■何かを売り買いする時には、隠しきれない欲望が芽を出そうとしている瞬間だ


■オススメ度

 

モンゴル映画に興味がある人(★★★)

アダルトショップを取り扱う映画に興味がある人(★★★)

 


■公式予告編

https://youtu.be/JGAoq9-F3R8

鑑賞日:2023.5.25(アップリンク京都)


■映画情報

 

原題:Худалдагч Охин(Khudaldagch ohin)、英題:The Sales Girl

情報:2021年、モンゴル、123分、G

ジャンル:アダルトショップでアルバイトをすることになった女子大生を描いたヒューマンドラマ

 

監督&脚本:ジャンチブドルジ・センゲドルジ

 

キャスト:

バヤルツェツェグ・バヤルジャルガル/Баянгэрэлийн Баярцэцэг/Bayarjiargal Bayartsetseg(サロール:原子工学を学ぶ大学生、友人の頼みでアダルトショップで働く)

エンフトール・オィドブジャムツ/Ойдовжамцын Энхтуул/Oidovjamts Enkhtuul(カティア:アダルトショップのオーナー、元ダンサー)

 

バヤルマー・フセルバータル/Хүсэлбаатарын Баярмаа/Bayarmaa Khüselbaatar(ナモーナ:怪我をするサロールのクラスメイト、カティアの店のスタッフ)

ガンバヤル・ガントグトフ/Гангток Гамбаяр/Ganbayar Gantogtovkh(トブドルジ:セントバーナードを連れたサロールの男友達)

 

ビャンバジャブ・バザラグチャア/Бямбажавын Базаррагчаа/Byambajavyn Bazarragchaa(サロールの父、元ロシア語教師)

サラントヤー・ガンバト/Дааганбатын Сарантуяа/Sarantuya Daaganbat(サロールの母、ミシン縫製士)

 

ツェンムール・オドゲレル/Зэнмур Одгэрэл/Zenmur Odgerel(アノジン:キノコ売りの少女、7歳)

 

マグノリアン/замбага/zambaga(路上ミュージシャン)

 


■映画の舞台

 

モンゴル:ウランバートル

 

ロケ地:

モンゴル:ウランバートル

 


■簡単なあらすじ

 

大学で原子工学を学んでいるサロールは、顔見知りの学生ナモーナから、アダルトショップの店番を任されることになった

店主のカティアは店には出てくることはなく、すべてをサロールに任せている

時にはグッズを顧客の元に届けるなどをしていたが、サロールは無感情で日々を過ごしていた

 

カティアの生活は謎だらけで、サロールをいろんなところへと連れていく

普段、行かないような店に行ったり、着たことがない服を着ていくうちに、少しずつ変化をしていた

彼女には男友達のトブドルジがいたが、関係が発展することもない

俳優を目指し、韓国エンタメに没入しているように見えるが、彼も無感情に近い日常を過ごしていた

 

ある日、グッズを配達した先で襲われそうになったサロールは、店を辞める決意を伝える

そして、カティアの生活も空虚で中身がないと断罪する

心ない言葉を浴びせたサロールだったが、カティアはそれらを受け止めて、彼女に接していくのである

 

テーマ:日常に色を与える方法

裏テーマ:色の先にある色

 


■ひとこと感想

 

モンゴル映画でアダルトショップという「想像もつかない組み合わせ」に興味を覚えて参戦

モンゴルも都市部は発展していて、そこには様々な人間の欲を満たすものがありました

 

映画はアダルトショップで働くリケジョの変身というものですが、劇的ではなく「年頃の女の子になっていく」というものでした

カティアとの関係は不思議な関係になっていて、人生訓みたいなものを紡いではいるものの、現在の孤独が見えるためにそれらの教訓が絵空事のように思えてしまいます

 

映画は、青春時代をどう生きるかと命題の中、親に言われて原子工学をしているサロールの行末の変化が生まれていきます

期間限定のピンポイントのアルバイトだとしても、そこで過ごす時間には無駄なものはないのですね

 


↓ここからネタバレ↓

ネタバレしたくない人は読むのをやめてね


ネタバレ感想

 

