘」というものが自分に向かう理由になることを登場人物は知っているからだと言えます
そういった意味において、本作は頭の良い人が極限のガチバトルをしているので、見応えがあると言えるのではないでしょうか
■120分で人生を少しだけ良くするヒント
本作は、復讐の念に駆られた主人公が「状況を利用して復讐を果たす」という内容で、通常の推理ものとは少し趣が違います
自分の娘が士官学校生に強姦され、その結果自殺をしてしまったという過去があり、そして犯人を始末しようと考えていたのがランドーという人物でした
でも、フライを始末して、その犯人探しに呼ばれたところ、なぜか臓器窃盗が発覚し、ランドーは不可解な事件の中に落とされてしまいます
ランドーは自分の犯行を窃盗犯に見られた可能性を視野に入れながら、自らが捜査員に扮することで、状況を把握していきました
これによって、ランドーは娘を強姦した人物に近づくことができ、ポーという協力者によって、関連する人物の情報を得ていきます
ポーはそんな思惑は知らずに内部の友人関係をランドーに教えていき、その過程でアーティマスと知り合いになって、レアに恋をするようになりました
ランドーはポーを助手扱いにしてマークウィス家に引き入れ、その家庭内で起こっていることを「ポーという異物」を通じて観察していくのですね
物語は振り返ると伏線の回収が見事に思え、それらの情報はきちんと提示されていたことがわかります
タイトルはポーがレアを口説くときに作った詩篇で、「Pale=青白い」「Blue=青」という二つの色が重なっているように思えますが、「Pale Blue」で「薄い青色」という意味になります
最近だと米津玄師さんの楽曲に使われていましたね
この言葉を日本語訳では「ほの(灰)蒼き」と表現されていて、それは「わずかに青みがかかっている」という意味になります
この「蒼」という時は「深青色」を意味するので、「仄蒼い」というのは両極の色合いの意味を持ち、「ほのかに深い青が混じっているように見える」という意味になります
ポーから見たレアの魅力という意味がある一方で、レアの中に隠された欲望や目的というものが露見しているとも見て取れます
映画内でポーがレアに贈った詩は「Down, down ,down. Came the hot thrashing flurry. Darkest night, black with hell-charneled fury. Leaving only that deathly pale blue eye.」というものでした
字幕では、「下った先にあったのは、熱く激しい動揺。地獄の怒りに満ちた暗黒の夜。ただ残るのは、あのほの蒼き瞳」となっていました
おそらくはレアの中に「死」に相当するものをポーは感じていて、その向こう側にある本質に近づいたのだと思います
そして、レアは彼のこの言葉を受けて、彼を生贄にすることを決めました
そこにあったのは、「理解者であり服従者であるポー」で、レアたちの思惑に気づいたランドーは、その儀式を止めに行くことになりました
ポーは推理という観点では見誤りましたが、詩篇に残す観察力によって、レアという本質に近づきます
このあたりの文学的な演出は好き嫌いが分かれますが、詩を良く読む人ならば、あの瞬間に「恐ろしいことが起こること」を察することができるのかもしれません
私個人はそこまで詩に造詣が深くないので、「ポーが惚れた」ぐらいにしか思っていませんでしたが、あの瞬間は巧妙なレアの誘惑に彼が屈した瞬間(=生贄への催眠)だったのかもしれません
ミスリードっぽい感じの悪魔の儀式がミスリードではなくガチだったというのも面白かったのですが、能力を過信した若者が絡め取られる屈辱という展開も面白かったですね
この映画は事件が終わった後に彼が書き残した小説という感じの構成になっている(冒頭でポーのナレーションが入る)ので、それに気づいた人は顛末(ポーが助かること)は読めたかもしれません
語り口も巧妙で知的好奇心を刺激する内容だったので、推理小説を読み慣れている人ほど楽しめたのではないでしょうか
■関連リンク
Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/386024/review/b84b7776-3939-4cc0-ad86-ba4837bf97f2/
公式HP:
https://www.honoaokihitomi.com/