自分の知らない世界に自らが飛び込むということはあまりなくて、今回のように「不本意で訪れる」ということがあります

このような「意図しないこと」をどう受け止めるかというところに人生を動かす鍵があり、本作におけるサロールは人生の早すぎる転機に気づくことになりました

 

意図しない出来事を「巻き込まれた」と取るか、「足りないものを補う」と取るかは本人次第で、サロールも当初は「全てに対して後ろ向き」でした

それが「体験」を重ねることで変化していき、ファッションのみならず、表情まで変わっていきました

 

サロールは精神的にも肉体的に大人になろうとしますが、それは相手あってのこと

その辺りがうまく行かないところも青春のほろ苦さにつながっていましたね

でも、トブドルジとの未遂があったからこそ、彼女の中で「人生」が軽くなったようにも思えました

 


ピンチヒッターになる理由

 

映画では、ゼミの知り合いレベルのナモーナのピンチヒッターとして、アダルトショップで働くサロールが描かれていました

「どうして自分なのか?」と問いかけると、ナモーナは「秘密を守ってくれそうだから」と答えていました

これには二つの意味があって、「サロール自身が真面目であること」と「サロール自身がセックスのことを口に出すとは思えない」というものでしょう

秘密を知った上で公言するタイプかどうかを考えた時、口数の少ないサロールが誰かに話すとは思えなかったということになります

 

ナモーナは交友関係が広いタイプで、大学に多くの友人がいるタイプだと思います

そんな彼女は多くの人と接していることによって、大学内の交友関係とその広さを知っているのだと思います

原子工学という、大学内でも人数の少ない専門グループの中にいるので、サロールの交友関係を調べるのは他愛のないことでしょう

なので、サロールには友達が少ないはず、というナモーナの思い込みも判断材料になっているのだと感じました

 

ピンチヒッターを頼まれるというのは、ある意味「付き合いの浅い人から見ても信頼性がある」というもので、裏を返せば「頼んだらやってくれるかも」というものもあったと思います

私個人も大学時代の入り立ての時に「出会って数週間の同級生」から「ワシの代わりにバイトしてくれんか?」と頼まれたことがあります

彼からは「古本屋」と聞いていたので、古っぽさを感じていたのですが、行ってみると「漫画とエロ本が主体の古本屋」だったので驚いた経験があります

社長はヤーさんみたいな人だし、愛人っぽい人が経理しているし、というもので、この映画の設定とよく似た経験がありました

 

そのアルバイトは、やがて社員になり、妻と出会いというものに繋がっていったので、人生はわからないものだと思います

もし私があの時に野球部に入らなければ、あの時に彼が古本屋で働いていなければ、などなど、その時点の自分の人生の歩み方では決して選ばなかった道というのがそこにあって、それが人生を大きく変えるものになっているのは、面白いことだなと感じています

 


人生の行き先を変える偶然

 

このような「降って湧いた出来事」に対して、流れに任せる人と抵抗する人がいると思います

どちらが正解かはわからなくて、サロールの場合だと「性的な危険」は付随しましたし、私の場合は「その後の事業展開で、引き取り屋をすることになってヤクザの事務所にいく」なんてこともありました

なので、実際には歩んでみないとわからないことも多くて、それをどのように捉えるかというのは人それぞれなのかなと感じています

 

知人からの申し出の段階で断ることもできるし、実際に引き受ける渦中(面接)で断ることもできます

サロールも1、2日目で「違う」と思っていましたし、塩対応で接客をしていて、明らかに場違いな感じになっていました

それでも、性的被害の未遂になるまで彼女が辞めなかったのは、彼女自身の好奇心の方がリスクよりも優っていたからであると考えられます

また、親のレールに乗って生きてきた彼女にとって、逸脱というものに憧れがあったかもしれません

 

このような逸脱を自分本位でできるほどの勇気はなく、何らかの外的要因に頼ってしまう

こう言ったマインドの人はとても多くて、悪く言えば他力本願なのですが、それでも決断に関しては主体的であると言えます

明らかに自分のフィールドではなさそうに思えるものと遭遇した時、人はどちらに向かうべきでしょうか?

これには正解はないのですが、個人的な考えだと「面白そうならやる」という感じになっています

 

私個人も「ヤーさんみたいな社長と愛人みたいな経理」を目の前にして、「ヤバいところに来た感」はあったのですが、そこで働いていた従業員(妻になる人とは別の人で、ちょっとお水系っぽいお姉さん)を見ても、引く人は引くのかなと思います

でも、何となく面白そうというものが根底にあって、それでそのまま働くことになりました

今でも、なぜこの道を選んだのかはわからないのですが、私の中にある「やってみてから考える」というスタンスが、行動の起点になっているのだと思います

このマインドだと多くの失敗を生みますが、それを失敗と捉えるかどうかは向き合い方ひとつなのですね

私の場合は「失敗」というものはなくて、「マズいやり方の答え合わせをした」という感じに捉えています

それゆえに、自分に来る話というのは、よほど裏があると感じる時以外が引き受けるようにしているのですね

もっとも、それ以上に自分が能動的に動きすぎるので、その隙がないということもありますが、時間を作るというのは、何とでもなるものだと考えています

 


120分で人生を少しだけ良くするヒント

 

映画はモンゴル映画のイメージを変えるというふれこみですが、モンゴルに対しての偏見がそこはかとなく流れている感じになっています

モンゴルのウランバートルをはじめとした都市部は近代化を果たしていて、アジア諸国やアフリカ地域でも、先入観とは違う街並みになっているものが多いですね

なので、「モンゴル映画らしくない」みたいな文言が踊るのは不思議で仕方ありません

 

これらのギャップがどうして起こるかと言えば、その土地や国に対するイメージを抱くことで、その場所をわかった気になれるからなのですね

これは地理を学習する時の用法が残っていて、何かを覚える際に「イメージ化すること」で記憶に定着しやすいという効果はあります

この手法自体はさほど問題はありませんが、初等教育ではないエンタメの世界などで、それらのイメージを利用するとおかしなことになってしまいます

 

映画というのは、舞台設定において、その土地柄を引用するものもあればそうでないものがあります

その土地ならではの慣習、建物、人柄などが物語に組み込まれることで必要性を持ちますが、本作のように「モンゴルの都市部」という漠然としたものだと、必要性は無くなってしまいます

本作の場合は、物語内で「モンゴルの都市部」を強調することもなく、普通の町に住む人たちの間で起こっていることなので、広告宣伝に引用しても効果がないでしょう

 

本作のキャッチーな設定は、「エッチなことに無頓着なリケジョ」が「アダルトショップで働く」ことで、やがて「性的な興味や興奮に没頭する」というものなのですね

サロールという人物を通じて、現代の若者とは何かというものを描いているので、描かれている内容は普遍的なものばかりでしょう

また、モンゴルの都市部で起こっていることを仄めかしているのは、流行っている文化であるとか、青年たちの関心ごとになどを知るきっかけになります

映画では、その役割をトブドルジが担っていたように思います

 

彼は俳優になるのが夢で、芸名は韓国に近しいもので、K-POPが流行っていることもわかります

でも、彼は「流されているキャラ」として描かれていましたね

また、映画には「マグノリアン」がガッツリ登場するという構成になっています

映画の音楽を担当していることもありますが、スクリーンのこちら側と向き合って、メッセージを投げかけているのは相当リスキーな演出であると思います

 

楽曲の内容は、カテゴリー的にはラブソングで、想いが通じなかった後悔みたいなものが歌われています

この楽曲がメインで流れるのは、サロールに向けた青春を謳歌しろよという応援歌にも思えます

青春時代に勉学は大事ですが、それ以上に「今しかできないこと」を体験しておくことは良いことだと思います

そう言った意味において、「私、興味ないの」という人ほど刺さるのかなと感じました

 


■関連リンク

Yahoo!映画レビューリンク(投稿したレビュー:ネタバレあり)

https://movies.yahoo.co.jp/movie/386694/review/8089e0fb-3adc-4696-b221-ece70fbf43dc/

 

公式HP:

http://www.zaziefilms.com/salesgirl/

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投稿者 Hiroshi_Takata

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